ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

狭庭の牡丹

2012-05-31 12:03:04 | Weblog

狭庭では牡丹の香り沈みけり

晴れた日ははれたる貌の牡丹かな

束の間の主役の舞台牡丹かな

 多分二週間位前に撮った写真ですが、句が出来なく放っておいた。家族が多いため私は小原庄助さんではないですが朝風呂が習慣になっている。意外と風呂に浸かったり、トイレでゆっくりしていると句が浮かぶこと屡々ある。写真を撮ったときの情景を思い出したり、牡丹の咲き具合、牡丹の匂い、その時の天候を風呂に入りながらじっくりと句つくりに励んでは見ましたが、浮かんでこなかった。風呂から上がり撮っておいた写真をパソコンに貼りつけしばらく腕組みしていましたら、上の駄句が出来たと言う具合です。隣の躑躅があまりにも綺麗に咲いていますので躑躅の句とも思いましたが、この時は狭庭の主役はやはり牡丹でしたので、牡丹の句となる。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」 などと言われいるように、中国では国花となるほどで、とりわけ上流階級では珍重されているとのこと。また、獅子に牡丹の花を配した豪華な図柄 とりあわせの良いもののたとえである。 他に「梅に鶯(うぐいす)」「紅葉に鹿」また、獅子はイノシシで、イノシシ鍋を「牡丹鍋」と呼ぶ

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祖父の年まで生きて

2012-05-29 19:02:07 | Weblog

病葉や祖父の生き年並びけり

 

 

病葉の常より光る日とならぬ  

 今日は祖父の命日である。七十一歳で亡くなられている。今の私の歳と同じである。昭和三十三年ですので、私は確か高校二年の時だったと思う。あのころの祖父は顔は皺だらけでかなりの老人に見えた。明治二十一年生まれですから生誕 124年になる。明治、大正、昭和と激動の時代を生きた見本のような人だった。私と弟と川の字になって夜を過ごした。その頃から、人間とは、商売とはと、良く私達兄弟に色々な教訓を与えてくれた。あの時の祖父の教えが、私の人生に大きな影響となった。鮮明に覚えていることは、商人は倹約を常とし次の時代にそなえること、商人はお客様あっての生業だから、決して御客様より贅沢をしてはならない。この大事な教えを守りながらも、このままでは、諸般の事由と大きな時代の流れにのみ込まれることを予測して、御世話になりました銀行初め取引先に迷惑をかけることなく、私で三代目の92年の歴史を閉じた。閉店してから二年になろうとしていますが、最初の頃は空虚感が覆いましたが、今では、私共地方の著しい人口厳と、この不況の時代が続くことを勘案すると、よかったと思うようになっております。

 

 

 

 

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婆、お兄ちゃん、次男坊の合同誕生会

2012-05-27 13:26:15 | Weblog

三人にしあわせ運ぶ五月風

   燕子花三人の月同じかな(推敲句)

 

我が家は五月生まれが七人中三人だ。昨日はお兄ちゃん(26日)の誕生日、次は湧也君(次男坊)、最後に婆の誕生日と続く、数年前から合同誕生会と称し三人を一度で済ましている。これも我が家の倹約的改革の一環だ。単純な説明の句となったが、こういう句は意外と難しさがあるものだと思う。何とか推敲して意外性のある良い句にしたいと思い、後に推敲しましたが、誕生日の句はおめでとうとか、その子の成長を願う感傷過多になりやすい句が多くなる。そこで簡単に深く考えることなくありのママに「子花三人の月同じかな」として見た。

 

 

  

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おいしい蕗煮

2012-05-26 10:24:29 | Weblog

味見して前歯にあてる蕗煮かな

 

 里蕗を市内のスーパーで家内と娘が買って来た。このところ、オサンドンを卒業した私ですが、筑前煮初め野菜の煮物になると、家内から頼まれる。私の煮物が一番美味しいようだ。料理の世界でも「洗い方」「焼き方」と「煮方」と進む。煮方は料理の一番の最高方と聞く。私は煮付けだけで、下ごしらえは家内が綺麗に仕上げてくれた。蕗の下ごしらえは大変だ、私は良いとこ取りと言うわけだ。何時も煮物の基だれを造っておく習慣でしたが、家内達に任せてから勿論基だれがなど使わない。蕗煮の出汁の割りを忘れてしまっていた。こんな時に基たれがあれば、薄め具合で直ぐ煮ることが出来るのだがと改めて思う。適当にたれを造りそれを煮立たてから蕗を入れ、弱火でじっくり時間をかれて煮上げた。煮上がった蕗の香りといい歯ごたえといい、その上肝心な味付けはまあまあと思うが、家の皆が喜んで食べてくれると思いきや、さほどではなかった。他のメイン料理が上手かったようだ。蕗煮はあくまで脇役料理だと改めて思う。このところ、風邪気味が続き、なるべく外へ出ないようにしうていますので身近な話題だけでしかブログに出来ないでいます。

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明易し(短い夏の夜のこと)

2012-05-25 13:10:49 | Weblog

新聞を配る足音明易し

明易し句集一気に読み終へて

 

 夏の夜は短い、今は3時過ぎて3~40分頃薄明るくなる。私は若い頃から御天父さんと一緒に目を覚ます習慣が身についている。だが、また深い眠りに着くことが常である。新聞配達さんが、薄明るくなったころ、私の寝ているそばの玄関の階段をとんとんと小走りでポストまで走り上がる音を毎日耳にする。「早起きは三文の徳」と言いますが、その新聞配達は、私の同級生である。彼は仏壇職人ですが、仏壇会社への出勤の前に、もう何年も新聞配達をしている。朝早くから走ったり、自転車を漕いだりで健康に最適である。七十歳過ぎた(退職して準社員)彼の健康は、三文の徳どころか一石二鳥で大きな徳となっている。そんな頑張り屋の若々しい彼を見ると恥ずかしくなるのが常の私である。

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俳句教室

2012-05-24 15:04:56 | Weblog

 

先日五月二十一日は、五月の連休の為か一日だけの俳句教室の日であった。四ヶ月のブランクの後、二回目の俳句教室の日となる。まぐれだと思いますが前回と今回二句が特選句に選ばれた。ちなみに二十一日の先生から出された兼題は「若葉」全般でした。

特選句  一心にお乳ふくます若葉寒       忠男さん

   〃     若葉寒輩一人の缶拾ひ         八千代さん

     柿若葉無医村に来て二十年      正義

        窓際に驢馬のペン立て若葉雨   ゆう子さん

  〃     万緑やこつと逝きたる百二歳     洋子さん

前回の兼題はさくら全般でした。          特選句   空っぽの預金通帳花曇     正義

 かれこれ二十年前になりますか、地震被害のあった栄村に無医村となった時期がありました。その後、医師が来て下さって解決したと聞いておりましたが、また四年位前に医師がいなくなったと聞く、ネット調べると以下の文面が現れた。

<無医村の危機救う>

栄村の80歳医師 、栄村に医者がいなくなる危機を回避しようと、東京で働いていた80歳の内科医が4月、 村の診療所に着任した。約55年間勤め、慕ってくれる患者も多かった病院を辞めての 単身赴任。自身も心臓病や高血圧の薬を飲みながらの診察だが、村に安心をもたらしている。

この医師は、栄村出身の市川俊夫さん。小学生まで栄村で過ごし、その後、父親が教員 だったため、佐久や上田などを転々とした。終戦直後に医師となり、東京・品川区の病院に 勤務した。 栄村では、1人しかいなかった医師が3月末で村を離れることになり、無医村となることが 危惧(きぐ)されていた。昨年11月と今年1月、高橋彦芳前村長がツテを頼って、東京の 市川医師を訪問。年齢が同じだったり、共通の知人がいたり、前村長が市川医師の父親を 覚えていたりと、様々な巡り合わせがあった。 前村長に「ぜひ」と頼まれた市川医師は「後任が決まるまでのピンチヒッターとしてなら」と 応じた。
村に来て、「自分と同年代の人を診ることも多いが、東京と違ってみんなよく働いたんだなあと 思う。ご苦労さんと声をかけている」。山や田畑での重労働のため、腰が曲がり、脚を痛めた 患者が多いという。平日午前中だけの診療に、70人も訪れることがあるとあったが、何分にも80歳の御老体だ、柿若葉のよう若い医師の来村をこころから望む。

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金環日食

2012-05-23 13:49:30 | Weblog

金環の話題束の間酔芙蓉

      食卓に金環日食の木洩れ日 (金子兜太)

      金環日食の北限界線付近の松本。塩尻市で見られた「ベイリービーズ」21日午前7時34分10秒(信州スカイパーク)

このところ、金環日食の話題が仕切りだ。私の飯山市でも観測会があったようですが、こちらは部分日食と分かっていましたので、気が乗らず、日食が始まり、辺りが暗くなったころは、腰痛の為、毎日通う整骨院で仰向けになり電気治療をしていただいていた時間でした。昨日の新聞に「県北部を中心に太陽の直径が九割以上と大きく欠ける部分日食を観測」、とあったので、観測しればと後悔した。思えばたった数分のことではあるが。県内では173年ぶりの金環日食とあって話題沸騰でした。金環日食が過ぎてしまえば、句のように束の間の出来事のように消え去ってしまう。季語の「酔芙蓉」は白い花びらが咲き始めてから段々赤色に変わり、夕方にはしぼんでしまう一日花である。まるでその「酔芙蓉」のようだと詠んで見ました。

 

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福島新田の棚田

2012-05-22 07:21:20 | Weblog

田植ゑにと棚田に集ふボランチィア

棚田また一枚植ゑて継五角

 

棚田にて初の田植ゑの白い腕

外国人の若い御夫婦も参加

  全国棚田百選の福島新田の棚田保存会から「田植え体験会」と名を打って「田植えボランチィア」の誘いの手紙が届く。遠方から毎年この棚田の田植えを楽しみにして馳せ参ずる人達が多いと聞く。私はこの棚田保存会に友人がいますので、身体が不自由で労働が出来ませんが。田植えと、秋の稲刈りに顔を出し、懇親会に参加している。昨年は偶然にも千葉の友人が見えたので一緒に稲刈りの日に行き、ただ御馳走になって来たという調子です。田植えはボランティアの方々が多いため、顔見知りのおなじみさんが増えている。今年もまた東京のおなじみさんに会いたいのですが、田植えの日27日は大切な所要があるため残念ですが出席出来ない。その旨を保存会の友人に、東京のおなじみさん二人によろしく伝えてくださいと電話しておいた。

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秋葉神社の町内祭り

2012-05-21 18:25:10 | Weblog

 

神輿担ぎ僕も私も主役なり

 

夏まつり神に奉納巫女の舞

巫女の舞摺り足すがし夏まつり

巫女の舞はこぶ白たび宮薄暑

 

先週の土日に待望の町内に祀る「秋葉神社」の町民全員参加のお祭りが行われた。この神社は確か昭和二十七年の五月十八日に隣の街からの延焼で町内が大火事となったのを機に蚕産の盛んな時代の「蚕産神社」を改名し、二度と火事の大惨事が町内を襲うことがないよう、時の有志が、静岡県浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社に出かけて、その御神体を分けて戴き、火防の神としてとして祀っている。丁度天気に恵まれたり、色々の催しがあり、町内広場がいっぱいになるほど町民でにぎわった。町内の子供たちも張りきって子供神輿と巫女の舞いに参加し、お祭りを一層盛り上げた。

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山菜採り

2012-05-20 12:40:36 | Weblog

 初夏の山こごみの群れに弾みをり

 

  以前から、家内は家内の実家の山へ「こごみ」採りに連れて行ってくれと、パパに頼まれていたらしく、先日パパの会社の休みに二人で出掛けた。実家の山々は、まだ薄く雪が残っているところが在ると言う。雪が解けたばかりの後に出る「こごみ」はぬめりがあって歯ごたえが抜群です。二人の話によると、座っていて採れる場所に巡り合ったようすで、大量に採れた嬉しさか、パパは興奮気味で帰って来た。家内は採って来た「こごみ」をゴミを払い良く洗って、何時もお世話になっています近所に山の幸をおすそわけをしていた。私は今年は「蕨」を口にしていないので「わらび」は採れなかったのと聞くと、思った通り今年の大雪でかなり遅れているようでした。やはり山奥のせいか、土地の質のせいか、家内の実家の「わらび」は「こごみ」と同様にぬるめがあり美味しい。口コミで蕨が美味しいと広がり、お金を払うから今年もお願と何人もの人に頼まれているほどだ。兄さん夫婦に毎年何百キロと採って戴いていたのですが、このごろは兄さん夫婦は年齢が重なり無理は出来ない思う。

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シルバーセンターのおばさん

2012-05-16 05:25:16 | Weblog

 

草むしり手数口数どちらかな

 昨日葉さくらの写真を撮っていましたら、すぐ傍のミニ公園にシルバーセンターから派遣されたと思われるおばさん達が草取りをしていなさった。そのおばさんたちは、話の話題が途切れることなく笑いを混ぜながら次から次えとにぎやかだった。、草取りより話の方が主のように思うほどでした。多分七十歳半ばくらいの年齢の老人だと推察しましたが、こうして、シルバーセンターで働いて、適度に身体を動かしながら、人とのふれあいを持ち健康を維持していなさるのだろうと思う。話の内容は分かりませんが、それを聞きながらカメラに向かっている閑人がいる。その閑人も話の中に加わりたい老人の一人かもしれないと苦笑した。

 

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葉さくら

2012-05-15 16:55:03 | Weblog

葉桜のなかに無数の空あがる

 葉桜の葉籠りに息深く吸ふ

  あれほどに、まだかまだかと待ち焦がれた、さくらの花なのに散ってしまえば、私初め見向きもしないものだと思う。良く観察すると「葉桜」も青空に映えてなかなか綺麗なものだと以前から思っていた。確か昨年もいまごろ同じような句を詠んだ気がしております。今日の天気予報は午後80%以上の雨だったが、青空がのぞく天気となったので、諦めていた散歩をすることが出来た。途中葉桜となったさくらの並木の傍を通ったので、日増しに濃くなるさくらの木の下からの上を眺めると、なかなかおつな景色であった。青々とした元気なさくらの葉から、躍動感と希望見たいのを戴いたような気がした。

 

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新茶届く

2012-05-14 07:54:31 | Weblog

父の歳ちかづくほどに茶の深き

茶農家の作業風景

 昨日、父の代から新茶を送ってくださる、静岡は菊川の茶農園から今年の新茶が届いた。添付されて来たパンレットに、八十八夜は立春(2月3日)から数えて88日目の日の事を言います。今年は5月2日が八十八夜になります。昔から、この日に摘み取られたお茶を飲むと一年間無病息災で過ごせるという言い伝えがあります。実際に、この日前後に摘み取られたお茶は新茶の中でも一番味がのっておいしいお茶に仕上がっていますとあった。かれこれ三十年以上送ってくださる茶農家、代も変わって若い営農者のようだ。先代から必ず手書きの手紙が添えてあった。毎回あたたかさが伝わって良いものである。新茶が届いたので、そろそろ茶好きな無口な友人がやってくるだろう、心待ちにしている。私はと言えば、若い頃は日本茶は見向きもしませんでしたが、年を重ねるにつれ、父に似て来たのか日本茶を好むようになり、最近は茶の薀蓄を口にするほどになった。その上、コーヒーも大好きの両刀使いである。

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水墨画写生会

2012-05-13 14:18:56 | Weblog

         初夏の風りんごの花と会話かな

林檎の花白しと言へど紅ほのか

  

 初夏の風が少し冷たかった日でしたが、久しぶりの青空に恵まれた。今日は塩崎観光りんご園の御好意でりんご園に入れさせて戴き、先生の指導で「水墨画スケッチの会」が催された。普段風景画が殆どですので、写真にとっては、画にするスタイルでしたが、本格的なスケッチは初めての経験だった。思い出せば十三年前、脳梗塞で鹿教湯温泉でのリハビリ治療入院の時、スケッチブックを片手に良く散歩コースをスケッチしたことを思い出した。この機会にと思い、そのスケッチブックに画かれた下手なスケッチを開くと、走馬灯のように鹿教湯での療養時代の懐かしい場所が浮かんできた。まだページが残っている思い出の詰まったスケッチブックを持ちこんだ。りんご園の花は満開が過ぎ散り始めていましたが、りんごの太い幹と小さな花と葉とのバランスが良く画けなく、先生の御指導のようにいかなかった。上手くいかないので諦めて何時ものように勝手に写真にして、ゆっくり画にしようと決めた。お昼の歓談中に先生にどうでしたかと聞かれて、「難しくて諦めてしまいました」と言うと先生は笑っていなさった。そこで、うかつにも、数十枚撮った写真から納得いくようなスケッチ画にしますと先生と約束してしまった。高浜虚子の句に「白牡丹といふといへども紅ほのか」がある。

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リラの花(ライラック)

2012-05-12 13:42:04 | Weblog

リラの花姉の花とし七三忌

サクラのあとは、リラ(ライラック)の花の出番でその季節になった。リラ、ライラック色といわれる青紫の多数の小花が葡萄状に咲き、かぐわしい香りとともに風になびく。リラの呼称はフランス語、ライラックの呼称は英語の由来と言われている。この花は、札幌市の花で、今年も5月21日からライラック祭りがあると言う。耐寒性が強いので、北国、冷涼な高地などに適した花と言われているのか、私共の北信州(みゆき野)にあちこちに見られそれぞれ咲き始めている、。五月は二歳年上の姉が五歳で亡くなっ月である。私は二歳の頃ですので、姉の記憶は何処にもない。母から聞いた思いでばかりだ。五月二十六日の命日にリラの花を飾られたらと思っている。

 

 

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