「世界一清潔な空港を支える職人の生き様」
2013年と2014年 羽田空港はSKYTRAX社が実施する調査で世界一になりました。
父は中国残留孤児でした。養父母が亡くなるときに「お前は日本人」と知らされ、父親の写真を渡されたそうです。当時は言える環境でなく、著者が小学校の2年生の時に父から言われたそうです。その後、父は学校に提出する書類の民族の欄に「大和民族」と書いて提出したために、学校中に知られるようになって周りからいじめを受けたそうです。
父は日本に行くとの決断をしました。母は中国人だったので悩みが大きかったと思います。
日本に移住したとき、弟はまだ中学生で学校でいじめに遭いました。働かないといけないので両親と姉と私は仕事を探しました。探した仕事は清掃の仕事しかありませんでした。
バイト先でお金が無くなると、自分のせいにされ、かってにお給料から引かれたりとかいじめに遭いました。その後日本の高校に通い、卒業して音響の会社に就職しましたが、清掃をアルバイトでやるなど、清掃から離れることはできなかったそうです。その時に見たポスター、職業開発センターの職業訓練の一つに「ビルクリーニング管理」がありました。これだと思って申し込んだら45歳以上との年連制限がありました。いろいろ話をしていたら、帰国子女枠があるとのことで入所でき、清掃を専門的に学ぶことができました。
就職するときに、講師の一人であった鈴木先生との出逢いがありました。先生が務めている空港クリーニングの会社に勤めることができました。当時、女性は採用していなかったのですが、著者の熱意が道を開きました。そこで一生懸命働くことで技術を磨き、ビルクリーニング技能士を取得しました。そしてビルクリーニング技能競技会に出場して見事優勝することができました。
今は羽田空港の清掃500人のリーダーとして、かつ後輩育成に努めておれれます。
感想;
中国からの帰国者をいじめる人、支える人、さまざまでした。
支える人がいるからこそ、日本で頑張って生きていくことができ、それが日中平和の礎になるように思いました。
清掃も技術だと思いました。その技術を身に着ける。
そしてその技術に”やさしさ”をどうプラスする。
その方法の一つは空港を利用する人のことを考えて作業をする。
清掃を笑顔で行う。
どんな仕事にも通じることでした。
2013年と2014年 羽田空港はSKYTRAX社が実施する調査で世界一になりました。
父は中国残留孤児でした。養父母が亡くなるときに「お前は日本人」と知らされ、父親の写真を渡されたそうです。当時は言える環境でなく、著者が小学校の2年生の時に父から言われたそうです。その後、父は学校に提出する書類の民族の欄に「大和民族」と書いて提出したために、学校中に知られるようになって周りからいじめを受けたそうです。
父は日本に行くとの決断をしました。母は中国人だったので悩みが大きかったと思います。
日本に移住したとき、弟はまだ中学生で学校でいじめに遭いました。働かないといけないので両親と姉と私は仕事を探しました。探した仕事は清掃の仕事しかありませんでした。
バイト先でお金が無くなると、自分のせいにされ、かってにお給料から引かれたりとかいじめに遭いました。その後日本の高校に通い、卒業して音響の会社に就職しましたが、清掃をアルバイトでやるなど、清掃から離れることはできなかったそうです。その時に見たポスター、職業開発センターの職業訓練の一つに「ビルクリーニング管理」がありました。これだと思って申し込んだら45歳以上との年連制限がありました。いろいろ話をしていたら、帰国子女枠があるとのことで入所でき、清掃を専門的に学ぶことができました。
就職するときに、講師の一人であった鈴木先生との出逢いがありました。先生が務めている空港クリーニングの会社に勤めることができました。当時、女性は採用していなかったのですが、著者の熱意が道を開きました。そこで一生懸命働くことで技術を磨き、ビルクリーニング技能士を取得しました。そしてビルクリーニング技能競技会に出場して見事優勝することができました。
今は羽田空港の清掃500人のリーダーとして、かつ後輩育成に努めておれれます。
感想;
中国からの帰国者をいじめる人、支える人、さまざまでした。
支える人がいるからこそ、日本で頑張って生きていくことができ、それが日中平和の礎になるように思いました。
清掃も技術だと思いました。その技術を身に着ける。
そしてその技術に”やさしさ”をどうプラスする。
その方法の一つは空港を利用する人のことを考えて作業をする。
清掃を笑顔で行う。
どんな仕事にも通じることでした。
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