Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

マゼール逝去

2014年07月14日 | 音楽
 マゼールが亡くなった。84歳だった。もっと長生きするような気がしていた。あっけなく亡くなったのが意外だった。

 マゼールを初めて聴いたのは1983年のザルブルグ音楽祭のときだった。「フィデリオ」を聴いた。あのときの序曲「レオノーレ」第3番がスリリングな演奏だった。鳥肌立つような思いがした。ブラヴォーといった記憶がある。わたしにはそういう習慣がなかったので、自分でも驚いた。カラヤンの「ばらの騎士」やレヴァインの「魔笛」も聴いたが、一番興奮したのはあの演奏だった。

 それから何度か聴いたが、なんといっても、わたしにとって意味があったのは、2012年10月のN響定期だ。チャイコフスキー、グラズノフ、スクリャービンのプログラムだった。N響がまるでちがう音を出した。ほんとうの一流指揮者、超一流の指揮者だと思った。

 だが、マゼールの音楽的な能力は、もういうまでもないだろう。それはだれもがわかっている。もしかすると、本人が一番わかっていたのかもしれない。

 今になってみると、一番印象に残っているのは、ベルリン・フィルでカラヤンの後任になれなかったときの切れ方だ。猛烈な切れ方だった。ぶち切れた。それはものすごく俗っぽかった。会社勤めの我が身に置き換えても、ひじょうに興味深かった。

 同じくベルリン・フィルでフルトヴェングラーの後任になれなかったチェリビダッケの場合は、世捨て人のようになって、ローカルなオーケストラを振り続けた。自分のやりたいことをやれるオーケストラを転々とした。晩年になったら大ブレークした。でも、そんな時代が来るとは、本人自身思っていなかったのではないだろうか。

 一方、マゼールはメジャーなオーケストラを振り続けた。いつも脚光を浴びる場所にいた。ギャラが高いという噂もあった。

 ニューヨーク・フィルの音楽監督になった関係で、ジョン・アダムズ(1947‐)の「魂の転生」On the Transmigration of Soulsの初演を振った。2001年9月の同時多発テロの犠牲者を悼む作品だ。そのCDを聴いたときの感動は忘れられない。

 人生どこでどう転ぶかわからないものだ。マゼールの名はこの曲の初演者としても(たぶん永遠に)残ることになった。この曲の初演者ということが、大方の音楽ファンにはどれほどの意味をもつか‥。でも、わたしをふくめた少数派には感慨深い記憶だ。

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