離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

話を聞いてほしいけど

2019-03-26 00:00:01 | 日記
もしかすると、

あなたは、カウンセラーとは無縁な生活だったかもしれません。

精神科と、心療内科の違いも知らなかったかもしれません。

このあたりについては、過去にも書いていますから

今回は触れません。

私自身も離婚ということになるまで

全く知りませんでした。

苦しくて、寂しくて、孤独ななかで、

誰にも相談できないし、自分の胸の中に固まった想いを

吐き出すこともできない。

表情や感情だけではなく、

身体の中もセメントで固まってしまったかのように、

得体のしれない不安に、押しつぶされそうになったときに、

友人や職場の人も助けてはくれました。

でも24時間一緒にいてくれるわけでもないし、

毎日話を聞いてくれるわけでもない。

代わる代わる友人に話しても、相手のことも思えば、

連日というわけにもいかない。

カウンセラーに話を聞いてもらおうと

ネットで調べても、わけもわからず、

心療内科に所属のカウンセラーに話を聞いてもらおうにも

予約できるのは、定時くらいまでで、

それも1週間や2週間先まで空いていないのはしばしばのこと。

サラリーマンが行けるなんて、夜20時すぎになるのに、

そんなところはどこにもない。

それも一番欲している土日は病院は、休みが多い。

ネットを探せば、スピリチュアルカウンセラーやら、セラピストがたくさんいて、

タロット占い師までいる。なかには素晴らしい聞き手もいるだろうし、

公的な資格が必要かどうかと言われれば、どちらでも良いとは思う。

結局、カウンセラーやら、セラピストの資質が大切なのだから、

試験や知識だけではどうにもならない。

ただ知識は最低限必要だし、スキルも必要で、

傾聴を本やセミナーでちょっと勉強するくらいでは、あやうい。

世の中には、そんな素人セラピストやカウンセラーがあふれている。

自分が苦しんできたから、話を聞いてあげたいとか、助けたいとか。

でもその本人が克服していないことに気づけていない。

そうなると、クライエントの依存を引き起こしやすい。

そういう意味で、信頼できるカウンセラーは、今現在も、なかなかいないし、見つからない。

心の内を、吐き出すだけでも助かるときがある。

自分だけの苦しい想い、恨み、怒り、悲しみ、寂しさ、それらどんな感情も

あってよいし、否定しなくていいし、みんなそうなのだと気づいてほしい。

24時間いつでも吐き出せる場所、それがこのコメント欄。

どんな感情もOKなのだと、安心な場所にするために、

相互コメントは控えていただくようにしました。

そして、私自身も回答はしません。

回答すれば、それが正解かのようになるし、

自分自身の内で解決していけず、質問するという他人任せの

依存に変化していくのが多いから。

そもそも、

深い状況や背景を知らずに安易なことを言うほど

グリーフの問題は簡単ではないから。

深夜、土日、独りで苦しくなったら、ここに書いてくれていいのです。

コメントはしません。でも毎日私は読んでいます。

あなたの苦しみの深さを聴いています。

そして、きっとあなた自身の内に答えが見つかると信じています。




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人生の短さ

2019-03-22 00:00:01 | 日記
先日、かつて仕事でご一緒したこともある方が

亡くなりました。

末期の病いが見つかって1年ほどでしょうか。

また定年まではだいぶあるご年齢。

私自身もその方の年齢まで10年はありません。

毎年、毎年、健康診断を受けていて

いつどこでそんな状況になるかもしれません。

自分の親にしても、身近な人にしても、

40歳前半で亡くなった格闘家もいましたし、

歌舞伎界でも30代の女性の悲しい出来事がありました。

最近では、アスリートの闘病の話もありました。

ほんとうに、人生は短く、どんなことが起きても不思議はないのだと痛感します。

そして、誰の身にも、突然の出来事が起こると。

それは努力していても、真面目にしていても、

格闘家のように身体を鍛えようが、

アスリートのように、健全な生活や食事をしていても

自分の力ではどうにもならないことが起こるのが人生だと。

末期の病気から生還された方には、それまでと全く違う人間かのように

日々を丁寧に生きるようになる方もいます。

以前も書いていますが、

私自身が離婚を経験して、生き方や人生というもの自体への見方に

変化があったのも、いや、変化したのも、

命があって、まだ生きるチャンスがあるなかで、

それまでは考えられないような大きな変化になったのです。

明日、生きれるかわからないような状況の中ではなく、

まだいくらでもチャンスも挑戦もできるし、楽しめる可能性のある出来事によって

変化の機会が与えられたと考えるようにしました。

もちろん、直後は絶望し、もがき、苦しんできたことは

長々と書いてきたとおりですから、きれいごとではありません。

地獄のような苦しみを経て、

第2の人生を歩もうと決めた瞬間があったのです。

短すぎる周囲の人生を見て、やはり今しかないのだと思い出します。

今から10、20年と人生が続くなら、ただただそれは偶然に過ぎず、

けして必然的に保証されたものではないのだと、心に刻むのです。

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わずかな気づきをつかまえる

2019-03-17 00:00:01 | 日記
苦しみのなかで

日々生活していると、

波のように襲ってくる色々な感情に

おぼれそうになるくらいに振り回される。

寝起きの絶望的な感情

日中の仕事中に突然襲われる不安や、悲しみ

夜、暗い部屋に帰宅した瞬間の落ち込み

想い出の場所や物事でのフラッシュバック

ほんとうに、一日のなかでさえ、感情は上下して

疲れ切っているのではないでしょうか。

そんななかで、ちょっとした変化に気づけることは少なく、

いや正直難しい。

でも、少しずつで良いから、日常のちょっとした変化に気づきたい。

今日は少しだけ身体が楽だとか、

食欲が少し増えた気がするとか、

ほんの少しの時間だけは、悲しみを忘れた時間があったとか、

とにかく、些細なことで良いので、

書き出してみる。

思い出しても、すぐに忘れてしまうので。

大したことでなくても、できるだけちょっとした変化や気づきを

ノートに書いていってみる。

その積み重ねが、大きな変化になっていることに

ずっと、ずっと後になって気づける。

少しずつの積み重ねがやがて大きくなる。

今日、ひとつでも何かに気づけたらそれでいい。

もし気づきも変化もなくても、そのことに気づいたことが気づき。

苦しいなかで、その変化はほんとうに小さく、わずかなもの。

大きな変化などそうはなくて、

1年、2年と小さな変化が積み重なって、

あるとき、変化したことに気づける。

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私の変化点

2019-03-12 00:00:01 | 日記
いつもお話していますが、

私は、根っからの理系、博士となり、企業の研究者になり、

将来の野望?もありました。

でも、離婚を機にして、全てが変化しました。

これも書いてはいますが、

哲学も心理学も好きでしたが、

まさかこんな形で関わるとは思わず。

自分自身が心療内科に通い、安定剤を飲み、

自分自身の人生の価値観を喪失して初めて、

その新しい道に踏み入れました。

だからといって、状況や不安定さに流されたのではなく、

本来の自分のいるべき場所がわかったのです。

だからこそ、仕事を続けながらも、心理学の大学を卒業し、

公的な資格も取りました。

私自身の人生の軸を明確にして、

人生のミッションを歩むことに決めたのです。

理系で、研究を仕事に選んだくらいですから、

探求心もあり、未知なることに対する疑問や解決への情熱も多いのですが、

対象は、物質や物から、人間へ、そして心へ、人生へと変化しただけなのです。

そもそも未知な自分が歩む人生、そして心へと探求心が変化したのです。

結婚とは何か、離婚とは何か、

生きるとは何か、信じるとは、、、

そもそも相手を愛するとか憎むとか

人間の感情、そしてその変化とはどうして起こるのだろうか、

世間とは常識とは、

そして、離婚で相手の変化を見てきたように、

どうして人はここまで大きく変化するのか

一度はパートナーとなった人をどん底まで落とすような仕打ちができるのか

その人間の心理とはなぜなのか?

まさに、自分が当時疑問に思ったことへの問いを探すための

ある意味で旅へ歩みを進めただけのこと。

過去の偉人たちのその問への答えは何なのか

そして、人は逆境からいかに立ち直り、乗り越えることができるのか

変化できるのか、その答えも探しているのです。

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余計なおせっかい

2019-03-09 00:00:01 | 日記
離婚してしんどいことのひとつに

周囲からの言葉や態度で二度、三度と傷つくことがある。

離婚を経験したことのない人は

どう接してよいのかわからず、

とにかく自分の経験から支援しようとするかもしれない。

芸能人の三面記事と同じように興味本位で

いろいろ聞いてくるかもしれない。

芸能人の結婚の話題ならまだしも、

離婚やら不倫の話題がこれだけテレビや雑誌に取り上げら得るのは、

多くの人が他人の不幸やらに興味があるからだろう。

心理学的には、他人のふり見て、自分が少しでも幸せと思うのだろうし、

まだマシな方だと感じるのかもしれない。

少なくとも、本気で悲しんだり、心配している人は少ないのではないか。

逆に、離婚を経験した人は自分の経験からアドバイスする。

なぜなら、経験していない人よりも、苦しみや悲しみは理解できるだろうし、

助けたいと思うのも正直なところだろう。

だが、あなたの経験と、その人の経験は違うし、たいていは素人考えが多い。

そもそも、そのアドバイスしてくれる人がちゃんと立ち直れているかも怪しい。

要するに単なるおせっかいになってしまう。

もちろん真摯に助けになることも否定はしない。

だから、私の言うことも必ずしも正しいとは思わないし、そんなはずもない。

少しだけ専門的な知識があるにすぎず、心理学者や精神科医ですら、

すべてが正しいわけでもなく、いろいろな意見があるのだし。

私ができるのは、ただいろいろな視点を提供するだけで、

そこから本来のあなたの内にある力で、自分自身を再構築していくしかない。

ただ、なぜ苦しみのなかで宗教が救いになるのかというと、

教祖やらが、上から指示を与えてくれる。

神の名のもとかもしれないが、思考を奪われてしまう。

こうすればいい、こうしていれば楽になる。救われると。

宗教を否定はしない。ただ自分の思考を停止してはいけない。

苦しみのなかで、多くの人が盲目的になりやすい。

考えることも疲れ、悩むことにも嫌気がさし、どうにか救いがないかと探しているのだから

与えられた思想や物事につかまりやすい。

だが、やはりあなた自身でしか、あなたを救うことはできない。

環境も状況も事実も元の状態にはならないことは知ってはいても

どうにも動けない。きっと多くの人がそういう状況で苦しんでいる。

大切な人と出会った当初に戻ることもできないのも知っている。

それでも、

人生を再構築し、再ストーリーを作り、

新しい価値や視点を身に着け、どう生きていくかを試行錯誤しながら、

挑戦し、停滞しながら、見つけていくしかない。

周囲の言葉を無視するのではなく、知識としては、視点としては受け入れながらも、

あなたの内なる導き、感覚を大切にしてほしい。
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生活費が足りない

2019-03-06 00:00:01 | 日記
離婚して、現実的に困るのがお金である。

しんどいのは、心や身体だけじゃない。

普通に生活していて、ゆとりがある人の方が少ないだろう。

結婚していて、子供がいたり、家のローンや車のローン

二人の収入で何とかなるようなぎりぎりだった人も多いはず。

そして、ある日突然に、離婚となれば、

慰謝料こそなくても、

婚姻費用やら、調停のための弁護士費用、引っ越し、、、

仕事をお休みせざるを得ない人もいるだろう。

養育費もある。

女性なら、結婚を機に仕事から遠ざかっている人もいるでしょう。

そもそも収入源すらなくて、探さないといけない人だって多い。

住んでいた家すら手放すしかない人も、

そのままローンがある人も。

苦しみと悲しみで身体も心もボロボロなのに、

お金がないという苦しみまで押し寄せる。

経験してない人にはわからないだろう。

他人や周囲にお金がない、足りないなどと言うのもしんどい。

あなたがシングルで子育てする側なら、

途方にくれるような状況もあるだろう。

「お金がない、足りない」

日本ではそんなことを他人に言うなんて・・・という風潮があるが、

現実的な問題なのだ。しょうがない。

それは恥ずかしいことではないし、隠すようなことでもない。

誰だって、備えていても、突然の状況変化があれば、

誰だってそうなる。

災害で家を失うのだって、離婚だって、どうにもならないのは同じではないか。

しょうがないではないか、現実的にしんどいのだから。

離婚して、苦しんでこのブログを読んでいる人なら

多くの人が共感してくれるだろう。

そうだねよね、しんどいよね。  と。



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心を止める

2019-03-02 00:00:01 | 日記
苦しみのなかで、

心を凍結する

そんなときがある。

離婚して、役所の手続き、調停、職場での手続き、

親戚づきあい、友人との関係、引っ越し、、、、

何をするにしても、

「離婚して・・・」と前置きが必要になる。

ただでさえ苦しいのに、2重に苦しい。

相手の動揺しないように、反応しないようにしている表情が

余計に苦しく、そして面倒に感じる。

くだらない質問をしてきたり、

興味本位や、余計なアドバイスをしてくる人もいる。

だから、心を凍結した。

感情を消した。

いちいち、目の前のことに心を動かされていたら

一日として身がもたないからだ。

当然のように、笑顔は消え、泣くことすらできない。

悲しみは心の底に確かにあるが、

その悲しみすら凍結してしまう。せざるを得ない。

もし、あなたがそんな状況なら、

けしておかしなことではない。

それがあなたの心を守る手段であり、方法だから。

そんな時期が1年、2年とあってしょうがない。

そんな状況になったことのない人には到底わからない苦しみのなかで、

どうにかして自分を保ち、なんとか生活するための最低限の心の凍結。

だからといって、凍結はいずれは解ける。

心は強くなり、状況も変化し、雪解けする時期がある。

今、あなたがどんな状況でも、

少なくとも医学的に病気でないなら、

それだけの苦しみから身心ともに守っていくのに必要なことかもしれない。

だから今の自分を否定しないでほしい。

今の状況を否定しないでほしい。

それはそうせざるを得ないからなのだから。

そして焦らずに雪解けを待とう。



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