寒仕事かじかむ彼に笑顔かな
晴れた日とはいえ冬の北信州は寒い。歩いていると寒い中懸命に幹線道路で冷たそうな仕事をしていた若者と目があったので、寒い中大変ですね御苦労さんと声をかけると、彼はにこっと笑ってNの息子ですと彼から挨拶してくれたので彼を良く見直すと小さい時の面影が浮かんできた。そうかN君の次男坊かと言うと、そうですと答えてくれた。写真の仕事する若者は私の友人の二男坊である。彼は東京の難関大学の土木科を卒業して、地元の建設会社に就職した。友人が言うには長男は公務員になって神奈川に居ると言う。従って頼りとなる次男坊が帰って来てくれたら良いんだけどと何時も言っていた。希望がかなえられ、次男坊が故郷へ帰って来てくれ、地元の建設会社に就職してくれたと喜んでいた、その次男坊だった。その彼に、君は一流大学を出ているんだから、デスクワークが仕事なんだろうと言うと、彼は現場を知らなければ良い仕事が出来まあせんからと笑顔で答えてくれた。技術屋の彼に何の仕事なのと聞くと、彼は再び笑顔になり、この仕事は僕が提案した仕事なのでと言う。車社会の雪国の冬の道路の確保が命題の時代ですので、雪が降っても幅の広い市道の融雪のインフラが完備されるようになった。大変な技術ですが年数が経つにつれパイプの中に貯まった「ソブ」や「砂」がパイプの穴を小さくしてしまい、当然のことであるが、雪の解け方が鈍くなる。私みたい動脈硬化により血管に血の流れが鈍くなり脳梗塞を起こすと言う原理と同じである。その消雪パイプの動脈硬化をどうしたら工事費がかからなく奇麗になるのかと、工事をした彼の建設会社の命題であった。そこで、技術のもった彼の提案が市の担当者さに通ずることが出来て予算を付けていただいた経過を話してくれた。彼の技術は成功であったようでした。私は君の技術が世の為になって良かったねと称賛すると、再び彼は笑顔となった。良き人材の育成の大切さをヒシヒシと考えさせられた日であった。
写真のように彼の技術により雪が良く解けてスムースに車が走る道路となった。私の小さいころは雪国の道路は大きな荷物は馬橇で運んでいたことが、昨日のように思い出す。冬中車が走るなんて夢の夢であった。つい数年前までは貯まった道路の雪はブルで空き地に運び積み、道路を確保していましたが、近年幹線道路は融雪の設備が普及しブルでの作業は必要でなくなった。、コンクリートの下に鉄パイプを組み、そのパイプに冬に暖かい井戸水を通し、厚いコンクリートの道路の上の雪を溶かすと言う画期的な技術で、雪が降り始めると貯まらないうちにセンサーを働かせ、設備を稼働させ、降り始めの雪を素早く溶かす時代となった。
雪の降らない地域は天候の変化で雪が降る時がある。たった5cm~10cm降っただけで、交通がマヒし車のスリップなどで大変な事態を起こす情報が良く入る。その点雪国の私達の郷土雪国はインフラ設備が整っていますので多少の雪で街が麻痺することはない。