私たちは多くのことについて
思い込んでいます。
いつも伝えているように
幼稚園から始まって、大学まで、
就職してから、結婚、出産、定年、、、
いろいろと思い込んでいます。
すでに定年なんて65歳になっています。
そのうち、70歳になるかもしれません。
安定、安心、ゆっくりできる老後なんて、もう過去の話で、
70歳で定年したら、10年も生きられないかもしれません。
伴侶と定年を祝えるかすらわかりません。
そうなると、定年後の楽しみとか、何か始めようとか
過去の神話レベルになってしまうでしょう。
私は入社したときに、周囲に言ってたことがあります。
サラリーマンなら、土日含めた休日は定年60歳までの日数が簡単に計算できます。
平日は遅くまで働いて、土日だけ趣味に使うなら、
ものすごく限られている。だから、平日も全力でやりたいことをしたい!と。
それだけ人生の時間は限られているのだということ。
苦しみのなかで、何もする気が起きないかもしれません。
新しいことなんて考えることすら難しいいかもしれません。
将来なんてどうでもいいと思っているかもしれません。
ただ、私は以前気づいたのですが、
苦しんでいる時間も、悲しんでいる時間も、しんどい時間も
逆に、楽しい時間も、幸せな時間も、
パートナーとの時間も、自分だけの時間も、両親との時間も
中身は違っても、人生の大切な貴重な時間であるのだと。
だから、悲しんでいる時間や、苦しんでいる時間が無駄だったり、
意味がなかったり、さっさと元気になった方が良いというものでもありません。
その上で、自分の貴重な時間をどう使うかは自分でしか選べないことも事実です。
悲しんでいる、寂しい気持ちがある、怒りが収まらない、
これは簡単には解消できないと思ったのです。
実際10年近くかかりました。
でも、10年をそれだけで過ごしてきたのではなく、
いつも書いているように、いろいろと挑戦してきました。
70歳で定年してからでは、もったいないのと同じで、
全部のことが解決したら、全快してからなんて、悠長な時間は人生にはないのだと。
楽しみも悲しみも、幸せも寂しさも、ぜんぶ同時並行でやってしまえばいいと
思ったのでした。
時々でバランスは違うでしょうが、どれかだけに偏るなんてもったいないと。
そう思ったら、悲しみや寂しさもあるなかでも、動けるようになったときには、
サラリーマンをしながら、
新しく心理の大学も卒業したり、コーチングや、カウンセリングの資格をとったり、
登山やボルダリング、雪山登山、トレランや筋トレの趣味もしてみたり、
とにかくやりたいことを全部やってきました。
不思議なことに、そんなふうにあれもこれもしていると、
自分の人生には悲しみや寂しさ以外にもたくさんのことを感じることができると思えました。
すぐに解決できないなら、保留しておこう、死ぬまで解決しなくても
まあそれはそれで仕方ないとも思えるくらいです。
どうせ、あと何年生きるかなんて誰もわからないのだから、
やりたいことやろうって思ったのでした。
ほんとうにあるかわからないような10年後、20年後、30年後なんかよりも、
今、目の前にある時間で全力を出そうって思えたのでした。
今日も一日、あなたなりの時間を過ごせることを想っています。
思い込んでいます。
いつも伝えているように
幼稚園から始まって、大学まで、
就職してから、結婚、出産、定年、、、
いろいろと思い込んでいます。
すでに定年なんて65歳になっています。
そのうち、70歳になるかもしれません。
安定、安心、ゆっくりできる老後なんて、もう過去の話で、
70歳で定年したら、10年も生きられないかもしれません。
伴侶と定年を祝えるかすらわかりません。
そうなると、定年後の楽しみとか、何か始めようとか
過去の神話レベルになってしまうでしょう。
私は入社したときに、周囲に言ってたことがあります。
サラリーマンなら、土日含めた休日は定年60歳までの日数が簡単に計算できます。
平日は遅くまで働いて、土日だけ趣味に使うなら、
ものすごく限られている。だから、平日も全力でやりたいことをしたい!と。
それだけ人生の時間は限られているのだということ。
苦しみのなかで、何もする気が起きないかもしれません。
新しいことなんて考えることすら難しいいかもしれません。
将来なんてどうでもいいと思っているかもしれません。
ただ、私は以前気づいたのですが、
苦しんでいる時間も、悲しんでいる時間も、しんどい時間も
逆に、楽しい時間も、幸せな時間も、
パートナーとの時間も、自分だけの時間も、両親との時間も
中身は違っても、人生の大切な貴重な時間であるのだと。
だから、悲しんでいる時間や、苦しんでいる時間が無駄だったり、
意味がなかったり、さっさと元気になった方が良いというものでもありません。
その上で、自分の貴重な時間をどう使うかは自分でしか選べないことも事実です。
悲しんでいる、寂しい気持ちがある、怒りが収まらない、
これは簡単には解消できないと思ったのです。
実際10年近くかかりました。
でも、10年をそれだけで過ごしてきたのではなく、
いつも書いているように、いろいろと挑戦してきました。
70歳で定年してからでは、もったいないのと同じで、
全部のことが解決したら、全快してからなんて、悠長な時間は人生にはないのだと。
楽しみも悲しみも、幸せも寂しさも、ぜんぶ同時並行でやってしまえばいいと
思ったのでした。
時々でバランスは違うでしょうが、どれかだけに偏るなんてもったいないと。
そう思ったら、悲しみや寂しさもあるなかでも、動けるようになったときには、
サラリーマンをしながら、
新しく心理の大学も卒業したり、コーチングや、カウンセリングの資格をとったり、
登山やボルダリング、雪山登山、トレランや筋トレの趣味もしてみたり、
とにかくやりたいことを全部やってきました。
不思議なことに、そんなふうにあれもこれもしていると、
自分の人生には悲しみや寂しさ以外にもたくさんのことを感じることができると思えました。
すぐに解決できないなら、保留しておこう、死ぬまで解決しなくても
まあそれはそれで仕方ないとも思えるくらいです。
どうせ、あと何年生きるかなんて誰もわからないのだから、
やりたいことやろうって思ったのでした。
ほんとうにあるかわからないような10年後、20年後、30年後なんかよりも、
今、目の前にある時間で全力を出そうって思えたのでした。
今日も一日、あなたなりの時間を過ごせることを想っています。