Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カーチュン・ウォン/日本フィル

2024年01月28日 | 音楽
 カーチュン・ウォンと日本フィルが快調に飛ばしている。昨年10月の首席指揮者就任披露公演となったマーラーの交響曲第3番はもとより、11月のチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」や12月のショスタコーヴィチの交響曲第5番もすばらしかった。そして今度はカーチュン・ウォンと日本フィルならではのアジア・プログラムが組まれた。

 1曲目はチナリ―・ウン(1942‐)の「グランド・スパイラル:砂漠の花々が咲く」。ウンはカンボジア生まれの作曲家だ。1965年にアメリカに渡り、クラリネットと作曲を学んだ。当時カンボジアではクメール・ルージュによる大虐殺が起きたが、ウンはアメリカにいたために難を逃れた。その後アメリカで音楽活動を続ける。

 そんなウンの「グランド・スパイラル」は、鮮やかな色彩感と西洋音楽とは異質な拍節感が衝撃だった。渦巻くような音の世界だ。アジア的な混沌を感じる。ものすごいエネルギーだ。ウンはヴァレーズの弟子の周文中に師事した。そのためだろうか、音のエネルギーと非西洋的な要素がヴァレーズに似ている。副題の「砂漠の花々が咲く」もヴァレーズの「砂漠」を連想させる。

 2曲目はプーランクの「2台のピアノのための協奏曲」。プーランクは好きな作曲家だが、この曲は初めてだ。驚くべきことには、第1楽章のカデンツァに相当する部分がガムラン音楽の模倣になっている。第2楽章の末尾には五音音階のようなフレーズが聴こえた。最終楽章の第3楽章の末尾にもガムラン音楽的な部分が現れる。プーランクにこんな曲があったのかと。独奏は児玉麻里と児玉桃。フランス音楽が手の内に入った流暢な演奏だ。

 3曲目はコリン・マクフィー(1900‐1964)の「タブー・タブーアン」。コリン・マクフィーはブリテンにガムラン音楽を教えた人だ。わたしの手持ちのブリテンの伝記には、ブリテンとマクフィーのツーショット写真が載っている。「タブー・タブーアン」はガムラン音楽を西洋オーケストラに移植した作品だ。実演で聴くのは初めて。思いがけなくスリリングな曲に聴こえた。演奏が良かったからだろう。

 4曲目はドビュッシーの「海」。もう何度も聴いた曲だが、マンネリ化せずに、新鮮な感覚で聴けた。無神経に鳴らされる音が皆無だ。すべての音に細心の注意が払われる。細かいニュアンスが施された音が絶えず生起する。最大の特徴は、音の切れの良さだ。一方、全体のフォルムは崩れない。清潔かつ正統的な音楽が立ち上がる。上質のアンサンブルが支える。語弊があるかもしれないが、あえて感じたままをいうと、(このような演奏を続けると)日本フィルのイメージを一新する可能性があると思う。
(2024.1.27.サントリーホール)
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METライブビューイング「マルコムX」

2024年01月23日 | 音楽
 METライブビューイングでアンソニー・デイヴィス(1951‐)のオペラ「マルコムX」(現題は「X:The life and Times of Malcolm X」)を観た。アメリカの黒人解放運動の指導者のひとりマルコムX(1925‐1965)の生涯を描いたオペラだ。

 全3幕、上演時間約3時間の堂々たるオペラだ。第1幕はマルコムXの父親が交通事故で亡くなった(白人のレイシストに殺害された可能性がある)1931年から、従姉に引き取られてボストンで青年時代を送る1940年代までを描く。第2幕はマルコムXがイスラム教の団体「ネイション・オブ・イスラム」の伝道者として活躍する1950年代から1960年代初頭までを描く。第3幕はマルコムXが「ネイション・オブ・イスラム」から離れてメッカに巡礼に赴き、人種に関係なくイスラム教のもとですべての人々が平和に生きる世界観に到達した直後の1965年に暗殺されるまでを描く。

 アンソニー・デイヴィスの音楽が特徴的だ。小刻みなリズムが執拗に続き、そのリズムに乗って、たゆたうような旋律が歌われる。ミニマル・ミュージックからの影響が感じられる。一方、音響は透明だ。倍音が計算されているのかもしれない。オーケストラにはジャズ・コンボが加わる。ジャズ・コンボは1940年代のジャズ(第1幕)と1950年代のジャズ(第2幕)を再現する。本作品はジャズの変遷をたどるオペラでもある。

 本作品は1986年にニューヨーク・シティ・オペラで初演された(1985年にフィラデルフィアで初演された作品の改訂版だ)。その(黒人解放運動を扱う)作品をオペラの殿堂のメトロポリタン歌劇場(MET)で上演することは、どんなに勇気あることだろう。ジョージ・フロイドの死に端を発するBLM運動(ブラック・ライブズ・マター)と関係があるのかどうか。それともMETでの上演の準備中にBLM運動が起きたのか。

 アメリカは自由と民主主義を標榜するが、それは白人の自己認識に過ぎず、黒人には迫害と専制主義の国かもしれない。黒人の置かれた状況を直視し、その不当性からの解放を訴えたのがマルコムXだ。本作品の第1幕の最後にマルコムXが怒りをこめて歌うアリアのときに、演出のロバート・オハラは客席を明るくした。マルコムXの訴えが客席にいる人々に向けられていることを意識させるかのようだ。

 マルコムXを歌ったのはウィル・リバーマン。張りのあるバリトンの声だ。子悪党のストリートと「ネイション・オブ・イスラム」のイライジャの2役を歌ったのはビクター・ライアン・ロバートソン。高度なキャラクター・テノールだ。マルコムXの母親ルイーズと妻ベティの2役を歌ったのはリア・ホーキンズ。若々しい声だ。指揮のカジム・アブドラはドイツのアーヘン歌劇場の音楽監督を務めた人だ。
(2024.1.22.109シネマズ二子玉川)
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カーチュン・ウォン/日本フィル(横浜定期)

2024年01月21日 | 音楽
 カーチュン・ウォンが指揮する日本フィルの横浜定期。1曲目は伊福部昭のバレエ音楽「サロメ」から「7つのヴェールの踊り」。リズムの切れが良く、中東的な情緒が濃厚だ。一朝一夕の演奏ではなく、作品への理解と自信が感じられる。カーチュンと日本フィルが積み上げてきた伊福部昭作品の演奏経験の表れだろう。

 「7つのヴェールの踊り」といえばリヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」の同名曲を思い出すが、シュトラウスの音楽とはそうとう異なる。わたしは初めて聴いたので正確性を欠くかもしれないが、曲は大きく分けて、緩ー急ー緩ー急の4つの部分に分かれるようだ。たぶんその中で7つのヴェールを一枚ずつ取り去るのだろう。

 2曲目はラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。ピアノ独奏は上原彩子。例の甘いメロディーの第18変奏が意外に甘さ控えめだ。それが上原流かもしれない。次の第19変奏のリズミカルな動きに生気がある。上原らしさを感じる。全体的にスリリングな演奏だ。カーチュン指揮の日本フィルも鋭いリズムで上原を支える。鮮やかなコラボレーションだ。

 上原のアンコールがあった。ラフマニノフの練習曲集「音の絵」作品39から第5番アパッショナートだ。「パガニーニ……」とは打って変わり、暗い情熱が渦を巻く。そのコントラストに惹きこまれる。

 3曲目はベルリオーズの「幻想交響曲」。芝居気たっぷりの曲なので、どんな演奏になるかと思ったが、意外といっては何だが、むしろ丁寧な演奏だった。ベルリオーズのスコアをまずは正確に再現する演奏だ。もちろんその上で、あちこちの動きに強烈なアクセントを付けて浮き上がらせたり、リズムを鋭角的に付けたりする。それはいつものカーチュンだが、音楽の全体的な型は崩さない。清潔かつ正統的だ。

 想像するに、「幻想交響曲」は日本フィルに関係の深い某指揮者の十八番だ。その指揮者は数少ないレパートリーを繰り返し演奏するのだが、困ったことには、曲をいじくりまわす。カーチュンはそのデフォルメされた部分を修正したのかもしれない。日本フィルに一種の緊張が感じられたのはそのためだろうか。

 細かい点を2点あげると、まずは第2楽章だが、当夜はコルネットのオブリガート付きで演奏された(名手オッタビアーノが演奏した)。音量が控えめだったことが印象的だ。次に第3楽章だが、中間部のトゥッティの後のチェロにポルタメントが付いていた。あそこは主人公が絶命する場面かもしれない。そうだとすると、コミカルな味があった。
(2024.1.20.横浜みなとみらいホール)
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ヴァイグレ/読響

2024年01月17日 | 音楽
 ヴァイグレ指揮読響の定期演奏会。1曲目はワーグナーの「リエンツィ」序曲。重心の低いがっしりした演奏だ。劇場でオペラ公演の序曲として聴いたら、堂々とした立派な演奏だと思うかもしれない。だが演奏会の曲目として聴くと、音色の魅力に欠ける。音色をもっと磨いてほしい。ドイツのローカルなオーケストラの音のようだった。

 2曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏はダニエル・ロザコヴィッチ。2001年ストックホルム生まれというから、今年23歳だ。驚くほど澄んだ音色の持ち主だ。フレージングも美しい。抜群の音楽性を持っているようだ。

 だが、気になる点がある。たとえば第1楽章のカデンツァが終わり、オーケストラが戻る箇所で、ヴァイオリンの音が聴こえるか聴こえないか、というほどの弱音になった。テンポは今にも止まりそうだ。オーケストラもそれに付ける。そんな極端な瞬間が生まれた。第2楽章にも同じような瞬間があった。終わり間際に音は弱く、細くなり、ほとんど消え入りそうになった。テンポも止まりそうだ。オーケストラも付けている。たぶんロザコヴィッチの意図だろう。ヴァイグレの演奏スタイルではない。

 わたしはその意図をいぶかった。まだ若いので、いろいろやってみたいのかもしれない。でも率直にいえば、そんなことをしなくても、筋の良さは人並外れた人だから、天性の音楽性を伸び伸びと発揮してもらいたい。少なくともわたしは、今が旬の若い音楽性を楽しみたいと思った。

 アンコールがあった。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番から第1楽章アダージョだ。抜けるように澄んだ音色に魅了される。フレージングは美しいという以上に、わたしの琴線に触れるものがある。テンポは遅めだったかもしれない。若者のピュアな感性が捉えたバッハだと思った。

 3曲目はリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」。基本的には1曲目の「リエンツィ」序曲と同様に、骨格の太い、がっしりと構築された演奏で、「リエンツィ」序曲にはなかった振幅の大きさが加わる。だが音色の魅力が乏しい。オーケストラのショーピースと化した曲だから余計にそう思うのかもしれないが、どうしてもローカル色を感じてしまう。

 ヴァイグレは2023年10月にアイスラーの「ドイツ交響曲」で大ヒットを飛ばした。わたしは本気になったヴァイグレに初めて触れた気がした。底知れないパワーがあった。それに比べると今回は通常運転だったかもしれない。次の大ヒットはいつかと思う。
(2024.1.16.サントリーホール)
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ソヒエフ/N響

2024年01月15日 | 音楽
 ソヒエフが指揮したN響の定期演奏会Aプロ。1曲目はビゼー作曲シチェドリン編曲の「カルメン組曲」。バレエのための音楽だ。初めて聴いたときにはびっくりした。「カルメン」の音楽が順不同に出てくるのはともかくとして、「カルメン」とは関係のない「アルルの女」の音楽と「美しきパースの娘」の音楽が出てくる。たぶんバレエのストーリーの展開のうえで、つなぎの音楽が必要だったのだろう。

 弦楽合奏と多数の打楽器(5人の打楽器奏者が演奏)のための音楽だ。全体は13曲からなる。たとえば第4曲「衛兵の交代」では打楽器がコミカルな動きをする。第11曲「アダージョ」から第12曲「占い」、第13曲「終曲」へと一気にシリアスになる。コミカルからシリアスへの転換が鮮やかだ。

 演奏は極上だった。弦楽器も打楽器も繊細な神経が張り巡らされ、集中力が途切れない。しかも力まずに、リラックス感を保つ。まさに一流指揮者と一流オーケストラの演奏だ。とくに印象に残った部分は第10曲「闘牛士とカルメン」で挿入される「美しきパースの娘」のボヘミアの踊りだ。驚くほど幻想的な響きだった。この部分はこういう音が鳴っていたのかと、目から鱗が落ちる思いだった。

 2曲目はラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」。1曲目でN響の弦楽器と打楽器を堪能した後に、2曲目では木管楽器を堪能した。シンプルな2管編成で書かれている。その一人ひとりの演奏に耳を澄ませた。どの音も音楽的だ。たぶん1曲目でわたしの耳がリフレッシュしたので、2曲目も細かく聴けたのだろう。

 3曲目はラヴェルの「ラ・ヴァルス」。この曲ではフル編成のオーケストラを堪能したわけだが、それと同時にこの曲の奇怪さも感じた。しきりに思い出したのは「ツィガーヌ」だ。ロマの音楽を模した曲だが、できあがった曲はロマとは別物の、ラヴェルの音楽だ。それと同じように「ラ・ヴァルス」も、ウィンナ・ワルツへのオマージュだといわれるが、曲自体はウィンナ・ワルツとは別物のラヴェルの音楽だ。しかも最後の、すべてが崩壊するエンディングが衝撃的だ。バレエ音楽なので、舞台上で全員が倒れれば効果的だろうが、音楽だけ聴くと、エンディングにうろたえる。それは一種のディストピアだ。そのためだろう。全体がどこか暗い。華麗で幻想的で「生きる喜び」を表すといわれるが、それは上辺のことで、底にはペシミズムがある。

 演奏は彫りが深く、陰影の濃い、堂々としたものだった。N響が1曲目と2曲目の張りつめた神経から解放され、パワー全開だった。2曲目までは出番のなかった金管楽器が切れ味のいい演奏を聴かせた。
(2024.1.14.NHKホール)
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沖澤のどか/東京シティ・フィル

2024年01月14日 | 音楽
 沖澤のどかが東京シティ・フィルの定期演奏会に初登場した。1曲目はシューマンのピアノ曲「謝肉祭」をラヴェルがオーケストラ用に編曲したもの。そんな曲があったのかと思う。柴田克彦氏のプログラムノーツによると、ラヴェルが舞踊家のニジンスキーのために行った編曲とのこと。惜しむらくは、ラヴェルは「謝肉祭」の全曲をオーケストレーションしたが、出版されたのは4曲だけ。それ以外の曲は失われたそうだ。

 出版された(今回演奏された)4曲は「前口上」、「ドイツ風ワルツ」、「パガニーニ」、「ペリシテ人と闘うダヴィッド同盟の行進曲」。どの曲もバレエ音楽らしい華やかさに満ちている。全曲が残っていたらどんなに良かったことか。編曲時期は1914年なので、たとえば1912年の「ダフニスとクロエ」よりも後だ。ラヴェルの成熟した手腕がうかがえる。演奏も良かったと思う。沖澤のどかの指揮もさることながら、東京シティ・フィルがバレエ音楽の演奏に慣れていることがうかがえる。

 2曲目はシューマンのピアノ協奏曲。ピアノ独奏は黒木雪音(くろき・ゆきね)。わたしは初めて聴くが、海外のいろいろなコンクールに優勝または入賞している人のようだ。第1楽章冒頭のテーマがニュアンスたっぷりに演奏された。思わず引き込まれた。第2楽章が意外におもしろかった。とくに変わったことはしていないが、一音一音を正確かつ丁寧に演奏するので、おのずから音楽のおもしろさが滲み出る。第3楽章のコーダも正確に演奏するため、寄せては返す波のような音楽の高揚感が生まれた。

 アンコールにカプースチン(1937‐2020)の「8つの演奏会用エチュード」(1984)から第1曲プレリュードが演奏された。シューマンとは打って変わって、ヴィルトゥオーゾ的な曲および演奏だ。ジャズの要素も感じられる。派手なその演奏とシューマンの素直な演奏と、このピアニストの資質はどちらにあるのか。

 じつは私事だが、当日の朝、元の職場の友人の訃報が入った。孤独死も同然の亡くなり方だった。ショックだった。その友人の人生とはいったい何だったのかという想いが、シューマンのピアノ協奏曲を聴いているあいだ中、頭から離れなかった。シューマンのピアノ協奏曲が友人を送る音楽に聴こえることが意外だった。

 3曲目はラヴェルの「ダフニスとクロエ」の第1組曲と第2組曲。第1組曲冒頭の「夜想曲」と第2組曲冒頭の「夜明け」が、丁寧な音作りで雰囲気たっぷりに演奏された。沖澤のどかの美質の表れだ。第2組曲の「無言劇」のフルート独奏もニュアンス豊かだった。前首席奏者の竹山愛の抜けた穴をうめるに足る人材だ。最後の「全員の踊り」はスリリングな迫力に欠けなかった。
(2024.1.13.東京オペラシティ)
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ドルフマン「死と乙女」

2024年01月11日 | 読書
 チリで軍事クーデターが起きたのは1973年9月11日(「チリの9.11」といわれる)。2023年はクーデター発生後50年だった。チリではクーデター後、民主化を求める人々への弾圧が続いた。チリの作家、アリエル・ドルフマンの「死と乙女」(↑)は弾圧をテーマにした戯曲だ。

 登場人物はわずか3人。40歳前後の女性・パウリナは軍事政権当時、地下組織のメンバーだった。軍事政権の拷問をうけた。民政移管された今でも拷問の記憶がトラウマになっている。40歳過ぎの弁護士・ヘラルドはパウリナの夫だ。パウリナとともに地下組織のメンバーだった。パウリナが口を割らなかったので、逮捕を免れた。今は新政権のもとで、軍事政権が行った弾圧の調査委員会のメンバーになっている。3人目の登場人物は、50歳前後の医師・ロベルトだ。パウリナは拷問のあいだ、目隠しをされていたので、拷問者の顔を見ていないが、ロベルトの声を覚えている。パウリナはロベルトが拷問者のひとりだったと確信する。パウリナはロベルトに詰問する。ロベルトは否認する。

 パウリナはロベルトに復讐するのか。いや、真実を語らせようとする。ロベルトを罰するか、赦すか、それは二の次だ。まず真実を語れ、と。だがロベルトは否認する。ヘラルドは弁護士としてロベルトの人権にも配慮しようとする。ヘラルドの態度は正しいかもしれないが、パウリナの傷は癒されない。

 軍事政権による弾圧はチリだけではなく、カンボジアでも、ミャンマーでも、そして日本でも起きた。日本でも特高警察に拷問された人々がいる。他人事ではない。

 拷問の被害者・パウリナ、拷問の加害者・ロベルト、後日調査するヘラルドの3人は、弾圧をめぐる関係者の3つの典型だ。被害者は加害者に、まず事実を認めろと迫る。加害者は否認する。後日調査する者は、中立性を保とうとする。それは正しい立場だろうが、無力かもしれない。結果、どうなるか。被害者は加害者が平然と暮らす市民社会に生きなければならない。たとえば戦後のドイツがそうだった。強制収容所から生還したユダヤ人は、ナチスだったドイツ人が暮らす社会に住まなければならなかった。日本でもそうだ。特高警察の拷問にあった人々は、特高警察の一員だった人々が素知らぬ顔で暮らす社会を生きなければならなかった。

 題名の「死と乙女」はシューベルトの弦楽四重奏曲の曲名だ。ロベルトは拷問の際にカセットテープで音楽をかけた。その中に「死と乙女」があった。本書を訳した飯島みどり氏は「訳者解題」でイギリスの劇作家、ハロルド・ピンターの言葉を引用する。「拷問者が音楽好きで自分の子供たちには非常にやさしい人間だという事実は、二十世紀の歴史を通じて明白に証明されて来ました。」と。拷問と音楽。あまり考えたくないテーマだ。
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井伏鱒二「黒い雨」

2024年01月08日 | 読書
 能登半島の大地震や羽田空港の航空機事故の続報が連日入る。胸の痛む毎日だ。志賀原発もじつは危険な状態だったことが分かった。最初は「異常なし」といっていたが‥。

 気を取り直して、2023年に読んだ2冊の本の感想を書いておきたい。まず井伏鱒二の「黒い雨」から。「黒い雨」は、映画は観たが、原作は読んでいなかった。2023年は井伏鱒二(1898‐1993)の没後30年だったので、その機会に読んでみた。映画と原作はだいぶ異なる。映画は原爆の悲劇が抒情的に描かれていた。原作はむしろ散文的だ。原爆という空前絶後の惨事にあった一人の日本人の姿が描かれる。

 原作では閑間重松(しずま・しげまつ)という老人が前面に出る。重松は戦後、同居する姪の矢須子の縁談が持ち上がったので、縁談相手に矢須子は原爆投下当時、広島市内にはいなかった(被爆していない)ことを説明するために、当時の日記を清書する。日記に書かれた原爆投下当時の行動と戦後の日常生活が並行して進む。だが、結論を先にいうようだが、重松が清書する途中で、矢須子は原爆の後遺症を発症する。矢須子は、直接被爆はしていないが、黒い雨に当たっていた。縁談は破談になる。

 重松の日記は「被爆日記」と呼ばれる。原爆投下当時の記述が克明だ。重松は郊外の被服工場に勤めていた。出勤途中で被爆した。あてどなく広島市内をさまよう。次から次へと想像を絶する光景に出会う。まさに地獄絵だ。

 周知のように「被爆日記」には原典がある。ある方の日記だ。わたしは未読だが、その日記も出版されているらしい。井伏鱒二は筆者の許諾を取って「黒い雨」に使った。だからだろう。ディテールが生々しい。井伏鱒二がいくら大作家だからといって、作家の想像力を超えると思われるディテールが続出する。

 それらのディテールを繰り返しても仕方がないので、印象的なエピソードを2点取り上げたい。1点目は軍の頼りなさだ。重松の勤める被服工場は軍の納入業者だ。重松は被爆直後に、工場を再稼働するための石炭が足りないので、軍に相談する。だが軍の担当者は「会議を開いた上で結論を出さんければならん」の一点張りだ。軍にかぎらず役所というものは非常時には頼りにならないものらしい。2点目は悪事の横行だ。被爆直後に軍人数人が被服工場に押しかける。「軍が預けた保管食糧を受け取りにきた」と。軍人たちはトラックで食糧を運び去る。だがそれは詐欺だった。被服工場の担当者はしょげ返る。「一生かかっても軍に弁済します」と。

 役所の頼りなさと悪事の横行は、東日本大震災のときも起きたし、現在の能登半島地震でも起きているようだ。
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能登半島の想い出

2024年01月05日 | 身辺雑記
 能登半島を旅したことがある。旧家の時国家を見学したり、曽々木海岸にしずむ夕日を眺めたり、珠洲の揚げ浜塩田を見学したりと、のんびりした旅だった。2011年10月のことだ。

 わたしは車を運転しないので、移動は路線バスとタクシーだった。珠洲で路線バスを待つあいだに食堂に入った。うどんの昼食をとっていると、小柄な老人に話しかけられた。とりとめのない話をするうちに、老人はこんな話をした。

 「珠洲でも原発を作る話があったんさ。おれは反対した。そしたら村八分さ。だれも口をきいてくれなかった。それで福島の原発事故だろ。みんな手のひら返したように『爺さんのおかげだ』といってくる。」

 正月早々の大地震は、珠洲が震源地だ。あの老人はどうしているのだろう。2011年の時点ですでにそうとう高齢だったが‥。珠洲の通りを行き交っていた人々はどうしたか。揚げ浜塩田は海岸に面している。残念ながら悲観的にならざるを得ない。曽々木海岸も同様だ。わたしの泊まった旅館は海岸の近くだった。無事だろうか。
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