離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

決断も流れ

2020-06-26 09:29:34 | 日記
このブログでは、

プロセスや流れという概念を書いてきました。

苦しみ抜いた当時も、今でも

一貫して私のなかで大切な思想です。

もちろん、どんなときでも、どんな状況でも

そんな綺麗ごとのように、プロセスや流れを意識できたり

身を任せられるなんてことはなくて、

都度、脱線したり、もがいたりもします。

それでも、やはりこのプロセスや流れというものを思い出し、

最後には、任せるのです。

はじめからできたら、ヨガ行者や修行僧のようで良いのかもしれませんが、

なかなかそんなふうにはいきません。

世の中のビジネス書や自己啓発本では、決断というと

なんだかかっこよく、積極的でかつ、能動的に書いてあるものがあります。

でも、私自身は、決断も流れのなかのひとつとしてとらえています。

いくつかの選択肢があったり、方向性があって、

あれこれ考えて、合理的に、効率的に選択して、決断したとしても、

実際には、大きなプロセスの流れの一コマにしかすぎず、

自分がその決断に至ったことすらも、プロセスであると考えているのです。

昔聞いたことがあるかもしれませんが、

「何をやっても、お釈迦様の手の平の上」というような表現がありますが、

自分の行動や決断すらも、所詮はプロセスの一部だと思うのです。

そこで、よりプロセスを意識することができれば、一番自然な流れに乗ることができるように思うのです。

川の上流に、川の流れに逆行して、舟をこぐことはできません。

一時的、少しはできるでしょうが、長くは続きません。

川が下流から上流へ流れるなんてことはありません。

物は上から下に落ちます。逆はありません。

上が良くて、下が悪いとかではなくて、

物事は流れに沿って、向かうべき方向に向かう。

とてもシンプルなことなのです。

これはあきらめるとか、何をしてもいいという解釈ではなくて、

努力すること、もがくこと、怒ること、さぼること、

あがくこと、悲しむこと、喜ぶこと

全部がプロセスの流れの一部だと思えると、

少しだけ気持ちが楽になりませんか。

苦しみのなかで、離婚の前後で、とにかく自分でなんとかしなければと頑張る、

もがいたり、押したり、引いたりしてみる。

それって、自分の判断、行動、決断で何とかできるはず、したい、

そんな気持ちからです。私だって同じようにしました。

でも、ほんとうは全部プロセスの一部、流れ、向かうべき方向へ向かう。

もし復縁したならばそれも流れの一部なのでしょう。

このブログの読者ならわかるように、結局はどうにもできないことの方が多いし、

いつも言う通り、他人はコントロールできないし、するものでもない。

責任をもてるのは、誰もが、自分の人生だけです。

親でも子どもでも例外はなく、すべての人が自分の人生だけ生きることができるのです。

人生の流れはわかりません。

だから確実な今だけに集中するのです。

一日一生 とは、そういうことでないのかなと思うのです。

明日のことは、明日の自分に任せて、

明日の悩みは、きっと明日の自分がなんとかします。

今日のあなたが明日の自分の分まで苦しまなくていい。

今日は今日の自分が精一杯生きて、明日の自分に引きつぐのです。

この梅雨どき、気分も晴れないことも多いでしょうが、

今日の自分を大切にしてあげてほしいと思います。

それができるのは、あなた自身だけなので。
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型にはまる限り、ずっと辛い

2020-06-20 10:40:19 | 日記
これまで、

価値観の再構築とか、

人生の自分軸とか、

離婚を機に、考えてみたいこと、変えていくしかないこと

そんなことをたくさん書いてきました。

自分の人生で離婚することを前提に生きてきた人は少ないでしょうから、

予想外の、しかも最大級の事件です。

パートナーが亡くなったり、急に職を失ったり、

自分が病気になったり、ほんとうにいろいろなことがある。

ただ多くの場合は、自分にだけは起きないだろうと、目をそらし、

考えても仕方ないと脇に置く。

もし、運よく、何事も起きずに平和に、幸せに生きてきたなら、

その人にとって、死が人生で最初で最後の大事件となるかもしれない。

この日本では同調圧力がものすごいので、

今回の自粛もある程度うまくいったという点もあるが、

一方で、周囲と違うことは恥ずかしいことであり、

幸せの形は、こうであるという世間の目も多い。

おうちステイ とかいって、テレビでもいろいろあるけど、

家族、子供・・・という枠から出ることは少ない。

ゼロではないけれども、ホームレスや、ネットカフェの生活や、

独身で、家に閉じ込められている辛さは、なかなか取り上げない。

枠から外れることは、極力見ない文化でもある。

自分たちの枠から外に出して、なかったことにする文化である。

そんな国にいて、カタチにこだわると、苦しみしかない。

大学を出て、就職して、結婚して、子供がいて、

両親がいて、マイホームがあって、、、、なんてひと昔前のようなことが

やはり今でも主流だったりする。けして数とか割合の問題ではなく、価値観として。

いつも言うが、世界ではそんなのはもうない。

ステップファミリーがふつうにあるし、珍しくない。

最近の芸人さんの不倫の話でも、周囲がとやかく言うことではないし、

ワイドショーでとりあげること自体が無意味ではないだろうか。

だって、当人たちの問題なので、犯罪をしたわけではないのだから。

もちろん、被害をうけた広告主やスタッフは関係者だから言う権利はある。

いずれにしても、世間は認めませんよということなのだ。

あなたのなかにある型をさがしてみよう。

気づかないうちに、こうでなければならないというものがあるはずだ。

もちろん私にもたくさんあって、見つけるたびに考える。

独身じゃいけないなんてことはない、恥ずかしいこともない、

パートナーと結婚がすべてではないし、人生で何度もパートナーが変わってもいい、

一夫多妻の国もあるのだから、この国で結婚しないなら、当事者がOKなら何人もパートナーがいても良いかもしれない。

どれが良い悪いということではなくて、まるでそれしか選択肢がないかのように

カタチに縛られる危うさに気づくことが大切ではないだろうか。

芸能人くらいしか他人の生活をこまかく知ることができないが、

カタチに囚われない生き方をしている人は何人も見つけられる。

人生はもっと自由に生きていい。カタチなど本来はない。

結婚も離婚も少なくとも日本の制度ではあるが、フランスでは他にも選択肢がある。

本質を見て生きていくことでしか、この苦しみから解放されないのではないだろうかと思うのです。

結婚とは何か?突き詰めて考えてみることも必要かもしれない。

結婚しなくても幸せな形はたくさんあるし、いる。

一緒にいたければいればいい。そこに法律がいるだろうか?

国の法律や会社の利便性を受けられる?

永遠の誓い?ならなぜ離婚するのか、

子供はかすがい? でも離婚する。

結婚したら安心か?安全か?

寂しくない? パートナーが自分より先に亡くなる可能性はある。

今日もいろいろと書いてきたが、何が正しいということはない。

これからの人生を自分らしく生きるために、自分の人生を生きるために

カタチに囚われずに一度考えてみることが大切なのではないだろうか。















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夜の書店めぐり

2020-06-11 01:00:00 | 日記
これまでも何度か書いてはいますが、

私が調停中に、寝るだけに家に戻っている日々。

当時は子供も生まれ、小学校の近くが良いと、マンションから、戸建ての借家へ引っ越し、

セコムセキュリティーに入って、安全も万全に、将来を楽しみにしていたとき。

そんなときに、仕事から帰ってきたら、娘も家具もない、

数日後には、弁護士から調停の知らせ。

その日から地獄の日々。

すべての雨戸を閉めて、暗闇で生活していた1年。

近所や町内会にも会わないように、朝4時には家を車で出て、

コンビニで朝食をとり、コンビニの駐車場で読書をして

何事もないかのように、定時で出社。

生まれたときから、娘と一緒に入ったお風呂には、苦しすぎて入れずに、

毎日、近所のスパでお風呂に入り、そのあとは、

コンビニの駐車場で弁当を食べて、深夜まで営業している書店へ。

ひととおり毎日のルーチン作業をこなしたら、

広いリビングに畳むことのない布団の上で、ウイスキーを飲んで。

泥酔して寝る。その繰り返し。

戸建ての2階に上がったのは引っ越しのとき。

相方と楽しんで料理したキッチンには再び行けない。

夜の書店めぐりは、私の癒しでした。

周囲に人がたくさんいるのに、静寂で、

本を買うときだけは、店員さんとわずかな会話する。

買った本は、自分への宿題のように読む。

あのときほど読書をしたときはない。

私には読書が癒しの時間になった。

あなたには何が助けになるだろうか。

どんなことでも良いから、あたたにとって

やり過ごせる、そんなことが見つかればと思う。

スマートさも、カッコよさもいらない。

啓発本やセミナーのような理想的な方法もいらない。

あなたにとって、それが乗り切る、やり過ごす方法ならそれでいい。

他人には言えないような、とても正常とは言えないような

それでもこの緊急事態をやり過ごして、

耐えられるなら、それでいいじゃないですかと思う。

褒められたことではないし、リスクもあったと思う、

とてもおすすめできないが、私も地獄の時間を耐え抜いてきた。

今でも、忘れたときはないほどに。

全てを、描写できるくらいに鮮明に。

でも私も安定剤飲みながら、酒を浴び、眠れずに車で出社していた。

それでも、元気に乗り越えて、今もまだ生きている。

今、必死に耐えているあなたを、応援してます




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自分の感じに素直に

2020-06-06 17:34:26 | 日記
苦しみにあるとき、

朝起きてから、寝るまで、

もしかすると夢のなかまで追いかけてきて

いろいろな感情が湧き上がるかもしれない。

しかも、それは寂しさ、怒り、憎しみであったり、

逆に愛情や、懐かしさ、思いやりだったりと

それが交互に、同時に湧き上がる。

あらゆることを毎日、毎日、ぐるぐると考え、

自分の感情に振り回されていると

もうどれが自分の感情なんだかわからなくなる。

ふつうに元気な状態なら、

こんなに一度にいろいろな感情を味わうことはなかったのではないだろうか。

逆に言えば、自分にとって非常事態である。

そんなときに、どれが正しい感情で、ほんとうの自分の想いなのかはわからない。

判断なんかすると、間違った方向へ進みかねない。

どちらの感情も、あなたのなかから出てきたもので、

正しいも間違いもないし、いろいろな想いがあっていい。

世の中では、前向きでないといけないとか、

もう忘れたほうがいいとか、

いつまでも後ろ向きな想いばかりではよくないとか

いろいろ言われますが、

ぜんぶ自分のなかにある感情なのだから、認めていい。

〇✖をつけなくていい。

そうなんだね、

そんな想いもあるんだね。

いろいろな想いがあって、苦しいね。

そんなふうに自分で自分を否定しないで認めてあげる。

それだけでいい。

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今の環境で見えてくる

2020-06-01 01:00:01 | 日記
今回の大流行のなかで、
人間関係、仕事、生活、いろいろなものが変化しました。

正確にはこれからも変化するでしょう。

大切なものと、そうでないものが見えてきます。
緊急時には、国も法律も何も自分を救ってくれないことや、
自分軸で行動をすることや、自分のなかでの大切なものの優先など。

自分本位な人、人にやさしくできる人、社員のことを考えてくれる会社、またその逆。

外を安全に散歩できること、ふつうに電車に乗れることや、買い物ができることのありがたさ。

多くの人の価値観に変化が起こり始めているはずです。
ただ、それをどういう方向にするのか、どれだけ本質を見極められるのかは人それぞれでしょうね。

自分の強さも弱さも、見えた数か月に思います。
それは周囲の人のことも同じようにわかったようにも思います。

まだ事態は継続中だし、治療が見つからない限りは、本来何も解消されていません。
政治的にいろいろ変化しているだけに過ぎませんよね。
地震も頻発しているし、台風の季節が来ます。

今できることを、精一杯する。
考えられるだけの備えはする、あとはその場その場で考える。

独りで不安のなかで日々をおくるあなたにとって、このブログが安らぎや気分転換、
日々の励みになっていただければ幸いです。




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