離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

思考停止の危険

2021-08-21 08:07:09 | 日記
先日、テレビを見ていて、
ふと感じたことがありました。

今の感染対策で、政府や医者、テレビでいろいろなことを言います。

政府の対策は行き当たりばったりで、支離滅裂だから

自分の考えで行動して、多くの人が無視している状況。

一方で、政府がちゃんとしないから、国民に伝わらないという論調。

街頭インタビューでは、政府の言うことがバラバラだから、

何をしてよいかわからないという人までいます。

これは思考停止です。

いつも言うように、自分以外の誰も自分の人生に責任はもってくれません。

思考停止するということは、他人に自分の人生を一任してしまうこと。

政府が何を言おうとも、他人が何を言おうとも、自分の考えで自分が正しいと思い、

自分の人生に後悔がないというなら、そのように行動すればいい。

他人の制限や指針に従って、望まないことになったら、どう後悔すれば良いだろうか。

誰を恨めば良いだろうか。

離婚したとき、そのあとでも、他人の言葉に耳を傾け、一度は自分の心の中に入れて

考えることは大切だが、最後は自分で判断するしかない。

なかなかそれが難しいから苦しいのだけれども、

やはり自分で自分の人生を生きるしかない。

以前、私が苦しいときに読んで感銘を受けた

ヴィクトール・フランクルという偉大な心理学者の書いた

「それでも人生にYESと言う」 V.E.フランクル 

がある。

ホロコーストの収容所を生き延びた壮絶な体験を綴った

「夜と霧」で有名な方です。

もし読んだことがないなら、人生を生きるということについて

真剣に考えるきっかけになる良書と思います。

どんな経験、どんな苦しみのなかにあっても

どう生きるのか、どう考えて判断していくのか、

まさに、自分自身で決めていくことなのだと気づかされます。

思考が停止して、他人に任せたら、もうそれ以上は進みません。

あとは他責の人生を生き続けることになります。

それでも良いなら否定はしませんし、自由ですが、

私は嫌なので、フランクルの言葉を感じて、

どんな苦難もフランクルほどの苦悩にはならないと気づきました。

ならば、この人生を全力で生ききろうと当時思い、今日まで来ました。

苦しみの10年以上を経て、理想的ではないかもしれないけれども、

まあこんなものかと思えるほどにはなりました。

今、周囲がやかましい世の中の状況です。

そして生活すべてにおいて、何が正しいのか、どうすればいいのか判断が難しい状況ですから、

あらためて、自分の判断としてどうするのかを考えることが

大切なのではないかと思うのです。










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変わらない、変えられない

2021-08-12 09:53:18 | 日記
あなたの周囲にも、親、兄弟、昔からの友人、

長く付き合うひとがいるでしょう。

多くの人が根底の部分で変化していないことにも気づかされるでしょう。

良い面も悪い面もです。

それらは、その人の人生観であり、生きてきた経験そのもの。

人生のなかでいろいろな出来事に対して、

どう対処してきたのか、それがどういう結果になったのか。

その結果から何を考えて、学んだのか、

それらすべてが、ひとつの価値観になっていくわけです。

老齢の親の価値観は変わりませんし、変えることはできません。

年寄りは頑固だとよく言いますが、

これまでの価値観が今のすべてですから、周囲がどう言おうと変わりません。

今のあなたはどうか。

まだ少し人生が残っているとするなら、今回の離婚の経験からどうするのか。

人を信用しなくなることも、逆に信じることも

人の温かさを感じることも、冷淡さを感じることもできます。

社会の不条理さや、不公平さも感じることができるし、

離婚以外を見れば、世界のなかで不幸ランキングでは、

そこまで低くないとも感じることもできるかもしれません。

いつも言うように他人を変えることはできません。

対人関係でいらいらしたり、衝突するのは、他人に自分の価値観を合わせようとするからです。

すべの人が別々のレールで、異なる人生を歩み、

たとえ、同じ出来事に遭遇したとしても、そこから感じることや、学びは

それぞれ違いますから、それから得られる経験や価値観も異なります。

どこまでいっても同じにはなりません。

変えることができるのは、自分だけです。

それだって簡単ではありませんが、

離婚の苦しみや経験は、そのきっかけとしては十分なインパクトです。

逆に自分に問いかけてみるとわかります。

もし、この先の人生で、自分を変化させるのに必要な出来事は、

この苦しみや悲しみ以上に何があるのだろうかと。

命があって、そんなきっかけがあったこの経験を無駄にはしたくないと

当時も今も私は考えました。

変わらなくてはいけないのではありません。

そのままでも良いのです。

自分のことは自分でしか決められませんから、どうしたいのか。

正しいのか正しくないのか、そんなことはわかりませんが、

私は、価値観を変化させました。そしてそれは継続中です。
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流れを感じる

2021-08-05 17:50:17 | 日記
毎日、みなさまのコメントを読ませていただいています。

おひとりずつにご返信したいところですが、なかなか難しいので

みなさまのコメントを読みながら、私が感じたことなどを

記事にしていければと思っています。

苦しみのなかで、誰しも早く元気になりたい、

この苦しみから解放されたい、

少しでも希望や光がほしい

そんなふうに感じていると思います。

それだけ苦しみのなかにあるということは

しんどいことだし、

おそらくそれぞれの人生で経験したことのない苦しみかもしれません。

もちろん私自身もそうでした。

ただ、今となってわかるのは、

状況も、環境も、自分の感情も

どうにもならないときがあったということです。

どんなにいろいろ考えたり、試したり、挑戦しても

何も変化がないように感じ、

出口の見えないトンネルの闇の中にいるように感じ、

自らがどこへ向かっているのか、

どこにいるのかすらもわからないような状態が

続くこともあったということです。

そんなときに大切なのは、無理やりに苦しみから脱しようとするよりも、

今週、来週、来月、半年すらも短い期間であって、

もっと長いスパン、1年、3年、5年という時間軸でとらえて、

苦しいのは変わらないけれども、自分がどんな方向へ流されているのかを感じてみる。

流れている ではなく、 流されている です。

いつも書いている、人智を超越した大いなる力で、自分はどこに流されているのか

そして、信じることは簡単ではないことは当然ですが、

けして自分にとって悪い方向ではないのだと信じ切ることではないかと思うのです。

悪い方向ではないというのは、苦しくない、辛くないということではありません。

この苦しみも自分にとっては何か意味があることなんだと

積極的にとはいきませんし、できれば避けたいし、しんどいけれども、

ある意味であきらめて、そうなんだな。。。

今の自分には必要なことなんだ・・・

と受け入れる感覚です。

別に宗教的なことを言っているのでもないし、

スピリチュアルに傾倒することを推奨しているものでもありません。

自分の力ではどうにもならないことに出会ったときに、

私は何を信じて歩むのか?ということに尽きるのではないかと思うのです。

何も信じないし、神も仏もない。

そんなものは存在しないし、

希望も光もない、

自分でなんとかする、できるはず、

それならそれで良いし、否定すべきことでもないのはもちろんです。

でもおそらく、そうではなくて、どうにもならないから苦しんでいる。

答えが出ない、見つからないから苦しんでいる。

だいぶ昔に書いた記憶がありますが、

亡くなられた聖路加病院の日野原先生の本で、

科学を信じてきた、唯物論の学者さんが死を前にして、クリスチャンになって

安らかに亡くなられたという話がありました。

何かに傾倒しすぎて、思考停止はよくないですが、

何かを感じて、信じて、少しでも楽になるなら、

それが真実かどうかなんてどうでもいいと私は思います。

よく死後の世界や輪廻転生があるかないかが議論されるのですが、

どちらを信じても、自分が楽に生きられるなら良いと思います。

生きているうちに正解はわからないのだから。

いつも伝えている

手放す

ということに通じるのではないかと思います。











コメント (2)
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