ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

代掻き始まる

2012-05-11 16:54:31 | Weblog

代掻けば山逆さまに沈まれり

代掻きの終りて二倍の空となる

 

 田水張る名曲奏で一斉に

ようやく北信州「みゆき野」は代掻きが終え田植えを待つばかりの田と、まだ田起こしを始めたばかりの田とが混在している。このところの朝晩の寒さに加え、田に水が入ると一層の寒さが増す。予報では来週から暖かくなる模様、兼業農家の多いこの地方、これから土日は田圃が機械の音で活気が満ちるだろう。

 

 


飯山市の花 雪椿

2012-05-10 14:30:21 | Weblog

                                      待ちこがるあつという間の雪椿

 

雪椿かたまり落ちて地に咲けり

  雪椿の花は、病院へリハビリに通う道すがりの市営住宅の庭にある、私共飯山市の市花となっている花だ。連休前はそろそろ咲くだろうと待ちこがれていましたが、連休に入り十日ほど雪椿に会えずにいました。昨日は久しぶりのリハビリの日ですので、待望の雪椿はそろそろ咲くころと思い、コンパクトカメラを持って出かけた。だが驚くことに、目にした雪椿は花の盛りが過ぎて、すでに地に落ち始めていた。今年の大雪で寒かったせいか、さくらの花と同様に咲き開くのを我慢していたかに、暖かくなると急ぐように咲いたのだろう。「花の命は短くて・・・・・・・・・・」と林芙美子は言っていますが、今年の春の花は、みな命が短かったような気がしている。椿、雪椿、寒椿と「山茶花」はそっくりな花で、なかなか見分けがつかないが、山茶花は 花びらは1枚ずつ散る、椿は花ごと散るのが特徴だ。


花盛り

2012-05-09 10:06:29 | Weblog

花水木再起の足の軽きかな

来客のこころほぐすや躑躅かな 

  

雪国北信州(みゆき野)は今年の大雪のためか全ての花が遅咲きとなつた。さくらが終わり、この連休中待望の「菜の花まつり」は花が未熟の為い、まいち盛り上がりに欠けたようでした。今、街のなかは沢山の花々が彩りを付けてくれています。冬の真っ白の雪景色もまた風物詩ですが、やはり街に色があることは華やかな気分にさせてくれます。

 

  


スーパームーン

2012-05-08 09:29:16 | Weblog

見忘れしスーパームーンや夏の夜

ネツトのスーパームーン

日5日と6日に「スパームーン」となると情報が入っていましたので楽しみにしていましたが、うっかりして「スーパームーン」を見忘れてしまっていた。「めぐんさん」のブログを見てはっと我に返った。このごろ物忘れが一層激しくなったと内心心配している。ネットに地球に最も近い満月「スーパームーン」 世界各地で観測とあった。また地球との距離が最も近くなったのは、米東部時間の5日午後11時半すぎ(日本時間6日午後0時半すぎ)。米航空宇宙局(NASA)によると、この夜の月は通常の満月に比べ、大きさが14%、明るさが30%増して見えた。専門家らによると、大きさの違いは月が地平線近くにある時に見ると分かりやすいとあつた。

 

 


君子蘭

2012-05-07 08:33:52 | Weblog

 誇らしげ特等席の君子蘭

気高さに言葉いらない君子蘭

  

 家内が丹精込めて育てた君子蘭が今年見事に咲いた。私の片身のつもりで育てて下さいと、3~4前に近所の九十歳を超えた老夫人から家内が戴いた大切な君子蘭だ。戴いたばかりの頃は家内は忙しさにかまけて植え替えをしてやらなかったせいか、良く花をつけてくれなかったが、このところ見事に咲いてくれる。今も健在の老夫人は私の母と大の仲良しだった。歳も同じで大正六年生まれですから数えますと今年で95歳になることになる、今でも時々老人手押し車を押しては私の家の前を通る姿が見られる。母と家内の二代に渡って慕ってくださって、時々お茶にもさそってくださるようだ。


毎日整骨院通い

2012-05-05 08:44:10 | Weblog

つきまとふ腰痛のまま夏来る

 

今日から立夏。午後になると夏にふさわしく、二十五度くらいの気温となる模様だ。若い時代に過激な運動で腰痛になり、かれこれ五十年以上の付き合いとなる。四月十二日に「 腰痛のはじまるころに燕来ると詠んでいますが、三月の月末から毎日整骨院通いとなる。八十四歳になられた先生とも五十年のお付き合い。三十代の頃の先生は体格も良く力もちだった。今は長い経験とコツで患者に元気に向き合っている。先生は三十五年間毎年、病院のドックにかかっているそうですが、何処も悪いところがなく表彰者だと医師から言われているそうだ。常用にする薬は要らないとのこと、毎日薬を食べるほど飲むわたしとは大違いである。とにかくお元気である。来年から修業中の出孫さんが、先生の整骨院を継いでくれることを楽しみにしているようだ「孫が一人前になるまで頑張らなきゃ」と張り切っている。人は明快な目標があれば、こんなにも頑張れるのだなと改めて思い知らされている。今日の句を「なりはひの腰痛のまま夏来る」と詠みましたが、新聞を見ると「けさの一句」に偶然にも「なりはひの生傷絶えず夏来るが乗っていた。そこで、類似句近くになりますので掲出句に修正した。けさの一句の解説に、日常生活の哀感を詠んだ一句だ。生計を立てていく仕事の為には肉体労働をいとってはいられない。そのせいで治り切っていない傷に加えて、新しい傷もふえる。戦後の社会俳句、苦しい庶民生活の実態を詠っている。


孟宗竹

2012-05-04 08:21:02 | Weblog

すくすくと竹の伸びるや夏の山

兄からの孟宗竹や五六本

筍のおふくろの味ほどとおく

 

孟宗竹の灰汁だし

2012年今年の立夏は子供の日五月五日の明日である。俳句では夏の季語となる。今朝家内の兄さんから初物の孟宗竹を戴いたので、早速茹でて米ぬかで灰汁だしをした、午後になったら、皮をむいて細かく切り筍の旨煮と思っている。「厨にて筍の煮る香りかな」鶏肉と孟宗竹だけのシンプルな煮ものがおふくろの味である。筍の香りを失うことなく、甘もっくりとしかも心地よい歯ごたえの味をどうしても出せないでいる。今日の孟宗竹の味ははたして旨く行くだろうか乞う期待となる。

 

 


明徳寺の襖絵

2012-05-01 14:39:49 | Weblog

師の描く生から死へと沙羅の花

襖画の朝没陽や春の寺

 

280年ぶりの小沼明徳寺の改装に伴い、私共水墨画の先生が画拍として推挙され、お寺の本堂の襖に日本画を画かれた。明徳寺さんの御好意で本堂を解放して頂き、先生の門下で画を習う生徒50数名が一堂に会して先生に襖絵の画のこころと製作過程を説くと説明頂いた。先生は日本画が専門の方である。構想から完成まで丸六年の歳月がかかったとのこと。昔の寺の襖画は松、鳥、花などのパターンを先生は昭和、平成に会う画をと想い、京都初め鎌倉と全国の主なお寺の襖画を見て歩き構想を練ったという。大変な御苦労の結果「朝陽没陽」と名付けられた画、陽は勿論のこと太陽である。上の襖画は(本堂に向かって左側)は朝陽で、この世に生を得た若い力を強く鋭く表わして描かれている。下の襖画は(本堂に向かって右側)没陽で飯山の近郊の山々にやわらかく静かに沈んでいく表現を画かれている。人間の生から死までを八枚の襖に表した画となった。九センチ四角の金箔を二〇〇〇枚以上貼りその上に描いたと説明された、金箔張りは飯山仏壇の技術をふんだんに使われたようでした。普段幾つもの教室を持たれ、合間に各地の画廊から注文の画をこなした上の大作、先生の御努力に頭が下がりっぱなしである。