離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

孤独とは何か

2019-02-27 00:00:01 | 日記
今日は久しぶりに

本の紹介をしてみる。


「孤独の達人 ~自己を深める心理学」 諸富祥彦 PHP新書


いつも紹介する諸富先生の本で、これまでも孤独というものについても

いくつか書かれているが、また少し新しい視点も入っている。

そこで、「標準世帯という幻想」という言葉があった。

2015年の国勢調査によると、単身世帯が34.5%と全体の1/3を超えて

「夫婦と子供」で構成される世帯数よりも多いそうです。

だが、多くの人が、いわゆる夫婦と子供という標準世帯という考え、

社会に囚われているということである。

結局、世界も日本も変化しているのに、

日本の世間の頭のなかは取り残されているのかもしれない。

いつも書いていることだが、

この離婚の苦しみから回復していくには、

一度は、自分の人生の軸をリセットして

役に立つものと、古くさい役に立たなくなったもの、

そして変化させてなくてはならないものを整理して

新しい自分の人生軸を構築していくしかない。

人生ストーリーの再構築が大切なのです。

これまで自分が考え、思い描いてきた 「人生の標準」に

囚われ続けていれば、「離婚」という事実はその標準にはないのだから、

どこまでいっても、再ストーリーは作れない。

新しい自分の標準を作ることが、回復への道ではないかと思うのです。

そしてこれから先にもたくさんあるであろういろいろなイベントに

その都度、リバイズして書き換えていくことが必要ではないかと。

本の中身からはそれてしまったが、

得るものがあると思うので、興味があれば一読してみてはどうだろうか。




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答えはでない

2019-02-24 00:00:01 | 日記
苦しみのなかで、

多くの人が、この苦しみの意味や理由を

探すだろう。

どうして、、、

なぜ、、、

何千回も頭のなかで繰り返す。

1カ月も、2カ月も1年も、そして何年も。

そして、答えなど出ないことにも気づいている。

それでも、繰り返し、繰り返し

やはり頭のなかを駆け巡る。

結局のところ、

どこまでいっても答えがないと知りながらも。

私もそうであったし、

おそらく多くの人が経験してきた道だろう。

結果的に、

プロセス、人智を越えた大きな力 ということに

そしてそれにゆだねるということに落ち着いた。

なぜ答えが出ないのか・・・・

それは不条理であり、不合理であり、

自分自身の努力や、真面目さ、正直さとは何の関係もなく

ただただ、事実が存在するからではないか。

プロセスは、必ずしも自分の納得する形には働かないし、

ほしいときに気づかせてくれもしない。

だけれども、自分の力ではどうにもできない状況、事柄があることは確かで、

先日も書いたような、病気や、事故、災害は

防ぐことができるときもあるけれども、

大抵はどうにもならない。

自分が決めて生まれてきたわけでもない、

ある日突然、人生が始まり、そして終わるという事実があるのである。

答えがないところ、それが人生そのものであるように

思われて仕方がない。

だからこそ、

真理の答えかどうかは別にして、

自分自身の中にあるものこそが、答えとなる。

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先はわからない

2019-02-17 00:00:01 | 日記
いつも同じタイトルで書いていますが、

そして繰り返していますが、

先のことはわからない。

最近も、あらためて実感しました。

日本のエースアスリートが、

ある日突然の病魔に襲われたニュースは

誰もが衝撃をうけたでしょう。

私も朝ニュースを見て、一瞬固まりました。

おそらくアスリートとして最も強いタイミング、

そして大切なタイミング。

こんなことがあってよいのだろうかと、衝撃でした。

これまでの練習や努力、夢、すべてが一瞬で変化するようなことが

人生では起こりうるのかと。

結局のところ、人生で起こることはわからない。

自分でコントロールできるものではないし、

どんなに真面目であっても、努力していても、

そんなこととは関係なく、

そのときは突然くる。

それが素直な実感であり、離婚で学んだことのひとつです。

だからこそ、確実なものは、

この瞬間しかないという事実に気づく。

今、この瞬間に息をしているという事実、

食事ができるという事実、

屋根がある部屋で、パソコンが使えて、

スマホの費用を払えるくらいの生活ができて

水があって、、、、

飢えることもなく、

そして世界と比べて格段に安全で豊かな日本にいて、

そのひとつひとつが、実は奇跡のようなことの積み重ねなのだと知るわけです。

奇跡は起きていないのではなくて、私たちが気づけないだけなのだと。

そしてその奇跡は必ずしも自分が望んだものに起こるわけでもないのだと。

それでも、やはり起きているそんな感じがしているのです。

人との出会いも、そして別れも、

すべてが一期一会かもしれません。

たいていは、一度、数回程度で、そして、

二度と会わないことがたくさんあるでしょう。

電車で顔をあわせただけかもしれないし、

仕事で会うだけかもしれません。

だから、結婚の相手だったり、恋人だったり、

友人となるような近しい関係になることなど、

本当はものすごい確率のなかで起きている奇跡ともいえないでしょうか。

その意味で、自分自身で

何を大切にして、日常のなかで、何を見出すのか、そのことが大切ではないかと思うのです。

苦しみのなかで、そのことだけに集中してしまいます。

誰しも、私も、そのことだけに囚われてしまった経験があるのです。

それを回避することは正直難しい、

それでも、あなたのまわりにはたくさんの奇跡が起きているかもしれません。

望んだことではなくても、その積み重ねで生かされているように

私は感じるのです。

人生では、いやその人生がこの先どこまで続いているのか、

大して続かないのか、その肝心なことですらわからないなかで

日々生きているのだという真実から、

目をそらすわけにはいかないのです。








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オフにする

2019-02-13 00:00:01 | 日記
苦しみの底で、

悲しみの底で、

毎日、毎日、

頭のなかでは、ものすごい量のことを考えているだろう。

想い出や、離婚のこと、将来のこと

次から次へと頭のなかを駆け巡り、

ほんとうに疲れ切ってしまう。

では考えないようにしようとしても

考えたくなくても

次から次へと、頭痛がするくらいに

脈絡もなくあらゆることが頭をよぎる。

寝ていても悪夢で起きたりすることが頻繁だろう。

だから寝ている間も休まらない。

ではどうするか、

もう何かに集中するしかない。

以前から書いているが、身体を動かすことは

ひとつの解決策になるかもしれない。

ジョギングでもいいし、ジムでもいい。

とにかく身体を全力で動かす。

プールも良い。

たったの1時間程度かもしれないが、

その間は、少なくとも頭で考えることが少なくなる。

ゼロにはならないかもしれないが、

少しの時間だけでも頭の中がすっきりすることは大きな効果がある。

瞑想ができるなら一番良いかもしれないが、

私自身は苦しいときには、集中できなかった。

それを繰り返しているうちに、

少しずつ楽になっていくかもしれない。

人は同時にいくつものことができないので、

何か集中するようなことがあれば

その間は、それだけになる。

何でもよいので、何か集中できるものを見つけてみてほしい。


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納得できないことの、その先へ

2019-02-10 00:00:01 | 日記
離婚において

よく芸能人が言うような

お互いに良く話し合って、納得して、

お互いを尊重して・・・、

そんなことができて、納得して別れることができるなんてことは

そうある話ではないだろう。

芸能人だって、形式的にそういうだけで、

そもそも、相手を理解できないから、

譲れないものがあるからこそ、離婚することが多いのだろうし。

まして、一方的に離婚を言われたり、

青天の霹靂のような離婚だった場合には、

納得できない。納得できるはずがない。

そんな不条理なことがあるものか、

そんな一方的なことがあるものか。

そんなことがまかり通って良いはずがない。

そしてたいていそんな相手は

あなたのことを一方的に批判し、

人間性すら否定するような言葉を投げつける。

だが、結局のところ、そんな相手といくら話しても無駄である。

成熟した人であれば、一度はパートナーとした相手を心配もするし、

気遣いはする。

別れるにしても、お互いに誠意をもって接するし、

より良き将来へつながってほしいと思うものだ。

私自身も納得ができたことはひとつもなかったが、

それでも10年以上生き抜いてきたのは、

シスターで、作家の鈴木秀子さんの言う「聖なる諦め」

への道を歩んできたから。

「手放す」と私が言っていることと同じだ。

納得できないと、強く強く手を握って、物事をつかんでいると

そこから一歩も動けない。

誰しもそんな時期を経験している。

そしてどこかで、自分が変化するために、

前向きにあきらめるという選択を取れることに気づく。

そんな選択ができるのであって、誰が強制するものでもないし、

そうしなければいけないものでもない。

ただ、納得できないということの先に、

もうひとつの選択肢があることに気づけたらいい。

聖なる諦めは、負けたのでも、弱いのでもない。

本当は大きな強さを秘め、成熟への道である。

「完了する」のである。

離婚から卒業するのである。

離婚したという事実は変わらないが、

離婚したという枕詞なしに、

違う次元へ移動して生きていく。そんな感覚かもしれない。


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見えないもの

2019-02-05 00:00:01 | 日記
苦しみの中で

この先どうなるのかと不安が広がる。

実際に、何カ月も何年も苦しむと、

先の見えない時間に、どうにもできない事実に

どうしてよいかわからなくなる。

正解も、解決策も誰も教えてくれないし、

この世界で取り残されたかのような

自分一人だけが、異次元から抜けられないような感覚すらする。

良いことも、望まぬことも

いつも突然起こることを知っているでしょう。

恋人との出会い、結婚した相手との出会いは

突然かもしれない。

そしてたくさんの別れ、

病気や、トラブルなど、避けられるなら

回避しているだろうし、努力もするだろうが、

大抵は、意図せず、突然のように起こる。

人間は勝手なもので

良いことが起きれば、日ごろの自分の行いが良いからだとか、

神様ありがとうなどと言うが、

望まないことが起これば、どうして・・・、神はいるのか・・・

そういうふうに言い出す。

神がいるなら、どうして教会の爆破でたくさんの方が亡くなったりするのか。

何も悪いことをしていない自分に、なぜ

こんなにも辛い出来事が起こるのか。

要するに、都合の良いようにだけ考えるのが人の常。

いつも言う、プロセスはどんなときでも働いている。

自分が気づこうが、気づきまいが。

太陽が毎日出て沈むように。

そして、夜に月が輝く間、太陽は見えないが、消えたわけではない。

見えないところで、変わらずに動いている。

私は、人生で起こる出来事には、見えないもの、感じることのできないことが

いくらでもあると感じている。

一寸先は、闇か光かわからない。

一秒先に何が起こるのかは知らない。

これだけ科学が発達しても地震も噴火も予知できない。

昨年、格闘家の山本キッドさんが癌で他界されたが、

あれだけ肉体を鍛えぬいても、だめなときはだめなのである。

アスリートが病気で亡くなることもよく目にするだろう。

結婚を前にしていた女性が癌で亡くなる話も多い、

子供が小さくても、どんなに幸せでも、

病魔に勝てないときもある。

人間が知っていること、コントロールできることなど微々たるものだと

気づかなくてはならない。

なぜ、こんなことを書いているのかというと、

離婚という自分史上に最も苦しい出来事を越えていくには、

新たな思想をもたないと難しいと思うから。

今まで幸せだと思っていた形、理想、世間の常識

いや、人生への価値観や、見方がある限り、

抜け出せないのがこの苦しみなのかもしれない。

世捨て人になることもないし、絶望することもない、

そして、それは解決策にはならない。

もともと人生とは、私たちが教えられてきたものとは違っていたというだけ。

だから、幼少から障害や病気で苦しんだり、貧困で辛い想いをしてきた人たちは

苦難を乗り越えていく。

なぜなら、彼らには世間の常が自分の常ではないことが

はじめからだったのだから。

人生の苦しみを味わってきて、

そのうえで、前向きに、やさしく生きているのではないだろうか。

人生には、良いことも悪いことも見えないものがある。

そのことは不安であるけれども、希望でもある。

人生をどうとらえなおすのか、どう価値観をシフトするのか、

そのことが、あなたのこの先への導きとなるではないだろうか。


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弱くていい

2019-02-02 00:00:01 | 日記
苦しいときに、

どうにか立ち直ろうともがく。

だが、たいていはどうにもならないことが多い。

他人は、いい加減に・・・、いつまでも・・・

などと言うでしょうし、

なんて、メンタルが弱いのだとか、もっと強くならなくてはとか

言うかもしれません。

でもそれは所詮は他人事で、当事者でないから言えること。

そして近しい人なら、苦しむあなたを見ることに耐えきれなくなって、

つい、そう言ってしまうこともある。

その時点で、周囲がすでに状況やストレスに耐えきれなくなっているのだ。

だが、本当の強さは、

人間の弱さ、脆さを認めることなのだと思う。

以前にも書いたが、スポーツ選手や芸能人やらが、覚せい剤を繰り返したり、

ハリウッドの俳優がアルコール依存になったりするニュースがたくさんあるし、

今は亡き、某女優さんの娘さんが、母親を亡くしてから、生活が乱れたり、

多くの要因がグリーフゆえである。

テレビや世間は無責任なことを言うが、

本来、人間とはそれだけ脆いところがあるということを知ることだ。

そして、誰もがそうであるゆえに、認めなくないゆえに、こうであるべきだという規範で物事を言う。

人の弱さ、脆さを知り、耐え、越えていくところに、

人の本質的な強さがあるのではないか。

幸せな状況しか知らない人は、強いのではなくて、経験が足りないだけである。

ただ、苦しみを知り、悲しみを知り、どん底を経験した人間は

本当の意味で、優しく、思いやりがあり、強い人間になっていく。

意図せず、苦悩や悲しみを知ったあなたが、これから先、どう在りたいかかは、

自分でしか決められない。

だが、苦悩して、悲しみに沈むあなたは、本質的に弱いのではなく、

強さを内に秘めていると気づいてほしいのです。


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