ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

昼顔のグリーンカーテン

2012-07-16 14:03:35 | Weblog

 昼顔や我がみゆき野は晴街道

 今朝少し家の周りを歩いてから、夜間瀬の水墨画教室の仲間に所要があり、車を走らせる、彼の御宅に見慣れない葉の緑のカーテンが(朝顔の葉に似ている)繁っているので何の花が咲くんですかと聞きますと、昼顔の花だよと言う。あの海端に咲く浜昼顔ですかと言うと、彼はそうだよと、そっけなく答えた。梅雨が明けたらドンドンと咲くよという。昼咲くから昼顔なのかなーと首をかしげた。葉は朝顔の葉より長くなりそうに見えた。先日友人の朝顔のエコカーテンをブログしたばかりですが、昼顔と聞いて少し驚いた。朝顔に似た花だろうが咲き始めたら再び訪れたいと思う。


冷やそうめん

2012-07-15 15:47:49 | Weblog

冷さうめんおかずなくもするすると

 

 夏の食の風物詩といえば、冷やしそうめんと冷や麦である。私はどちらでも最好物である。しいて言えば麺類全部が好きなのだ。素麺と冷麦は何処が違うのか改めて比較考えたことがない。包装の文字の違いでこれがそうめんか、ひやむぎか位な程度であるが、麺類が好きな私にはどちらでも旨いのである。以下のように丁寧な説明がネットにあった。

 

◆ 麺の面白雑学 
素麺(そうめん)冷麦(ひやむぎ)の違いをご存知でしょうか?
「冷麦」と言えば、愛知では名産品ですが全国的には「そうめん」が圧倒的に有名ですね。

現在、そうめんと冷麦との違いは、乾麺類の日本農林規格(JAS)で、次のように太さの違いで分けられます。
そうめん 冷麦(ひやむぎ)
素麺(そうめん) 冷麦(ひやむぎ)
断面が角状(幅0・7ミリ以上1・2ミリ未満、厚さ約1・0ミリ)丸状のもの(直径0・8ミリ以上1・3ミリ未満)と
定めています。(JAS)
断面が角状(幅1・2ミリ以上1・7ミリ未満、厚さ約1・0ミリ以上1・3ミリ未満)丸状のもの(直径1・3ミリ以上1・7ミリ未満)
薄くて平たい麺。乾麺は、幅が4・5ミリリ以上、厚さが2ミリ未満の帯状の形をした麺「干しひらめん(きしめん)」と定めています。(JAS)

要は(JSA)で太さ、厚さ、形の違いを決めてあるだけのことである。素麺は冷麦より細いせいか「つるつる感」が違うような気がする。そうめんと言えば、全国に名品が数々ありますが、我が家では、母の代から「播州手延べそうめん」(揖保の糸)が定番である。そうめん、ひやむぎは、葱を散らす程度で、おかずがいらなく簡単に楽しめる。その上、暑い夏にはひんやり感がまた最高である。


鶺鴒

2012-07-14 14:06:20 | Weblog

 鶺鴒にあそびあそばれ和む朝

正義

膝付きて草引く傍に鶺鴒の親しき眼差し吾に近づく

海谷甲二(中野短歌会)第四歌集より抜粋

 


 

    

 

 鶺鴒は 、スズメやカラスと同様、私たちに最も親しい鳥だと思う。大昔からそうだっようで『日本書紀』に、早々と登場してくると言う。尾羽を上下に振るところから、石叩き、庭叩き、岩叩きとも呼ばれるようである。鶺鴒の句は尾を振る様子の句が多い。そんなことから、アマノジャクの私は鶺鴒の尾の句を詠みたくはないと何時も思う。このところ調子が良いので車で千曲川の河川敷に乗り込み、そこから、道なき道の河川敷を杖を付き付き転ばぬように注意を払い歩いた。決まって無造作に転がっている大きな石に腰かける。この場所で何も考えずボーットしている時間が貴重である。またこの辺りに、しばしば鶺鴒がやってくることがある。幸いに今朝も鶺鴒に合うことが出来た。私に合う鶺鴒は何時もつがいでなく一匹だけである。どうも鶺鴒は、つがいで行動することが少ないらしい。絶えず尾をぴんぴんとリズムよく上下に振るのが愛らしい。私を警戒しない様な振りをして、傍に寄りながら、また一定の距離を置く鶺鴒、まるっきり遊ばれているようである。今度来るときお米でも持って来て蒔いて見ようかなと思う。今日は望遠を使わずにカメラに収まってくれた鶺鴒は一層にいとおしく思った。歳時記を調べると「鶺鴒」は秋の季語だった。また鶺鴒にも色々な種類があるとう。

 

 

 

 

 

                                                                                                                                                   


短歌を詠む

2012-07-13 13:25:05 | Weblog

 茄子の花いつも詩あり老ゐわする

重き雪被きて撓む南天をさかさに啄む二羽の黒鶫

手をつなぐ事もなく過ぎ病む夫をしっかり肩に朝夕支える

夫知らぬ転移を心に秘めをりて接する会話も時にむなしも

荷台より長くはみ出す草刈機畔草刈らむとバイク走らす

畑畔の傾斜に足を踏みしめてビーバー振る手の痺れくるなり

海谷甲二(中野短歌会)第四歌集より抜粋

 上の短歌は今年八十八歳になられた、私の弟の連れ合いのおかあさんである。夫を癌で亡くして5~6年に成りますが、いまだ元気に農業に勤しんでいる。亡くなられたお父さんは、若い時代「インドネシア」で手広く洋服の製造をなさっていたと聞く、戦後、生まれ故郷の中野市に戻り、洋服店の経営の傍ら農業をなさっていた。普段お母さんに御目にかかる度に、何時も若々しく綺麗な方であると思わされています。短歌を詠ったり、農業に励んでおられるので年を取らず何時も若々しいのだと思う。私が下手な俳句を齧っていると聞き、弟を通じて「長元坊」という短歌集をくださった。一歌一歌が素晴らしいのに驚く、歌集名の「長元坊」はハヤブサ科の鳥。全長は雄が33センチ、雌が38センチくらい。褐色の地に黒い縞模様があり、雄は頭と尾が青灰色。断崖で繁殖し、秋・冬は農耕地や河原でみられる。中野市では「夜間瀬川」の「十三崖」という断崖に昔から住んでいるのですが、私はいまだ「チョウゲンボウ」の姿を見たことがない。

 

 ネットから長元坊の雄姿


赤ちゃんパンダとの別れ

2012-07-12 11:53:46 | Weblog

 不意と言ふパンダと別れ梅雨籠

名前のついていないパンダの赤ちゃん

ネットから

 

野動物園は、まだ名前の付いていなかったパンダの赤ちゃんは昨夜、母親のシンシンと一緒に過ごしていたと説明。11日午前6時45分の段階では赤ちゃんの泣き声が確認されていた。

その後1時間もたたないうちに、赤ちゃんがシンシンの腹の上で心停止の状態であおむけの姿勢になっているのを同園のスタッフが見つけた。保育器に収容し心臓マッサージなどの処置を行ったが、午前8時30分に死亡が確認された。上野動物園の土居園長は記者団に対し、赤ちゃんが飲んだ母乳が呼吸器に入り呼吸不全を起こしたのが原因と判明した、と明らかにした。

パンダの赤ちゃんは5日、上野動物園としては24年ぶりに誕生。生後数日間の発育状況が国内メディアに広く報じられていた。久しぶりの明るいニュースが急変して暗いニュースとなる。

一方、東京・上野動物園でジャイアントパンダの赤ちゃんが死んだことについて、中国外務省の劉為民報道局参事官は11日の定例記者会見で「とても残念だ。赤ちゃんの成長を楽しみにしていた多くの日本人も心を痛めていることと思う」と述べた。

 また、中国語のインターネットサイトでは「中国の国宝を殺した」「上野動物園は設備が整っている。死んだ原因は人為的なものだ」「日本にいるほかのパンダをすぐ中国に戻せ」などの心ない書き込みがあった。 さらに尖閣諸島(中国名・釣魚島)の問題に絡めて「パンダを殺し、島も奪った。中国外務省は何をしているのか」「(日本は)釣魚島を取り返せないので(報復で)パンダを殺した」などのワケが分からない反応もあった。中国と言う国は益々分からない。


秋山スーパー林道

2012-07-11 07:17:35 | Weblog

白樺の白より生まれ風涼し 落合水尾今朝の一句より)

 

緑陰の白樺の風身に沁みる

 

 

上の句「白樺の白より生まれ風涼し」なかなかの佳句、私には到底こんなにくいほどの発想はない。昨年の夏、家内と木島平のスーパー林道を抜け秘境「切明温泉」へ涼みに行った。平家の落人伝説で知られる「秋山郷」、家内の実家の木島平(馬曲)も、やはり平家の落人、山を二つも三つも超えたいちばん奥まで平家が逃げたのだろうと推察。白樺に囲まれた秘湯「切明温泉」は涼しさを呼んで、こころと、身体に沁みて満足の温泉だった。 このスパー林道は奥志賀高原に繋がり、奥志賀から流れ下る雑魚川が、野反湖を源とする中津川に合流する地に切明温泉は湧く。つまり、奥志賀から入れば、ここは秋山郷の玄関口だ。 またこの夏、機会があったら涼しいスーパー林道を走りたい。その時撮った白樺林の写真を見ながらの詠んだ駄句である。                                            

 

 

 

                            雑魚川を手で掘って川の中に湧いている温泉を入れて、手造りの露天風呂を楽しむ。                                                                                       


エコの朝顔

2012-07-10 16:30:54 | Weblog

エコとなる朝貌に惚れるかな

 今朝珍しく足を伸ばして知り合いの御宅の前を通る。窓際に日除けを兼ねた朝顔の花が整然と育っているのに感心する。大概の御宅は紐か網で朝顔を這わせているが、知り合いの彼は性格そものに、野采を育てる棒を規則正しくきちんと組んで朝顔を這わせていた。小まめに水をくれ、彼らしく愛情を注いでいるためか、他の御宅の朝顔より元気に大きく育っているように見えた。もうしばらくで葉がいっぱいになり、沢山朝顔を咲かせるだろう。この朝顔の日除けが暑い夏の日差しに何度くらいエコになるのだろうと思う。今度彼にあったら聞いて見ようと思う。日当たりの環境条件で一律ではありませんが、エアコンの温度が2~3度違うと聞く。家も来年はベランダにプランタンに朝顔を植えてやってみようと思いますが、狭いベランダの為洗濯もの干し場に影響はないかと心配だ。

 


菜園のミニトマト

2012-07-09 18:08:49 | Weblog

宝もの成るかのようにミニトマト

帰るなりトマトをのぞく次男坊

 

 我が家の孫の次男坊はトマトが大好きだ。彼の食卓の前だけは、毎日赤と黄色のミニトマトがバランス良く乗っている。心配なことに今の時期は野采と言えばミニトマトだけしか口にしない。そんなため、他の野菜を無理に口に突っ込む状態だ。今食べているミニトマトはスーパーで買っているものだが、昨年、家の菜園で採れたミニトマトがよっぽど上手かったのか、食べられるようになるのが待ちどうしらしい。毎日幼稚園から帰ると足った四本しか植わっていないミニトマトを観察しては「ねーおばあちゃんあと幾日で食べられるの」と毎日家内に聞いているようだ。有機トマトはやはり上手いのだろう。私は写真の状態では、あと一週間以上は次男坊を待たせることになるだろうなと想像した。

 


話題に困窮

2012-07-08 11:01:37 | Weblog

チョット目を通して下さい。

        中学2年女子の救命措置から学ぶ「いのちの尊さ」

私が住む地域には、地域の情報をメインにした記事を発信する新聞社があります。新
聞のページ数が少ないことはともかく、週2回発行ということから、リアルタイムで
のニュースを伝えるには無理な面もあります。しかし、地元ならではのホットな情報
を見聞きできる身近な存在として、私はwebから閲覧するようにしています。

先日、中学2年の女子が曽祖父を救命したとの記事が掲載されていました。具体的に
いうと、風呂場で倒れて意識不明で呼吸も止まっていた曽祖父に対して、心臓マッサ
ージ(胸骨圧迫)を施すことで最悪の事態を避けることができたという内容です。

日常的に、曽祖父の入浴時は、彼女の祖母がお風呂の外から声を掛けてようすを伺っ
ているといいます。しかし、その日、入浴から1時間ほどして声掛けしたとき反応が
ないため風呂場を覗くと、洗い場のイスに腰掛けていた曽祖父が、崩れるように倒れ
ていたのです。祖母によって脱衣所までひっぱりだされた曽祖父に心臓マッサージを
開始したのが、中学2年の女子。しかも、彼女の姉(高校2年)が、救急車を依頼し
て、心臓マッサージの指示を受ける前から始たといいます。

彼女は、その3日前、医師会主催の救命講習を受けたばかり。「息が戻らなくても、
あきらめずに続けることが大切」など、講習会で聞いたことばを心の支えに心臓マッ
サージを続けたのです。その甲斐があって、曽祖父は5分くらいで自発呼吸が戻り、
呼びかけにも反応するようになったといいます。救急車が到着したのは、要請を受け
てから約10分後ですが、そのときは、ふつうに会話ができるまでに回復。搬送先の
病院では、経過観察の入院で済んだそうです。

曽祖父が倒れたのは、日曜日の夕方。そのとき家にいたのは彼女たち姉妹と祖母で、
ほかの家族が居合わせたどうかの記載はありません。しかし、救命措置ができたのは
救命講習を受けていた中学2年の彼女だけだったのです。

救急車が到着するまでの時間は、地域の地理的事情などもありますので、10分での
到着は、むしろ速いといえるのかもしれません。しかし、その10分の間に命運を左
右する最悪の事態になっていた可能性は十分あります。中学2年の彼女が、わずか
3日前、医師会での救命講習を受けていたことも幸運でした。大切な家族を助けられ
たことは、まだ14歳の彼女の人生に大きなプラスになることは間違いないと思われ
ます。

生命を軽んじる痛ましい事件が多い時代、このような貴重な話題にふれると、身が引
き締まる想いがします。AED(自動体外式除細動器)の講習受講が役立ち、救命に
貢献したというニュースはよく見聞きします。私の高校時代の同級生夫婦も貴重な体
験をしており、冒頭で紹介した新聞に掲載されたことがあります。

「ある人生の選択肢より」(4月22日掲載)では、「献体」をテーマに取り上げまし
たが、そのときの補足をさせていただきます。かなりの高齢だった故人ですが、葬儀
のあと、献体のために大学病院へ向かう車を見送る50歳代の孫から「おじぃ!」と
の叫び声が……。 

また、80歳代の実父を交通事故で失った友人は、「寿命でない亡くなり方をしたこと
が悔しい」と、同じく交通事故で実母を失った私に打ち明けてくれました。「おくや
み欄」に掲載される年齢が高くなると第三者は納得しますが、家族にとって、年齢は
関係ないのだと改めて感じさせられた貴重なできごとでした。

ちなみに、今回話題になった家族では、曽祖父が100歳まで生きることが家族共通の
願いで、意識が戻らないときも「100歳まで生きるんやろ!」と必死で呼びかけたと
いわれます。その曽祖父は、現在97歳です……<翔子> ( 2012/07/07 18:15 )

 


紫陽花

2012-07-07 11:26:45 | Weblog

 

紫陽花の毬をかざりて雨しづく

      紫陽花の一夜の雨に艶やかに                

 

                                                         紫陽花や想ゐ届かぬ墨彩画

紫陽花の 学名は「水の容器」という意味で
一般的に植えられている球状のアジサイはセイヨウアジサイ(ヒメアジサイ・テマリ咲きアジサイは別)であるとネットの情報 、いよいよこちらも、、このところ、空梅雨から雨となり、梅雨独特のじめじめとした陽気ななりました。やはり紫陽花は雨に似合う。今、北信州は「紫陽花」が盛んです。どんな花にも、花言葉というものがあって、それもたいていは2つか3つくらいというのが多いようですが、紫陽花には、実にたくさんの花言葉があります。
 すこし調べただけでも、”辛抱強い愛情”、”元気な女性”とか。なかには、”あなたは美しいけれどつめたい”というのも、紫陽花の花言葉なのだそうです。
 他には、”無情”とか”浮気”とか。最初の”辛抱強い愛情”、”元気な女性”という花言葉はいいとしても、紫陽花の花の持っている雰囲気や印象からすると、ちょっとかわいそうに思えるような花言葉も並んでいます

奥信濃特産まつり

2012-07-05 07:47:21 | Weblog

特産祭り恒例人気の流しそうめんが行われる歩行者天国会場

 

 

 

 第28回奥信濃特産まつりがこの1日、飯山市愛宕町(仏壇と寺町通り)で開催された。老補の仏壇店が並び、寺町の風情が感じられる雁木通りには、伝統工芸品飯山仏壇の職人による技が実演され、純金箔押し・彫刻・蒔絵などなどの体験教室には、多くの参加者が訪れた。特産まつりの恒例の長さ100mのジャンボそうめん流しには、高橋まゆみ人形館を訪れてという遠方からの観光客も足をを止めて参加者に加わり大いに盛り上がった。仏壇の他に内山和紙・刃物・笹ずしなど、奥信濃のさまざまな特産品が展示販売された。各地から訪れた観光客はお目当ての特産品をを買い求め、会場のあちこちで喜びの声や笑顔があふれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


車中からこの千曲川を撮りたかった。

2012-07-03 06:16:38 | Weblog

 万緑の望郷馳せる千曲川

 飯山線と千曲川は平行に走っていますが、この地点でしばらく分かれます。また、戸狩野沢温泉駅を少し下ったところから日本一長い千曲川と飯山線は並んで走ります。この辺の景観は素晴らしくカメラマニアには人気のスポットが沢山あるようです。写真地点で、千曲川は東方向、汽車は北方向にとしばし別れます。動いている車窓からですので、シャッター優先オートで撮るのですが。何時も失敗でしたが、今回は上手くありませんが何とか撮れた。青空に映えた、ゆったりと流れる千曲川と長く裾を引く高社山を撮りたかったのですが、高社山の手前の一番高い山が入らなかった。またも失敗でしたが、腕が悪いのに、やはりコンパクトカメラでは駄目だと都合よく解釈する、次回は荷物にはなるが一眼レフを持ちこんで、この景観をもっと上手く撮りたいと思う。


朝眠

2012-07-02 19:47:20 | Weblog

梅雨晴間眠気を誘ふこつとん車

 今朝「俳句教室」に行く飯山駅発8時51分の汽車の中、一緒に乗り込んだ前の三人の乗客はいつの間にか、揃って気持ち良さそうに眠っているのに気が付く。「春眠暁を覚えず」と言いますが、梅雨の晴れ間と言っても、今のところ空梅雨でもあり、汽車の中は適度な冷房が効いていて、陽が射し、春のような陽気なのだろう。春の睡眠は誠に心地よいのでその延長かもしれない。それとも、夏は朝が早いので睡眠時間が少ないのかもしれない。その上「こっとんこっとん」とゆっくりと走る「飯山線」は心地よい眠りを誘うのだろう。この数年ぐっすりと眠った感触のない私にとっては誠に羨ましい限りである。