真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ハレンチ牝 ひわい変態覗き」(2009/製作:旦々舎/提供:オーピー映画/脚本・監督:山﨑邦紀/撮影:大江泰介・鷲田進/照明:ガッツ/助監督:金沢勇大・関力男/応援:田中康文/編集:有馬潜/音楽:中空龍/録音:シネキャビン/タイトル:道川昭/現像:東映ラボ・テック/協力:かわさきひろゆき・セメントマッチ/参考図書:『女性を捏造した男たち―ヴィクトリア時代の性差の科学』シンシア・イーグル・ラセット著・工作舎刊/出演:朝倉麗・倖田李梨・佐々木共輔・荒木太郎・平川直大・丘尚輝・ささきふう香)。かわさきひろゆきと、池島ゆたかの制作プロダクションであるセメントマッチの協力が、劇中どの部分に表れてゐるのかには辿り着けなかつた。
 縁側で眠る浴衣姿の女のイメージ・ショットに、荒木太郎のモノローグが被さる、「物いはぬ、昼寝する女ほど美しいものはない」。
 ケーブルTVの討論番組「ガチンコ闘論」にて、ラディカルなフェミニズム学者・露草しずく(倖田)と、「女権撲滅道場」などといふ、看板のノー・ガードな潔さが寧ろ清々しささへ感じさせかねない女性蔑視団体の主催者・荒畑寛司(荒木)とが、最早当然の成り行きで激突する。何処そこの研究結果によれば男よりも一般的に小さな女の脳はゴリラにより近いだの、女の参政権は二人で一票で十分だなどと、無茶苦茶な放言を垂れ流す荒畑の姿に露草だけではなく、放送を見てゐたSMのキカ女王様(ささき)と、エロすぎる市会議員候補、から実際に市議となつた麻美多鶴(朝倉)は激昂する。ここで丘尚輝は、終始従順に責められるのみのキカ客。薄いグラサンで武装しバイオレントな秋田弁を駆使する平川直大は、裏で糸を引き最終的には妻を国政の場へ送り込まんと画策する、多鶴の夫・友一。今回序盤から好調に飛ばす山﨑邦紀の映画に、情報量は軽やかに多い。キカ女王様は、恐らくペドロ・アルモドバルの「キカ」(1993/西)とは特に関係ないやうに思へる。多鶴の事務所に貼られた二種類の選挙ポスターに躍るキャッチフレーズが、「女の欲望を市議会へ!」に、「エロスと政治の結婚」。市政レベルとはいへ、こんな底の抜けた候補を通したのは何処のお調子者の有権者だ。そしてヴィクトリア時代の偏向した疑似科学を告発した参考図書の反映は、歪曲した荒畑の立ち居地にダイレクトに認められる。ところで「ガチンコ闘論」は、露草の挑発に無闇に乗る形で荒畑が“腐れマ○コ!”を連呼し始めたため、強制終了される。2009年は薔薇族映画―勿論大絶賛未見―とピンクを各一本きりしか発表してゐない山﨑邦紀は、余程力を余してゐるやうだ。喜べばいいものやら如何なものやら、複雑なところでもある。
 学者とSEXワーカーと政治家といふ、互ひの職種の相違も超え露草とキカ、多鶴は女性主義の錦旗の下に共闘してゐた。露草を援護すると同時に自らの鬱憤も爆発させるべく、「女権撲滅道場」に押しかけたキカと多鶴を、平素は相談者にすら会はないといふ荒畑に代り、師範代の笹沼泥沼(佐々木)が出迎へる、どんな名前なのだ。といふツッコミは思ふ壷であらうところなので兎も角、仕方のないことをいふやうだが、新作で久し振りに見た―「デリヘル嬢 絹肌のうるほひ」(2002/監督:池島ゆたか)以来か―佐々木共輔は、些か加齢も感じさせる。「ガチンコ闘論」出演時のエキセントリックな荒畑の様子とは対照的に、普段は隆盛する女の勢ひに押され気味の、弱い男達に対する一種のカウンセリングに当たつてゐるといふ笹沼は穏やかな、どちらかといはずとも姿勢の低いやうな人物だつた。通した部屋で文字通り重量級の女傑二人を相手に苦戦を強ひられる弟子の様子を、覗き穴を通して荒畑は隣室から窺視する。弾みで掴んだ多鶴の手を通して、笹沼は「レディ・イン・ザ・ウォーター」よろしく青く澄んだ水の中に沈む、多鶴の心象風景に触れる。笹沼はさういふ一種のテレパスであり、現に多鶴は、自分が友一のいはば操り人形でしかないことに、疑問を感じぬでもない隙間を心に抱へてゐた。その場は繕ひながらも本心を見透かされ動揺も隠せない多鶴は、キカとも対立し飛び出して行く。
 一匹の奴隷はさて措くとして、女性恐怖にも似た特殊な性癖を喧伝の底にひた隠す活動家。何れも沸点の低い攻撃的な女達に物静かな能力者と、ギラギラし放しの野心家。奇人怪人が激しく撃ち合ふ苛烈な応酬の中を、実は実直なドラマが粛々と進行して行く。前面の奇矯な飛び道具を、最終的には冷徹な論理が統べる様が、性的な倒錯の濃度は低くもあるが実に山﨑邦紀らしい一作。メイン話者の傍らで他者が視線や身体を僅かに動かせる、画面の端々の充実に窺へる全体的な演出の頑強さに加へ、個々のシークエンスも高打率で秀逸。心に開いた穴を看破され退場した多鶴に続き、キカは自らその逞しい腕を笹沼に委ねる。一旦はまるで夢を見ないルパン三世のやうに、笹沼が感応し得る内実を持たぬキカではあつたが、反面表面的には一方的に虐げてゐるやうでゐて、詰まるところは客であるM男の欲望に奉仕してゐるに過ぎない自身の状態に乾く。露草が単身笹沼は去つた「女権撲滅道場」に乗り込んだ際には、頼らざるを得ない荒畑には効かない睡眠薬が、しずくには効果を発する。荒木太郎はポツリと零す、「俺には効かないのにな」。狂ひ咲くファンタと、重層的に唸るロジック。そして旦々舎作には初期装備された、実用性満点の滾るエロティシズム。これが、これこそが山﨑邦紀のピンク映画だ。揺らぎを経て新しい均衡点にひとまづ落ち着いた多鶴と、相変らず狂騒的な残りの者共の対照が光るラストは、多鶴と笹沼が到達したエモーションの打点が少々低いことは着地点の強度不足も感じさせ、女優三本柱の内二名がオーバー・ウェイトに相当するといふ、極々私的な琴線の張り具合は勿論響かない訳がない。とはいへ溜めに溜めた一撃必殺の決定力は、勝者の存在しない全方位的な逆境の中にあつても、状況に対し有効に働くや否かは一旦兎も角、矢張り燦然と煌く。理屈臭さに臍を曲げる偏屈でなければガッツ・ポーズで面白からう、らしさが轟く快作である。

 以下は再見に際しての付記< 青い水に沈む女のイメージは、シャマランの「レディ・イン・ザ・ウォーター」(2006)の影響を受けるどころか遥か十年以前に、既に「痴漢電車 潮吹きびんかん娘」(1996/主演:小泉志穂)に於いて見られる。


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