昔の永大サッカー部の仲間が、山口に集まった

2015-10-22 17:08:33 | コメント
今年は、山口県がネンリンピック(全国から60歳以上の県代表が集まるスポーツの大会)の会場である。
そのネンリンピックに参加する、宮城県の同期である鈴木と静岡県の4歳下の権代の2人から声掛けから始まった。
私の現役時代の永大(永大産業)サッカー部は、山口県が本拠地であった。
そこで、立ち上がって、連絡、宿泊、宴会の世話になったのが、地元に残っている同期の小崎がまとめ役となって動いてくれた。
そのネンリンピックが、10月19日(月)に終わることから、19日夜に、元徳山市(現山口県周南市)のホテルに集合した。
他に、静岡の竹下さん。
福岡の橋本さん。
広島の井上耕。
そして、山口県内は、平生から渡辺。
山口市の大多和(現原田)。
地元徳山の井上伸が仕事を終えて集まった。
総勢10人での会が始まった。

乾杯を何度もしながら、勢ぞろいしたところで、1人1人の現在の近況報告から、昔の思い出ばなしに、子供の話など、いろいろ語り尽くせないほどに話が続いた。
私は、岐阜に帰って、高校、中学を教えたりしながら、ほとんど小学生を指導していました、15年たって、やっと「VAMOS」というクラブチームを作りました。
そして、創立3年目に、クラブ全国大会では、横浜マリノスに勝利して、決勝に進み、ジェフ市原に勝って、優勝しました。
でも、その時には、多くの人からの評価は薄かったと思います。
特に岐阜県の人は、冷ややかでした。
そして、その2年後に、またクラブ全国大会に出場して、またしても、準決勝に横浜マリノスに勝ち、決勝に進みましたが、清水エスパルスに負けて、準優勝でした。
だけど、VAMOSの評価は、それから上がりました。
全国区になりました。
それからは、雑誌に載ったり、テレビの取材や、インタビューを受けたりしたこともあります。
選抜大会のメニコンカップの西軍監督もやりました。
と話をしてまだ話の途中であったが、そんな話から、みんなショウジの笑顔についてくるんだろうなぁという話がどんどん広がり、もっと自慢したかったところでしたが、ある程度の時間となり、次に続くことになりました。

また、次に集まる機会がいつになるか分かりませんが、楽しみにしています。

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