不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

晩秋の徳本峠

2018年10月30日 | 身辺雑記
 友人夫婦とわたしたち夫婦とで徳本峠(とくごうとうげ)に行ってきた。徳本峠は上高地に入る旧道。今ではバスで新島々から上高地に入るが、昔はバスが通っていなかったので、徒歩で徳本峠を越えて上高地に入った。その旧道は今でも残っていて、山好きの人々に歩かれている。

 わたしたちはバスで上高地に入り、明神に1泊してから、翌日徳本峠を越えて島々に下った。上高地に入ったのは10月28日。当日は快晴で、穂高連峰がよく見えた。数日前に西穂高岳から奥穂高岳に向かう稜線上で遭難事故があったが、その稜線は白く雪がついていた。

 明神の宿は今では山小屋というよりも、旅館というほうがふさわしくなった。宿に着いたのは午後2時頃。夕食までには時間があるので、徳沢まで散策した。片道1時間ほどの距離。歩いていると暖かかったが、明神に戻った頃には薄暗くなって、空気も冷たくなった。

 夕食後、食堂でビールを飲みながら、友人と語り合った。その友人は仕事仲間だが、働いている場所が違ったので、今までゆっくり話したことがなかった。友人は生い立ちのことから始まって、その関係で差別を受けたこと、そのため差別反対が信条であることを熱く語った。

 翌朝は午前6時出発。曇り空のため、まだ暗かったが、歩いているうちに明るくなった。時々小雨が降ってきたが、雨具を着るほどではなかった。2時間ほどで徳本峠着。展望はまったくなく、強風が吹いていたので、すぐ下山にかかった。山小屋が開いていれば、中に入ってコーヒーでも飲みたかったが、残念ながら今年の営業を終えていた。

 下山路は風がなく、曇り空ではあったが、穏やかな天気だった。木々はすっかり葉を落とし、冬枯れの風景だったが、そのため見通しがよく、葉の茂っている季節には見えない風景が見えた。

 途中からは黄葉に次ぐ黄葉。秋まっさかりの山を堪能した。同行した友人夫婦は山の大ベテランだが、このコースは初めてで、歓声をあげて喜んでいた。写真(↑)はその途中で写したもの(登山道はこのように谷筋の沢沿いについている)。

 島々のバス停に着いたのは午後3時40分頃。わずか数分の差でバスが行った後だった。次のバスまで30分ほど待たなければならなかったが、幸いタクシーが通りかかったので、それに乗って松本へ。帰りの電車では、周りの乗客に気をつかいながら、静かに大人しく、ビールで乾杯した。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木雅明/読響

2018年10月27日 | 音楽
 指揮に鈴木雅明、合唱にベルリンのRIAS室内合唱団を迎えた読響の定期。1曲目はスウェーデンのモーツァルト、ヨーゼフ・マルティン・クラウスの「教会のためのシンフォニア」。華やかで晴れ晴れしく、コンサートの開幕にふさわしい曲だ。読響の音がクリアーなことに驚く。

 2曲目はモーツァルトの交響曲第39番。音を短く切り、アクセントを強く付けた、ピリオド・スタイルの演奏。その演奏がさまになっている、といったら失礼だろうか。流麗で、かつ刺激的な演奏だ。

 読響は直前まで、イル・ジャルディーノ・アルモニコの創設者、ジョヴァンニ・アントニーニの指揮で演奏会をこなしていた。その余韻が残っているのか、と思った。現代のオーケストラは、定期的に古楽系の指揮者と共演することが望ましいようだ。

 プログラム後半はRIAS室内合唱団が入って、メンデルスゾーンの宗教合唱曲が2曲演奏された。まずオラトリオ「キリスト」。未完のオラトリオのための2つの断片で、メンデルスゾーンが亡くなる年の作品。第1部「キリストの誕生」、第2部「キリストの受難」からなる。イエスの物語の中でも、もっとも平安な部分と、もっとも劇的な部分だ。その「受難」が悲しみのコラールで結ばれるとき、メンデルスゾーンのこの世との別れを想った。

 プログラム・ノートによれば、その未完のオラトリオは「地上、地獄、天国」という構想を持ち、作曲された2つの部分は「地上」の部に属する場面だそうだ。その構想の壮大さは想像を絶する。バッハの2つの受難曲を超えるスケールだ。完成していたらどんな曲になったのか。

 最後は詩篇第42番「鹿が谷の水を慕うように」。起伏が豊かで、メンデルスゾーンらしい悲哀にみちたアリアがあり(第2曲。美しいオーボエのオブリガートを伴う)、大変充実した曲だ。感心してプログラム・ノートを読んだら、メンデルスゾーンが結婚して、新婚旅行に出かけた、その滞在先で作曲したそうだ(翌年に改訂)。私生活の充実も反映しているのかもしれない。

 RIAS室内合唱団もすばらしかった。ハーモニーの純度が高く、また、それだけではなく、作品の文化的な背景を知り尽くして、わたしたちにその深奥の部分を伝える演奏、といったらよいか。技術だけではなく、技術を超えるものを感じた。

 ソプラノ独唱のリディア・トイシャーのピュアな声といったら!
(2018.10.26.サントリーホール)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大野和士/都響

2018年10月25日 | 音楽
 シュレーカーとツェムリンスキーという大野和士らしいプログラム。まずシュレーカーの「室内交響曲」から。シュレーカーというとオペラ作品を思い浮かべるが、この曲は純器楽曲。でも、その音楽はオペラを彷彿とさせる。室内オーケストラの編成だが、大規模なオーケストラによるオペラの、そのエッセンスを抽出したような曲だ。

 大野和士の指揮は、めまぐるしく変わる音楽(オペラでいえば心理や事件)に機敏に反応して、音楽との一体感を感じさせた。

 大野和士は東京フィル時代のオペラコンチェルタンテ・シリーズで「はるかなる響き」を取り上げたことがある。シュレーカーが好きなのだろう。新国立劇場では難しいかもしれないが、いずれどこかの劇場で、思う存分シュレーカーを振れるポストに就くとよいが。

 次にツェムリンスキーの「抒情交響曲」。ソプラノ独唱はアウシュリネ・ストゥンディーテ、バリトン独唱はアルマス・スヴィルパという歌手。ストゥンディーテは細かい音符によく声が乗り、劇的表現も豊かなのだが、ドイツ語の発音がはっきりしない。その点、スヴィルパのほうが明確で聴きやすかった。

 この曲の白眉ともいえる第3曲(バリトン独唱)と第4曲(ソプラノ独唱)の沈潜した音楽では、大野和士/都響の集中力ある演奏と相まって、見事な成果をあげた。

 とはいえ、わたしは大野和士が好きで、その音楽的志向を支持しているので、あえていうが、大野和士の意欲が先行して、前のめりの感じがした。オーケストラと十分にかみ合っているのかどうか危惧した。

 その関連で思い出したのは、先日聴いたブロムシュテット指揮N響のAプロとCプロの演奏だ。ブルックナーの交響曲第9番などを演奏したAプロでは、コンサートマスターにライナー・キュッヒルが入った。顔を真っ赤にして演奏するキュッヒルに率いられて、N響は我を忘れたような熱演を繰り広げた。一方、マーラーの交響曲第1番「巨人」などを演奏したCプロでは、コンサートマスターに伊藤亮太郎が入り、N響はいつものペースに戻って沈着冷静な演奏をした。

 大野和士の指揮は、キュッヒルがコンサートマスターに入ったときのN響のような、熱く燃えるオーケストラが相応しいのではないか。だが、日本のオーケストラにはアンサンブル重視の冷静な体質があるので、齟齬が生じるおそれがあると思った。
(2018.10.24.東京文化会館)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向井潤吉展

2018年10月24日 | 美術
 向井潤吉展の会期末が迫ってきたので、無理をして行ってきた。

 向井潤吉(1901‐1995)は古民家の画家として知られている。その作品は多くの日本人に郷愁を覚えさせる。チラシ(↑)に使われている作品は「六月の田園」(1971年)。場所は岩手県岩手郡滝沢村(向井潤吉の古民家の作品には場所が明記されている)。

 近景に水田と古民家、中景になだらかな里山、遠景に岩手山を描いている。かつては日本のどこにでも見られたが、今は失われて、作品の中だけに残っているような風景。抒情的だが、仔細に見ると、古民家を取り巻いて組まれた木の枝や、外壁に立てかけられた木の枝が、一本一本リアルに描かれている。またチラシではわかりにくいが、左の端に洗濯物が干されている。

 向井潤吉が古民家の絵を描くようになったのは、戦後になってから。戦時中は従軍画家として作戦記録画(戦争画)を描いていた。悲惨な結果に終わったインパール作戦の前線に行ったときは、小説「麦と兵隊」(1938年)の作家・日野葦平(1906‐1960)と行動を共にした。二人は戦後も親交を続けた。

 向井潤吉は戦時中に「民家図集」というシリーズ物の本を入手した。古民家の写真に平面図と簡単な説明を付けた写真集(本展に展示されている)。それを防空壕の中に持ち込んで読んだ。なにか感じるところがあったのだろう、敗戦直後の秋に、疎開していた長女を迎えに行った新潟県で、最初の民家の絵を描いた。

 その最初の民家の絵は「雨」(1945年)という作品。それも本展に展示されている。まだ「六月の田園」のような作風ではなく、どんよりとした暗い空とぬかるみの道が、ヴラマンクの作品に通じるものを感じさせる。

 それ以来1980年代の終わりまでの40年あまりが、向井潤吉の古民家の歩みだ。テーマは古民家で一貫しているが、私見では1970年代の半ばから後半にかけてピークを迎えると思われる画力の高まりと様式的な完成が、じわじわと迫る。ピークの時期の作例としては、「雨後千曲川」(1977年)の画像が本展のHPに掲載されている。

 画業の最後の時期である1980年代の後半は、平明で穏やかな作風に変わる。本展のHPの冒頭に載っている作品はその時期の「遅れる春の丘より」(1986年)。世界が静止したような不思議な感覚がこの時期の作品に共通する。
(2018.10.23.世田谷美術館)

(※)本展のHP
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンチエ・ツァン/東京シティ・フィル

2018年10月20日 | 音楽
 トンチエ・ツァンTung-Chieh Chuangという若い指揮者が東京シティ・フィルの定期を振った。ツァンは台湾出身。アメリカのカーチス音楽院とドイツのワイマール音楽大学で学び、2015年のニコライ・マルコ国際指揮者コンクール(デンマーク)で優勝した。

 1曲目はハイドンの交響曲第102番。今回が日本デビューとなる若い指揮者が、ハイドン晩年の傑作「ザロモン・セット」の中の1曲を取り上げるという、その大胆さに驚く。逃げも隠れもできない曲。よほどの自信がないとプログラムには組めない。

 その演奏は、弦がノンヴィブラート奏法で、ピリオド様式を取り入れた、目の覚めるような演奏だった。一瞬たりとも惰性に流れることのない、やりたいことが明確な演奏。ツァンは暗譜で指揮した(プログラム後半のプッチーニとレスピーギも暗譜だった)。オーケストラの反応もよかった。

 2曲目はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番(ヴァイオリン独奏は三浦文彰)。ツァンは合わせ物もうまそうだ。ヴァイオリン独奏としっくりかみ合った演奏。弦は軽くヴィブラートをかけていた。

 三浦文彰はアンコールにバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番からガヴォットを弾いた。若い人のバッハもいいな、と思った。背伸びをしない、等身大のバッハ。ヴァイオリンがよく鳴っていた。プロフィールを読むと、使用楽器はストラディヴァリウスと書いてあった。

 3曲目はプッチーニの「交響的前奏曲」。プッチーニのミラノ音楽院在学中の作品だが、後年のプッチーニらしさがすでに現れている。ツァンの指揮は旋律を甘く歌わせ、プッチーニへの適性もありそうだった。

 4曲目はレスピーギの「ローマの松」。みずみずしい音色が溢れ出た演奏。ツァンは色彩豊かな近代管弦楽曲が得意なのかもしれない。そうだとすると、1曲目のハイドンへの共感のこもった演奏と相俟って、ツァンは抽斗の多い指揮者ということになる。

 オーケストラも演奏しやすそうだった。ツァンの指揮に力みがないので、落ち着いて演奏できるのではないか。もちろん「ローマの松」のエンディングでは強烈な音が出たので、ツァンにはパワーもあるが、力任せの感じはしなかった。第2曲「カタコンベ付近の松」でのオフステージからのトランペット・ソロと第3曲「ジャニコロの松」でのクラリネット・ソロも見事だった。
(2018.10.19.東京オペラシティ)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カミュ「誤解」

2018年10月18日 | 演劇
 アルベール・カミュの演劇「誤解」を観た。戯曲は読んだことがあるが、舞台を観たのは初めて。戯曲に関しては地味な印象が残っていたが(同じ文庫本に入っていた「カリギュラ」を読んで衝撃を受けた後だったからかもしれない)、舞台は驚くほどおもしろかった。

 まずストーリーを紹介すると、場所はヨーロッパのどこかの田舎町。母と娘が経営する小さなホテルに、ある男が泊まりに来る。その男は20年前に失踪した息子だった。息子は経済的に成功し、母と妹を幸せにするために戻ってきたのだが、名前を明かさない。母と妹もその男が息子(兄)だとはわからずに応接する。

 母と娘には秘密があった。宿泊客を殺害して、金品を盗むこと。母はそのような生活に疲れているが、娘は田舎町から脱出し、海と太陽の地に行くことを夢見て、その男を殺そうとする――。

 今回、舞台がおもしろかったのは、名前を明かさない男と、見知らぬ男として(=その晩殺害するつもりの男として)応接する母と娘との、思惑のすれ違いが、綿密に描かれていたからだ。表情の変化や、気まずい、ちぐはぐな空気感が、丁寧に描出され、ドラマにふくらみがあった。

 もう一つ特筆すべき点は、娘のキャラクターの悲劇性が、崇高なまでに表現されていたことだ。もちろん、感心できるキャラクターではなく、まして共感などとんでもないが、その「石」のような心が、ギリシャ悲劇のような悲劇性を帯びる場合があり得ることが表現された。

 娘(マルタという)を演じたのは小島聖(こじま・ひじり)。わたしは何度かその舞台を観たことがあるが、今回ほど感銘を受けたことはない。

 演出は稲葉賀恵(いなば・かえ)。以前日生劇場のピロティで上演された「マリアナ・ピネーダ」(ガルシア・ロルカ作)を観たことがあり、今でも鮮やかな記憶が残っているが、そのときの演出家だったようだ。今回その実力を認識した。

 本作は1944年6月にナチス・ドイツ占領下のパリで初演された。舞台を観ていると、当時の暗い閉塞感が伝わってくる。同時期にサルトルの「出口なし」やアヌイの「アンチゴーヌ」も初演された。占領下といえども活発に演劇活動が続いていたわけだ(むしろ占領下なので演劇活動が活発化した、といえるかもしれない)。ナチスも文化統制までは手が回らなかったようだ。
(2018.10.17.新国立劇場小劇場)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブロムシュテット/N響

2018年10月15日 | 音楽
 ブロムシュテットは今年7月11日の誕生日で91歳になったそうだ。高齢でお元気な指揮者が時々いるが(我が国では朝比奈隆がそうだった)、ブロムシュテットも、杖を使わずに歩き、椅子に座りもせずにブルックナーのような大曲を指揮する。その音楽は少しも老いを感じさせない。

 当日のプログラムはモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」とブルックナーの交響曲第9番という堂々たるもの。わたしが聴いたのは2日目だが、初日の演奏にかんしては絶賛の声が飛び交っていた(わたしはいつも、自分で聴く前は、他の方のツイッターは見ないようにしているのだが、どうしても一部は目に入ってしまう)。

 1曲目のモーツァルトは、その完璧なピッチとアンサンブルで、音の構造体が透けて見えるような演奏だった。その代り、音楽の愉悦のようなものは、あまり感じられなかった。そんなものを目指したのではなく、音を見つめた演奏。

 そう感じたのは、弦の編成が10-10-6-4-3だったことも、多少影響しているかもしれない。通常の10型よりも高音の比重が高い。木管は2管編成なので(クラリネットを欠いている)、中音域が薄めだ(金管はホルンとトランペットが各2)。もちろんブロムシュテットの意図あってのバランスだろう。

 2曲目のブルックナーは、モーツァルトとは対照的に、音の厳しさよりも音楽の情動に身をゆだねた演奏。ブルックナーの激しい精神を渾身の力で表現した。わたしは第1楽章コーダでブルックナーの高揚した熱い涙に触れたように感じた。

 だが、その一方で、ピッチは緩めだった。音の荒々しさがすべてを呑みこんだ。その結果、怒涛のようなブルックナーが現れた。

 ピッチのことは、ブロムシュテットが高齢になったからか、とも思った。ブロムシュテットも、N響を振りだした1980年代の頃は、厳しいピッチだった。もっとも、今回のモーツァルトは厳しいピッチだったので、一概にはいえないが。

 当日はコンサートマスターにライナー・キュッヒルが入った。その効果は大きかった。コンサートマスターが変わると、オーケストラの音が変わるといわれるが、キュッヒルが入ったときの変わりようは、普通のレベルを超えている。ヴァイオリン群の音に艶が出て、音楽に熱が生まれる。それが全体に伝播する。キュッヒルが真っ赤になって弾く姿が、オーケストラを引っ張った。
(2018.10.14.NHKホール)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インキネン/日本フィル

2018年10月13日 | 音楽
 インキネンの振るシューベルトとブルックナーというプログラム。楽しみにしていた定期だ。1曲目はシューベルトの交響曲第5番。今年6月の定期で演奏したメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」が名演だった。それと同じスタイルの演奏。だが、軽い音は同じだが、その音にふくらみが欠けていた。羽毛のような感触がなかった。

 ブルックナーの準備に全力投球したのか、と思った。そのブルックナーは交響曲第9番。今月はブロムシュテット/N響も取り上げるし、他の方のツイッターを拝見すると、(今月かどうかはわからないが)他のオーケストラも取り上げるらしい。

 演奏が始まると、やはり意気込みが違った。陳腐な表現で恐縮だが、大伽藍のような演奏だ。それは、インキネンらしく、デフォルメした部分のない、譜面を素直に鳴らした演奏。そうだからこそ、演奏が進むにつれて、その充実度が増した。

 注目すべき点は、これまでのインキネンと違って、オーケストラの鳴らし方が豪快だったことだろう。インキネンの指揮は2008年の日本フィル初登場(横浜定期でチャイコフスキーの交響曲第4番他を振った)以来10年間聴いているが、今回は従来のイメージに変更を迫るような豪快さが加わった。

 第1楽章、第2楽章では、その成長とも、進化ともいえる変貌ぶりに目を見張ったが、第3楽章になると、オーケストラが息切れしたのか、単調に流れる部分があった。じっくり作り込まれている部分もあるのだが、前2楽章のような一貫した緊張感は薄れた。

 結論的には、シューベルトもブルックナーも、完全には満足できなかった。そのため、ブログは書きにくいので、今回は止めようかと思ったが、感じたままを書いてみようと思い直した。

 他の方はどう感じたのだろうと、皆さんのツイッターやフェイスブックを拝見したら、当然、感じたことはひとさまざまだが、それらの中に「二日目はもっとよくなるだろう」というご意見が散見されることが気になった。それはプロの批評家も、わたしのようなアマチュアも、だ。

 日本フィルは、昔から、そのように言われることが多い。でも、それは、プロのオーケストラにとって、恥ずべきことではないだろうか。今は、そのような言われ方に甘んじないで、奮起すべきときではないか。一度定着した世評をくつがえすのは容易ではなく、時間もかかるが。
(2018.10.12.サントリーホール)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

網野善彦「古文書返却の旅」

2018年10月11日 | 読書
 宮本常一の「忘れられた日本人」を読んで、感銘を受けたことがきっかけになって、宮本常一の他の著作や、宮本常一に関連する書物をいくつか読み、そのうちの数点に関しては拙い感想を書いた。このへんで一区切りつけたいと思うが、その前に一つだけ、感想を書かないと心残りな本がある。

 それは網野善彦の「古文書返却の旅」(中公新書)。本書を読んだのは、同氏の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」を読んで(しかも2度読んで)感銘を受けたからだが、その感銘は宮本常一の同書を味読する喜びとともに、網野善彦の人間性に惹かれたことにもあった。

 その人間性とはなにかというと、高潔な人柄、まっすぐな感性、正直さ、自己への厳しさ、といったらよいだろうか。こんな抽象的な言葉でなにが伝わるわけでもないだろうが、ともなく同氏の「……読む」を読んで感じたことは、そういう人間性だった。

 わたしは網野善彦の他の著作も読んでみたくなった。著名な歴史学者の同氏には膨大な著作があるが、本来ならその主なフィールドである歴史書を一つ、たとえばわたしは同氏のアジールへの言及(アジールとは統治権力が及ばない地域や場所のこと。無縁所。聖域)に興味を惹かれたので、その方面の著作を読むべきところだが、宮本常一との関連で「古文書返却の旅」を読んだ。

 本書は1999年10月の発行。1年間にわたって雑誌「中央公論」に連載した随筆をまとめたものだ。奇しくも前掲の「……読む」が同年6月に岩波書店で行った4回の講演をまとめたものなので、同時期の仕事。同氏は2004年2月に享年76歳で亡くなったので、同氏の最後の思想が窺える。

 古文書返却といっても、それがなんのことか、イメージがわかないと思うが、手短にいうと、1950年に大学を卒業した網野善彦は、東京月島(中央区)の日本常民文化研究所(宮本常一も深く関与した)の月島分室に就職した。同年から同分室が閉鎖される1955年までの間、同分室が全国から集めた古文書が、未返却のまま残った。その返却を網野善彦らが1980年代から行った記録が本書。

 返却の旅では多くの人々(古文書の所蔵家がまだ健在の場合もあれば、亡くなった場合もある)とのドラマがあった。多くは感動のドラマだ。そこに網野善彦の前記のような人間性が滲み出る。

 もしわたしが網野善彦の身近にいたら、きっと心酔したと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石川淳「八幡縁起」「修羅」

2018年10月09日 | 読書
 振り返ってみると、6月から9月まで、まず石川淳の小説を読む時期があり、次に宮本常一の著作を読む時期があったが(さらに宮本常一に関連して網野善彦の著作を読んだが)、それらに通底するテーマがあって、それが常に頭の隅に引っかかっていたようだ。今までそれについて触れてこなかったので、備忘的に書いておきたい。

 そのテーマはなにかというと、被差別民のこと。石川淳の「紫苑物語」を読んだ後で、同じ文庫本(講談社文芸文庫)に収められた「八幡縁起」と「修羅」を読んだのだが、文体の緊張感では「紫苑物語」は別格であり、奇跡的とも思うが、テーマのおもしろさでは他の2作もひけをとらないと思った。

 「八幡縁起」は木地師(木地屋ともいう)をテーマとして、その起源にさかのぼる神話的な物語。全10章のうち後半の2章は後世の出来事を扱っているが、わたしがおもしろく思ったのは、前8章の神話的な物語のほうだ。

 木地師の存在は、今では一般の人々に知られるようになったのかもしれないが、わたしは知らなかった。「八幡縁起」を読みながら、インターネットで検索したら、驚くばかりの話だった。一言でいって、山中に住んでいた非定住民。山から山に移動しながら、木を伐って椀や皿を作り、里の人々に売っていた。里の人々には謎の存在だった。明治時代に入ってから徐々にその生活形態が知られるようになった。

 一方、「修羅」には民が登場する。応仁の乱を背景に、民と、当時の無法者集団である足軽と、武家と、公家と、それらの各階層が入り乱れて争う乱世が描かれる。民はメインキャラクターの一つだ。

 木地師とか民とか、ともに社会のアウトローともマイノリティーとも思われている(あるいは、思われていた)人々だが、わたしはその姿に強い印象を受けた。そして次に宮本常一の著作に移ったとき、再びそれらの被差別民の姿をそこに見出して、わたしは興奮した。

 木地師にかんしては「山に生きる人びと」で独立した章を設けて、まとまった考察が行われている。民にかんしては、むしろ網野善彦の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」の中に、宮本常一の記述を敷衍する形で、まとまった考察がある。

 調べてみると、木地師も民も、その他あらゆる被差別民について、柳田国男がすでに触れており、宮本常一や網野善彦がそれを深め、今はさらに研究が進んでいるようだ。自分の不勉強さに恥じ入った。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔笛

2018年10月05日 | 音楽
 ウィリアム・ケントリッジは著名な現代美術家で、京都賞を受賞したこともあるが、そのケントリッジが初めてオペラ演出を手掛けたのが2005年のモネ劇場(ブリュッセル)での「魔笛」だった。その「魔笛」が新国立劇場で上演されている。大野和士体制のスタートを飾る演目だ。

 ケントリッジは、9月30日に行われたスペシャルトークで、次のように語っている。「今回の東京公演におけるプロダクションに関しては、そもそもの初演当時のものに比べて大々的に映像に手を入れて、すべて撮り直し、そして最先端の技術に合うように組み立て直しています。」(新国立劇場のHPより)。

 わたしは初演当時の演出を観ていないので、比較はできないが、今回観たかぎりでは、シンプルな印象を受けた。ドローイングの震えるような線描は、ケントリッジの魅力をよく伝えているが、その使い方は意外にシンプルだと思った。

 そう思ったのは、2017年のザルツブルク音楽祭で「ヴォツェック」を観たからかもしれない。「ヴォツェック」はケントリッジのオペラ演出の最新作だと思うが、そこでは舞台いっぱいにゴミ屋敷のようなセットが組まれ、オペラの進行とともに、その一角に多数の首(戦死した兵士たちの首)が転がる山腹が現れたり、マリーが殺される池が現れたりする。そして徐々に、そのゴミ屋敷は戦争で破壊された家であることがわかる。

 そのような凝った仕掛けは「魔笛」にはなかった。前記のスペシャルトークによれば、「魔笛」の舞台装置は「カメラの内部」で、それはポジとネガ(=光と闇)が容易に入れ替り得ることを暗示する。またザラストロが「この聖なる神殿では」を歌うとき、背後では帝国主義時代のヨーロッパ人が(おそらくアフリカで)狩りをしている映像が映し出される。それはザラストロ(=啓蒙主義)が孕む暴力的なものを暗示する。

 そういった興味深い着眼点があるのだが、それらのテーマが発展せずに、提示されるにとどまった感がある。

 ローラント・ベーアが指揮する東京フィルの演奏は、反応が鈍く、重かった。最後の頃には疲れた。

 ザラストロ、タミーノ、パパゲーノの外人歌手3人はそこそこの出来だったが、パミーナの林正子は、第2幕の悲しみのアリアが、まるでロマン派オペラのように大仰だった。夜の女王の安井陽子は、日本人的なメンタリティーが壁になっていた。
(2018.10.3.新国立劇場)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

網野善彦「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」

2018年10月02日 | 読書
 宮本常一の「忘れられた日本人」を読んで、わたしはその広大な世界に惹かれたが、実は読んだ直後は明確につかむことができなかった。漠然とではあるが惹かれた、というのが正直なところ。そこで網野善彦の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」を読んでみた。これまた大変おもしろかったが、十分には理解できなかった。

 その後、宮本常一の「塩の道」を読み、そして「日本文化の形成」を読んだとき、わたしは網野善彦の前掲書をもう一度読む準備ができたように感じた。前回には不十分な理解しかできなかった点が、今度はもう少し理解できそうに思った。

 その点は何かというと、縄文人、弥生人そして倭人はどういう人々か、どこから来たのか、そして日本はどのように形成されたのか、という壮大な問題。さらにそれが被差別とは何かという問題に結びつくことに惹かれた。宮本常一の推論、そしてそれを敷衍した網野善彦の推論に、目から鱗が落ちる思いがした。

 わたしはかなり興奮していたので、友人との読書会で話そうとした。だが、わたしが二言三言いうと、友人はすでに十分知っていた。わたしは脱帽した。友人は宮本常一の「日本文化…」も網野善彦の「…読む」も未読のようなので、他の書物で知ったのか。それとも常識だろうか。

 でも、わたしには新鮮な知識だった。仕入れたばかりのそれらの知識を、今ここで受け売りしても仕方がないので、一切省略するが、ともかく縄文人や弥生人が朝鮮半島南端から日本列島に渡来し、また縄文人がサハリンを経由して大陸と往来するダイナミックな姿に胸を躍らせた。

 だが、そんな感想は抽象的かもしれないので、網野善彦が本書で引用している地図を紹介したい。それは富山県が作成した「環日本海諸国図」というもの。通常の日本地図を逆さにして、大陸側から日本列島を見た地図。それを見ると、古代の人々の活発な往来が実感できる(なお画像掲載のためには同県の許諾が必要なので、末尾にリンクを貼るにとどめる)。(※)

 本書は網野善彦が1999年に4回にわたって岩波書店でおこなった講演の記録。一般市民が対象なのでわかりやすい。著名な歴史学者であった同氏は2004年に亡くなったので、最後の仕事の一つになった。宮本常一は1981年に亡くなっている。その業績の全貌を見据えた上での講演だ。

 優れた学者二人の(著作を通じた)最後の対話が、高潔で尊く感じられた。

(※)環日本海諸国図(富山県庁のHP)
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする