Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

新印象派展

2015年02月27日 | 美術
 新印象派展に行ってきた。手応え十分だ。

 新印象派――。ざっくりと、点描主義といったら、おそらく不正確なのだろうが、概念をつかむためには、その言葉が便利だ。代表者はジョルジュ・スーラ(1859‐1891)とポール・シニャック(1863‐1935)だ。本展ではその二人をふくむ多数の画家の作品が集められている。

 新印象派がどこから生まれ、どう発展したか、それが明快に辿られている。モネ(1840‐1926)から生まれ(1886年に開かれた最後の印象派展にスーラの大作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」が展示されるという象徴的な出来事があった。)、瞬く間にフランス内外に広まり、最終的にはマティス(1869‐1954)などのフォーヴィスムに流れ着く。その潮流が目に見えるようだ。

 煩瑣になるのを覚悟で、本展に来ている作品の画家名をあげると、マクシミリアン・リュス(1858‐1941)、テオ・ファン・レイセルベルへ(1862‐1926)、ヤン・トーロップ(1858‐1928)、ルイ・アイエ(1864‐1940)、アンリ=エドモン・クロス(1856‐1910)等々。

 各々の画家には、技法もさることながら、テーマにも個性がありそうだ。だが、本展だけでは、作品数が限られているので、個々の個性について確信を持つには至らなかった。むしろ群像としての‘新印象派’の広がりが圧巻だった。

 ジョルジュ・スーラの作品は、「セーヌ川、クールブヴォワにて」(1885年。前述の「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を制作していた時期だ。)と「ポール=アン=ベッサンの外港、満潮」(1888年)が来ている。「ポール=アン=ベッサン……」は前にも見た記憶があるが、「セーヌ川……」は初めてではないか。スーラの気力の充実をうかがわせる作品だ。
 ※なお、個々の作品の画像は本展のHPで↓

 ポール・シニャックの作品は何点か来ているが、「髪を結う女、作品227」(1892年)と「サン=トロペの松林」(1892年)が印象的だった。偶然だが、同年の作品だ。その前年にスーラが早逝して、シニャックが新印象派のリーダー格になった時期だ。そんなことも影響しているのかもしれない――、ずっしりした存在感があった。シニャックは(スーラと比べると)長命だったので、それなりの画風の変遷があるが、この頃が一番好きだ。
(2015.2.26.東京都美術館)

↓作品の画像
http://neo.exhn.jp/exhibition/
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結婚手形&なりゆき泥棒

2015年02月22日 | 音楽
 新国立劇場オペラ研修所の公演は、時々(本公演では観られないような)意欲的な演目が取り上げられるので、楽しみにしている。今回はロッシーニの「結婚手形」と「なりゆき泥棒」という一幕物の2本立てだった。ロッシーニなので一抹の危惧はあったが、これらの演目、見逃す手はない。

 「結婚手形」は、なんとも重かった。正直いって閉口した。音を拾ってアンサンブルの基礎固めをしているような演奏だった。ロッシーニらしさが出てこない。あの浮き浮きした気分が出てこない。オペラ研修所の公演では、将来有望な歌手を見つけることも楽しみの一つだが、これでは見極めがつかなかった。

 ぐったり疲れた。休憩のときには、もう帰ろうかと思った。でも、まあ仕方がない、頑張るかと――。

 ところが「なりゆき泥棒」になったら、俄然、生気を帯びてきた。ロッシーニ・クレッシェンドにも勢いがあった。ロッシーニのあの壮麗な音楽が、文句なく表現された。前半での疲れを忘れて、音楽の流れに乗ることができた。

 一幕物とはいえ2本準備するのは、やはり無理があったのだろうか。これならたとえ公演としては短くなっても、1本に絞ったほうがよかったのではないかと思った。でも、それは観客の勝手な思いだろう。できるだけ多くの歌手に経験を積ませるためには、2本必要だったのだろう。

 ともかく、結果として、「なりゆき泥棒」は大いに楽しませてもらった。これは記憶に残ると思う。今までオペラ研修所の公演では、プーランクの「カルメル会修道女の対話」(2009年3月)とブリテンの「アルバート・ヘリング」(2007年3月)にもっとも感銘を受けたのだが、今回の「なりゆき泥棒」はわたしの中でそれらに次ぐ位置を占めるだろう。

 指揮は河原忠之。前述のように「なりゆき泥棒」で生彩のある音楽の流れを生み出した。オーケストラは東京シティ・フィル。よくまとまったアンサンブルだった。

 東京シティ・フィル!!翌日は定期演奏会だ(マチネー公演)。しかも夜にはまたオペラ研修所公演がある。ハードスケジュールだ。プロとはタフなものだ。その定期演奏会にも行ったが、ジョゼフ・ウォルフの指揮で、モーツァルトの交響曲「リンツ」、エルガーの「弦楽セレナード」そして「エニグマ変奏曲」を演奏した。会場は湧いた。わたしはとくにメランコリーを湛えた「弦楽セレナード」の演奏が気に入った。
(2015.2.20.新国立劇場中劇場)
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不正義の果て

2015年02月20日 | 映画
 先日「SHOAHショア」(1985年)を観たら「不正義の果て」(2013年)も観たくなった。どちらもクロード・ランズマン監督(1925‐)のドキュメンタリー映画だ。「SHOAHショア」の製作過程で作品に盛り込まれなかった素材があって、それを蘇らせた作品だ。

 内容はチェコのテレージエンシュタット(現テレジン)のユダヤ人ゲットーでユダヤ人評議会議長を務めたベンヤミン・ムルメルシュタイン(1905‐1989)へのインタビューだ。

 テレージエンシュタットのゲットーは、音楽好きにはよく知られている。パヴェル・ハース(1899‐1944)、ヴィクトル・ウルマン(1898‐1944)、ハンス・クラーサ(1899‐1944)などの作曲家が収容されていた。3人とも亡くなったのは1944年。同時期にアウシュヴィッツに送られたからだ。

 ハースはヤナーチェクの弟子だった。ヤナーチェクの影響が色濃い。今ではヤナーチェクを継いだ作曲家はいないように思われるが、ハースが生きていたら後継者になったかもしれない。ウルマンはゲットーで「アトランティスの皇帝」という室内オペラを書いた。上演寸前までいったが、ヒトラーを風刺していることが分かって、上演禁止になった。先年、ベルリンで上演されたとき、観ることができた。よくこんなオペラが書けたものだと仰天した。

 テレージエンシュタットとはどんなところだったのか。ムルメルシュタインの話を聞くと、嘘と暴力と恐怖が支配する収容所だった。過酷な極限状態にあった。そんな中でよく作曲ができたものだ。

 ナチスの傀儡でありながら、ゲットーを仕切る立場にあったムルメルシュタインには、なにができたか。自らをサンチョ・パンサになぞらえるムルメルシュタインは、ドン・キホーテ(=ナチス)の狂気のもとで、自分にできることを冷静に計算した。その行動の是非を問うことは、自分ならどうすると、自らを問うことだ。重い問題がのしかかる。

 ランズマン監督は1週間かけてインタビューした。その末にムルメルシュタインを理解した。その正直さと誠実さを理解した。上掲(↑)のスチール写真は、そんな二人が街を歩く姿だ。温かい人間的な感情が通っている。

 一方、ムルメルシュタインはアイヒマンを「悪魔だ」と言っている。アイヒマンを「悪の凡庸さ」と捉えたハンナ・アーレントには手厳しい。
(2015.2.19.イメージ・フォーラム)

↓「不正義の果て」など3作品の特設ページ
http://mermaidfilms.co.jp/70/
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SHOAHショア

2015年02月16日 | 映画
 ドキュメンタリー映画「SHOAHショア」が公開中だ。アウシュヴィッツなどナチスの強制収容所の記憶、あるいはワルシャワのゲットー(ユダヤ人強制居住区)の記憶などを語る多数の証言の記録だ。

 全編で567分(9時間27分)の映画。半端な長さではない。第1部274分、第2部293分の2部構成になっている。今回の上映では、第1部をさらに2分割し、第2部も同様にして、全部で4部構成になっている。

 部分的に観ることも可能だが、一気上映の日もある。何度も足を運ぶことは難しいので、覚悟を決めて、一気上映に臨んだ。午前10時45分から始まって、終わったのは午後9時15分。途中に3回休憩があったが、入れ替えのための休憩であって、実際はトイレに行くのが精いっぱい。コンビニに行くこともできなかった。

 苦行といえば苦行だ。お腹も空いた。前の方の席で観ていたので、最後には首が痛くなった。でも、なんといっても、内容が内容だ。強制収容所やゲットーでの凄惨をきわめた経験を聞くと、お腹が空いた、疲れたなどと不平をいう気にはなれなかった。

 なぜ、こんなに長い映画になったのか。それが分かった。たとえばある強制収容所からの生還者に会って話を聞く。その生存者は当時13歳の少年だった。強制収容所で下働きをさせられた。歌がうまかった。その歌声は近隣のポーランド人たちに知られていた。それが分かると、当時のポーランド人たちに話を聞く。さらにその生存者を連れて行って、当時のポーランド人たちと再会させる。

 その生存者の反応はどうか。胸にはなにが去来するか。またポーランド人たちの反応はどうか。昔と今とではなにが違っているか。それとも同じか。静かなドラマが進行する。忘れられない。

 このように芋づる式に当時の人々から話を聞く。各人の話には、ディテールはともかく、意外に矛盾がない。記憶は一致している。だが、ユダヤ人、ポーランド人、あるいはナチス(当時ナチスだった人々からも話を聞いている)、それぞれの感じ方には絶望的な溝がある。それは今でもだ。

 1985年の作品だ。当時は世界各国で各種の映画賞を受賞した。日本では1987年にヴィデオ上映会が開かれた。1995年には東京日仏学院(当時)で試写会開催。1997年にはアテネ・フランセ文化センターで一般公開。そしてついに今回の劇場上映となった。
(2015.2.15.イメージ・フォーラム)

↓「SHOAHショア」など3作品の特設ページ
http://mermaidfilms.co.jp/70/
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パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2015年02月15日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィが振るN響定期のCプロ。前回のAプロ(2月7日)の異常な緊張感が再現するのか、それとも――。

 1曲目は庄司紗矢香をソリストに迎えてシベリウスのヴァイオリン協奏曲。冒頭、独奏ヴァイオリンがテーマを提示するその歌い方が、あえていえば、さりげなく、スッと入ってくる。いかにも庄司紗矢香だと思った。この部分、思い入れたっぷりに歌うソリストもいるが、庄司紗矢香はそうではない。音楽の形を崩さない。デフォルメしない。全体の構成の中にぴったり入る。

 以下、庄司紗矢香の独り舞台だ。淀みなく語り続けるその演奏が、いつの間にか大きくクローズアップされる。オーケストラの細心のテクスチュアがそれを支える。第2楽章もしかり。庄司紗矢香が語り続ける。

 いつも思うことだが、庄司紗矢香の存在感はすごい。並外れている。とくになにか変ったことをするわけではないのに、圧倒的な存在感がある。持って生まれた音楽性。揺るぎのない音楽が眼前する。

 でも、正直にいうと、今回、物足りなさを感じてしまった。そんなことは初めてだ。自分でも驚いた。予想もしていなかった。だが、なにか、感じることがあった。それはなにかというと、もうちょっと冒険してもいいのでは、ということだ。極めて安定したその演奏(それ自体すごいことだが)の先に、その場限りの冒険があったら、と思った。

 オーケストラは、第3楽章になって、今まで気付かなかった音型が、あちこちから聴こえるようになった。こんなことをやっていたのかと、目をみはる想いがした。第2楽章までの細心の演奏から一転して、わたしたちを挑発するような面白さがあった。

 アンコールが演奏された。ヴァイオリンをギターのように持って、ピチカートだけで演奏する作品。小唄のような曲だった。シベリウスの「水滴」。シベリウスにこんな曲があったのかと驚いた。帰宅後、ナクソス・ミュージック・ライブラリーを調べてみたら、ヴァイオリンとチェロの二重奏曲だった。では、チェロは、どうなったのだろう。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番。オーケストラの音色の多彩さは前回Aプロと同様だが、あの異常な緊張感は再現しなかった。あれは一回限りのものだったのだろうか。それとも、コンサートマスターの違い(前回は客員のエシュケナージ、今回は堀正文)の影響があったのだろうか。
(2015.2.14.NHKホール)

↓シベリウスの「水滴」
http://ml.naxos.jp/work/2049152
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カンブルラン/読響

2015年02月14日 | 音楽
 カンブルラン率いる読響が3月上旬に欧州公演をおこなう。ベルリンなど5都市でAプロ、Bプロの2種類のプログラムを演奏する。昨日の定期ではそのうちのAプロが披露された。

 1曲目は武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」。武満徹の代表作の一つだ。小澤征爾指揮ボストン交響楽団のレコードが出たときには繰り返し聴いた。もちろん、その後、日本のいくつかのオーケストラでも聴いた。でも、どういうわけか、昨日は意外に地味な曲だと感じた。

 編成が比較的小さく、演奏時間は13分程度。でも、そういう外形的なことではなく、音色が地味で、音量も抑え気味、表現は内省的だと感じた。端的にいうと、ドビュッシーなどに通じる色彩感よりも、むしろ禅の世界観に通じるなにかを感じた。

 なぜ、そうなるのか。この曲が作曲された1977年からすでに38年がたち、その後の作曲界がずっと遠いところまで来てしまったからか。それともカンブルランがこの曲から読み取ったものが、西洋とは違った世界観だったのか。ともかく、この演奏がベルリンその他でどう受け止められるか、興味のあるところだ。

 2曲目はバルトークのヴィオラ協奏曲。バルトークの遺作のこの曲、未完の草稿を弟子のシェルイが補筆したわけだが、何度聴いても、とくにオーケストラ部分が控えめで、昨日も第1楽章では苛々してしまった。だが、昨日は、そのオーケストラ部分の演奏がくっきりした輪郭を持っていた。今まで聴いた中で昨日が一番よかった。

 ヴィオラ独奏のニルス・メンケマイヤーもよかった。豊かな音色もさることながら、音楽性がすばらしい。これは持って生まれたものだ。1978年生まれのドイツ人。アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンドが演奏された。

 プログラム後半はまずアイヴズの「答えのない質問」。そしてアタッカでドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」に移行した。シュールな「答えのない質問」から休みなく「新世界より」につながると、「新世界より」がまるで違った曲に聴こえる。実験的な音の構造の曲。新鮮な驚嘆のうちに一気に聴き終えた感じがする。

 カンブルランは以前にもハイドンの「天地創造」の冒頭からヴァレーズの「砂漠」につなげ(テープ音楽部分はカット)、再度「天地創造」に戻ったことがある。あのときの驚きを思い出した。
(2015.2.13.サントリーホール)
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白墨の輪

2015年02月10日 | 音楽
 林光のオペラ「白墨の輪」は、いつかは観たいと思っていたオペラだ。やっとその機会が訪れた。

 原作はブレヒトの戯曲「コーカサスの白墨の輪」。ブレヒト、そして林光とくれば、おのずから一定のイメージが湧く。でも、そのイメージとは微妙に異なる味だった。

 結論からいうと、予想よりも熱く、ストレートで、湿り気のある印象を持った。もっと乾いた、シニカルな感覚を予想していたので、意外だった。プログラムに掲載された萩京子氏(主催者のオペラシアターこんにゃく座代表)の巻頭言によると、本作は1978年の初演、林光47歳の作品だ。林光も若かったのだ。

 林光のオペラは、「森は生きている」(マルシャーク原作、1992年)と「変身」(カフカ原作、1996年)を観たことがある。児童文学が原作の「森は生きている」は心温まる詩的な作品だった。「変身」にも感心した。カフカの小説をオペラとしてよくまとめていた。乾いた音楽が、主人公の悲劇をくっきりした輪郭で描きだしていた。

 「白墨の輪」には、ブレヒト一流の、突き放した感覚を予想していた。そうではなかったのは、前述のとおりだが、それは林光の若い情熱が主因だろう。また、本作を「民衆の劇」(今回演出を担当した坂手洋二氏の「演出家のことば<旅>と音楽劇……」より)と捉えた演出も影響しているのかもしれない。

 正直言って、何度か涙が頬をつたった。年のせいか、涙もろくなった。

 1978年の初演はピアノだけの伴奏だった(こんにゃく座公演)。2001年には神奈川芸術文化財団主催でオーケストラ版が公演された。ピアノ版とオーケストラ版では多くの改変があるそうだ。今回は、オーケストラ版にもとづき、ピアノとフルート、オーボエ(一部イングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット、ファゴット各1本の室内アンサンブル版で公演された(吉川和夫、寺嶋陸也、萩京子の編曲)。

 林光のオペラは、昨年「吾輩は猫である」が上演されたと思うのだが、記憶がはっきりしない。林光はいったい何本のオペラを書いたのだろう。ホームページを見てみたら、33本も掲載されていた。ユニークな作品群かもしれない。発掘を待っている宝の山かもしれない。

 突飛な連想かもしれないが、ベンジャミン・ブリテンが書いた一連の室内オペラを思い出した。将来その日本版と位置付けられる可能性は――。
(2015.2.8.世田谷パブリックシアター)
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パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2015年02月08日 | 音楽
 本年9月からの首席指揮者就任を控えたパーヴォ・ヤルヴィの登場。N響新時代を占う定期だ。否が応でも注目を集める。

 プログラムはエルガーのチェロ協奏曲(チェロ独奏はアリサ・ワイラースタイン。プロフィールによると、バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団と同曲を録音しているそうだ。)とマーラーの交響曲第1番「巨人」。なんの変哲もない、どこにでもありそうなプログラムだ。でも、それが――。

 以下、順を追って感想を記すと、まずエルガーのチェロ協奏曲。元々渋い曲なので、盛り上がるとか、鮮烈な演奏だとか、そんなことになる可能性は少ない(正直なところ、あのジャクリーヌ・デュ・プレのような演奏が生まれることは、稀有なことだと、あらためて感じた。)

 オーケストラも、第3楽章までは、とくにやることもないといった風情だったが、第4楽章になって、トゥッティの部分で張りのある音が出た。おっと思った。パーヴォ/N響の新時代を垣間見る想いがした。

 ワイラースタインも優秀だったが、作曲者晩年の枯れた味とは異なる、若さから来るエネルギーのようなものを感じた。だが、第4楽章の最後で第1楽章冒頭のチェロのモノローグが再現する直前の、音楽が止まるような深い沈潜に、思わず息をのんだ。ものすごい集中力だった。その部分のオーケストラの集中力もすごかった。

 アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第3番からサラバンドが演奏された。さりげなく始まり、リラックスして演奏しているようだったが、気が付くと、ホールを埋め尽くす聴衆の注意を一身に集めていた。

 さて、次はマーラーの交響曲第1番「巨人」。冒頭の弦のフラジオレットが、これ以上はないというくらい薄く、弱く、演奏された。この瞬間からこの演奏は只者ではないことを予感させた。そこから先の展開をどう表現したらいいか。この演奏をどう言葉で再現したらいいのか。音圧の強さ・弱さ、テンポの変化、フレーズの処理、どれをとっても普通のドラマトゥルギーを超えていた。スコアの解像度が格段に高い。これはもう通常のレヴェルを遥かに超える演奏だった。

 オーケストラには近年稀なほどの緊張感があった。長老指揮者たちとのどかに過ごした日々から一瞬にして目覚めた観があった。N響が世界の最前線に躍り出ることだって夢ではない。そんな可能性を感じさせた。
(2015.2.7.NHKホール)
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こうもり

2015年02月07日 | 音楽
 新国立劇場の「こうもり」。2006年プレミエのこのプロダクション、今回で何度目の上演になるのだろう。わたしが観るのは3度目だ。

 演出はハインツ・ツェドニク。とくになにかをするわけではなく、かといって細かいところがなおざりにされているわけでもなく、一言でいって、ごくまっとうな演出だ。劇場側としては安心して使えるのだろう。

 演出よりもむしろ舞台美術に特色がある。「アール・デコの感覚を反映」させた(プログラムに掲載されたツェドニクの言葉)この舞台美術は、明るく淡い色調で美しい。心穏やかに見ていられる。第2幕のオルロフスキー侯爵の夜会の場面は、金の破片を散らしたレースの幕が、クリムトを想起させる。

 その舞台美術はオラフ・ツォンベックの担当。新国立劇場では「エレクトラ」と「タンホイザー」も担当した。「タンホイザー」は透明感のある美しい舞台だった。「エレクトラ」はインパクトの強い舞台だったと記憶するが、再演の機会がない。

 今回の指揮者はアルフレート・エシュヴェ。力をためることなく、あっさりと先へ先へと進むが、オーケストラとよく噛み合っている。なるほど、こういう流れかと、観客にも分かりやすい音楽づくりだ。全体の構成がすっきり見えてくる。ウィーン・フォルクスオーパーのキャリアが長い人らしい。同劇場ではほとんどリハーサルもせずに、ぶっつけ本番で公演に臨んでいるのだろう。そういう劇場で鍛えられた指揮者だ。

 歌手は、アイゼンシュタイン役のアドリアン・エレートがさすがだ。技術がしっかりしているので、現代オペラも歌える歌手だが、昨年のドン・ジョバンニや今回のアイゼンシュタイン(アイゼンシュタインは2度目だ)も正確無比だ。

 ロザリンデ役のアレクサンドラ・ラインプレヒトは、声は豊かなのだが、音程に甘さがある。一方、アデーレ役のジェニファー・オローリンは、声は細いが、音程はしっかりしている。オルロフスキー侯爵役のマヌエラ・レオンハルツベルガーは、声にも容姿にも妖しい魅力があった。

 総じてとくに不足はない公演だが、シャンパンのような弾ける魅力には欠けていた。すべての出来事をシャンパンの泡に帰すこのオペレッタが、ソフトドリンクのように人畜無害なものになってしまった。ストレスのまったくない公演。ファミリーで楽しめる公演。でも、このオペレッタの本質はどこかに行ってしまった。
(2015.2.6.新国立劇場)
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後藤さんのツィート

2015年02月03日 | 身辺雑記
 後藤健二さんの悲報に接して以来、気持ちのふさぐ想いから抜け出せない。とりとめのない想いがあれこれ浮かぶ。何一つまとまったことができない。音楽関係のブログを書いたが、没にした。

 後藤さんも音楽が好きだったようだ。twitterを読むと、ベルリオーズの幻想、ドヴォルザークの8番、アンネ・ゾフィー・ムターなどが出てくる。厳しく、緊張の極みにある取材現場から一歩離れたときには、音楽に耳を傾けていたようだ。

 取材中の後藤さんは生き生きとして見える。後藤さん自身、生命の充溢を感じていたのではないだろうか。危険があることは誰よりも分かっていたろうが、そんなことは問題にならなかった。誰が止めても現場に行っただろう。そんな輝きが発している。

 twitterのフォロワーは今現在で36,499人だ。どんどん増えている。わたしがだれかのツィートに応えてフォロワーになった時は何人だったろう。ともかく、すごい勢いで増えている。

 2月2日の日経新聞夕刊に後藤さんのツィートが載った。2010年9月7日のツィートだ。

 「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。」

 わたしもリツィートした。今見たら29,703人がリツィートしている。このツィートは後藤さんが天国から今のわたしたちに発したもののように感じられる。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域――、私たちに今一番大事なことだ。憎しみを煽るような言葉には十分注意しよう。ネットにはそんな言葉も溢れている。そんな言葉は遠ざけよう。そういう言葉ほど後藤さんの遺志から遠いものはない。

 唐突かもしれないが、ナチスはユダヤ人にたいする人々の憎しみを煽った。それは大成功した。憎しみはナチズムの根幹を成した。また、三島由紀夫は、戯曲「鹿鳴館」のなかで登場人物の一人に「政治とは人々の憎しみを組織化することだ」(大意)と言わせている(申し訳ないが、手元に原文がないので、言葉は正確ではない)。三島は権力の側をよく知っていたと思う。

 わたしは音楽が好きなので、仕事からまっすぐ帰った日にはCDを聴く。どうしても後藤さんのことが頭から離れないので、追悼の想いで聴く。昨日はショパンの夜想曲を聴いた。遺作の第21番ハ短調(有名な第20番嬰ハ短調ではなく)が一番しっくりきた。
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後藤健二さんを悼む

2015年02月01日 | 身辺雑記
 後藤健二さんがついに殺害された。あまりの痛ましさに胸がふさぐ。ご冥福を祈るほかない。

 事件が起きてから、ずっと息をひそめて見守ってきた。もちろん、後藤さんとはなんの面識もなく、そればかりか、後藤さんの名前さえ知らなかったが、事件が起きてから、後藤さんの人柄を知り、仕事の方向性を知るようになって、心からの共感を覚えた。

 テレビを見ないわたしではあるが、インターネットで動画を見た。最期の時の後藤さんはまっすぐ前を見ていた。しっかりしているようだった。その顔に恐怖の影は窺えなかった。憎悪の一片さえも感じられなかった。わたしだったら長期間の恐怖に憔悴しきり、人間らしい表情は失っているだろう。凄い人だと思う。

 何も語ることを許されずにこの世を去った後藤さん。後藤さんの心中には何があったのだろう。わたしたちはそれを後藤さんの顔から読み取るしかない。だれもが自分の想いを投影するだろう。そんなあやふやな話でしかないが、わたしには映画「神々と男たち」(2010年フランス映画)が想い出されてならない。

 1996年にアルジェリアの山村で起きた実話にもとづく映画だ。修道士8人が、同地の生活に溶け込み、貧しい人々を助けながら、布教に努めていた。しかし武装イスラム集団の脅威が迫ってきた。修道士たちは、村を去るか、踏みとどまるかを議論する。全員、踏みとどまることを選択する。数日後、武装集団に襲撃される。全員、命を落とした。

 実話であるがゆえに、修道院長の遺書が残っている。映画のプログラムに掲載されていた。探してみたら、まだ持っていたので、読み返してみた。後藤さんの心中と重ね合わせて胸が詰まった。

 「さよならを言わなければならない時に……」と書き出されるこの遺書、全文を紹介したいが、それはできないので、最後の部分だけ引用したい。やがて来るだろうテロリストに呼びかける部分だ。

 「そして、私の最期の時の友人、その意味も知らずに私を殺す人、にもこの感謝と別れを捧げる。なぜなら、私はあなたの中にも神の顔を見るからだ。私たち二人にとっての父である神が望まれるならば、私たちはゴルゴダの丘で最後にイエスと共に十字架にかけられながら、永遠の命を約束された盗賊たちのように、また天国で会おう。アーメン、インシャラー」(曽野綾子氏の訳)

 底知れない‘赦し’の気持ち――。後藤さんの最期の時も、そういう想いだったかもしれない。
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