ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

消雪パイプの動脈硬化

2014-01-31 07:26:03 | Weblog

 寒仕事かじかむ彼に笑顔かな

  

 晴れた日とはいえ冬の北信州は寒い。歩いていると寒い中懸命に幹線道路で冷たそうな仕事をしていた若者と目があったので、寒い中大変ですね御苦労さんと声をかけると、彼はにこっと笑ってNの息子ですと彼から挨拶してくれたので彼を良く見直すと小さい時の面影が浮かんできた。そうかN君の次男坊かと言うと、そうですと答えてくれた。写真の仕事する若者は私の友人の二男坊である。彼は東京の難関大学の土木科を卒業して、地元の建設会社に就職した。友人が言うには長男は公務員になって神奈川に居ると言う。従って頼りとなる次男坊が帰って来てくれたら良いんだけどと何時も言っていた。希望がかなえられ、次男坊が故郷へ帰って来てくれ、地元の建設会社に就職してくれたと喜んでいた、その次男坊だった。その彼に、君は一流大学を出ているんだから、デスクワークが仕事なんだろうと言うと、彼は現場を知らなければ良い仕事が出来まあせんからと笑顔で答えてくれた。技術屋の彼に何の仕事なのと聞くと、彼は再び笑顔になり、この仕事は僕が提案した仕事なのでと言う。車社会の雪国の冬の道路の確保が命題の時代ですので、雪が降っても幅の広い市道の融雪のインフラが完備されるようになった。大変な技術ですが年数が経つにつれパイプの中に貯まった「ソブ」や「砂」がパイプの穴を小さくしてしまい、当然のことであるが、雪の解け方が鈍くなる。私みたい動脈硬化により血管に血の流れが鈍くなり脳梗塞を起こすと言う原理と同じである。その消雪パイプの動脈硬化をどうしたら工事費がかからなく奇麗になるのかと、工事をした彼の建設会社の命題であった。そこで、技術のもった彼の提案が市の担当者さに通ずることが出来て予算を付けていただいた経過を話してくれた。彼の技術は成功であったようでした。私は君の技術が世の為になって良かったねと称賛すると、再び彼は笑顔となった。良き人材の育成の大切さをヒシヒシと考えさせられた日であった。

 

 

 

写真のように彼の技術により雪が良く解けてスムースに車が走る道路となった。私の小さいころは雪国の道路は大きな荷物は馬橇で運んでいたことが、昨日のように思い出す。冬中車が走るなんて夢の夢であった。つい数年前までは貯まった道路の雪はブルで空き地に運び積み、道路を確保していましたが、近年幹線道路は融雪の設備が普及しブルでの作業は必要でなくなった。、コンクリートの下に鉄パイプを組み、そのパイプに冬に暖かい井戸水を通し、厚いコンクリートの道路の上の雪を溶かすと言う画期的な技術で、雪が降り始めると貯まらないうちにセンサーを働かせ、設備を稼働させ、降り始めの雪を素早く溶かす時代となった。

雪の降らない地域は天候の変化で雪が降る時がある。たった5cm~10cm降っただけで、交通がマヒし車のスリップなどで大変な事態を起こす情報が良く入る。その点雪国の私達の郷土雪国はインフラ設備が整っていますので多少の雪で街が麻痺することはない。

 

 

 

 

 

 

 

 


今冬初めての雪下ろし風景

2014-01-29 04:17:08 | Weblog

 

男たち屋根を舞台に雪下ろし

                                                                雪卸しすませて夜の深眠り

襖戸の滑らかなるや雪下ろし

 昨日の好天に、真裏のお宅の老夫婦は、毎年人夫さんを頼んでの雪下ろしを行った。今年は例年に比べ降雪が少ないため初めての雪おろしとなった。私は北窓を開け知り合いの人夫さんに御苦労さんとねぎらい言葉をかけると、人夫さんは降雪量が少ないが、長い間の屋根の雪で、例年になく重い雪だと言っていた。 この地方は人夫さんに頼んでの雪下ろしは事故にはつながらないですが、七十歳を過ぎても、雪下ろしは自分で行うお宅が多いため、事故に繋がる話題がチョクチョウ耳にする。雪の少ない今年でさえ、すでに老人の雪下ろし事故による死亡者が出ている。裏のお宅は敷地の狭さから、道路側の西側の雪を降ろした後に東側の雪をまぐり上げて再び道路側に降ろす、その上歩道ギリギリのため歩道にダンプトラックを止めてダンプカーの上へ下ろした雪を千曲川の河川敷の雪捨て場まで運ばなければならなく、下ろしぱなしとは行かないお宅であるため、時間が掛かり従って高い人夫賃が馬鹿にならない。このお宅の奥さんの話では一回の雪を下ろし代金が二十万円近くかかると言う。雪の多い年は三回は下ろしていただくとことがあると言う、大変な金額となる。勝手な想像ですが年金生活のこのお宅はかなりの負担となるだろうと思う。近年益々豪雪地から脱出する人達が増えていると聞く、この地方の人口減は少子化に拍車をかけて豪雪の原因が大きいと思う。益々先行き不安な体表的な地方であるとの思いが止まない。


孫達の風邪

2014-01-27 11:55:49 | Weblog

移されてならぬ距離置き孫の風邪

 

 今日は好天に恵まれましたが、今、我が家の孫達は三人と何時も傍にいるママが風邪の真っ最中だ。次男坊(ゆーちゃん)と末娘(あーちゃん)の二人は小児科の医師に診ていただくとインフレンザでなかったので一安心、どうもお兄ちゃんが学校から持ち込んだらしい。そのお兄ちゃんは熱が下がり回復に向かったので、本人のたっての希望で今日から学校へ行った。先週の水曜日から休んでいましたので五日間友達に会えないのが寂しいのだとママが言っていた。なにはともあれ、学校が好きなことは良いことだと喜んでいる。次男坊と末娘の二人は今日は幼稚園を休みとなった。次男坊(ゆーちゃん)は元気が良く、何時もは、私のパソコンにある漫画の動画とゲームをやりたく、私の部屋へチョクチョク入ってくる。ママと婆に、風邪をうつしてはいけないから、爺の部屋へ入ってはいけないときつく言われているようで、次男坊はしっかり我慢している様子、普段兄弟は私の部屋へ来てはパソコンに向かう順番でいつも喧嘩となる。そのたびに怒鳴っている私ですが、この数日、孫達に合わないとこれはこれで寂しい気がする爺である。

 

 


雪国の久しぶりの好天

2014-01-24 13:33:51 | Weblog

雪晴れてみゆき野の郷空高く

雪三日降り四日目に碧き空

 久しぶりの好天に恵まれる。ここ3~4日連続の雪マークの上寒さが加わったので外出を控えていた。このところ、長野県の北部は毎日30~40㎝の雪日と脅かしとも言える天気予報でしたが、ブログにもしましたが21日の初日はかなりの降り方でしたが、今回の雪は3~4日でわずか30cm位だった。今日のように良い天気になる日の朝は低温となる、今朝は正確ではないですがー12°位だったと思う。写真は道路を渡って、空高い青空と奥深い開田山脈と三国山脈の雪の山合いと手前の樹氷を撮りかったのですが、除雪の状態が良くなかったので、足に自信のない私は道路を渡ることが出来なく少し靄が掛かっていましたので上手く撮ることが出来なかった。句に「みゆき野」としましたが、長野県では「安曇野」は有名となりましたが、私が住む「みゆき野」は、いまいちブランド力が足らないようです。この「みゆき野」と言う名前の根源は飯山青年会議所のメンバーが発したブランド名です。青年会議所のスローガンに「白きたおやかな雪の里千曲川の叙情と美しき自然のやすらぎ香る温情豊かな歴史と文化に育まれた私達のふるさとは今、新時代にむけロマンと誇りを持って活力ある郷土づくりを目指しここに広域生活圏「みゆき野」を宣言する」とあった。従って 1993年5月22日 (社)飯山青年会議所から(社)みゆき野青年会議所へ名称変更となった。以降、飯山市初め木島平村、野沢温泉、栄村一帯を「みゆき野」と呼ばれている。来年度2015年に北陸新幹線飯山駅開業を控えたこのみゆき野エリアのブランディングを進めこの地域の発展に繋ぐことが出来ればと願う一人である。みゆき野のブランドが徐々に浸透して今では、農協初め各団体、会社名に「みゆき野」がつくようになってきた。


連日の雪に

2014-01-22 12:46:40 | Weblog

降る雪をながめ唖然の老夫婦

 雪国に住みて覚悟の雪かたし

 

先日「何時もの冬だと今ごろは多いお宅では二回の雪おろしが通常であるが、今年は今だに雪おろしするすがたは見かけない。だが、まだ一月の半ば過ぎたばかり、これからが本格的な雪の到来となるだろう。」とブログにしましたが、案の定、雪国の冬は楽をさせてくれない。この三日ほど予報では雪のマーク、今日は写真のような雪の降り方となる。この調子だと、雪下ろしをしなければならない家が出てくるだろう。商店街にある家は、降ろした雪をダンプ車で千曲川河川敷の雪置き場までは運ばなければならないので一回の雪下ろしの費用が二十万近く掛かる御宅があると聞く、お店でも、個人宅でも、大変な負担となるだろう。幸いにしてか私の家は耐雪住宅ですので、積雪の心配はいらない。それでも雪が降れば家の周りの雪かたずけが秘須である。

 

 

 

 

 

大寒の朝

2014-01-20 07:20:08 | Weblog

 凍る道恐る恐るの一歩かな

大寒の空気を破る朝日かな

寒晴れやすべてが叶ふ予感かな

 今日は大寒、朝六時の気温は-9.6度だった。おそらく大寒にふさわしく最低の気温だったと思う。とにかく「寒じた寒い朝」であった。予報だと正午までは-2.2度だそうだ。以前から午後1時に来客の予定が入っていましたので、今朝一番に歯医者さんに予約しておいた。まさかこんなに道が凍るとは思わなかったのが甘かった。本通りに出ますと歩道に融雪設備が整っておりますので歯医者さんまでスムーズに歩くことが出来ますが、本通りに出るまでが凍った道ですので、左足が少し不自由なため、滑って転んではと思い思い一歩一歩慎重に歩いた。無事に歯医者にたどり着いたのでほっとした大寒の朝であった。

 


雪の郷

2014-01-19 06:08:42 | Weblog

たかまるや墨絵にしたし雪の郷

 今朝から昨日の好天と打って変って、今冬初めて御目にかかる、冬の飯山らしく、先が見えないほどの激しい雪の降り方となる。今までの雪の飯山は例年にないおとなしく少ない雪だった。何時もの冬だと今ごろは多いお宅では二回の雪おろしが通常であるが、今年は今だに雪おろしするすがたは見かけない。だが、まだ一月の半ば過ぎたばかり、これからが本格的な雪の到来となるだろう。今年の雪報道では北海道初め秋田、新潟、北陸と日本海側沿岸はまれに見る大雪の様子、豪雪地と呼ばれている私共長野県の北端は積雪量が少ない。この調子で今朝からの降りが一日続くと、雪おろしの家が出てくるであろう。写真のような昨日の空気が澄み切った好天だと歩く足が軽く、ついつい気分に乗り歩く道のりが長くなってしまう。「行きは良い良い帰りは恐い」と言うごとくに、どっと疲れが出たので、日当たりの良い石の上で一休みしていると、目の前に汚れのない雪景色がいっぱいに広がっていた


大相撲初場所

2014-01-18 08:51:00 | Weblog

初場所のおのれに負ける稀勢の里

 

 

初場所やほころび顔の父浮かぶ

 五日目、稀勢の里は東前頭三枚目の碧山に一方的に押し出され、手痛い二敗目を喫した。横綱審議委員会から示されていた横綱昇進の条件は、「十三勝以上の優勝」なので、綱獲りはほぼ絶望的。

 どうもテレビで見る稀勢の里は横綱への重圧なのか、今場所の稀勢の里の顔は何処か自信のなそうな切羽詰まった顔つきをしている。句のように己に負けているとしか思えない。真っ正直な力士なのか顔だけでも、自信に満ちた相手を圧倒させるような顔付きをしないと、プロの厳しい世界、稀勢の里の気弱さが相手に見透かされているように思う。こうなると相手は力以上の相撲を取ることとなる。普段人一倍稽古に励み、誰もが認めるように、横綱にふさわしい実力を供えていると報道されている。稀勢の里のファンの私としては精神的な稽古を強く望む。

下の句「初場所やほころび顔の父浮かぶ」この句は父の健在のうちに大好きだった相撲を、一度は新しくなった両国の国技館へ見に連れて行こうと思い思いなかなか実現できなかったが、父が亡くなる三年前の平成八年の初場所に弟と三人で国技館へ相撲見学に行った時の父の嬉しそうだった顔をテレビで大相撲を観戦する度に思い出す。


煮凝を楽しむ

2014-01-17 07:48:32 | Weblog

煮凝に閉ぢ込められし濃き絆

煮凝や何か心に湧いてきて

 煮凝りはゼラチン質の多い魚などの煮汁が冷やしてゼリー状に固まったもの。この煮汁がゲル化する性質を利用して、煮込んだ材料ごと冷してかたまったタレが出来、より深いとろりとした味となり、私の大好物だ。魚はカレー、メカジキ、フカザメ、ボウザメ、寒鰤、寒鯖など煮凝りとなりやすい。我が家では、前の日に鯖を煮てお皿に盛りサランラップをかけ、一夜寒い窓際に置いておきましたら、翌朝鯖の煮汁が固まって。煮凝が出来きた。昨日の夕食に煮た鯖をほぐし、暖かい丼御飯の上に散らし、かたまっている美味しいタレをかけて戴いた。冷蔵庫の中でも煮凝りは出来ますが、やはり自然の寒さを利用した煮凝りの方が味に深みがあるような気がする。孫達も大好きで、おにいちゃんはどんぶり御飯の大もりを二杯たいらげた。句のように煮凝りは鯖とその煮汁との濃い絆を感ずる。寒い地方の冬の楽しみな食べものである。

「絆」 東日本震災後ぞれぞれの地域の人達がお互いに手を携えながら未来に向けて一歩一歩歩んで来た。東北の被災地に広がった、支援、励まし、応援、の輪が沢山の「絆」が生れさまざまなドラマが生まれた。2011年の「今年の漢字」の一字は「絆」だった。


冬の温泉

2014-01-15 10:39:07 | Weblog

生命線めいいつぱいの初湯かな

 先日の三連休に温泉旅館は忙しいだろうと思い思い、数回泊まったことがある渋温泉の宿に電話しますと、連休最後の日の十三日が空いている部屋があるとのことなので、早速予約して、その日の午後、孫達に隠れるようにして家内と一泊の温泉を楽しんで来た。この宿はこじんまりとした宿ですが、格安の上、今はやりの「おもてなし」もなかなかですので、家内と気に入っている宿である。この日は冬らしくメイン料理の鍋料理が二種類も出していただいた。普段お酒を断っているのですが、こんな解放された夜は少しくらいは、良いかなと思っていますと、家内も少しぐらいならどうと薦めてくれたが、一年半前に断腸の思いで大好きなお酒を断った、ここでずるずると飲むようになってはと思い、つばを飲んで我慢した温泉の夜であった。初湯の季語を使いましたが、勿論家では毎日お風呂に浸かっていますが、温泉は新年初めてですので、「初湯」と言う季語とした。

 

 

 

 


スキーの日

2014-01-13 07:56:41 | Weblog

建具屋の造ったスキー懐かしき                                                                                                 

 

 

 

 昨日の1月12日は「スキーの日」だった。  明治44年(1911年)1月12日、新潟県の高田(上越市)で、 オーストリアのレルヒ少佐が高田陸軍歩兵連隊の青年将校にスキー指導を行いました。この日は、 日本に初めて本格的にスキーが伝えられた日とされています。 この頃は杖が一本だったので一本杖スキーと言われていた。

 

 

 

 

 

 明治45年(1912年)冬の1月、高田連隊へオーストリアの武官レルヒ少佐が再び訪れ、一本杖スキー術の講習が行われ、この講習に長野県から飯山中学校(現飯山北高)の体操教師である市川達譲氏や大町中学教員の里見源次郎氏らが参加しスキー術を会得して地域で演示し普及に努めた。当時、スキーは軍用のために研究されていたが、「スキーは軍隊の専有すべきものでなく広く公開して積雪地の実用に資するべきである」との長岡外史中将の考えから民間普及へと進んでいった。飯山へ帰った市川達譲氏は翌朝、城山の西斜面を利用して中学校へ向け滑走し、当時の中学生たちに驚嘆を与え「スキーこそ雪国の福音である」とスキー熱は急速に高まった。その後、飯山町の建具屋、小賀坂浜太郎(現オガサカスキー)・伊村栄蔵(旧イムラスキー)両者が高田でスキー製法を覚え、スキー製作が飯山の地で始り現在に至っているとネットにあった。私の初めてのスキーは、そのころ人気のあった「イムラスキー」を買ってもらえなく、初めてのスキーは叔父さんから頂いた傍の建具屋さんが造ったスキーで楽しんだことを、今も鮮明に覚えている 私の住む飯山は「長野県のスキー発祥」の地で、歴史のあるスキー環境のためか、今迄にスキーオリンピック選手を数人輩出している。いよいよ、この二月七日から開催される「ソチ冬季五輪」ジャンプ競技代表の「市内出身の「竹内 拓」選手にメダルが期待されています。  


どんど焼き

2014-01-12 07:51:14 | Weblog

 どんど焼祝ふ男の子よ燃へ上がれ

                                                                         

 

 昨夜私の住む町内の道祖神祭り(どんど焼)が行われた。この地方ではその年に長男が生まれた家が御祝いする習わしとなっている。今年は町内の神社で神主さんからその子の成長を願って御祓いしていただいた男の子は三人とのこと、しかも、この町からお嫁に行って生まれた男の子と、次男、三男の双子の兄弟、この双子のお兄ちゃんは数年前にお祝いしていただいているそうです。ですから、二百数十件ある町内で生まれた長男は一人もいないことになる。 寂しい限りです。この様子だと益々人口が減る飯山市とって大変なことだと危惧する私である。

 

 

 

 

 

 

左義長とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なる。日本全国で広く見られる習俗である。1月14日の夜または1月15日の朝に、新年に飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。

近くの野沢温泉の道祖神祭りは壮大な規模で行われることで有名で、日本三大火祭りの一つに数えられ、国の重要無形民族文化財に指定されています。 毎年45歳・25歳の厄年の男達が社殿を守ります。社殿に村民の火をつけようとする側と、守ろうとする側との攻防戦が激しいことで、観光客が興奮のるつぼと化す。 

 

 


今年も友の干柿頂く

2014-01-11 13:54:46 | Weblog

友からの寒干柿やほうやれほ

 長野に銀行退職後、健康の為に「アグリライフ」を楽しんでいる友がいる。彼は新年になると、丹精込めた干柿を持って来てくれる。毎年戴く美味しい彼の干柿を、孫初め家族みんなが心待ちにするようになった。先日、家内と、何時もならN君は干柿を抱えて顔を出してくれるのに今年はまだ来ないね。なんて噂をしていますと、先日宅急便で彼から干柿が届いた。早速お礼の電話を入れると、彼は干柿を吊るし降ろしている最中に、足を踏み外して梯子から落ちてしまって骨折してしまったとのことだった。車が運転出来ないので今年は送ったと言う。軽かったと言っても骨折、全治二ヶ月は掛かるとのこと、私は何だか恐縮しいてしまって自然に謝りの言葉となると、、彼は君の所へ送るだけでなく、数人の友人知人が待っている。しかも自分の不注意なので、君が謝ることはないよと笑っていた。私と違っていくら健康の彼でも、寄る年波には勝てないから気を付るようにと言う言葉でしかなかった。

 


久しぶりの冬晴れ

2014-01-08 13:33:59 | Weblog

青空に赤の実映へる雪あかり

 ぬけるよな冬の青空久しかり

 

 雪を被った赤い実は多分「ナナカマド」の木だと思うがさなかでありません。冬に赤い実を付けている木は図巻を覗くと、ポインセチアの実初め、カラタテバナだとかサンシュユなどの木が沢山あった。昨日は久しぶりに抜けるような冬の青空に恵まれた。その上、暖かかったので、気分良く鼻歌交じりで軽快に歩くことが出来た。久方ぶりにどんよりと曇った天気から解放され、貯まっていたストレスを発散することが出来た。冬の北信州は、昨日のような青空が覗ける日は長くは続かないと思ってはいたが、やはり今日になると、雪は降ってはいませんがどんよりとした寒い日に早変わりとなってしまった。