Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

井伏鱒二「黒い雨」

2024年01月08日 | 読書
 能登半島の大地震や羽田空港の航空機事故の続報が連日入る。胸の痛む毎日だ。志賀原発もじつは危険な状態だったことが分かった。最初は「異常なし」といっていたが‥。

 気を取り直して、2023年に読んだ2冊の本の感想を書いておきたい。まず井伏鱒二の「黒い雨」から。「黒い雨」は、映画は観たが、原作は読んでいなかった。2023年は井伏鱒二(1898‐1993)の没後30年だったので、その機会に読んでみた。映画と原作はだいぶ異なる。映画は原爆の悲劇が抒情的に描かれていた。原作はむしろ散文的だ。原爆という空前絶後の惨事にあった一人の日本人の姿が描かれる。

 原作では閑間重松(しずま・しげまつ)という老人が前面に出る。重松は戦後、同居する姪の矢須子の縁談が持ち上がったので、縁談相手に矢須子は原爆投下当時、広島市内にはいなかった(被爆していない)ことを説明するために、当時の日記を清書する。日記に書かれた原爆投下当時の行動と戦後の日常生活が並行して進む。だが、結論を先にいうようだが、重松が清書する途中で、矢須子は原爆の後遺症を発症する。矢須子は、直接被爆はしていないが、黒い雨に当たっていた。縁談は破談になる。

 重松の日記は「被爆日記」と呼ばれる。原爆投下当時の記述が克明だ。重松は郊外の被服工場に勤めていた。出勤途中で被爆した。あてどなく広島市内をさまよう。次から次へと想像を絶する光景に出会う。まさに地獄絵だ。

 周知のように「被爆日記」には原典がある。ある方の日記だ。わたしは未読だが、その日記も出版されているらしい。井伏鱒二は筆者の許諾を取って「黒い雨」に使った。だからだろう。ディテールが生々しい。井伏鱒二がいくら大作家だからといって、作家の想像力を超えると思われるディテールが続出する。

 それらのディテールを繰り返しても仕方がないので、印象的なエピソードを2点取り上げたい。1点目は軍の頼りなさだ。重松の勤める被服工場は軍の納入業者だ。重松は被爆直後に、工場を再稼働するための石炭が足りないので、軍に相談する。だが軍の担当者は「会議を開いた上で結論を出さんければならん」の一点張りだ。軍にかぎらず役所というものは非常時には頼りにならないものらしい。2点目は悪事の横行だ。被爆直後に軍人数人が被服工場に押しかける。「軍が預けた保管食糧を受け取りにきた」と。軍人たちはトラックで食糧を運び去る。だがそれは詐欺だった。被服工場の担当者はしょげ返る。「一生かかっても軍に弁済します」と。

 役所の頼りなさと悪事の横行は、東日本大震災のときも起きたし、現在の能登半島地震でも起きているようだ。
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