離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

あるものを見る

2021-09-27 17:31:32 | 日記
無いものを見ずに、持っているものを見るべきだ

とは、よくいわれる言葉だが、

いつまでたっても、

自分にないものを見てしまう、探してしまうものかもしれない。

できるできないはともかくとして、

私自身も、そうできたらいいと思う。

離婚したときには、

結婚していたときと比較して、絶望的な気持ちであったが、

長い年月を経て、けしてそうでもないのだと感じる。

結婚していてはできないこともたくさんやってきたし、

離婚したことで気づけたこともあった。

そもそも、結婚、離婚という概念自体が、人が作り出したもので、

自然界の動物たちにそんな概念などない。

では、その人が作り出したもので、人生の全部を苦しむとは

どういうことだろうかとも考えざるを得ない。

孤独でいたほうが良いというのではないし、

結婚が良い悪いというのでもない。

パートナーとの時間を共有したければ、

いつも言うように結婚だけにこだわることもない。

今の日本では、制度上の不公平はあるが、

あるものを見れば、もう少し考えも変わってくるだろうか。

いつも言うように、ネットが使えて、食事ができて、屋根があって、、、

少なくとも生活できるくらいの健康で、

と、自分にあるものを見つけていくと、相当に十分にあるのだと気づかされる。

上を見るのでもなく、下を見るのでもなく、

今の等身大の自分にあるものを見ていく。

そうすると少し心が軽やかになるように感じる。

苦しみのなかでは、ないもの、比較、差ばかりが気になる。

それもある期間は仕方ない。みんなそうだから。

でも、少し落ち着いたら、自分にあるものも見てみると

わりとマシか、、、そんな風にも思えてくるかもしれません。








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過去も一部

2021-09-22 17:18:08 | 日記
悲しみ、怒り、恨み、そんな想いのなかで

苦しんでいると、

少しでも早く、新しい日常を過ごしたい

新しいパートナーと出会いたい、

もしかすると、過去は忘れたいとか、

逆に、大切な時間として忘れたくないとか

立場や状況によって、いろいろな想いがあることでしょう。

私自身も10年以上たって思うのは、

過去の経験や事実は消えないし、

記憶が薄れたり、一時的に忘れることがあっても、

完全には記憶はなくならないし、事実も変わらないし、

今の自分の一部、ごく一部なのか、大部分なのかは人それぞれでしょうけれども、

吸収されているということ。

たとえば、新しいパートナーと出会ったとしたら、

それは、そんな過去の経験、悲しみ、苦しみを経験した人間が、

変化したかしないかは別にして、今、出会ったのだということ。

過去に結婚したときには、新しいパートナーとは出会っていないし、

出会うこともなかったかもしれません。

仕事にしても、趣味にしても、

今のすべての出来事は、過去を自分の一部として吸収した自分が

今、経験している。そんなことが言えるのではないでしょうか。

過去を否定したり、避けたりするのではなく、

それも自分の人生に吸収した自分こそが、現在であり、今を生きているのだということ。

そんなふうに考えてみると、

やはり、人生は経験こそがすべてではないかと思えてきます。

そして今の自分の経験、行動も、未来の自分から見たらそう見えるのではないかと。

どんな経験も過去は自分の一部なのだ、どうにもならないと、

ネガティブにとらえるよりも、

経験の一部なのだととらえた方が、少なくとも生きるためには

役に立ちそうな気がします。

使い古された言葉ですが、

経験に意味を与えるのは、結局自分自身であり、

今の自分なのだと思えるのです。

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言葉を聞けばわかる

2021-09-18 12:34:16 | 日記
日々、いろいろな方と会話していて、

ものの考え方、とらえ方、

状況への対処など、あらゆる場面で、

その方の言葉を聴いていると、わかってくることがあります。

これまで、どれだけの経験をしてきたのかということ。

もちろん、完璧ではないですから、

意外なことを知ることもありますが。

かつて、企業の研究者として新人だったころの上司から、

言われたことがあり、記憶に残っています。

仕事をしていると、

もう絶体絶命、ほんとうに絶望的、

万策尽きた

そんなことも経験しているかもしれません。

そんなときにリーダーの役割は大きい。

そんな困難にどう対応できるか。

当時の上司が言いました。

そのへんのヤツラとは、切り抜けてきた修羅場が違うと。

リーダーが自分の保身に走ったら、チームはつぶれるとも。

要するに経験値なんですね。

人生でしんどいこと、つらいことなんて、

いくらでもあるわけですよね。

離婚もそのひとつで、かつ最強クラスかもしれませんが、

それ以外でもいくらでもしんどいことはあるはずです。

とはいえ、

以前も書いてますが、余命宣告でもないし、

身体が不自由になったわけでもない、

もちろん、メンタルもひどいし、身体もしんどい、

お金もなくなるし、生活もボロボロ、

それでも、生きていることはたしか。

だから、この離婚は人生で学ぶことのできる

最強、最大の経験値のひとつです。

私はそう思っています。

恨みや怒り、憎しみだけを感じることもできるし、

悲しみ、絶望で自分を埋め尽くすこともできる。

だけれども、いつもお伝えしているように、

自分の人生価値観を見直して、新しい軸を作って、

今までは、考えなかったような時間を過ごすことも可能です。

それを体得したとき、

これまで見えなかった生き方が見えてくるのではないかと思うのです。
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不安の扱い

2021-09-11 08:55:08 | 日記
離婚の辛さのなかで、

さまざまな苦しみと並んで、

不安のなかで毎日を過ごしているかもしれない。

不安の扱い方については、

これまでもたくさんの考え方が言われている。

不安のほとんどは実現しないだとかよく言われるが、

私から言わせれば、不安なものは不安だから仕方ないというしかない。

100個の不安のうち1個でも実現するかもしれないのだから。

とはいえ、不安だ、不安だと言って、何も行動できない、判断できないことや、

日常生活にまで影響するようでは、それも行き過ぎかもしれない。

お気づきのとおり、心身ともに元気で、幸せだったら、

その不安の扱いもそう難しくはないかもしれない。

一方で、心が弱り、身体も不調だったり、

今のように世の中全体が不安のなかにあったり、

災害があると、その不安も大きくなるだろう。

私も不安が生じることは今でもよくある。

生きていれば、不安のない人がいるのだろうか。

もしいるとすれば、見ようとしないか、

ほんとうにわずかな人ではないか。

そんなとき、不安を避けたり、どうにかしようとしない。

不安に何か理由があるなら、それをちゃんと見ようとする。

理由が明確になると、そりゃあ、仕方ないね、となる。

誰だって不安に感じるだろうと思えてくる。

得体のしれない不安なら、それはそれで、不安になっている自分を認めてあげる。

理由は明確ではないけれども、なんとなく不安なんだな、と。

不安で早く目覚めてしまったら、

そうか、不安なんだな、何か不安を感じてストレスがあるんだな。

不安で、お酒を飲みたくなったら、不安をなんとかしたいんだな。

そんな感じで、不安を感じている自分にやさしくしてあげる。

どうにかしようとか、前向きじゃないととか、無理やりなにかしようとしない。

そのうえで、今できることをしようとか、

少し散歩しようとか、ちょっとだけできることをする。

なにも手につかないなら、それならそれで仕方ないとあきらめる。

不安に寄り添うようにしてあげるほうがいい。

不安を感じることは、なくならないし、

別におかしいことでもない。

どうにか無理やり解消すべきことでもない。

もし、手が打てて、解消できるなら、不安が続くこともないのだから。

不安を感じている自分を、もう一人の自分が外側からまるで

他人のことのように見ているような、そんな感じで

あー、不安に感じているんだなと、ゆっくり、やさしく眺めてあげる。

そんな感じのほうがよい気がする。





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時間はない

2021-09-01 16:13:53 | 日記
まだ20代の若者と接していると、

そうか、自分はその倍も生きてきたのかと唖然とする。

あの頃は、何を考えて目指していたのかとも。

定年の先輩と話すと、自分には、もう少し働く時間があるのだと感じる。

年老いた親と話すと、親の一か月と、自分の一か月の感覚は

大きく違うのだと思う。

何よりも、この自粛続きの2年という日々で

それぞれの立場で、

貴重な時間を浪費していることは残念でしかない。

だが、こんな自粛と命の不安の長い年月が、自分の人生にあるなんて

だれも思わなかったにちがいない。

将来へ向けて、努力したり、今を我慢することは大切かもしれない。

いつか最高のスタイルを手に入れるべく、

日々ダイエットしたり、トレーニングするのも必要だろう。

老後に向けて貯蓄も必要だろうし、そのために節制するのも必要だろう。

コツコツと資格試験の勉強をしたり、

会社での出世を目指して、日々残業して、プライベートを犠牲にして、

苦悩することもあるかもしれない。

でも、ふと思うのです。

いつも言うように、確実なものは今しかない。

もちろん、過去の積み重ねが今であり、今の積み重ねが未来なのだが、

そのために、今を犠牲にしすぎることはどうだろうかと。

私自身、20代の最後に思い描いた30代ではなかった。

それでも、先に書いているように、無駄にしたという思いはない。

当時できることを最大限やったと思える。

それは理想的だったとか、うまくいったということと同義ではないことはもちろん。

そして、今、あらためて思うことは、

今の瞬間を全力で取り組み、生ききることで、未来の後悔を少しでも減らせるだろうと。

パラリンピックの選手のがんばりを見ていると、

オリンピック以上に心に響く。

ある選手が言っていた。

「できない理由は無限に出てくる」と。

わかってはいるが、パラの選手の言葉は重く響く。

パラリンピックのトライアスロンを見ていて思いました。

障害がなくても、とてつもなく厳しい競技なのに、

どこからその力が生まれるのかと。

そして、自分に問うのです。

自分は今、何かに対して、

「できない理由を探していないか、
それで自分で自分を納得させてないか。」

「何かの理由を他人に見せて、示して、あわよくば、他人からも
無理だよね、しょうがないようねと言ってほしいとばかりに、
そんな言動、行動をしていないか。」

「自分を説得して、
今、やらないことにしてはいないかと。」

人生は短い。

何もしなくても、過ぎていく。

だったら、やりきった方がいいし、できるだけ楽しんだ方がいい。

最近、そんなことを日々考えています。

今日も苦しんで悩んでいるあなたにとって、

心が少しでも救われる時間があることを願っています。












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