離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

周囲を見渡す

2018-06-27 00:00:01 | 日記
人は生活している以上、どこかの集団に属しています。

それがご近所の集会であったり、

職場であったり、友人の仲間であったり、

自分は独りだと思っても、

無条件に、住んでいる地域、マンション、アパートに属しています。

もちろん、これまでも小学校、中学校・・・と集団にいました。

そして、望まなくても、その集団の環境や価値観に染まっています。

先日、月曜の休暇をとって出かけました。

するとどうでしょう。

出先で、どう見ても学生ではない人たちがたくさんいるのですよね。

もちろん、平日休みの方もいるでしょうが、

土日休みの方もたくさんいたはずです。

でも、みんな混雑した土日ではなく、

ゆったりと平日にくつろいでいるわけです。

当たり前の光景ですが、少なくとも私の周囲には

積極的に平日に休むという文化はありません。

用事や家庭の事情があれば別ですが、

忠実に土日休みなわけです。

私は、昔はやはり土日休みに忠実でしたが、

価値観を変換した今は、休みたいときには

平日でもなんでも休みます。

大切なことは、自分がどうしたいか、何を大切にするかです。

周囲に流されることはありません。

周囲に合わせるときは、意識的に決断して合わせるだけです。

みんな休めないと言い、残業が減らないと言いますが、

コーチング的な視点でいえば、自分がそう決定しているだけです。

上司や、会社がそうであることもあるでしょうが、

そのなかでも、休暇を取る人はいるはず。

そのかわりに、収入、出世や自分の望む仕事というのを手放しているかもしれませんが、

それでもその人の軸は、休暇をとり、自分の時間を確保することなのでしょう。

そして日本全国というところまで広げなくても、

ちょっと視野を広げてみれば、平日に休んで

休暇を楽しんでいる人がたくさんいるはずです。

平日だって、仕事が終わって、自分の時間を漫喫している

人がいるはずです。

属してる環境に自分の価値観を合わすのではなく、

自分の価値観を中心にして、生きていく。

職場の人や友人は、あなたが死ぬまでずっと一緒にいるなんていうような責任はとりません。

人生の伴走もしてくれません。

自分の人生は自分のものであるという軸を大切にすれば

とるべき行動は見えてくるのです。

今、苦しみのどん底にいる方には、どうでも良く想えるかもしれません。

でもいつもお伝えしているように、

離婚という激しい出来事を通して、ほんとうの自分の人生を

考えていくことで、これまでの価値観を再構築し、

使える価値観を保存し、真実ではないものは捨て、新たな軸を手に入れて

人生の第2ステージに進むのです。

自分の今もつ価値観は、ほんとうにすべてか?と問います。

結婚、子供、仕事、友人・・、

人生で固定的な価値観を持てばもつほど、苦しみは増します。

そのために努力し、犠牲をはらい、それでもできないことの方が

多いわけですから。

あなたが新たな軸を手に入れるまで、

応援していきます。






コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れるのではない

2018-06-24 00:00:01 | 日記
過去から解放されたい

離婚という事実から離れて、

心穏やかな、幸せな時間を取り戻したい

苦しみの中で

多くの人がそう思うでしょう。

でも、過去に起きたことを忘れることができれば

楽になるのかもしれませんが、

それは難しいことかもしれません。

立ち直るという言葉もしっくりきません。

グリーフの考え方では、

「折り合いをつける」

そんな言葉が良いのかもしれません。

立ち直ったり、忘れたりするのではなく、

事実を事実として受け入れて、

現時点を受け入れて

その上で、折り合いをつけていく。

時間がかかるし、人それぞれの方法があり、

これだという処方もないですが、

折り合いをつけて、日々を生きていく。

乗り越えたというようなものでもなく、

離婚とそれ以外のこと、新しい人生を

うまい具合にバランスさせていく。

そのバランスの先に、新しい人生が優先していく。

そして、いつかは、離婚という事実、その悲しみの気持ちは、

心の奥底にはあるけれども、自分の人生はそのことに限定されず、

他のことが支配的になっていく。

私自身も、もう10年以上も前のことを忘れることはありません。

未だに、ある瞬間には、走馬燈のように当時の状況を

思い出すこともあります。

昔よりもその時間も短くなり、感情も大きく影響しないように

なっているだけです。

折り合いをつけていくことは人生でたくさんあるのでしょうが、

それでも一番大きな出来事の一つであることは

確かでしょう。

忘れたり、解放されたり、無かったことにしていくのではなく、

事実の受け入れの上に、新たな人生を築いていく。

自分の一部として吸収していく。

自分の人生の一コマとして、心にはあるものの、

違う生き方、人生を構築していくものかもしれません。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何もしない

2018-06-20 00:00:01 | 日記
苦しみのとき、

どうしても動こう、

何か一歩を踏み出そう

どうにかして、新しい人生をはじめたい

いろいろと考えてみる。

だが、何もしない、動かない、

これも大きな決断です。

今、あなたが動けない、何もできない

そんなふうに感じるなら、

それは今は動くときではないということかもしれない。

機が熟すまで待つというのもひとつの手段です。

動かない、何もしない、

毎日悲しみに暮れている、酒におぼれている

そんな毎日もけして無駄にはならないだろう。

人生ではそんな時間が必要なのかもしれない。

だいぶ前に書いたが、

バリバリの科学者で無神教というか、唯物思想の老人が

死を前にして、クリスチャンになり、安らかに亡くなっていったという

話があるのだが、人生で遅すぎることなどなく、

人は最後まで変化する可能性も権利もあるのだ。

人生のどこかで一度立ち止まるのも必要な時間なのかもしれない。

悲しみ、どん底で苦しんだことが、未来への投資かもしれない。

意味があろうが、なかろうが、

先に書いたように、それが今の自分であるという、現時点を再確認して、

それが良いのでも悪いのでもないと気づいてほしい。

ただそうであるだけ。そのことが事実である。

離婚の苦しみの旅路は長くかかる。この先もけっこうある。

だから、先を急ぐだけでなく、

疲れたやら休んだり、道に迷ったら止まってみよう。

また旅を始めることができるようになるまで、

寝ても良いではないでしょうか。

ゆっくりと一歩ずつでいい。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もし・・であったら・・・

2018-06-17 00:00:01 | 日記
苦しみのなかで、

どうしてこうなったのだろう・・・

あのとき、別の行動や態度だったら・・・

もう少し自分が対処できたのではないか・・・

いろいろな想いを回想していることでしょう。

でも、今でも苦しんでいるあなたは、

実際には、ほんとうによくがんばったし、耐えたし、

できることは全部してきたのだと想像する。

いつも言うが、相手とのことや、自分のこと、

いろいろなことから逃げて生きてきた人というのは、

何でも自分以外のことに責任を押し付けているような

他責の人は、そこまで苦しまない。

そういう人は、

自分も多少は悪いし、全部は正しくはないけど、

だって、相手が。。。だからという。

大して深堀りせずに、私にはこれしかできなかった。

これしか選択肢がなかったと思う。

安易な行動、結論で満足する。正確にはそこに逃げ込んで自分を守ることで必死なのだ。

他責な人は相手を責めることで、攻撃することで自分を守る。

本来の人間力という点ではとても脆く弱いのだが、気づいていない。

だが、離婚でここまで苦しんでいるあなたはきっとそんなことはなく、

自分のことも、相手のことも、そして子供のことも

どれも真剣に全力で、考え、想い、悩んできた。

だからこそ、ここまで苦しんでいるのです。

冒頭にも書いたが、もし・・・であったらという想いは

誰しもが思う。

自分の人生がこうではなかったらと。

離婚していなかったらと。

私が苦しんでいたなかで出会った言葉で、今でも印象に残るのは、

「こうであったら、もし・・であったらの人生などない。

 それ以外の人生などない。今の人生が自分の唯一の人生であるという認識を

 もつことからスタートできる。」

言葉は違うだろうが、こんな意味の内容である。

今でも日々思い出す言葉である。

結局のところ、今の自分の人生でない他のパターンやら、

もし・・・・の人生を考えてみても、どうにもならいことは誰でも理解している、

それでも考えてしまうのが人間だが、やはり今の自分の立ち位置に

まっすぐに立って、そこから歩むしかないし、自分の唯一の人生は

やはり今の立ち位置なのだと深く納得することができれば、

もはや過去を懐かしんでも、後悔しても、一歩も前に進めないのだと気づける。

望む望まないにかかわらず、今が自分に与えられた唯一の人生である。

私自身がその認識を日々心に落として生きている。


コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心を落ち着ける

2018-06-13 00:00:01 | 日記
人はどうしても

これまでの経験から判断しやすい

もちろん、それが大切なことであったり、

助けになることも多いのだが、

逆に、先入観にもなりやすい。

よくトラウマ的な出来事に遭遇すると

反射的な行動を起こしやすいことは

あなたもいくつか経験しているかもしれない。

私もこれまでいろいろ学んできて、

いろいろと自分自身を変えてきたと思っても、

離婚したときの経験や、辛い別れの経験、

その他、仕事においても、人間関係においても、

過去の経験を思い出すような出来事に出会うと

心拍数が上がったり、思考が止まってしまったり、

急に不安にかられたりと影響を受けてしまうこともある。

だが、そこで一旦は立ち止まるように心かける。

目を閉じて、深呼吸して、瞑想する。

自分の内面と対話する。

コントロールできないことは手放すのだと思い出し、

自分が囚われている気持ちや想いは、絶対的なのかと問う。

何事も、何もしないで対処できるものではなく、

自分の学びを通して、対処していく。

もちろん対処できないことがあって当然で、それをまた学んでいく。

人生とはその繰り返しではないかと思う。

心を落ち着かせる術は、ひとそれぞれ違うから

これが良いというのはない。

だが、一番大切なことは、

今、この苦しみの底で、もがくような経験のなかで

自分なりの術をみつけていくことではないだろうかとも思う。

本やセミナーで教えてくれるものもあるだろうが、

結局は、極限に追い込まれた状況のなかで、自ら試し、繰り返して

体得していく以外に近道はないのだろう。

あなたにとって、一番苦しく、悲しく、虚しさのなかで耐えている時間は、

あなたにとって最も大切な時間でもある。

ほんとうに苦しみ、もがき、人の弱さを知った人は、

優しくなれるし、言葉や行動を見ればわかるものだ。

人間的にすがすがしさすら感じる。

私も未だ途上だが、多くの学びを通して、一日一生を体現したいと思うこの頃である。

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろなことが起こる

2018-06-10 00:00:01 | 日記
人生ではほんとうにいろいろなことが起こりますね。

ある日突然に、大切な人と出会うこともあるし、

まるで青天の霹靂のように、別れることもある。

離婚ということが自分に起こると思っていながら、

結婚する人も少ないだろうし、

これからというときに、

病に倒れることもある。

ほんとうに予測できないのが私たちの人生。

生まれることも予測して、予定したことではないのだ。

日常のなかで、

そのひとつひとつに振り回され、悩み、苦しみ、もがく。

幸せなことや、悪夢のような苦しみに一喜一憂する。

そういうことに動揺されないように

悟ったような生き方もできるのかもしれないが、

なかなかそうはいかない。

以前にも書いたのだが、

障害物競争で、障害物があって怒ることも、動揺することもないだろう。

長距離マラソンを走りながら、距離が長すぎると文句を言うこともないだろう。

もちろん、人生は自ら望んで人生を始めたとは言い難いが、

理由はともあれ、生き始めてしまい、死へと100%向かう道のりの途上に

いることは確かだ。しかも地図もなく、残りの時間も距離もわからないという

ある意味でものすごく不合理かつ、絶対的なルールのもとにいる。

だが、このルールに文句を言っても、怒ってみても、交渉してみても意味がない。

ルール変更はない。という絶対ルールなのだ。

我々がもつべきは何なのだろうと考えたとき、

私は「覚悟」という言葉がしっくりくる。

覚悟したって、動揺したり、苦しんだり、悩むことは絶えないが、

それでも、長距離マラソンのスタートのように、

高所登山の登山口のように、

障害物レースのスタート待ちのように、

どんなものが来ても、最後までゴールしようという覚悟、決意

そんなものがあるとき、歩み方に違いがあるのではないかと思う。

離婚という障害物に出会ったとき、立ち往生し、逆戻りしたり、座り込んでもいい。

再び歩きだせるようになるまで、ゆっくり休んでいい。

考えてもいいし、戦略を練り直してもいい。

少なくとも、人生のルールに休んではいけないというのはない。

立ち止まってもいいし、休憩してもいい。

私たちにはその自由は与えられている。

ゆっくり、ゆっくり、十分に休んでほしいし、

力が入るまで、何もしなくてもいい。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間関係のこわさ

2018-06-06 00:00:01 | 日記
離婚して

多くの人がぶつかる課題に

今後の人間関係をどうしていけばよいのかというのがある。

結婚したくらいだから、

人間きらいなはずはないであろうし、

ある程度の友人や親せきなどとの関係も

ふつうにあったとも思う。

だが、最も信頼し、大切にしていた存在と別れたとき、

価値観そのものが崩れていくのを経験したのではないだろうか。

また離婚に起因して、人間関係だけでなく、

人生そのもの、生きること、働くこと、・・・

あらゆる価値観を再構築しないといけなくなっているのではないだろうか。

というのも、私自身もそうであったが、

結婚するときはもちろん、離婚という言葉は他人事で

自分の人生に入りこんでくるとは考えもしなかったし、

頭の片隅にもなかった。

冷静に考えれば、そのほうがお気楽なのだろうが、

自分の人生とは無縁の単語であった。

これまでも伝えているが、私自身は友人関係もあらゆる関係を見直したし、

自分がほんとうに大切にしたい人を中心にした人生へ転換させた。

だから、学生時代の友人はほとんどいなくなっているし、

中学からの親友2人だけと大学院のときの友人数人しか交流がない。

あとは、30代になって知り合った友人がほとんどだ。

多くの人が人を信じることができなくなると言い、

新しい人を好きになったり、親密になることを不安に思うだろう。

離婚の苦しみや裏切られた想いが頭をよぎることだろう。

もちろん、それはみんなそうであるし、簡単に克服できることでもない。

ただ、恋愛での別れ方にもいろいろあることは知っているとは思うが、

離婚だって、いつも同じではないし、同じになるようなこともない。

人生に心を閉ざすことは簡単で、人と関わるのを辞めるのも選択のひとつだし、

何度でもカムバックして、新たな関係を築くこともできる。

いつも伝えている、自分はどう生きていきたいのか

この離婚という苦しみをどう昇華させて、自分の進みたい軸はどこなのか、

そのことが人間関係にも影響する。

焦ることもない、友人だって、恋人だっていきなり今日、明日にできることのほうが少ないのだし、

どんなに思っていても、難しいときもあるし、

ある日、運命の出会いで一瞬で親密になることもあるのだ。

人生はわからない。

だから、楽しみきって、全力で生きてみせる。

私自身が今、心からそう感じてる。

離婚を経験したあなたにとって、

新たな人間関係を築くことは怖さ、不安があるはずだが、

急ぐことはないが、どうなりたいか、していきたいかだけははっきりさせておこう。

今、どうであるか、むずかしいかではなく、その先の目指したい方向だけは

自分で決めることができるのではないだろうか。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする