散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

線型成長に支配されるアベノミクス~「所得1.4倍」計画の発想

2013年06月06日 | 現代社会
今後10年間に一人当たりの名目GDPは150万円増加する、と安倍首相は「成長戦略第3弾スピーチ」において、強調した。この10年間は390万円から370万円下降しているのが急に上昇するのだという。グラフを見ればその違いは一目瞭然だ。

 「安全運転で「民主党化」する安倍政権」(池田信夫)から

見たことのあるようなグラフは、60-70年代の高度経済成長の時代を想い起こさせる。この「所得1.4倍計画」はその時代から見れば、いささか、ささやかなものではあるが、発想そのものはアナロジカルの様に思われる。

既に「所得倍増計画の“幻影”」(20121215)で批判したように、政府の役割を決めれば自然に経済が動くとの「上意下達」意識が安部首相の発想の根源にあるようだ。
 
しかし、これは逆にすべてを政府に要求する圧力団体の行動様式となり、後は既得権益と補助金を頼みにしての世界である、と論じたのだが、それも判らずに、参院選挙後に期待する向きもいるとの報道があるのには苦笑せざるを得ない。

技術・人口・資本が爆発的に伸びた時代は、貧しさからの脱却を目指して、国民的合意を形成し、経済成長の“奇跡”を起こすことが出来た。地方からの集団就職で上野駅が賑わい、大学生も企業を選択できた。大企業労組は春闘で一律要求もできた。

今は、若者は就職難だが、定年延長が着実に実行され、加えて年金の負担に世代間格差が著しく顕れる。電機業界のリストラと自動車業界のボーナス増に示されるように、企業、業種によって損益が相反し、中国で生産するユニクロの株価が突出する。

豊かさの中で、人口減超高齢化社会へ向かい、また、発展途上国の追い上げの中、「国際競争の激化で競争力を失った製品を安価で輸出し、高騰により高価で資源を輸入する」(齋藤教授)ことで、名目GDPが下がるときに、同じ線型成長の経済・社会観に今の首相が縋っているのは、全くおかしい。

期待に期待したアベノミクスの底に潜む哲学が薄っぺらなことが安部首相自身のスピーチのよって、明らかになったのは皮肉だが、それに呼応するように株式市場の反応が見事だ。勿論、これは皮肉である。

株式市場への参加者の意識は安倍首相の単なる裏返しであろう。株価の乱高下は、参加者の心理の不安定さを示しており、主体性をなくし、状況へ追随していく行動しか取れないことを意味している。

即ち、価値基準が100%、時価によって顕される世界が構成されているのだ。その間にも、日銀から資金注入が行われ、債権市場も方向性を失っている。結局、その資金は国民が背負うことになる。少なくとも、異次元緩和だけは、止めるべきだろう。

      


コメント
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