ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

分担届く

2012-02-29 18:39:20 | Weblog

 貫禄の土佐の香りやザボンかな

 四万十のあの豊かさと朱欒かな    

長女の嫁ぎ先から大きな文旦が届く。レモンに似た春の香りがいっぱいリビングに広がる。春の香りと表現しましたが歳時記では文旦は冬の季語である。文旦、ザボン、朱欒、香欒、ぼんたんといろいろとよぶようだ。文旦と言えばやはり南国土佐の高地県が名産。東京の家では毎年おなじみの農家から直送していただいているとのこと、お母さんいわく、今年の文旦は特に大きく甘いとのことだ。丁度冬蜜柑の終わるころ、誠に良いタイミング、沢山頂いたのでビタミンを豊富に取り入れることができて幸いである。

文旦や今宵の月とどっこいだ

 

 


春めいたとはいえ

2012-02-28 20:05:26 | Weblog

春めきたとは言へ先のまだ遠き

春遠き神風でもと思ゐしか

今日は、20m先が見えないほど濃い霧に包まれ寒かった(かんじた)朝でした。多分ー5度位だったろうと想像する。家内はこんなに寒い中を日課の歩行をしてきたとのこと、こんな凍った道を良く転ばず歩いたと怒るどころか感心した。今は、病院で一緒にリハビリをしている人は、雪道で転んで骨折した人やねんざした人、雪下ろしで怪我をした人が多い。私みたいに脳梗塞患者の方が少ないくらいである。こんな日は、霧が晴れると雲ひとつない好天となる。久しぶりに、私も春めいた暖かい日差しとともに歩いた。。ほんの薄らと汗がにじみ出て春風と相まって心地よい気分となった。春めいたとはいえ、まだまだ辺りは銀世界、まだ田畑の土の臭いを嗅ぐには当分だろう。でも、暖かい春の日差しは驚くほどのスピートで雪を解かしてくれる。雪国の人達は遅々とした春を待ちわび切っている。

 

 

 


雛飾り

2012-02-27 16:00:12 | Weblog

 吾郷は雪の中なり雛かざり

歴史雛栄枯盛衰見てをりぬ

 

柳本良子さんが寄贈された九人飾りの御雛さんは、慶応四年江戸時代の最後、当時江戸まで出向いて最高なものを求めたと記している。また。交通の悪かった当時に、どうやって江戸まで行き、それを持ち帰ったのだろうと!!!」。その頃の「飯山仏壇」は盛々とし、儲かった時代であったのだろう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                           

野田平、野田荘、野田重、野田家、野田由と後数件の野田という名の店があった。その東家は歴史のある飯山豪商の老補、「栄枯盛衰」苦難の歴史を経て、今も数店が営業を続けていなさる。この近年の大きな時代の変遷のなかに、老補を守っていくには。 色々大変なことがあると思いますが、同じ商人上がりとして立派なことだと称賛します。                                


春の薄日

2012-02-26 13:00:42 | Weblog

 春薄日やさしく射して重み解け

ここ数日、春を思わせる好天に恵まれ、生活に息吹が湧いてきましたが、今朝から又雪が散らつき、逆戻りかと重苦しい気持ちになった。だが、午後になり、雪が止み、春を思わせる薄日が私の部屋の障子をとうして入って来た。この優しい薄日が、二月が終わり確実に春がやってくる、そんな予感がする日射しである。私初め、雪国の人々はこれでやっと雪の重さから解放されるだろう。今年の雪は、一八豪雪(いちはちごうせつ)などとも呼ばれる。 2006年(平成18年)の豪雪より沢山の雪だったと思う。直ぐ傍の老人宅の御主人が気象庁が発表したこの地方の雪の量を克明に大学ノ―トに付けていなさった。その記録によると総降雪量が平成18年の降雪量より33cm多いとのことだった。温暖化により、その年によってはスキー場が心配するほど雪が降らなかったり、今年のように被害が出るほどの大雪となる昨今である。

薄日とは美しきもの帰り花

数年前に撮ったさくらの帰り花


消える流氷

2012-02-25 09:04:14 | Weblog

流氷や降臨のごと現れる

流氷の目に焼き付けて忘れざる

数人の方のブログから飛んで、北海道オホーツク海の流氷の素晴らしい写真に会いました。写真の主の「マーチャン」に持ち前の心臓の強さで、私のブログで使用してよいか訪ねたところ、気持ち良く承諾していただきました。私は今まで写真だけで本物の流氷に会ったことはありませんが、マーチャンのブログによると北海道で、北の大地の東の果手てで流氷が見れなくなると言う。それも遥かロシア、アムール川より北風に乗ってやって来る美しき流水たちが近い将来、それも2020年にも、なんと8年先にも消えて無くなるという寂しい現実が待っているそうだ。全て人間の近代化による地球温暖化の影響だ。人間が自分たちの都合ばかりで自然を壊し、やがて人間らの生命に係わってくることを、先送りせずに一日も早く解決しなければならない大きな課題だと改めて思う。

流氷や消へるといふがさりながら


湯豆腐

2012-02-24 09:45:30 | Weblog

湯豆腐や言葉のいらぬ二人かな

 昨夜は若夫婦と孫達は、ママの友達の家族との食事会とかで出かけたので、。私共夫婦二人だけの夕飯となった。何時も孫中心の食事の我が家、こんな時とばかりに、簡単に、二人が好物の「湯どうふ」がメインとなった。我が家の湯豆腐は私の好物の「えのき」と「しんぎく」が欠かさない。えのきの歯ごたえと、しんぎくの香りが何ともいえない味覚である。

宮坂主宰の「昭和を詠う」俳句集の中に「久保田万太郎」のこんな湯豆腐の句「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」があった。この句の主宰の句評はこう記している。「奈良や京都の仏像を拝むたびび、「いのちのはてのうすあかり」と呟いていた。この思いが 身の内にしっかりと胸に捉えるには、私はあまりにも生ぐさい。身ががさがさと乾き過ぎている。空極の一句なのであろう。昭和の俳句の範疇を超えている。が、いのちをこのように慈しんだ俳人がいた。万太郎への思い出は昭和に繋がる。「晩年に杖とも頼んで同棲した三隅一子が脳溢血で急逝したあと、妻子にも先立たれ一人取り残された作者の心境を浮上させた句である」久保田万太郎の身近にいた成瀬櫻桃子の解説がよく状況を描いている。久保田万太郎は昭和三十八年に逝去している。私も「久保田万太郎」のやさしい句に好感を持っている。こんな句が良い。「ち古りし夫婦の箸や冷」「なにがうそでなにがほんとの寒さかな 」「ふりしきる雨はかなむや桜もちなどがある

 

 


コハクチョウ北へ旅立ち

2012-02-23 08:53:10 | Weblog

 旅立ちや不景気よそにコハクチョウ 

 

コハクチョウ引きしアルプス山河かな

 

 再来の吉をみやげにコハクチョウ

 また来年やって来る、コハクチョウ初め冬鳥が帰来するに、先が見える生甲斐のある日本になると言う奇跡的な「おみやげ」を期待したい。


クリスマスローズ

2012-02-22 09:24:27 | Weblog

 クリスマスローズ育てる糧となる

 

 「クリスマスローズ」は歳時記に冬の季語として乗り「キンポウゲ科の常緑多年草で、冬に開花する。イギリスではクリスマス用に温室栽培する」と乗っていた。クリスマスローズは季語となるほどに知り渡った花なのだと改めて思う。先日2月11日に「飯山の農家ファーム開設」という見出しで信毎の一面に大きく報道された「クリスマスローズ」を丹精込めて育てていなさる、木島地区の「伊藤精一」さんのハウスを訪ねる。伊藤さんは奥さんと息子さん夫婦とで花作り専門農家で、趣味で「クリスマスローズ」を育てていると言う。自信がついたら出荷する予定のようで研究熱心な伊藤さんだ。雪の多い飯山の冬はビニールハウスは雪の重みで持たないのではと思っていましたが、ハウスを見ると大変な設備に驚く。雪が降ると自然落下でハウスの両側を川のように水を流す設備になっていた。伊藤さんの説明では、クリスマスローズの花びらは正確に言うと花ではなく萼(ガク)だそうだ。では、花びらはどこに行ったのかというと退化して小さな蜜腺(ネクタリー)となり、おしべの付け根を囲むような形で小さく残っている。萼は通常5枚ですが、園芸品種には重なるようにたくさんついた八重咲きがあるという。鑑賞は花びらでなくガクとは驚いた。写真の二鉢と奥さんが制作した萼(ガク)の芸術品を買って来た。株分けができるように萼(ガク)を増やすと、花好きの家内は張り切って伊藤さんにあれこれと質問していた。

 クリスマスローズ芳し彩られ

ちなみにネットで上のクリスマスローズを販売していますが一鉢12,000とあった大変高価な花であることを認識した。

 


昭和を詠う

2012-02-21 17:49:36 | Weblog

 温し卓おじや囲んでにこやかに

雑炊と言えば今風であるが、「おじや」は終戦直後はお米が腹いっぱい食べられないので、そこらで採れた野菜と混ぜて水分を沢山含ませてお米が浮いている状態を思い出す。でもその「おじや」が大の御馳走だったころが懐かしい。

いつまでも昏ない春の日を楽しむ。昭和の時代にそんな心の余裕がどこかに残っていた。一気に近代日本を築き上げた明治の四十五年とも違い。デモクラシーが叫ばれながらも束の間だった大正十五年とも違う。昭和六十三年の歴史は、戦前、戦中、戦後の激動のドラマを演じ、庶民はそのときどきに翻弄された。しかし。暮らしに生きるメリハリがあり。風景や風物には「かたち」があった。平成現在の、目先の充足だけを求めて先が見えない。茫洋とした不安感とも違うのである。そこで、さまざまの俳句の切り口から昭和の時代を描き出して見たい。と言う、私が所属する俳句会「岳」の主宰、宮川静生先生(信大医学部名誉教授)の「昭和を詠う」と言う本に触れる。私は昭和十六年生まれ、鮮明なのは戦後の食料難だけが記憶にある。何時も腹ぺこだったころを知る私は「飽食」なんて言葉は夢のようである。宮坂先生は昭和十二年生まれ私より四才の兄さんだ。従って目が輝いた昭和を同じく生きて来たのだ。


今日も快晴

2012-02-20 15:31:24 | Weblog

 好天にすべてかいほう春嬉満

今日も昨日に続き好天に恵まれた。今日は定期診察日、句の「すべてかいほう」は解放、開放、快方、解法を全部詠みたい心境である。診察の 結果の快方感、好天に恵まれ雪からの開放感と雪の重圧から「ときはなされた」解放感などなど・・・・・・・・・・」写真は鍋倉高原や戸狩スキー場が連なる開田山の峰々。2010-04-10 の私のブログは開田山脈を「 春の峰天地のごとくおらが郷」と詠んでいる。雪の北信州の晴れた日のうつろいは全てが開放感に満ちている。雪で重苦しかった後の好天の心地良さは、雪の苦労が沁みついている郷の人々でしか分からないだろう。


春のプレゼント

2012-02-19 17:26:29 | Weblog

朝の空すでにあほぞら山笑ふ

久びさのうららか空に宥むかな

いつも眺める「高社山」を中野市側から見る

朝からこんなに透き通った青空に巡り会ったのは久しぶりである。北信州の雪はこれで御仕舞にしてもらいたい。とは言うもののまだ二月半ば過ぎたばかり、まだまだ今年みたいな大雪の年は三月の中旬を過ぎないと安心できない。今日は日曜日、お兄ちゃん二人は幼稚園がお休み、お兄ちゃんが、爺、こんな良い天気だから何処かへ連れて行ってと私の部屋へ懇願に来た。どうもpapaは仕事のようだ。私は私で計画があるのだけれど、と思いながら、ようし、何処かに遊びに行こうとその気になった。スキーにでも連れ出そうかと思いましたが、二人はまだスキーを履いたことが無いらしい。ママは来年からスキー学校に入れて基礎からやらせるつもりのようだ。私共田舎の冬は遊びに行くところに苦慮する。長野市の茶臼山動物園でもと思いましたが、兄ちゃんの言うには昨年の秋にレッサーーパンダやキリンさんやトラ、ライオンに会って来たと言う。ママが言うには、秋の遠足で動物園へマイクロバスで行ったらしい。余りにも、爺は孫達の情報を知らないのに気付かされた。結局、近いところで中野市のイオンのゲーム場でゲームを楽しみ、帰りはファミレスで食事と言うコースとなった。ママの運転ではあるが、孫達と付き合うと心身ともに疲れてしまう。婆も疲れたらしい、これもたまには仕方ないかと思う爺であった。

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中野市東山公園から北信五岳を望む

 

 

 


国家公務員給与減

2012-02-18 08:56:29 | Weblog

剪定す渡り歩きの官太り

民忘れ官鴉の巣大きくし

今朝の新聞の一面の見出しに大きく「 国家公務員給与減で合意」とあった。遅すぎる感がある。期待はしてないが「民主党のマニフェスト」は20%削減である。捩じれ国会が民主党を弱腰にしている面がある。私に言わせれば今、民の苦労を考えたならば、官は自ら20%を削減するのは当たり前である。「民あっての官」の基本姿勢を忘れた官僚ども、官が肥大して、のさばれば国が滅びる「ギリシャ」が良い例である。真剣に日本の将来を考えているのか、先伸ばしばかりの無能と無責任な政治家、また、責任の取らない官僚ども、消費税に思うことは、政官どもが自分の身を削ってから国民に負担をしいろと言いたい、国民は国民で「平和ボケ」なのか不満と不安を持ちながら集団行動を起こさない。戦後、単一的な右向け右の教育、大量生産のため、個性ある国民が育たないようにしたのだと思えて仕方ない。このままでは日本の泥船が沈没するのが目に目えて来ている。こう言っている私も責任の一端がある年齢であるが・・・・・・・」


激冬信州春の兆し

2012-02-17 08:16:53 | Weblog

福寿草黄色のブーツモノトーン

月の夜を重ねふくらむ福寿草

日の中の黄金に見ゆ福寿草

今朝の新聞に春の移ろいの「福寿草」を咲かせている「下伊那郡豊丘村」の森田弘さんの記事が載る。こちら、北信州は朝から吹雪、今、ブログを記している時間は、薄く太陽が覗く天気ですが、予報では再び雪になる模様だ。長野県も北と南とではこうも違うのかと改めて思う。記事の中に六十年余り俳句を楽しんでいる森田さんは「十六夜は眠らで咲いて福寿草」と今年の福寿草を詠った句が乗りましたが、気が付くと、この一句は「十六夜」と「福寿草」との季重ねと「十六夜」(いざよい)は秋の季語「福寿草」は春の季語と季節の違いに気が付いた。多分、森田さんは「十六夜」を今月の十六日の夜を詠んだのだと思いますが、そんなことは別にし、九十三歳になる森田さんが夏場に稲わらを敷き地面の乾燥を防ぐなどして大切に花を育てていなさる。九十三歳の高齢でありながら生甲斐に溢れている森田さんに敬服するのみである。


春の水墨画北信展の追い込み

2012-02-16 08:25:04 | Weblog

 春の展胸張りたくも黙もだとなる

3月3日~4日と長野市ホクト会館にて、恒例の北信水墨画展が開かれる。毎年出展数は180展以上だ。この中から優秀賞15展に入選30展選ばれている。昨年は同じ教室の石井さんが優秀賞に選ばれた。誠に喜ばしいことで、私達もおおいに励みになる。私はまぐれだろうが、入選に入れていただいた。一回優秀賞を頂くと以降出展出来ないシステムのようだ。石井さんは普段コツコツと画いていなさる。「努力に勝るものはない」と改めて思い知らされている。私は入院したり色々で、教室を四ヶ月休んでしまい、やはり感覚の鈍りから思うように画けなかった。先生のお勧めで、心臓強く出展しますが。結果は見え見えであります。


千葉大原の水仙

2012-02-15 08:57:39 | Weblog
水仙の一輪づつにほとけあり
 
水仙やベクレルなんて知るもなや

 

外房に水仙座せば笑みを呼ぶ

 

(おもん)みる水仙の黄とゴツホの黄

 

 

友人のべんちゃんからお借りした房総の水仙の写真に句を詠みました。彼は先生に指導され勉強している、本格的なアマの写真家である。千葉はじめ房総地方は暖かく春の芽生えが伝わって来る。未だ雪と戦う北信州とは大きな差であるが、雪で苦労を重ねた故の春の解放感はまた格別である。このメリハリが生きている実感なのかもしれない。と思うことにしている