古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

裏山の樹樹に名札をつけます。

2021年01月29日 17時15分38秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日の仕事は「皇帝ひまわりを片づける」。春、前の畑のふちに、道子さんが皇帝ひまわりを植えました。一本の皇帝ひまわりは、ずんずん大きくなり、枝分かれして、たくさん花を咲かせました。今年は皇帝ダリアも皇帝ひまわりも、どこの家でもよく咲いて、庭先を彩ってくれました。
 そして12月のひどく冷え込んだある朝、皇帝ダリアと皇帝ひまわりは一度に枯れてしまいました。皇帝ひまわりは枯れたままにしていましたが、今日片づけました。
 枝を鋸で切った切り株の写真です。

 枝をたき火で燃やせる長さに切って、裏山のたき火場に運びました。運搬用の大袋に入れて、カートを押して、裏山と前の畑を三度往復しました。作業に2時間かかりました。
「裏山の樹樹に名札をつけて、村の子どもたちにもわかるようにしたい。樹に親しみをもってほしい」。まえから道子さんに名札つくりを頼まれていました。ナフコに安い、桧の板があったので、名札をつけます。

 漢字にふりがなをつけます。雨で墨が流れないようラッカーをスプレーします。前は名札に杭をつけて地面に挿しました。杭が2年でダメになりました。今度はヒモで樹の枝に架けることにします。
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心をいたわって生きる。

2021年01月28日 20時37分38秒 | 古希からの田舎暮らし
「心をいたわって生きる」のつづきです。
 図書館で『インドネシア大虐殺』 …… 二つのクーデターと史上最大の惨劇 中公新書 倉沢愛子著 2020年6月発行 という本を借りました。本の題を見たとき「エッ?」と思いました。カンボジアの大虐殺なら知られています。「クメール・ルージュ」/「ポルポト」で何があったか少しわかっています。しかし「インドネシアの大虐殺」って知りません。一体何があったのだ。
 本を読んでいきました。大虐殺にいたる理由や経過がきちんと書かれています。この本は去年の6月に出版されています。虐殺のあったのは1960年代です。50年以上むかしのことなのに、世間ではほとんど知られていない。
 50ページを過ぎて「これから虐殺が起きる」ところで、読むのをやめました。すすめなくなった。その心境をどう説明したらいいか。本は置いたままです。
 ずいぶんむかし、広く読まれた『パパラギ』という本の酋長の言葉を思います。(酋長の言葉というのは創作だそうですが、それなりに真実を伝えています)
 酋長はこんなことを言ってます。「舞台の上で人が殺される悲劇が起こっている。(演劇です)しかしだれも助けに行かない」。文明人は、テレビ・ドラマの画面で人が殺されるのを黙って見ています。その心を不思議とも思わない。
 老人が直接、目撃したり、聞いたりすることは、いまの生活ではほとんどない。テレビやスマホや新聞から入っている情報におぼれています。そこで情報を遮断はしませんが、コロナのニュースなんか見ないようにしています。児童虐待や殺人事件のニュースも避けています。
 ピントの合わない文になりました。老人が『暴れん坊将軍』/『水戸黄門』を見るのがわかる。
時代劇はあたりさわりがない。何をいいたいか。自分でもわかりません。老人は〈体力〉だけでなく、〈心の力〉も衰える。(とわたしは思います)。
 だから心をいたわって生きる。いい心がけだと思います。 
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「こころをいたわっていきる」

2021年01月28日 03時57分53秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日はあたたかい日だったので、気になっていた「寒肥」を樹樹にやりました。樹のまわりをグルッと掘るのはしんどい。ツルハシをふるって、3~4カ所に穴をあけて、鶏糞を入れました。JAの鶏糞はサラサラしてつかいやすいです。

 あちこちに布のイスを置いておき、ちょっとツルハシをふるっては休みます。頑張り過ぎない。老人の心得です。

 老人は「心をいたわる」ことにも気をつけねばなりません。近ごろ気づいたことを書いてみます。
 わたしは本を整理/処分して、ほとんど手もとにありません。「読もうかな」という本を図書館で借ります。でも読むのは少しです。
 この間も本を借りてきました。そして読みはじめました。途中でやめた本がいくつかあります。
 なぜ、読まないのだろう。「自分のこころをいたわれ」ということかな。読むのをためらっている理由を考えてみました。
 宮尾登美子『朱夏』 4分冊の大型活字本で読もうとしました。50ページでとまっています。宮尾登美子の小説には女が出てきて、苦労します。応援したくなる。『きのね』『錦』もそうでした。また応援しながら読もう。
『朱夏』は乳飲み子を連れて夫のいる満州の開拓団に渡る話です。数十ページ読んで、読むのをやめています。大変な苦労をする予感で、ためらっています。
 満蒙開拓については退職後、聞き取りをしました。「青少年義勇軍だった人に話を聞こう」とあちこちのお宅を訪ねたり、家に来てもらって話を聞いたり、長野県にも出掛けました。(長野県は満蒙開拓青少年義勇軍の少年たちを一番多く満州に送り込んだ県です)
 また集団自決をされた方に、出石近くの高橋村に泊り込んで話を聞いたこともあります。その方は小学校5年生で敗戦になったのですが、一家7人で満州に開拓に入りました。戦争に負け、開拓団の人たちは、現地の住民に襲われ、逃げまどい、8月17日に400人の開拓団の人が集団自決することになりました。その少年は兄とゲートルで足をくくられ、ホラン河に投げ込まれました。苦しくてもがき、どうしたことかゲートルがほどけてしまい、岸にはい上がりました。そこに開拓団長が帰ってきて、自決は途中で中止に。その方は「語り部」として活動されています。
 60歳の頃は「話をきき、受けとめ、何かのかたちで伝える者になりたい」と思っていました。しかしいまは「その悲惨さ」に耐える〈こころのちから〉がない。こころの強さがおとろえました。ここで無理してはいけない。そんな気がしています。    (この項つづく)
 

 
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龍神さま、今年もよろしくお願いします。

2021年01月25日 17時09分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は「寒肥」をやるつもりでしたが、ダラダラしているうちに「やる気が消えて」しまいました。
結局龍神さまに初参りしただけでした。
 一番龍神さまが宿っておられそうな「蛇が池」(じゃがいけ)ですが、柵があって池のそばまで行けません。堰堤の祠にお参りすることにしました。その祠は写真のように、草ぼうぼうです。イノシシ用の柵が無ければ草刈りをして拝むのですけど。

 このイノシシの柵、役に立ったのははじめの2年だけで、裏山にイノシシが出没するようになりました。うちの裏山にはイノシシのワナが二カ所に仕掛けてありますが、全然掛かりません。掛かれ!
 無施池 ⇒ 福地池 ⇒ 九文小池 ⇒ 雨降らしの神さま とまわり、いつものように、塩/生卵/お酒/を供えて、不動明王の真言を三度唱えました。
 だれが置いたのか雨降らしの神さまに「御賽銭」がそなえてありました。どなたか村の人が回収するのでしょうか。
 雨降らしの神さまの祠です。

 三つ並んでいますが、中央の祠をアップしました。
 龍神さま! 村人が仲良く老人会に参集しますように。いまのままでは来年から休部です。
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味噌を仕込みました。

2021年01月24日 13時13分54秒 | 古希からの田舎暮らし
 過去の〈マイ・ブログ〉を見かえしたらこんな文が載っていました。

 ところで電動ミンサーですが、今年買いました。アラ古希のじいさんばあさんが年に一度だけ使用するミンサーを買うのか。あと何年味噌づくりをするつもりだ! 
 まーいいじゃありませんか。いくらでもお貸ししますよ。またどうぞ。  2010年1月20日

 12年前、71歳のときに書きました。このミンサーを使うのは今年で12回目です。もう十二分に使いました。よく役に立ちました。まだまだ、生きてる限りこれからも使います。
 買ってよかったねえ。
 去年は「味噌作りを覚えてもらおう」と萌ちゃん一家・大志くん一家に来てもらって伝授しました。
今年はコロナ。でも大志母が「手伝う」と来てくれて、お昼までに仕込みました。

 今日仕込んだ新味噌は、ふつうは秋口から賞味します。しかし我が家では5月に味見して、使いはじめます。これがまた美味しい。古味噌とちがう美味しさ。たのしみです。
 

 
 
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ぼくの一番面白い戦争映画は『ナバロンの要塞』です。

2021年01月24日 02時25分27秒 | 古希からの田舎暮らし
『日本の戦争映画』という新書本を図書館で借りて読んでみました。(2020年発行/文春新書/春日太一 著)
 昭和10年代に生まれたぼくらの青春は、映画全盛期と重なっていました。中学生くらいから20代後半になる頃は、よく映画を見たものです。そのあとの世代・昭和30年より後に生まれた人たちは、映画世代というよりテレビ世代でしょうか。
 さて『日本の戦争映画』ですが、「すぐ読めるけど、さて、何が書いてあったか」という本でした。そして思いました。日本の戦争映画は、あの戦争をいろいろな角度から描きます。
 でもおおむね、日本がコテンパンに負ける/軍の上層部は間抜けで/無茶な/愚かな/作戦を計画して、兵隊を死地に追いやる/という映画になります。そして最後は「やられる/負ける/死ぬ」。
 作戦があたり、敵をやっつけた。痛快なアクションだ。というのは最初のハワイ真珠湾攻撃だけ。あとはいかにネバって負けたか。体当たりで戦ったか。娯楽映画というわけにはいきません。
 深刻な映画(例えば『軍旗はためく下に』)はビデオ(テープ)を持っていますが、見ると暗い気持ちになります。原爆/沖縄戦/南の島(サイパン/硫黄島/フィリピン/ガダルカナルなど)どれをとっても負け戦です。
 外国映画では、ナチス・ドイツが悪者になり、痛快な映画がつくられ、娯楽作品としてたのしませてくれます。前にブログに書いた、あの「正義中毒」の快感を得られます。脳内にドーパミンが分泌します。
 さて、一番面白い外国の戦争映画は。ぼくの一番は『ナバロンの要塞』です。(続編はダメでした)あれは1961年(昭和36年)の映画で、西宮の映画館で見ました。就職して2年目だったか。とにかく面白かった。痛快だった。先日BSで放送していました。ちょっと見るつもりが2時間半の映画を全部見てしまいました。いま見ても面白い。筋はわかってるけど、見てしまう。
 なお長編なので一部カットしたテレビ放送がありましたが、あれはダメです。まったく面白くなかったです。ノーカットでないと。
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大豆を煮る日です。  

2021年01月23日 14時07分45秒 | 古希からの田舎暮らし
 四つの大鍋で大豆を煮る日です。昨夜1,5キログラムずつ洗って水にかしておきました。今日は朝から夕方まで煮ます。鍋を見まわして水をたしながら。

 去年から大豆は6キログラムに減らしました。(一昨年までは7,5キロ)我が家の味噌が「美味しい」と評判なのは/自家栽培の有機大豆を煮る/圧力鍋でなく飴色になるまで大鍋で時間をかけて煮る/麹と豆の割合(麹を多く)/塩(皇帝塩)/のお蔭です。今年も一日かけて煮ます。
 ふだん部屋の湿度は40~50パーセントです。今日は窓や戸を少し開けていても85パーセントです。年に一度のことです。
 今年から携帯ガスコンロ4台にしました。田舎暮らしをはじめた頃は練炭コンロや石油コンロを使っていましたが、準備や火加減が面倒になりました。
 高齢になるにつれて、あまり意識しないでも自然に適応していくものですね。

 毎年賀状だけはお互いに交流している人から、賀状が来ません。高齢になってやめられたのか。なにかあったのか。電話でたしかめるのもどうかと思い、そのまま受けいれることにします。
 しずかに消えていく。そういうことでしょうか。
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「野鳥のみなさん、餌場に来てください」

2021年01月21日 17時52分33秒 | 古希からの田舎暮らし
 ホームセンターで餌などを買いそろえて、野鳥の餌場は完成しました。

 手前の大皿はヒマワリの種(小)と粟粒など。黄色い小皿は小鳥用ミネラル粒。小さい白い容器は土と塩を混ぜたもの。それと水です。これを摂ってると元気に生きらえますよ。
 見なれぬものが出来て用心しているのか、まだ小鳥は飛来しません。しばらく辛抱して見ることにします。地面に誘いの餌を撒いたほうがいいかな。
 なんか、たのしみだなー。どんな野鳥が飛んでくるか。
 裏山の竹藪で真竹を2000本伐ったのはもう14年も前のことになります。竹に負けないように/クヌギ/コナラ/が背伸びしていたので、こんな冬の景色が眺められます。

「頑張ってよく伸びたね」とクヌギ・コナラをほめたくなる景色です。
  大寒のいまは、味噌を仕込むときです。今日稲美町の「母の里麹」屋さんに麹をもらいに行きました。今年は大豆6キログラムを一日かけてトロリトロリと煮ます。そして土曜日に麹22キロで仕込みます。
 麹をもらいに行ったついでに、先日ブログに書いた方の空き家を訪ねてみました。

 裏には畑もあり、植えた樹も大きくなり、いい家です。地域に根づいて活動しておられたようですし。街のマンションに移ってどんなふうに暮らしておられるか。なんかなー。
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『2.26事件』の大きさを思いました。

2021年01月20日 17時44分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 図書館の大型活字本に『近衛文麿』(4分冊 杉森久英 著)の本があり、「読んでみよう」と借りました。
 近衛文麿は昭和12年(1937年 ※ぼくの生まれた年)に日中戦争(支那事変)をはじめたときに首相にかつぎ出され、右往左往した人です。敗戦後はA級戦犯として逮捕される日の朝、青酸カリで自殺しました。(54歳)この人物に関心はありませんが、その頃の社会状況を知りたくて読んでみたのです。
 志那事変の前の年に『2.26事件』が起こります。この事件のことは、大人になるまでよく知りませんでした。陸軍における/皇道派/統制派/の対立も定年退職まで知りませんでした。こんな大きな事件のことを学校の歴史の授業では習わなかった。
 満蒙開拓青少年義勇軍/満蒙開拓団/のことを聞き取りするようになって、歴史の本をいろいろ読んで、この事件を知るようになりました。事件というより反乱です。この反乱と事後処理に、軍隊の横暴と無責任体質がくっきり出ています。
 その部分を引用してみます。

 2.26事件のあと、政界の空気は一変して、軍の発言力が急激に強くなった。事件そのものについては、国法を乱す暴挙であるとして、国民の批判がきびしく、軍としてもひたすら陳謝すると共に、粛清を誓う以外なかったのだが、一面からいえば、事件は軍の威力を示すことにもなった。国法に違背しようが、国憲を踏み躙ろうが、軍はやるときはやるのだという、居直った姿勢を誇示することによって、反対者をふるえあがらせた。軍は表面恐縮してみせながら、実際はヤクザのように凄い眼で、国民を睨みつけていた。軍を非難する者は、声だけは大きくても、どこか逃げ腰で、急所に触れることは避けていた。
 軍はたしかに2.26事件に関係した者を処分したけれど、それは軍全体の中の、最も急進的な派閥、いわゆる皇道派を斬ったに過ぎず、反対派の統制派にしてみれば、かえって自派の勢力を強化することになった。

「この際仕方ないと思うけど、部下の連中はどう思うかな」と軍の上層部がつぶやくだけで不気味な脅しになりました。
 2.26事件は学校で習うほうがいい。いい国民が育つ。




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屋根をカムフラージュしました。

2021年01月19日 13時39分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は小鳥の餌場に金色の屋根をつけましたが、あんな光る屋根には小鳥が寄りつかないかも。それで屋根をプールライナー(黒色)でおおいました。さらに木の枝を折って、針金で屋根にくっつけました。その写真です。

 餌場の床に蕎麦の実と麦(六条大麦の粒)を撒いて、そばに水の入った陶器を置いているのですが、小鳥はまだ来ていません。餌入れがあったほうがいいかな。種子用に買った大豆(サチユタカ)はたくさんあるのですが、小鳥にも種子用はよくないかも。
 小鳥の餌入れと餌を買うことにします。裏山にはヒヨドリがよく飛来するのですが、ずっと居すわることはないし、ほかの野鳥も来てくれるでしょう。
 あのルリビタキ/ウグイス/メジロ/ジョウビタキ/シロハラ/などが来てくれたらうれしいです。
 おじいさんが外仕事するには寒すぎる。家で本でも読みます。
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バード・フィーダー(小鳥の餌場)を作りました。

2021年01月18日 17時01分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんが野鳥ハンドブックを持ってきて「あの小鳥はルリビタキじゃない?」といいます。見ると尻尾の色がちょっと青い。「きれいな色のルリビタキになるには数年かかる」と書いてあるそうです。ジョウビタキ類は人見知りをしません。すぐそばまで飛んできて、鳴きます。裏山の山頂にはルリビタキがいました。この小鳥もルリビタキかも。
 よーし、バード・フィーダーを作ろう。今朝瞑想中に「屋根をどうしよう」と考えていたら、思いつきました。20年以上むかし、神戸に住んでいた頃にピラミッドを作ったことがあります。使い道はないけど、食器棚の上に置いていました。それを屋根にしたらいい。
 餌場は4本の柱を立ててその上に屋根をつけるつもりでした。しかり与呂木の餌場を見たら柱なんかありません。そうか。150センチの足場パイプを地面に立てて、それに餌場の棚をつけよう。

 屋根が金色ですが、これには防水のプールライナー(黒色)を貼ります。餌と水を置いて、部屋の窓から見ることにします。部屋から見るとこんな感じです。

 バード・フィーダーはできたから、明日から寒肥を入れる作業にかかろう。
 
 

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マスクをして「初笑い」しました。

2021年01月16日 17時29分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は16日=大将軍神社にお参りする日です。「今年も毎月元気にお参りできますように」。
 お参りすると神社当番からお餅をいただきます。またお昼に「安倍川餅」でいただきます。年寄りは餅を喉につめることがあるから、しっかり〈パタカラの歌〉を歌ってから食べます。
 今日は『初笑い・三木山落語』の日です。去年の暮れに電話で申し込みました。入場料一人200円。ちょっと安すぎると思います。
「緊急事態宣言でも落語会あるかな」と心配しましたが大丈夫でした。いろいろ配慮してあって無事に「初笑い」しました。三密に配慮した会場の写真です。

 このホールはふだん280席ですが、100席にしてありました。みんな/マスク/入口で検温/手のアルコール消毒/一度座ったら席を変えない/と注意を受けて入場しました。
 落語をする方が「命がけで来ていただき、ありがとうございます」と冒頭のおしゃべりで、みんなマスクのまま爆笑。たのしい会でした。(落語をされるときはマスクなしですよ)
 最後は出演者の方々がステージあいさつをされました。

 篠笛/日本舞踊/三味線合奏/落語3題/と盛り沢山のたのしみでした。去年はほんとに出番が少なかったそうで、芸能人の方も大変ですね。
 終わったのは1時過ぎでお腹がすいています。「レストラン・デルパパのバイキングはやってるかな」。なんと、やってます。マスク/ビニールの手袋/一度に2皿持って歩かない/検温/の注意を受けて、席に着きました。

 ぼくのとってきた料理。腹いっぱい。ささやかなたのしみがうれしい一日でした。
 
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「草木灰」の容器を補修しました。

2021年01月15日 14時14分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 畑をやってるとつぎつぎと燃やすモノがあります。大豆をつくれば豆殻や枝を燃やす。野菜の葉や根を燃やす。胡麻をつくれば茎や根を燃やす。サツマイモのツルを燃やす。土手の草刈りをして草を燃やす。畑仕事に「燃やす」はつきものです。街では燃やすのは無理ですが。
 下の400坪の畑をつくっていたときは、ブロックで80センチ幅の大きめな焼却場をつくっていっぱい燃やしました。燃やすと灰ができる。灰は畑に撒くといい肥料になる。
 灰を入れる容器は、サイディングの板を使って自分で作りました。お向かいの看護ステーションが建ったとき、余ったサイディングをもらったのです。切れ端ですからツギハギの容器になりましたが、熱い灰を入れても大丈夫です。
 その容器を、いまは裏山のたき火場のそばに置いています。その容器のすき間から灰がこぼれるようになりました。今日は灰を空にして、容器を補修しました。

 灰はブルーシートにいっぱいあります。畑に好きなだけ撒けます。いままでは、熱い灰をフルイにかけないで入れてしまったこともありますが、これからはさまして、必ずフルイにかけてから容器に入れます。畑に好きなだけ灰を撒く。撒き過ぎはありません。いいですね。
 BS放送に『魂の焚き火』という番組があります。焚き火を見て、ポツリ、ポツリと言葉をやりとりする。それだけの番組です。どこがいいのか。でもなにかある。
 うちは、好きなだけ焚き火ができるのがいい。どういいのかわからんけど。なんかいい。
 また自慢してしまいました。すんません。
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老人クラブの新年交流会/とんど/はとどこおりなくすみました。

2021年01月14日 19時50分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 新年早々チラシを配って案内した、うちの村の「新年交流会」は13人の参加でした。みんなマスクをして、部屋の窓は道路側を開けて空気の流れをつくり、三密にならないように気をつけて。

 ゲストで参加してもらった市会議員さんのところに赤ちゃんが生れ、高齢の会員さんは「もうすぐ曾孫を抱くことができる」と喜びを語っていました。(まだ入院中だし、会いに行くのはダメなんです)
 4時からの「とんど」では、焼いた餅を来た人に渡すつもりでした。しかし、世間の情勢を考慮してとりやめました。ビニール袋に入れた餅をそのまま渡すだけにしました。

 とんどに集まった村の方々は少な目でした。いまの社会情勢では仕方ないでしょうか。写真にはお孫さんの「習字の練習した半紙」をくべているところが写っています。字が上手になるといいますね。
 これでうちの村の老人会行事はすみました。あとは3月にうちの村の老人クラブ総会を開いて、市/地域/の行事には参加せず、「しばらく休部する」ことを了承してもらいます。
 ぼくは10年会計委員をさせてもらい、あれこれ口出ししてきましたが、これでおしまいです。
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〈とんど〉の準備をしました。

2021年01月13日 18時47分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 明日14日は、うちの村で〈とんど〉をします。お正月の飾りを持ち寄って焚き火をします。村の各家には回覧板でお知らせしてあります。老人クラブがお世話することになっているので、今日は竹を伐って軽トラで運び、写真のように組み立てました。

 仕事をしたのは写真を写したぼくを入れて4人です。ほかの人にも声を掛けるつもりでしたが、掛ける気がしなかった。とんどは、この10年ずっとお世話しています。今年84歳になる。やるだけやった。声を掛けても手伝いは増えなかった。「助さん/格さん、もういいでしょう!」という水戸黄門の心境です。
 去年から鉄パイプ四本脚の台に竹をくくりつけています。四本足のパイプは、地面に打ち込んだ鉄筋に針金でくくりつけます。過去に風で倒れてしまったことがありますが、これは大丈夫です。

 我が家のお正月飾りも今日集めました。裏山のうちの祠/参道の山道を登って祇園さん愛宕さんのメガネ飾り/軽トラ/裏の小屋/山の登り口/前の畑/デッキ前の畑/テント台の応接間/メガネ飾りは9つです。あと玄関の門松と飾り。明日とんどで燃やします。
 祇園さん愛宕さんに登るには、ちょっと気力がいります。7階建てのビルの階段を登る程度の気力です。写真は「もうすぐ頂上だよ」という山道で、ここはゆるやかです。

 神戸にいたときは、お盆もお正月も地下鉄名谷駅の駅前広場に飾りを集めてました。市でまとめて燃やすのでしょう。情緒はないけど。
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