幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

(時時刻刻)新国立、重ねた甘い試算 第三者委検証始まる ”ひどすぎる!”

2015-08-08 16:36:14 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11904866.html 2015年8月8日05時00分

 迷走の末に白紙撤回された新国立競技場の建設計画のずさんさがまたも明らかになった。計画見直しの経緯を検証する7日の第三者委員会の初会合では、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)の対応のまずさや、主体性を欠いた文部科学省の実態も浮き彫りになった。一方、9月上旬までに計画をとりまとめる新たな新国立競技場の姿については議論が百出し、まだ定まっていない。


 ■招致時、既に縮小指示/建設業者と900億円差

 初顔合わせの委員たちから、厳しい声が相次いだ。「予算にこだわらないと会社はつぶれる。民間では考えられない」「なんで国民が怒ったのか。数字の乱高下を一番検証すべきだ」

 迷走した新国立競技場の建設計画の経緯を調べる第三者による検証委員会(委員長=柏木昇・東大名誉教授)の初会合。文科省が提出した資料で、初めて明らかになる事実があった。

 東京が開催都市に決まった2013年9月の国際オリンピック委員会総会の直前、建設費が3千億円超に膨らむとの試算がすでにJSCから文科省に伝えられていた。総会で安倍晋三首相はザハ・ハディド氏のデザインをアピールしたが、その裏でJSCは設計会社に規模の縮小を指示していた。

 また今年1~2月の時点で、大手建設会社が示した試算がやはり3千億円を超えたのに対し、JSCは建設会社案を示すとともに、独自に2100億円程度に収まるとの試算を文科省に報告。金額の異なる二つの報告を受けた文科省は対策を講じず、最終的に2520億円まで膨らんだ。

 JSC関係者は「正直、ゼネコン側が工期の短さや資材費の高騰を盾に、相場より高い値段を提示してきたという認識はあった」と明かす。ある文科省幹部は「今年初めから切羽詰まった状況だと分かっていたのに、誰も主体的に動いていない」と5月の時点で指摘をしていた。検証委では今後、こうした経緯と責任の所在について議論する。

 この日の衆院予算委員会で下村博文文科相は「(JSCと文科省の役割分担が)必ずしも明確でなかったという批判は謙虚に受け止めたい」と述べたが、引責辞任は否定した。 (稲垣康介)


 ■見直し論百出 「新設不要」「民設民営」

 「民主党政権時代にザハ案で1300億円と決め、その後膨らんでいった。簡単にそれを撤回というわけにはいきませんよ」

 安倍首相は7日の衆院予算委で、政権の対応の遅れを批判した民主党の小川淳也氏に色をなして反論すると、続けて質問した同党の玉木雄一郎氏には「政治的に批判し合うより、協力して良い物を造っていきましょうよ」と呼びかけた。

 民主党の弱みを攻めつつ責任論に区切りをつけ、計画の見直しを急ぎたい政権だが、作業は始まったばかり。手探りの状態が続く。

 この日、自民党は既存の競技場などを活用し、競技場を建設しない案などを盛り込んだ提言を安倍首相に提出した。建設する場合も民間が建設して運営を担う「民設民営」方式や、公費で建設して運営を民間が担う「公設民営」方式で、五輪後の運営に国費を投入しないよう求めた。

 ただ、政権はこうした極端な案の採用には及び腰だ。複数の審査員の採点から最高点と最低点を除き、残りの平均で得点を出す「フィギュアスケートの審査のような感じ」。計画づくりを担う遠藤利明五輪担当相は、作業のイメージを周囲にこう語る。失敗が許されないだけに幅広く案を募った上で極端なものを落とし、「そこそこ」の計画で国民の納得を得たい、という狙いだ。

 先月下旬からは元陸上選手の為末大氏らアスリートと面談を行い、今週からネット上でのアンケートも始めた。ただ、計画とりまとめの期限は9月上旬。それまでに、どこまで多様な意見を採り入れることができるのか。政権幹部は「そんなことまで考えている余裕はない。とにかく競技ができる会場を間に合うように造らないと」と話す。 (山岸一生、阿久津篤史)

 ■有識者会議文書、発言の一部削除し開示 JSC、情報公開請求に

 新国立競技場建設の事業主体であるJSCが、2012年11月に開いた有識者会議での委員の発言を一部削除して情報公開請求者に開示していたことが明らかになった。

 問題となったのは、ザハ・ハディド氏のデザイン案を最優秀作品とすることを承認した会議の議事録。朝日新聞が情報公開請求で入手した文書は、発言者が特定されるような意見が黒塗りにされただけでなく、委員の発言のうちハディド氏の案に否定的な部分などが削除されていた。

 自民党の行政改革推進本部が、JSCから取り寄せた会議の発言全文を4日に公開。情報公開請求した文書と比べると、例えば、当時日本ラグビー協会長だった森喜朗元首相がハディド氏の案について、「神宮に宇宙から何かがおりてきたという感じ。(他の案も)カキフライのフライのないカキか、生ガキがいるって感じがして。違和感を(覚えた)」などと発言した部分などが削除されていた。

 JSCの担当者は「自民党が詳細な検証に必要ということで、聞き書きした発言録を公開した。議事録はそれを要約したもので、削除したわけではない」と説明した。 (野村周平)

 ■検証委員会の顔ぶれ

 ◎柏木昇(東大名誉教授、元中大法科大学院教授)▽○横尾敬介(みずほ証券常任顧問)▽国井隆(公認会計士)▽黒田裕(弁護士)▽為末大(元陸上400メートル障害五輪代表選手)▽古阪秀三(京大院教授=建築学) (◎は委員長、○は委員長代理。敬称略)

感想;
あまりにもひどすぎる。自分のお金ではないのでお金がかかっても気にしないのでしょうか?
また、自分の任期は2~3なので、問題があっても自分が問題にすると自分の出世に影響するので、先送りしてきたように思います。
下村文部大臣ご自身も、問題を先送りされて来たけど、残念ながらその先がなかったので、先送りできなかったのでしょう。それにしても、問題を解決する力のない人が多いですね。せめて自分に問題を解決する力がないなら、その問題を開示する勇気を持って欲しいです。


阿川佐和子さん 「サワコの萩本欽一さん」 ”ボケに立ち向かうために”

2015-08-08 08:32:00 | 生き方/考え方
74歳で大学一年生。真剣に勉強したい。毎日通っている。大学に嫌なことはありません。
25歳でコント55号 坂上二郎さんとコンビを。人気番組を次々と生み出した。視聴率100%男と言われた。絶好調の時に番組を止めた。次は社会人野球を立ち上げた。茨城ゴールデンボーイ。70kmマラソンにも挑戦した。そして駒澤大学仏教学部。「年取ると明日逢う人がいっぱいいることが幸せ」。

何故大学を受験しようと?「何か挑戦しなければならない。ボケが一番問題。これからは失くしていくものばかり。だったら何かを足さなければならない」と思った。ボケに立ち向かうために。大学では子どもたちの3倍努力が必要。試験受けてたら、隣の学生がそこじゃなく、ここと教えてくれる。
先生が欽ちゃんと呼んだ。でも欽ちゃんと呼ぶのも良くないのではと言われた。「おれ欽ちゃんに帰りたい」と思っていると言ったら、だったら欽ちゃんにしようと。皆が欽ちゃんと呼んでくれる。

チャプリンの 「ティティーナ」。貧乏とは自分が自覚している時。当時は自分が貧乏と自覚していなかった。映画「モダン・タイムズ」見たら、帰りの電車賃がなくなって、50分歩いて帰った。その50分ずっと笑いの気持ちが残っていた。こういう笑いができたらよいだろうなと思った。

何でコメディアンを目指したのか?お母さんが玄関で「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っていた。
お金が返せなくて謝っていた。母に楽をさせたくて、映画スターになろうと思った。しかしポスター見て自分の顔を鏡見たら、映画スターに目の垂れている人がいなかった。目の垂れている人がコメディアンだった。コメディアンでも家が建つかなと。

頂点を目指した。子どものファンから「二郎さんをぶたないでください。だから二郎さんがあんなにバカになってしまった」と。二郎さんはすぐれもんだった。すぐれもんとやるのは自分がバカだと思われると思った。だから二郎さんとやるのは嫌だった。でもやってみて、あんなに素直な人はいない。どれだけ僕を信用してくれたか。そんなに信用されたら裏切ることはできない。

コントはいつも台本なし。テーマと人が分かったら、後は本番で。これを言ってくださいと言われたことをいつ言おうかと気になって上手くできない。稽古はしない。練習したらコントではない。打ち合せもなかった。舞台の上で即興でやっていた。できたてが美味しい。

数々の斬新な番組。全て視聴率30%を超え、3つを足すと視聴率100%に達していた。これは面白いと思ったのは外れて、?と思ったのは良かった。

「オールスター家族歌合戦」。当時は司会だけはできないと事務所に言っていた。しかし、司会しか仕事が来ない。欽ちゃん流の“新しい司会”(初めてアシスタント付けた)を行った。「さあ、次はだれでしょうか?」と言って司会をせず、アシスタントが説明した。面白いことだけを言っていれば良かった。当時、司会を5本やっていた。二郎さんから教わったことは、嫌だな嫌だなと思うことをやってみたら新しい道があったということ。二郎さんと組むのは嫌だなと思っていた。二郎さんと組んで人気が出た。

何故、絶好調の時に番組を降りたのか?山昇ったら降りるでしょう!そうしないと次の山に上れないでしょう!幾つかの山を登りたい。次の山を登りたいために山(絶頂)を降りた。次にやりたいと思ったのが社会人野球。優勝した。皆がV2と言ったので、辞めた。同じことを体験したくない。

これからはボケに対抗すること。歳を取ったら何をしたいか。年取ったら明日逢う人がいないのは寂しい。仕事辞めたら逢う人がいないことに気が付いた。新しい出会いから何かが起きてくる。何かの準備期間だと思っている。4年後に何かよい番組が出来ているかもしれない。

大学合格について家族は?息子の一人が「驚いたよ。またマラソンやるの?」。妻は「あらら、あらら、あらあらら」と言って切れた。3人の息子。一人はお弁当屋、一人はアルバイトしてそのお金でどれだけ海外で働けるかを実践している。「人と違う方を見ろ」と教えた。息子が予備校に入ったら、もう十分と予備校辞めて違うことをした。それもよいのではないかと思った。妻が「信じられない。世間の人に訊いて欲しい。ここに変な人が二人いる」と言っていた。

「函館の女」。北島三郎さんは芸能界の恩人。出してくれた。逢うといつも笑顔で挨拶してくれる。北島三郎さんの応援もあり、それから人気がでた。誰かが押してくれた。これからは自分を探してくれる人はいないので、何をやるかは教えない。教えなければ、やらなくてもよい。気楽。でも何かがありそう。大きなことを考えているかもしれないけど教えない。

感想;
新しいことをやるために、今の絶好調のものを辞める。嫌だなと思ったことをやってみる。
どちらもなかなか難しいことです。新しいことが上手く行く保証はありません。嫌なことは嫌だからやりたくない。でもそれに挑戦したことで今の欽ちゃんがあるのだということがよくわかりました。