散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

憲政、憲法に基づく政治~改めて細谷論稿を考える

2021年06月09日 | 政治

先の記事(6月3日付)において、細谷慶大教授の論稿から「コンスティチューション(憲政)」との言葉が日本では使われていないことを引用した。
 しかし、「憲政の常道」との言葉は今でも使われている。また、尾崎顎堂は「憲政の神様」とも呼ばれ、国会には「憲政記念館」も存在する。一方、日本では「コンスティチューション(Constitution)」を憲法と呼び、そこで、憲政は「憲法に基づく政治」となる。

但し、氏は単に憲法だけでなく、「その精神、伝統、構造などを包摂する抽象的な概念」を英国では含んでいると述べていた。或る部分の誤解は翻訳の問題として理解できたが、それでも、「国体」はおおよそ「Constitution」と重なる言葉で、天皇制のもとでは「国体=天皇」との氏の指摘は、納得できないものが筆者に残る。

憲法に基づくとは、近代ヨーロッパ社会では議会制度による政治になるはずだ。また、日本における「憲政の常道」とは、明治憲法下の日本において一時期運用されていた政党政治における政界の慣例のこと、との説明が幾つかの解説から妥当だと考える。
すると、伊藤博文、大隈重信から大正デモクラシーを経た時期辺りまでは機能していたのであろう。その後、昭和恐慌以降、軍部が政治に口を出し、天皇機関説批判、国体明徴等から五・一五事件へと向かう中で機能不全になる。

逆に言えば、賛否はともかく、「その精神、伝統、構造などを包摂する抽象的な概念」もそこには含まれており、それが軍部によって捻じ曲げられていったのが五・一五事件以降だった。そんな感覚で改めて理解できる。