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幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「風よあらしよ」村山由佳著 ”伊藤野枝の生き方”

2021-11-29 03:00:00 | 本の紹介
https://www.bungei.shueisha.co.jp/shinkan/kazeyoarashiyo/集英社
【第55回吉川英治文学賞受賞作品】
【本の雑誌が選ぶ2020年度ベスト10第1位】
明治・大正を駆け抜けた婦人解放運動家、アナキストの伊藤野枝(のえ)。
生涯で3人の男と〈結婚〉、7人の子を産み、関東大震災後に憲兵隊の甘粕正彦らの手により虐殺、28年の生涯を閉じる――。
その熱情あふれる人生を圧倒的な筆力で描ききった渾身の〈評伝(人物評をまじえた伝記)小説〉誕生!

【登場人物】
伊藤野枝…婦人解放運動家、アナキスト。
辻 潤…翻訳家。教師として野枝と出会い、恋愛関係に。
大杉 栄…アナキスト。妻と恋人がいながら野枝に強く惹かれていく。
平塚らいてう…野枝の手紙に心を動かされ『青鞜』に引き入れる。
神近市子…新聞記者。四角関係の果てに日蔭茶屋で大杉を刺す。
後藤新平…政治家。内務大臣、東京市長などを歴任。
甘粕正彦…憲兵大尉。関東大震災後、大杉・野枝らを捕縛。

感想
当時の、「女性は男性の言う通りに生きていればよい」という時代にそれに真っ向から反対して生きられました。
平塚らいてうさんが創刊した『青鞜』を引き継いだそうです。
資金難などから廃刊になりましたが。

大杉栄さん(享年38歳)の名前は聞いたことがありました。
伊藤野枝さん(享年28歳)と神近市子さん(享年93歳)は初めて知りました。
甘粕によって不法逮捕と殺害が行なわれたようです。
昔の警察・憲兵は罪のない人を無理やる罪にして殺害してきた時代があったようです。
名古屋入管でウィシュマ・サンダマリさんが見殺しにされました。
声を上げないと不法なことが正当化されてしまうのでしょう。
いつ自分たちにくるかわかりません。
その時では遅いのですが。

単行本で651頁の大作です。
多くの資料から描かれた渾身の作品です。
それまでの村山由佳さんの作品とは一味も二味も違うようで、新しい境地を切り開かれたように感じました。

甘粕事件での横死(ウイキペディア)
1923年9月1日の関東大震災から間もない16日、大杉栄、大杉の甥・橘宗一とともに憲兵に連れ去られ、その日のうちに憲兵隊構内で扼殺されて死亡(甘粕事件)。野枝の遺体は、畳表で巻かれ、古井戸に投げ捨てられた。享年28。

53年後に発見された死因鑑定書によれば、野枝、大杉、共に肋骨が何本も折れており、胸部の損傷から激しい暴行を加えられていたことが発覚。軍法会議法廷で甘粕正彦ら被告人は、被害者が「苦しまずに死んだ」と陳述していた。その後の研究によれば、虐殺の命令を出したのは甘粕ではなく、憲兵隊上層部(憲兵司令官・小泉六一)ないし陸軍上層部(戒厳司令官・福田雅太郎大将)であったと推認された。甘粕事件の発覚は、殺された大杉の甥・橘宗一が米国籍を持っていたため、米国大使館の抗議を受けて狼狽した政府(第2次山本内閣)の閣議(19日)で大問題になったからであった。

墓は静岡市葵区沓谷一丁目の沓谷霊園にある[2]。「自由恋愛の神様」と聞いて参拝する女学生が多い。また、1975年9月16日、名古屋の覚王山日泰寺で橘宗一少年の墓前祭が開かれて以来、毎年9月15日は名古屋で橘宗一の墓前祭が、翌16日は静岡で大杉栄・伊藤野枝の墓前祭が開かれることになっていたが、遺族らも高齢化し、2003年9月16日の80回忌が最後の墓前祭となった[2]。墓前祭には三女の野沢笑子(82歳)、四女の伊藤ルイの遺児で王丸容典(59歳)ら200名が参列した[2]。

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