離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

淡々と過ごす

2019-04-28 00:00:01 | 日記
この連休で、

テレビでも街でも、ワイワイ、ガヤガヤ。

家族やカップルで出かける特集。

街や駅に行けば、旅行かばんをもつ人たちの群れ。

そんな景色を見ると、心が締め付けられて、

動悸がしてきたり、涙が出てくるかもしれない。

そんな空間に耐えられないとき、

私は食材を買い、酒を買い、DVDを借り

家から出ないで過ごしたことを思い出す。

窓の人の気配も嫌で、カーテンも閉めっぱなしで。

あとは以前も書いたが、スポーツジム。

ジムはそもそも家族でワイワイ来るようなところではないし、

トレーニング中はひとりなのだから、

孤独を感じなくていい。

それに休暇中に熱心にジムに来るような人は

家族がいようが、恋人がいようが、自分の時間を大切にして

比較的、自立している人が多いようにも思う。

何をしてもむなしいし、せつないし、悲しみは消えないかもしれないが、

何もしないと決めるのも手かもしれない。

とにかく、淡々そ過ごす。いつもと同じように過ごす。

周囲の雰囲気からは離れて、自分なりの生活をするだけ。

もちろん、せっかくだから、一人旅をしてもいいし、

趣味を広げてもいい。だがそれができないからといって、

悩む必要もないし、無理に何かをすることもない。

いつもどおり、それが一番の過ごし方ではないだろうか。


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良い悪い

2019-04-24 00:00:01 | 日記
世間では、

これが普通

これが常識

こうしたら良いし、ああしたら悪い

正しい考えや行動はこうであるべきで、

正しくないから修正すべきだ、反省すべきだ

男性は、女性は、

夫は、妻は、、、

結婚するなら、結納して、式を挙げて、

子供が生まれたら、〇〇して。。。

実家に挨拶に行くのは、男側から、、、

もう限りないくらいに、良いか悪いか、常識か非常識か

そんなことでトラブルが絶えない。

江戸時代や明治時代にさかのぼらなくても、

戦前戦後だけみても、習慣は異なる。

今だって、国が変われば常識が変わる。

では、あなたの周囲や、あなた自身が思う常識や良い悪いの判断は

何なのか?

今、人を殺してはいけないのは常識だが、

江戸時代の武士は、切り捨て御免の世界である。

武士の切腹だって、当然の正しい行為とされた時代があったわけです。

特攻隊のような、今から考えれば、どうして誰も止めれなかったのかと

思うようなことが、国全体で行われた。

世界史を見ても、そんな史実はたくさんあるわけです。

では、今の常識って、今だけです。

ヘタをすると日本だけです。

でも普遍的な人間が生まれて死ぬということだけはずっと変わりません。

そして、それぞれの時代に、それぞれが自分の人生を生きたことは変わりません。

もう一度よく考えてみたいと思うのです。

私も含めて、自分のもつ価値観てなんだろうかと。









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一度、世間から離れる

2019-04-21 00:00:01 | 日記
先日、テレビを見ていて、

幸せホームレス に密着10日間 というようなNHK番組があった。

ある元芸人のたまご?が、

師匠からも離れ、芸人もやめ、

ホームレスとして全国どころか、世界を転々としている。

だが、悲壮感はない。

ゆく先々で、食事や宿をごちそうしてもらい、

SNSを駆使して、多くの人が、自ら「おごり」を申し出る。

生い立ちを聴けば、小さいときに両親が離婚したり、

定住できる自分の家、家庭という感覚がなかったりと

苦労してきている。

だから、別に今のホームレス生活も普通なのだとか。

スマホも、通信費も、誰かのおごりだというからびっくりする。

どうやっても生きていけるということを体現している。

もちろん、恵まれた状況なだけかもしれないし、視点はいろいろあるが、

世間から離れて生きるためには、これくらいのことでないとできない。

普通に仕事して、普通に屋根のある家を借りているようでは、

収入も必要だし、交際費もいるし、趣味のお金も必要だろう。

だから、世間に縛られる。

肯定はしないが、離婚はその一つの事件である。

少なくとも、結婚することが普通だと考えている日本の30%くらいの世間からは

外れるのだ。

そして何より、結婚していたあなたにとっての常識から外れるのだ。

別にホームレスになる必要もないし、

うれしくはないし、苦しみは続くし、悲しみは深い、

だが、この機に何かをつかんで、脱ぎ捨てて、変化する力とできるかどうか、

誰でも、何年も苦しんできて、それからであるから、焦ることはない、

苦しみ、苦しみ、耐えて、耐えて、もうどうにもならない、もうどうしようもない、

一歩も動けない、歩けない、そんなときに、絶望の淵で、何かがはじける。

生きたいように歩もうと。

半ば、投げやりな状況で、世間などどうでもいい、常識などかまうものか、

人生は自由に生きることができると気づくことができる。

先日、ハリウッド俳優が酔っ払って、日本人女性と4度目の結婚をして、

酔いが覚めてから、4日後に離婚した。

別格の行動とは思うが、それでも何がどうでもない、その人の生き方であり、人生であり、

誰が否定することも批難することもできない。

要するに、気づいている人は、すでにこの世界でも自由に生きている。

多くの人が何かに縛られて生きているなかで、

自由に生きている人もいる。

あなたに無理やり押し付けるつもりはないし、

それこそ自由に生きればよいのだが、

自分の人生の常識を180度ひっくり返してみても、これも自由なのだと

ちょっとだけ考えてみてほしいと思っている。

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このプロセスで何をしたか

2019-04-18 00:00:01 | 日記
「生きることは苦である」

これはお釈迦様の言葉の有名なものだが、

人は生まれてから、死へ向かう時間のなかを生きている。

そしてその死はいつかわからないのである。

生後まもない子もあれば、100歳まで生きる人もいる。

そして、その生涯を健康で何事もなく生きれるかどうかも、

どんな人と出会い、どんな人生となるかはわからない。

どれだけ健康的な生活をして、運動をしていても

病気になるときはなる。

どれだけ真面目に働いても、生きていても、

いきなり会社が倒産することもあるし、

災害や、事故に巻き込まれることもある。

私たちは、国内だけでも、

最近の震災や、洪水、有名人の闘病など

世界では、テロ被害や難民たちのこと、

いろいろな情報に触れていながら、

まるで他人ごとのように切り離して、

何の根拠もなく、自分とその周囲だけは違うと思い込もうとしている。

だが、そこに境界も、違いもないことが明白なのに。

だから、結局のところ、今どうやって生きたか、

苦しみをどう耐えて、乗り越えたか、自分らしく生ききったか、

死を前にして、どう生きたのかしか残らない。

与えられた時間はそれぞれ違い、その自分の時間をどう使い、どう生き、何をしてきたのか、

どう使っても、どうやっても、全員の最後は同じなのだから、

自分自身がどう生きたいのか、それに尽きる。

哲学的な、言葉だけの道徳を話したいのではなく、

この離婚の苦しみを乗り越えていくためには、

真に、人生というもの、自分の生き方というもの、世の中というもの、

いつもいうような常識や慣習、そして世間について

全力で考え抜くことで、新しいものが見えてくるのではないか。

そのなかで、結婚とは、子供とは、パートナーとは、

そして何よりも、自分という人間とは 

ということを考えぬくことにつながるように思われる。

その先に、これから先、どう生きたいかが見えてくるように思う。





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今の自分の位置がスタート

2019-04-15 00:00:01 | 日記
いつも書いているように

こうであったらという人生はなく、

過去にあったことは過去の事実でしかなく、

未来はだれにもわからず、

それはお金持ちでも買えないもの。

今、苦しんでいるあなたに、

悔やむなとか、過去を顧みるなと言ってみても、

ナンセンスだろう。

人の思考というのは理屈や頭でわかっても

そううまくいくものでもない。

悲しむときに悲しむ、

苦しむときに、苦しむ

もちろん、避けたい感情かもしれないが、

その土台なくして、立ち上がれないのではないか。

もしかしたら、あなたのパートナーもそうかもしれないが、

他責人間、

相手を責め、相手に責任を押し付けて

自分が向き合うべきことからは逃げていく、

そんな人は、人生においてずっと同じである。

形を変えて繰り返すだけである。

ほんとうの意味で、自分自身を変えたいなら、

自分の人生を生きたいなら、

今、苦しんでいる時間、その時間こそが最も大切で

あなたの未来につながる時間となるのではないだろうか、

苦しみは誰でも避けたい、そんな時間は嫌である。

だが、望まなくても、苦しみの渦に巻き込まれているなら、

それを避けようにも避けられないのなら、

しっかりと土台をつくるしかないのではないか。

いつか必ず、その土台の上に、新しい自分と出会い、歩めるように。

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何がなんだかわからない

2019-04-10 00:00:01 | 日記
苦しみのなかで、

私自身が思っていたことです。

予期しない数々の状況のなかで、

眠れない、食べれない、仕事はできないし、

得体のしれない不安

身体の不調、家賃も払えなくなりそうなぎりぎりの状況

どんな情報も、言葉も、景色も

心には入ってこない

友人や同僚に話を聞いてほしくて、

いや、独りが耐えられずに

独りの家に帰るのが怖くて、

もはや自分の行動の意味も、正しいのかよくないことなのか

何もかもがわからなくなり、判断できなくなった。

それくらいの状況なのだと気づいたのは

だいぶたって、元気を取り戻した後のこと。

もしあなたがそんな状況なら、

みんなそうだったのだと伝えたい。

離婚の苦しみに耐えられるくらいの程度なら、

芸能人が言うような、円満?な離婚がほんとうなら、

それはほんとうの苦しみではない。

自分を見失うくらいのなかで、

わけもわからずになんとか一日、一日を乗り越えていく

そんな苦しみなのだ。

安易に大丈夫とか、なんとかなるとは言いたくない。

テクニックも、コツなんてものはないだろう。

それでも、あなたの少しだけ前を歩む先人たちは

乗り越えてこれた。

今のあなたの状況と同じで、毎日を必死に耐えて、なんとかやり過ごして、

時には停滞して、後ずさりし、動けない時間もあり、

その積み重ねの先に、歩みを進めた。

そして、その歩みは5年、10年してもまだ続いている。

だが、確実に変化した歩みとなる。

今日もあなたのことを応援しています。



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やるか?やるか

2019-04-07 00:00:01 | 日記
私の言葉ではありません。

「やるか?やるか。」

仕事でも、趣味でも、なんでも

どうしても二者択一になってしまいます。

「やるか、やらないか」

普通はそうなります。

失敗したり、停滞したとき、

どうするのかと。

でも、ある方が言っていたのです。

「やるか?やるか」

要するに、二者択一ではなく、一択。

この思考方法はすごいですよ。

その方も言っていましたが、

やらない理由はいくらでも考えられます。

でも、

一択なら。。。。

やるしかないなら。。。

どうやるか?に思考の方向性が変化します。

やるというポジティブな限定のなかで、

どうするのか?

何を変えるのか?

どうしたらよいのか?

すべては「やる」前提で思考が回りだすのです。

私も離婚を経験して

苦しみから抜け出したとき、

自分の人生全体を考えたとき、

どうせ死ぬほどの苦しみを越えてきて

世の中の常識とは離れたのだから、

自由に、全力で人生をやりきろうと思えた瞬間がありました。

周囲のことや、慣習や、常識などどうでもよくて、

自分が思ったように生きたいと思いました。

その瞬間に、結婚ということもどうでもいいし、

仕事すらどうでもよく、

周囲などもっとどうでもよく、

自分軸を確立していくことになりました。

どうせ人生は100年くらいです。

今の自分にはあと半分あるかどうか。

だったらやりたい放題、好きにすればいいし、

お金や健康が力尽きて、途中で死んでも

やらずに生きるより、やりきって生きたい。

やれるだけやろう、やりたいことをやろう。

そんなことに気づかずに、残業して、冷え切った家族に縛らて

常識に囚われて、ありきたりの周囲と同じように、

ただ安心感のみほしくて、

人生を生きている人たちとは

違う人生を歩んでみよう。

望んではいなかったし、未来もわからないけど、

こうなった以上は、やる!一択。

やるか?やるか。の一択。

そう思って、今があります。

あなたに強制はしません。

ただそんな考え方もあるのだとお伝えしました。







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流れに任す

2019-04-05 00:00:01 | 日記
苦しいとき、悲しいとき

絶望したとき

元気なとき

楽しいとき

幸せなとき、

そのいつでも

流れに身を任す

これは同じ

いつもお伝えしているように、

結局、自分がコントロールできることは少ない

自己啓発系や、コーチング

〇〇本では、

こうしたらいい、ああしたらいい

〇〇の成功法則

のようなことは書いてある。

私たちは、小学生のころから、努力しろ、勉強しろ

真面目に、正直に、、、と教わってきた。

でも、どうだろうか、

あなたが離婚という辛い状況になったときに、

これだけ辛い仕打ちを受けるほどの悪行をしたのだろうか?

そこまで人間的にひどいこと、悪いこと、不誠実なことをしてきたのだろうか?

そんなこととは関係なく、

そりゃ、人間だから、間違いもあるし、ミスもあるし、

失敗もあるし、反省点だってあるだろう。

だけど、これだけの苦しい状況になるようなことをしたろうか?

少なくとも、私はNOだった。

人生でするべき正しい行動をしてきたつもりだった。

でも結果は、ご存じのとおり、苦しみにもがいた。

人生は流れに任すしかない、それが私の結論だが、

押し付けるつもりも、絶対と言うつもりもない、

ただ私の結論である。

努力もするし、真面目に生きるし、誠実に生きる。

でも、その上で、やはりコントロールできないことがあり、

突然のことがあり、予期せぬことがある。

それを受け入れる。人生のルールと受け入れる。

不条理で不合理な人生のルールで、

生まれたときからのルールだと気づく。

その上で、できることはして、やれることはして

でも身を任す。

私は、これが人生の身のこなしではないかと思うのです。

あなたは、この苦しみの離婚という状況のなかで、

何に気づき、どう振舞うのか、

それはあなたの中に答えがあると思うのです。









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