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Meister von Grünfelder

日々の出来事を綴ります。たまにまともなことも書くかも知れません。

新聞を読む習慣、読まない習慣

2007-03-07 01:42:13 | Gesellschaft
 新聞を読むという習慣を持つ人が、急激に減る傾向にあるそうだ
 リンク先では「新聞の危機」と書いていた。

 僕も昔は新聞を読んでいた。
 世の中の動きというものを知る手段が、新聞とTVに限られていた頃のことである。

 ところが現在は、ニュースというものは必ずしも新聞やTVに頼らずとも手に入るようになった。インターネットの普及だ。
 今はもう、ブロードバンドという言葉が死語になってしまうくらい、ブロードバンドによるインターネットへのアクセスが一般的となった。ニュースを表示するのに掛かる時間は、長くてもせいぜいが1~2秒。そして僕のように文字を読むのに時間が掛からない人間にとっては、インターネットでニュースを見る方が大変便利なのである。

 またネットでは新聞と同様の情報を見られるばかりではなく、新聞が意図して取り上げないようなニュースも手に入るようになった。
 新聞購読者が減っていることの最大の理由は、実のところこの点なのではないだろうか。実際僕も、今ではもう新聞を信用していない。
 これまでは、新聞やTVに載せられたニュースというものは、その時点で「事実」となっていた。仮にそれが嘘であっても、一般人は別の情報源からそれを確かめる手段を持っていなかった。それが今では、ときには一般人が情報の1次ソースにアクセスすることすら決して難しくない。そうすると、マスコミというものが作り出した虚構の世界と、自分のいる世界とのギャップに気付いてしまう。

 個人的にマスコミを信じられなくなったのは、記者というものの取材能力の無さを目の当たりにした経験によるものもある。
 「この件は~~です」と発表した者に対し、「~~という言葉の意味を教えて下さい」と臆面もなく問う記者、「~~というのは本当なんですか?」とバカな質問をする記者、「~~は○×という書き方でよろしいですか?」と問う記者を、僕はこの目で見た。自分で何かを調べようともせず、情報源が発した内容だけで記事を構成しようと必死になる人たち。これは、取材ではなくただの聞き取りであろう。
 そして同様に、目も当てられないほど質の低下した最近の社説と、相変わらずの匿名記事。「○×新聞社」という肩書きに守られ、好き勝手なことを書いて、それに誤謬があろうとも誰も責任を取らない。仮に謝罪記事を載せるとしても、誰の目にも留まらないような小さな枠。
 こんなメディアが、今まで信用されてきたというのが不思議なくらいだ。

 新聞を1時間読むなら、ニュースサイトを20分巡回した方が手に入る情報が多い。TVを1時間観る時間なら、ニュースサイト10分以下で充分だし、どこの誰とも知れないコメンテータの的外れな発言を聞かずに済む。

 さて、新聞やTVが国民から大きな信頼を寄せられている、というのは事実だろうか。米国では既に、既存のマスコミに対する信頼はネットへの信頼に敗北している。
 新聞に対する信頼の大きさを、「軍隊」「労働組合」「警察」「国連」「行政」「大企業」「国会」「宗教団体」と比較していることが滑稽だとは思わないのだろうか?

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