散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

現状維持による発展の意識~日の丸半導体の衰退

2014年10月14日 | 経営
この矛盾した「維持と発展」の両立が結局、日本の半導体を衰退させた、と筆者は考える。これは戦前の日本が辿った考え方のアナロジーだ。従って、昨日紹介した西村吉雄氏の論考及びここで後に紹介する続きの議論とは異なる。
 『「分業嫌い」の総合メーカー意識141013』
 
先ず、西村氏の論考を辿ろう。氏は次の様に云う。
「日本には例外を除くと、本当の意味での半導体メーカーは近年までなかった。半導体事業で上げた収益に基づいて設備投資し、それを次の事業の収益に結びつける。自己責任で半導体事業を展開した企業は稀だった」。
「日本では、総合電機メーカーが事業の一つとして半導体製品を製造販売する形だ。その半導体製品は、社内でも使われるし、外販もする」。

「総合電機メーカー内の半導体事業、その最大の問題は、設備投資の時期と規模を、半導体ビジネスの観点からだけでは決められないことだ。半導体のための投資を最適時期で実施できないことが多くなる」。

 「但し、これは韓国サムスン電子にも共通する。しかし、サムスン電子の設備投資は積極的だ」。
「従って、問題の本質は、企業の内部統治に帰する。企業が半導体をどれだけ重視し、事業部門が投資時期決定で、自由を持っているか、である」。

「1990年代の終わりごろから、各社は半導体事業の切離しを始める。
メモリー事業をエルピーダメモリに移管したNECは、2002年、NECエレクトロニクスを分社、独立させ、本体には半導体事業はなくなった」。

「2003年には日立製作所と三菱電機の半導体部門が分社化して統合、ルネサス テクノロジが設立された。2010年にはさらに、NECエレクトロニクスとルネサス テクノロジが合併し、ルネサス エレクトロニクスとなる」等。

「上しかし、それらの会社は2000年代の半ばかは、製造部門を縮小・売却し、ファウンドリ依存に走る。しかし、上記の半導体事業の切離しで、設計と製造を分けてはいない。ファウンドリになろうとしないのは、不思議である」。

ここで西村氏は一気に、「日本では「ものづくり」の礼賛が神話的、信仰的」との指摘に走る。「「ものづくり」が好きで得意なら、なぜ日本企業はファウンドリを選ばず、ファブレスへ走るのか。日本企業の言動には整合性がない」とも云う。

しかし、論理・考察から外れて信仰的と追ってしまえば、そこで認識は停止してしまう。日本では現状を維持しながら外のものを取り入れてきた歴史がある。それは明治維新あるいは戦後の米国主導の革命的変化でも見られたことだ。

これを“維持しての発展”とすれば、半導体関連企業が内部に製造も設計も維持しながら変わっていこうと考えたとしても不思議ではない。但し、これはある面でいけば、既得権益の擁護の口実にもなる。

明治維新以降、日露戦争での勝利までの蓄積の中で、軍・官僚・メディア等は社会的な基盤を造り、以降はそれらを維持しながら、発展に努めた。韓国を合併し、満州へ進出する。しかし、日本の中央機構では、これを切り離すことはできない。従って、ズルズルと引き込まれていく。

日本の半導体関連企業も、その中枢は、維持することが第一になる。従って、外部の変化にも自らは対応可能とのストーリーを内部で作る。そこでは、無意識のうちにも外部の発展は自らの伸びの範囲内と見積もることになる。

西村氏に戻ると、「ファウンドリの製造技術は、統合メーカーの製造技術に比べて一段低いとされた。ファウンドリは研究開発に投資せず、製造装置を買って製造に専念する。従って、最先端デバイスの製造はできず、少し遅れた製品を他社ブランドで安く製造する存在――日本の半導体メーカーはファウンドリを、そう見下していた。日本企業がファウンドリを嫌った理由に、これがある」。

「しかし、ファウンドリは装置の償却が速い。その分、新装置を先に買える。ファウンドリは統合メーカーより、製造技術で前に出る。その後、ファウンドリは製造装置メーカーとの連携を強化する。ファウンドリの生産ラインが、製造装置開発に使われ、半導体製造技術開発の場が、統合メーカーから、ファウンドリと装置メーカーに移り、ファウンドリは製造技術でも先頭に立つ」。

しかし、統合メーカーは自らのストーリーの中で行動した。これが内部での秩序を保つ方法だからだ。それは信仰ではなく、希望的観測だ。それによって自転していただけだ。「ものづくり」礼賛は、そのためのイデオロギーだったのだ」。