ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

中野市薔薇まつり

2016-05-30 15:30:11 | Weblog

うんちくに饒舌となる薔薇の園

 

 一輪の薔薇に魅せられ軽くなる

 

今日はお兄ちゃん二人は、先日行われた運動会の振り替え休みとなった。勿論、週明けですので、あーちゃん初め、お父さん、お母さんは、幼稚園と仕事に出かけた。それで婆の発案でおにいちゃん二人と戸隠の婆と爺婆五人で、中野市で開催されている「薔薇まつり」に出かけた。この薔薇祭りは」、市民有志が町興しの為、小規模に作り始めた薔薇園でしたが、感銘を受けた市民はボランチィアで手伝いに参加してくらるようになり、その上、めずらしい薔薇の種を提供して下さる方が増えて、遂に、薔薇祭りまで発展した経緯があります。従ってこの薔薇祭りは市民中心の手作りの祭りとなり、年年訪れるお客さんが増えて賑やかな薔薇祭りに発展している。薔薇まつりを楽しんだ後、ガストでお昼を満喫して帰途に着いた。

 

 

 

    


蕨採り

2016-05-29 10:39:37 | Weblog

採りためて日の匂ひ満つ蕨かな

山に解け孫生き生きとわらび採り

 家内の実家の山での孫達のわらび採りの様子です。ここは元はアスパラ畑でしたが、家内の実家は須坂へ越した後、放っておいた畑に上の山からわらびが下りてきて、自然とあわび畑となった。そのわらび畑を草をとったり、堆肥を入れたりしますと、良質なわらびが沢山採れるようになった。山奥のわらびですので、ぬめりがありその上やわらかく美味しいので、御世話になっている人達におすそ分けしすると、皆さんに大変喜ばれて、中には、親戚へ送るので干して分けてくださいという方が年々増えて、わらび採りが仕事のようになっている。兄さん夫婦は年々年を重ねてしまいましたが、皆さんに毎年期待されてしまい、わらび採りを止めることが出来なくなり、家内が責任もってわらび畑を管理するようになった。そんなこんなで、普段孫たちの世話初め家事に忙しい上に、わらび畑の管理が重なり、わらび採りの時期になると悲鳴を上げている。皆さんに頼まれれば断りきれないでいる家内を見ると、私も、心配の種が増えているこの頃である。

 


孫の運動会

2016-05-28 15:13:40 | Weblog

 土と汗連帯生みし運動会

  

        綱引きの大地にしるす競い合い

綱引きや引くも引かれも懸命に

 

 

 

 

 花やくやバトントアラ柿若葉

 

 

 

 

 

 

俳句では運動会は秋の季語ですが、今は、それぞれに、春と夏に運動会を催す学校が増えている。運動会はどんな季節でも季語として使えるような気がしている。久しぶりに、来年には末娘「あーちゃん」も出る孫たちの運動会を、あーちゃん初め、戸隠のばーちゃんもおいでになって爺、婆、おかあさんと一家総出で兄ちゃん達の運動会を見に行った。今朝方は、曇が広がっていて、天気が少し心配でしたが、幸いに時間が経つにつれて青空見える天候となった。最近、組み体操で怪我が多いので、中止している学校があると聞く、子供たちの体力の低下が怪我の元になるのだろうと思う。孫たちの運動会は高さを競うことなく、低めの組体操を行った。やはり、子供たちがお互いに庇いあい連帯感を生むためにも、組体操が必要だと思う。お兄ちゃんは大きくがっちりしておりますので、何時も一番下の力持ちを発揮する、縁の下の力持ちの役目である。弟のゆうちゃんの真剣な顔を見て、少し安心感が湧いた爺であった。


久しぶりの鹿教温泉

2016-05-27 09:58:38 | Weblog

鹿教湯にて思惟することや夏の夜 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

坂を下ると、内山川にかかる、趣のある屋根付きの橋五台橋

 

                              右の写真は毎日健康歩行するコースにありました健康祈願の神様「薬師堂」の前を通る度に必ずお参りしたものだ。私の健康よりむしろ、東京に嫁いだ娘が初孫が生まれる時期でしたので、無事に生まれてくれることをお願いするほうが主であった。その孫も今は大学生である。「光陰流水の如し」である。

 

 

 

五ヶ月間の鹿教湯温泉病院でリハビリ入院後、数年間は、毎年鹿教温泉の旅館に宿泊しながら、鹿教の思い出にしたっていましたが、このところ、数年置きとなっている。先日の兄弟会の翌日に、以前から予約しておりました、鹿教温泉の旅館に家内と一泊した。兄弟会のあった「別所温泉」から3~40分くらいですので、兄弟と別れて、鹿教湯温泉へ直行となった。鹿教湯へ行くたびに常宿としておりました旅館が経営者が変わったようでしたので、温泉の宿・旅館の宿泊予約してくださる「ゆこゆこネット」から推薦していただいたかつら旅館」に御世話になった。この宿は格安でしたが、なかなかの旅館だった。鹿教湯に来る度に思うことは、句のごとく、いろいろ病気を持ながらも、生かされていることは、鹿教温泉が原点であることを深く思い、感謝の気持ちが湧いてくる。


掛川の新茶届く

2016-05-26 05:21:15 | Weblog

 一滴を注ぐよろこび新茶かな

晩年のいのち癒さる新茶かな

富士の風新茶の里に香り生む

 茶農家の一筆添えて新茶来る 

  かれこれ二週間前になるか、今年も待ちに待った掛川の茶農家から「掛川新茶」が届いた。今年は静岡も暖かったせいか、新茶の届くのは早かった。送ってくださる茶農家は、茶好きの父の代から三十年以上もの付き合いである。今年も茶の荷物の中に感謝の一筆とパンフが添えてあった。私も父に似たのか、父の年に近くになるにつれ、(日本茶)が大好きになっている。新茶を口に注ぐ度に、父の茶を飲む仕草が浮かんでくる。そんなわけで、毎朝、一杯目の濃いお茶が楽しみとなっている。これから、しばらく毎朝掛川の新茶の香りを楽しめる日々が楽しみである。

 

 


花菖蒲・あやめ

2016-05-25 05:17:09 | Weblog

 

 花菖蒲植田に映えて咲き誇る

 逞しく命のばして菖蒲咲く

 今年も植田の水辺に咲く綺麗な紫と黄色の菖蒲を写真にすることが出来た。両色の花菖蒲も少し遅いかなとも思いましたが、散りそうでいて逞しく元気に咲いている。ふと思う、多年草の花は寿命があるのだろうか、よほどの悪い気象条件でなければ必ず時期になると花をつける。私始めほとんどの人々は、何時何が起こるか分からないため、明日の命を保障出来ないでいる。その点、多年草の花は逞しいと思う。


なつかしい母の常備薬 實母散

2016-05-24 08:20:22 | Weblog

夏だとて母の離さぬ實母散

 

 懐かしく母が常備薬としていた「實母散」が古い戸棚の片隅に座っていた。母は夏でも商売で冷えるため、冷性の持病があった。身体を冷やすことは万病になる元と言う。この實母散は歴史が長く、冷性、月経痛、腰痛、頭痛、のぼせ、肩こり、めまい、動悸、息切れ、など他に御婦人にすべてに効く万能薬で、長い間御婦人の健康に欠かすことが出来なく広く重宝されている薬と聞く、母は朝と夜、常備薬としていたことを思い出した。偶然に見つけた實母散のおかげか、久しぶりに、ありし日、母が笑顔でお店に出ていた姿を思い出すことが出来た。


NHK長野の撮るしんより

2016-05-23 05:16:10 | Weblog

 初夏の湖(うみ)大きな空を浮かせをり

鎮魂や駄々呆然の夏の潮

 

神田 節子さん
撮影日:2016年5月14日
場所:志賀高原 大沼池
赤石山の登山のため訪ねた志賀高原大沼池。山の中の碧い水は、あまりにも美しく言葉を失いました。

 

 

 

 

 

 

             

 

 


秋葉神社祭りの子供神輿

2016-05-22 15:35:05 | Weblog

肩よりも上がらぬ神輿法被の子

 娘である母さんが撮った子供神輿の写真、今いろいろ問題があって子供たちの顔を映さないらしい。 娘いわく、、今の子供たちは、元気と体力がなく、子供たちはしらけムードで静かにだらだらと進む神輿だったという。祭りらしく、血がみなぎるようなハリキリがなかったという。その話を聞いた爺は、今の時代を反映してるようだと思った。少子化の時代、こんなことでは、日本の将来が危ぶまれ沈んでしまった。 


秋葉神社大祭

2016-05-21 16:50:21 | Weblog

 

巫女の舞すり足軽き春まつり

 

秋葉神社巫女の舞

今から 六十数年になりますが、私ども町初め近隣の町が100件以上全焼するという大惨事に見まわった。以来この神社は、そのころこのよりだいぶ前にこの地方は養蚕が盛んでしたので、養蚕神社といっていた。養蚕が衰退することあいまって、この地方があの大惨事は二度と起こらないことを願って、時の町の有力者の面々が、養蚕神社を秋葉神社(火伏せの神)とするため本宮がある静岡県浜松市まで、分社の願いに行っていただいて以来、秋葉神社となった経過がある。六十数年前の大火事は五月十八日でしたので、五月十八日近くの土曜日が夜宮その翌日を本宮としたお祭りが続いている。夜宮には神主さんの祝詞と巫女の舞を献上する、他にいろいろな催しで祭りを盛り上げ、本宮のお祭りは、町の役員さんの神事と子供神輿が町をまわり賑わいを呼ぶ。


田お越しと植え田の風景

2016-05-20 06:25:42 | Weblog

田を起こす国を起こすは忘れ去る

植へ終へし田ごとに風の生れ来る

 

 今、我がふるさとは、すでに田植えが済んで、落ち着きはらった田と、盛んに田お越しする風景が混在している。植え済んだ田は早稲】といわれ早く成熟する稲の品種の違いのようだ。きっと新米を二回にわたって楽しむ農家があるのだと思う。それとも消費者の要望に答えてのことか、さなかではない。

 

 

 

 

機械化進んでいるため、何時の間にか、あたりの風景が一変することに驚かされている。

 

 

 

 

 

 

 


新駅交流ホールの喫茶店

2016-05-19 07:25:56 | Weblog

初夏の風テラスの二人国訛り

 歩行散歩した終わりに、新幹線飯山駅の中二階の交流ホールにある喫茶店(パノラマテラス)に寄ることが習慣となっている。私が何時も座る椅子の隣に二人の紳士がコーヒーをしていなさった。二人は同郷らしく、標準語には似てはいますが、時々お国訛りが混じっていた。私は栃木訛りではないかと推察した。以前、栃木の方と商工会議所で一緒だったことがあったので、栃木訛りに出会ったことを甦った。その時「何々だべぇ~」と「でさぁ~」と「すっぺぇ~」とか尻上がりのイントネーションに特徴があったことを印象に残っていたからである。

 

 

     

新幹線変わり行く里夏薊

また、右の写真の若い女性の10人位の小団体が、最近流行している、日本人気でやってきてくれた中国人の面々だと思っていましたが、女性同士の会話がどうも中国語と違うような気がして、テラスのホステスさんに聞いてみると、タイの女性ですよという。タイはアメリカ初め日本の協力で工業化が進み経済が向上していると聞く、女性は飛びぬけた美人はいませんでしたが、一人一人、垢抜けていて私が持っていたタイ人のイメージとほど遠いのに少し驚いた。経済力の向上で女性たちも日本に旅行できるようになったのだと思った。小団体の中に日本人の男の引率者がいなさった。私は何時もこのテラスを利用していますが、ここところ、北陸新幹線の開業からしばらくたちましたが、数人の団塊の御夫婦の旅行姿など、沢山の人達が新幹線を利用して、飯山はじめ「信越自然郷」えの旅行が徐々に増えていることが伺わせてくれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


待望の兄弟会

2016-05-18 07:37:43 | Weblog

柿若葉宴たけなはに老ふも愉し

苗月夜に欠けることなき兄弟会

 

 

 

   別所安楽時八角三重の塔 

 先日(五月十六日)に待望の兄弟会が歴史の温泉上田市郊外の別所温泉で笑いの一夜を楽しんだ。今年も一人かけることなく兄弟会が出来たことに感謝の一文字である。私の四人兄弟の一番したの妹の旦那さんの近藤君が万年幹事を勤め、彼は性格どおり綿密な計画を立て満遍なく全てを面倒見てくれるので、安心しての彼に抱っこの兄弟会である。来年は弟が最近同級会で北陸新幹線金沢駅まで、民宿がマイクロバスで駅に迎えに来てくれて金沢の兼六園初め各名所を案内してくれ、宿泊で新鮮な魚三昧の同級会が大変良かったとのことでしたので、以前から北陸新幹線が開通したら、金沢で兄弟会をと希望していたので、兄弟の意見が一致したようだった。来年も元気でいて、兄弟会に参加できることを願う私である。

 

 


キングサリ(金鎖)の花

2016-05-16 06:04:03 | Weblog

藤の房似れど異なる金鎖

歩く道筋にはじめて見る、背が高い黄色の花が午後の強い風に揺られていた。このお宅の奥さんを良く知り合いの中ですので、花の名前を聞いてみようと思い、お宅の玄関のベルを押しましたが、何の応答も無かった。さぞ、日曜日なので一家で出かけたのかと思い、家に帰って、花の辞典で調べることにした。辞典の紐を解くと、春の花の中に「キングサリ」金鎖とあったので春の花のようだ。蝶形で黄金色の花がフジのように房にたれさがって咲くので、英名をゴールデンチェインといい、和名もキングサリ「金鎖」という。小型で樹冠が広がるもの、花が小さく花房が細長いもの、短い花房に大き目の花をつけるもの、イギリス王立園芸協会賞(AGM)を受賞した。長い花房にたくさんの花がつく(ボッシー)などがある。と、小難しい説明があった。写真のキングサリは「花が小さく花房が細長いもの」の類かなと思う。夏の暑さには弱いが、冬の寒さに強いようだ。

 


躑躅通り

2016-05-15 06:17:15 | Weblog

躑躅燃ゆ通りに魅せし杖歩き

むらさきの躑躅並木や孤独街

昨日の昼下がりは、一昨日に続き好天に恵まれた。相変わらず歩く度に杖を欠かせなくなった。一昨年、家の中で転んで頭を打ち「硬膜下血腫」となり、以来、急に足が動かなくなってしまった。幸いにして運転が出来ますが、いまいち自信がないので、家内に運転してもらっている状態だ。だが、運動は欠かしてはと思い、恥ずかしながら杖を頼りに毎日歩くことを日課としている今日この頃である。新幹線新駅を中心の無理の無いコースを歩いておりますが、新駅が出来てから裏通りとなった写真の通りはどこか淋しさを感ずるようになった。