幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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阿川佐和子さん 「サワコの朝 桃井かおりさん」 ”64歳で人生が変わった”

2016-03-12 08:24:00 | 生き方/考え方
ベテラン女優(1951年4月8日生まれ)。54歳ハリウッドレビュー 活動拠点をロスに異動。「火Hee」の監督作品が話題。64歳で劇的に人生が変わった。結婚した。夫婦は老後が良い。晩婚の魅力を実感中。やることやって自由気ままにこれまで生きて来た。そして結婚。お互い64歳。夫はロンドンで出逢った。“幼なじみ”9歳の時に出逢っていた。父親同士が知り合いだった。この人嫌じゃないなと思った。昨年6月4日に結婚届を出した。思い出に残る曲。ビートルズ 「WhEN I’M SIXTY-FOUR」
初めて知った“なじむ”愛情。音を立てていた人を嫌っていたのがその音がいいじゃないと思うようになってきた。直観的に人に付き合っている。その時に振り返ってみるとダイヤがあったかもしれない。

「SAYURI」でハリウッド初出演。英語がわからないと思っていたが、暮らしに困らなかった。生活の方がわからなかった。いつごみを出すかとか。ロスでは“生活”を楽しんでいる。これまでは仕事にフォーカスしていた。仕事中心だった。今は生活がある。普通の生活は素晴らしい。近所付き合いをやっている。前のイメージ「つながりたくない女優の印象」。無名であることの心地よさ。女優引退は考えていない。依頼が来なくなると引退。来ている内は「おまえやれよ」と言われている。今は仕事が増えている。5本の映画(1本は監督)に出た。いちばん売れている時に2本/年だった。

バレーをやろうと思って海外に行ったらきれいな人が多かった。自分は白鳥の中のアヒルだと思って日本に帰って来た。アヒルでやろうと思ってやってきた。アメリカで住もうと思ったのはうまくフェードアウトしようと思った。知らない内に忘れられるようにと願った。女優として自信を持てずにいた。桃井かおりしか演じていなかった。小銭もあるし辞められるなと思った。19歳から女優をやっていたら演技も上手くなってくる。今はアメリカで“桃井かおり”が知られていないのでどんな役でも出来る。おじいさんの役でもやってやる気持ちを持っている。

50代は自分を見つめなおすチャンス。勇気と元気があったのやってみた。そうしたら仕事が来るから、やってみている。最新作では監督出演を務めた「火 Hee」監督、脚本、主演。ベルリン国際映画会で出展して話題になっている。アメリカの自宅を使って10日で撮影した。暖炉が4つもある自宅。すごく楽しかった。主演女優に作品の説明する必要がなかった。(笑)
まかない、片付けも自分でした。私たちの世代は料理できる人が多い。そのイメージの落差でモテルことがあった。夫の支えも大きな力になった。桃井かおりを上手くすり抜けたなと思っている。名作は俳優監督から生まれる?。これまでそうとうかましていたので、名前出すと返ってよくないかと思っていたので、名前を出さずに監督したことがあった。

二曲目は、女優として尊敬するバンド。今はアメリカで新人としてキャリアもなく仕事をしている。このバンドは顔を隠してやっている。「Emotions」(動物のぬいぐるみを被ってやっている)
誰が入っているかわからない。

昔からの桃井かおりを知っている仲間は、いつか孤独死をしているだろう桃井かおりを想像していた。幸せにならないだろうと思われていたが、喜んでくれている。

感想;
人生は何歳からでも新しい出逢い、新しい自分を見つけることができることを実践されているように思いました。自分の才能が他にもあるかもしれないとの希望を持つことが大切なんでしょう。
初めて桃井かおりさんを知ったのは、学生時代に見た「青春の蹉跌(1974年)」の殺される女性役だった。演技が光っていて、この人は違うなと思いました。