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妖怪セラピー―ナラティブ・セラピー入門 ”人が問題ではなく、問題が問題”

2024-05-12 09:17:27 | 本の紹介
・ナラティブセラピー
①物語
②語ること・話術

・べてるの家の活動を講演会で話をすると、次のようになる。
「みなさん、こんにちは。今日は2,000人の幻聴さんがぼくと一緒に飛行機に乗ってここに来ました。講演を聴きにきている人は200人ですが、この会場には1,000人の幻聴さんがいます。残りは、市内見物に行って帰ってきません。いちばん前のあなたの肩に、かわいらしい幻聴さんが乗っています。気に入ったら一緒に持って帰っていいですよ」(浦河べてるの家(2002:104))

・外在化を「何か問題があったとき、それまでとは違う因果関係のストーリーを用意するために、問題を客観化/人格化すること」とした。





  • 芥子川 ミカ【著】
出版社内容情報
ナラティブ・セラピーの考え方を分かりやすく解説し、さらに読者が自分でナラティブ・セラピーを実践するための方法を示した入門書。ナラティブ・セラピーにおける「外在化」に日本に昔から伝わる妖怪を登場させ、より実践的で親しみやすい内容となっている。

本書の利用の仕方
1章 妖怪セラピーの基本
 タネ明かし
 社会構築主義
 人々が作りあげる物語
 支配的な物語/もう1つの物語
 変化する支配的な物語
 支配的な物語からの距離をとること
 お粥の話
 外在化(あいつが悪い)
 心地のいい物語を求めて
2章 ナラティブ・セラピーの思想背景
 知と力
 知に抹消された物語としての妖怪話
 パノプティコン
3章 妖怪セラピーの方法
 フローチャート
 妖怪「ぶるぶる」の例
 妖怪シート1 妖怪出没シート
 妖怪シート2 妖怪とわたりあうシート
 セレモニーの時間
 妖怪シート3 妖怪分析シート
 記入例
解説
 妖怪が闊歩する社会を目指して
 自分ですること、大きな目で見ることの意味
使用上の注意
● 妖怪シート
 妖怪シート1 妖怪出没シート
 妖怪シート2 妖怪とわたりあうシート
 妖怪シート3 妖怪分析シート
● 妖怪ファイル
ぬらりひょん/やまびこ/見越し入道/わうわう/ネコまた/あすこここ/にがわらい/貧乏神/アズキあらい/ぶるぶる/いそがし/じゅうじゅう坊/のぞき坊/白うかり/金づち坊/虎にゃあにゃあ/こわい(狐者異)/かみきり(髪切り)/くびれオニ(縊鬼)/口さけ女/カッパ(河童)/夜なきばば/やまんば/酒呑童子(しゅてんどうじ)
● 妖怪インデックス
あとがき
引用文献
参考文献
妖怪関連の参考文献

本書の利用の仕方
 妖怪セラピーは、自分で自分の心をいたわる手段である。語呂がいいのでセラピーとしたが、「治療」や「療法」というよりも、解決のための考え方を提供するものと考えていただきたい。
 何かに悩んでいる人、あることについて考えると夜も眠れない人、イライラする人、考えたくないのについ考え込んでしまう人、思い出したくないことを思い出してしまう人。こうした人々に、その解決法を提案している。特に悩むほどでなくとも、よりよく生きるためには片づけておきたい事柄でもいい。
 悩みのもとをたどると、大きく分けて2つのパターンがあるだろう。1つは、自分の内部に原因がある場合。もう1つは、自分以外の人や集団に原因がある場合。そして人は、問題を解決するためにその原因を探り出し、取り除こうとする。それでもなかなか解決できないことだって多い。自分以外に原因がある場合、どうしようもないこともある。そんなとき、悩んでも仕方がないことは分かっていても、ついつい、考えてしまったりする。そう、分かっていても、つい考えてしまう。だからといって、宗教に走ろうとも思わない。
 そんなとき、この妖怪セラピーをお勧めしたい。悩みがストレスとなって、気分が落ち込んだり、食事がまずくなったり、睡眠時間を奪われたり、肌トラブルが起きたり、ハゲが進んだり、白髪が増えたらソンだ。
 あるいは、こういう場合もアリだろう。もしかすると(もしかしなくても)自分が悪いのかもしれないけれど、自分自身を急には変えられないこともある。それで落ち込んで、明日からの生活に支障をきしたりしても、困るのは自分だ。そこに悪循環が生じかねない。それなら、ひとまず妖怪の「力」を借りるというのも合理的な選択と考えよう。
 これに加えて本書は、最近各方面で注目されているナラティブ・セラピーについて分かりやすく説明することも目的としている。ちょっとナラティブ・セラピーをかじってみたが、ワケが分からなかったという人にも読んでいただきたい内容となっている。

 筆者が『妖怪セラピー』を執筆しはじめたのは、現在の人々の思考パターンに危機感を覚えたことにある。何か人間関係上の問題があったとしよう。この問題を解決するためには、まず問題を把握することが大切とされるだろう。このとき、人の内側にこもるようなストーリーしか用意されていないとしたら、それは大問題だ。
 悩みあるいは気がかりなことがある人は、その原因が何か、考えをめぐらせてきたことだろう。その答えを導き出すために、人はたいてい、何かを手がかりにしてきた。この手がかりにはいろいろなものがある。最近この手がかりとして人気を集めているのは、両親の不和など機能不全家族のなかで育った人をさすアダルト・チルドレンや、トラウマといった概念だ。
 たとえば、トラウマという言葉。トラウマ(精神的外傷)とは、後遺症として残るような心理的なショックや体験のことをさす。この言葉はもともと、心理学の用語であったが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を含め、今では広く知られるようになり、日常語となってしまった。
 斎藤環は、虐待の記憶を含めたトラウマの告白本と「トラウマ・フィクション(トラウマが題材となった小説など)」が流行する状況について、「トラウマ語り」が若い世代を中心とした人々の「実存への欲求」を代弁することになったことと関係づけている。トラウマとは誰もがもつことのできる極小の「物語」であり、「政治にも思想にも、みずからの『実存』を仮託するようなリアリティが感じられないとき、ひとはより断片化、細分化された物語にしがみつくほかない」(斎藤環〔2003:202〕)。
 悩みを抱える人がこの発想に魅力を覚えると、自らを主人公にして、このトラウマの物語を語りだす。現在直面している人間関係や恋愛の問題は、過去のトラウマが関係していると。またトラウマには、癒しがセットとなっていることが多いが、その一定のルールのなかで、人は解決方法を模索しなければならない。
 悩める人自身が、トラウマのストーリーを求めてきた。また取りたてて悩みはないという人にとっても、このストーリーは魅力的であるようだ。最近の映画やドラマ、小説などで過去の傷つき体験のエピソードが氾濫し、トラウマという文字が躍っているのは、その証拠といえるだろう。
 こうした概念が注目され、関心をもたれること自体、筆者は個人的にいいことだと思っている。なぜなら、そこに救われる人がいるからだ。何らかの社会的な使命はあるのだろう。ただ、ここで問題だと思うのは、現在人気を集めているさまざまな問題解決のための糸口の多くが、個人の内部にあることである。
 昔、諸悪の根源は資本主義社会とされ、さまざまな問題の原因は(資本主義)社会の側にあったとされた。マルクス主義がカッコ良かった時代のことである。いろいろな問題を解決するために、資本主義社会の打倒や調整が不可欠だという分かりやすい見解をもつことができた。このとき、問題解決の方法は明らかであるため、問題を解決するためには、シナリオに即した行動を実践すればよかった。また一部の人々は、「資本主義社会=諸悪の根源」を語るだけでカタルシスを得られていたに違いない。両者は対照的であるとはいえ、現在の状況は、これと同様の極端さがあると筆者は考えている。
 妖怪セラピーは、こうした内にこもりがちな現状に風穴を開けるものであると考えている。個人の感じる苦しみは、その個人の内部に原因があるという考えを強要されてきた私たちに、ちょっとした救いの手を差し伸べるものとして。
内容説明
ナラティブ・セラピーの考え方を分かりやすく解説し、さらに読者が自分でナラティブ・セラピーを実践するための方法を示した入門書。
目次
1章 妖怪セラピーの基本(タネ明かし;社会構築主義 ほか)
2章 ナラティブ・セラピーの思想背景(知と力;知に抹消された物語としての妖怪話;パノプティコン)
3章 妖怪セラピーの方法(フローチャート;妖怪「ぶるぶる」の例 ほか)
妖怪シート(妖怪出没シート;妖怪とわたりあうシート;妖怪分析シート)
妖怪ファイル(ぬらりひょん;やまびこ ほか)
著者等紹介
芥子川ミカ[ケシカワミカ]
1970年代、神戸に生まれる。現在、某大学講師。専攻は社会学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想
 問題を妖怪に例えることで、問題を可視化、外在化、客観化し、対応方法も楽しみながら行うようです。

 確かに、つい相手が悪くても自分の問題としてしまいがちです。
そうではなく、自分の問題ではなく、相手の問題であり、問題は自分がその相手(妖怪)にどう対応するかのようです。
 職場の嫌な人や困らせている人に「妖怪名」を付けると、これまでと違って見え、感じ方も異なるかもしれません。
 そしてその妖怪をどう退治するか。
ゲゲゲの鬼太郎の気持ちになって退治する。
その前にその妖怪に対峙して戦略を立てますね。
退治できなくても、もう悪さをしなくなれば成功です。
 ゲゲゲの鬼太郎のように、一人でなく、”ぬりかべ”、”いったん木綿”、”ネコ娘”、”砂かけ婆”など、協力者がいると心強いです。
 ネズミ小僧みたいな味方か敵かわからないような人も職場にいたりします。

 べてるの家の彼の話は”笑いの渦”だったように思います。
話で幻聴のことも説明されています。
「もし、皆さんが幻聴さんを一つ持って帰ってもらえると私の幻聴がその分減りますので、ご協力お願いします」と話しても面白いかもしれません。

「皆さんの肩に乗っている幻聴さんに話しかけてみてください。その幻聴さんが答えたら、何と言っているか?教えていただけませんか? 挙手していただけると嬉しいです」
 会場の人が挙手して、
「私の肩に乗ってる幻聴さんは、やはりあなたが良いそうです」
と言うと爆笑かもしれません。
 あるいは、もし挙手して違うことを言われたら、
「ありがとうございます。***」と答える。
最後に
「皆さんの肩に乗っている幻聴さんに話しかけられて、その幻聴さんが答えたら、ぜひ精神科を受診されるか、べてるの家で仲間に入りませんか?」
と話す。これも爆笑でしょう。
 なんか楽しそうです。演者と聴衆が一体化しています。
 幻聴を笑いの種に出来たら、まさに幻聴と距離を置いて自分をみていることになるのではないでしょうか。