幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「ナラティヴ・セラピーの世界」小森康永/野口裕二/野村直樹編著 ”ナラティヴは語ることで、ほとんどすべてのセラピーのベース”

2024-05-13 10:35:55 | 本の紹介
・そこで想起された過去とはなんだろう。アンナの場合、治療の場で再現された過去は現在に生きている、あるいは現在を用いて過去を再現しているともいえよう。
 アンナのエピソードからここで関連するポイントとして以下の点があげられる。
 ①欲望に裏打ちされた無意識的空想は症状によって代理的に表現される。
 ②情動が密着した出来事、中核場面の想起について、内的論理に見合ったかたちで出来事が語られるときに治療的である。
 ③聞き手とともに出来事を遡及的に筋立て手いくことによって、その出来事は経験として区切り取られる。現在とつながるかたちでの過去の想起が治療的である。
 ④単に語られれるだけでなく、いきいきと再現されることが必要。聞き手と共同して、過去が言語的に再構成されること

・神田橋は、面接初期において、主訴の周辺を注意深く聞きながら、ストーリーを共同で作っていくことを勧めている。ストーリーは、患者をとりあえず「抱える」働きをもちつからである。
 ここで素朴な疑問が生じる。クライエントの話を物語として聞くことがどうして傾聴につながるのか。へたをすると、カウンセラー側のひとりよがりな物語を相手の言葉にかぶせることになりはしまいか。聞いた話を時間のなかに配列して物語として聞く、つまり物語へと変形していく作業がそこに必須のものとなることがうかがわれるが、それはいかにして成り立つのだろう。

フェミニスト・セラピーの特徴を以下のようにとらえることができる。
 ①フェミニスト・インタビューに名前をつけて物語る
 ②セルフヘルプである
 ③クライエントとセラピストの対等で共感的な関係を重視する

・対話精神療法の骨格は共同作業であるが、それを支えているのは、抱えたり包んだりする二者関係である。つまり場の雰囲気やあたたかさである。それは次の4つからなっている(神田橋)。
 ①癒しの力をもつ環境や雰囲気
 ②治療者の内的世界がにじみでる振る舞いや表情や雰囲気
 ③クライエントを包む鳴き声としての治療者の発声
 ④同行二人のイメージを送り込む共感

 ナラティヴ・セラピーの内実が、クライアントのストーリーの書き換えにあることは、異論のないところであろう。その認知変化が起こる過程は、リ・ストーリング(re-storying)という用語で記述されている。一方、家族療法やブリーフ・セラピーにおいては、リフレイミング(reframing)というクライアントの認知を変化させる技法が重要だとされている。

・第一の具体的姿勢が、「相手に対して」語るのではなく、「相手とともに」語るという会話のスタイルです。会話をとおして、いままでにはなかった新しい意味、新しい筋書きを、共同で模索してゆく作業をいいます。いわゆる「変化」を志向する必要はなく、会話の空間を拡げ、そこに新しい意味があたかも嵐が吹き抜けるように入り込んでくる、そんな場所にすること。その際、話されたことについてセラピストがもっと深く知りたいという欲求をもつことが「無知」ということで、その欲求を相手に表すことが「無知の姿勢」となります。セラピストはクライエントによって常に教えてもらう立場にあり、この「教えてもらう」立場こそ無知のアプローチを端的に表しています。

・無知の第二の具体的姿勢では、「理解の途上にとどまり続けること」があげられます。・・・
絶えず変化しているクライエントの経験の視点から理解しようとたずねる質問のことです。そういうスタンスから発せられる質問をグリーシャンらは治療的質問と呼んでいます。

・第三の道標べとして「“ローカル“な言葉の使用」という点があげられます。・・・。この一人称で語られる体験を専門用語に置き換えないで、クライエントの使うローカルな言葉で語り合うこと。これも無知の姿勢を構成するものとされます。

・グリーシャンとアンダーソンは、セラピストが理解途上にとどまる努力をする際に使う「会話的質問」がそれに当たるといいます。会話的質問とは要するに、クライエントの言葉に突き動かされて、いま言われたことに関してもっと知りたい気持ちから発せられた質問のことであるとし、それを聞いてセラピストはそれまで重ねてきた理解を絶えず深め、また更新してゆくことになります。もっと知りたい気持ちから発せられた質問とは、言い方を変えれば、クライエントがその場で出す経験談や物語がそのままあ答えとなるような質問、つまりたったいまクライエントによって言われたこと、たったいま説明されたことが、セラピストが発すべき質問の回答となる由生な質問を、これを会話的質問といっているようです。
 例;
 長い間自分が伝染病にかかっていると信じ込んでいる40歳の男性
 「この病気にかかってどのくらいですか」とたずねました。
 すると男性は驚いたようすを見せ、それから少しずついままでのことを語りはじめたたそうです。

・変化に対応した知のことを、無知と呼ぶことができそうです。変化し続けるのが現実であり真だとすれば、無知とは「知がない」と読むよりも、「本来の知」と読むほうがより適当なのかもしれません。・・・
セラピーは大変な仕事です。心身をすり減らすことも多い作業です。にもかかわらずセラピストをそれに向かわせる一番の原動力とはいったい何か? それは他者の人生を知り、それにかかわってゆきたいと願うセラピスト自身の内なる求めではないでしょうか。それは自分も含め人に対する純粋な好奇心であり、そのことに従事するロマンということかもしれません。人類学者もまたそうだと思います。人を「耕す」野良仕事にかかわっているのです。手も汚れますが、ロマンと好奇心には勝てないのです。

内容説明
 セラピストとクライエントが共同で新しい「物語としての自己」を構成していくナラティヴ・セラピーは、単なる最新種の臨床技法ではなく、「無知のスタンス」によってすべての臨床家に自らの仕事を根底的に省察する手がかりを提示する。
目次
ナラティヴ・セラピーの世界へ
第1部 ナラティヴ・セラピーの背景(社会構成主義という視点―バーガー&ルックマン再考;病いの経験を聴く―医療人類学の系譜とナラティヴ・アプローチ ほか)
第2部 ナラティヴ・セラピーの隣接(精神分析と物語(ナラティヴ)
フェミニスト・セラピー―共感と安全を保障するつながり ほか)
第3部 ナラティヴ・セラピーの姿勢(リ・ストーリングとリフレイミング;セラピーにおけるアカウンタビリティ ほか)
第4部 ナラティヴ・セラピーの実践(老人は痴呆のふりをしているのか?;うつの母親と二人の娘―外在化における意味の再考 ほか)


感想
 ナラティブセラピーは、クライエントに自分の物語を語らせることかと思っていましたが、さらにいろいろな取り組みがあるようです。
 また、ナラティヴ・セラピーだけがナラティヴではなく、ほとんどすべてのセラピーの基本だということだと理解しました。
 ナラティブセラピーは家族療法から発展してきているとの説明でした。

 悩みを抱えている場合、誰かに話をすることが、その悩みから脱却する一番の近道かもしれません。
 相談相手がいないなら、書いてみるのもよいと思います。
書いているといろいろなことに気付くことがあります。
メール相談をして、自分が回答者になるのも良いかもしれません。
 
 ある番組で、若い時の君(自分自身)に伝えたい言葉が紹介されていました。
「君は中学の同級生が好きになって好きと言ったけど、相手にされなかったね。
 高校に入り、好きな人と同じ高校で同じブラスバンド部だったけど、この時も相手にされなかったね。
 大学に入っても、相手にされなかったね。
 でも、落ち込むことはないよ。
 その彼女は、今の君の妻だから」
ずーっと好きになり続けるのはすごいですね。

 5年後の自分が、悩み多い自分に手紙を出すとしたら、どんな手紙を出すか。
希望を信じて持つことが大きいように思います。
「一寸先は暗闇。その一寸先は光があるかもしれない」
やなせたかしさんの言葉です。
これを信じていると、光を見つけるように思います。
それを実践されたのが、まさにやなせたかしさんでした。

 ナラティブセラピーを参考にして、自分で自分を物語るのも良いのかもしれません。
 悩みを抱えているときは、どうしても視野が狭くなっている可能性が大きいです。
解決がないと思っても、実はすぐそばに解決があるかもしれません。
 あるいは視点を変えるだけで、悩みが実は大きなチャンスなのかもしれません。

 河合隼雄氏が物語るをよく言われていました。
それとナラティブ・セラピーはまたアプローチが別だと知りました。

フェミニスト・セラピーも初めて知りました。
 
 「無知の知
これが「無知の姿勢」として生かす対話もあると知りました。

 奥が深いな!が感想です。
それと心は不思議だなあ。
自分の心なのに、自分がコントロールすることがとても難しいです。

”両忘”
過去も未来も忘れ、今やることを考える。
生きていれば、それだけで十分と思う。
先ずは睡眠を確保して、栄養を確保して、便秘と下痢がなければOKと。