ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の屋敷軒数がはいった旧町名等

2017-03-17 20:45:18 | 水戸

 水戸には〇軒町という名称の町がいくつもあります。中でも面白いのは、「三軒町」です。
本町・三間町  文政期の地図では三軒町→城東と同名なので三間町に(明治42年の地図では三間町)
城東・北三軒町  はじめ、三軒屋敷、三軒町→昭和9年に三間町と同音なので北三軒町(改訂水戸の町名)
 はじめは、両者が同じ三軒町といわれていて、まず、城東が同名を避けて三間町とし、その後、城東が同音なので、北三軒町としたということのようです。そのため、元々の三軒町という町名はなくなってしまったようです。

 

 三間町  備前堀にかかる金剛橋の北側にあり、肴町(江戸町)に通じていたそうです。写真は金剛橋からで、奥を左に曲がったあたりに表示の石碑があります。

 

 北三軒町  寛政9年(1779)3人の武士の屋敷となり、三軒屋敷、三軒町と呼ばれたそうです。写真左手は、県営明星アパートで、このあたりに明星池(めいせいいけ)があったようです。

 

 五軒町  元は八王寺町といわれ、今の芸術館、京成パーキングのあるあたりだそうです。ちなみに、五軒小学校(金町3-2-25)は現在、五軒町にはありません。

 

 裡五軒町   泉町2あたりと五軒町1あたりの2箇所にその名が見られるそうです。写真は泉町2-4あたりです。

 

 七軒町  銷魂橋(たまげばし 写真の欄干のあるところ)の北にあり、商人町・本町と水戸城方面への入口になっていたそうです。商人が7人住んだので、寛文3年(1663)に名が付いたそうです。

 

 十軒町  元禄年間(1688-1704)に、10軒の武家屋敷があっためによばれるようになったそうです。写真左手は、十軒町児童公園です。


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