真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「ふしだら慕情 白肌を舐める舌」(2007/製作:多呂プロ/特別協力:南映画劇場[名古屋]/提供:オーピー映画/監督・出演:荒木太郎/脚本:吉行由実/撮影:清水正二/編集:酒井正次/助監督:内山太郎・金沢勇大・江尻大/撮影助手:海津真也・関根悠太/タイトル:福岡美咲/ポスター:本田あきら/応援:小林徹哉・木村浩章/録音:シネキャビン/現像:東映ラボテック/タイミング:安斎公一/撮影協力:イマージュ・SOPHIA/協力:太田耕耘キ[ぴんくりんく]・森裕介・プラネット映画資料図書館/出演:平沢里菜子・華沢レモン・淡島小鞠・吉岡睦雄・岡田智宏/友情出演:内藤忠司・柳東史/名古屋エキストラ:南澤佳代子・横地孔・東内原車人・Kappa[カッパ]・中村ゆかり・山上竜馬・大久保卓弥・河村ゆみ・石川学・堀井恭章・北野智子・卍村・つぐちひろし・坪井篤史・木全哲・江尻真奈美・片桐芳樹・斎藤敏之・田中淳・小西恵・星野友紀/名古屋協力:吉田守伸・渡邊咲子・松岡三保・森久代・伊藤康一郎/特別出演:久須美欽一・池島ゆたか)。出演者中、内藤忠司は本篇クレジットのみ。
 女の肌を男の舌が舐めるショットを噛ませて、タイトル・イン。表題を最短距離で具現化した、アバンの強度はひとまづ十全、ではあつたのだが。
 アルバイト募集の掲げられた、名古屋は内田橋の成人映画専門館―但し、作中の設定ではピンクの小屋ではなく、洋画二番館―「南映画劇場」こと通称“南映”。稼働する35mm映写機と、館主の健太郎(池島)が神棚に拍手を打つ画を手短に繋いで、退職する従業員の永瀬か長瀬(柳)が、後釜アルバイトの面接に当たる。冴えない男(不明)を一人通過、続けて現れたのは、思ひのほか美しく快活な女・鈴子(平沢)であつた。健太郎の旧友で南映常連客の、小林(久須美)や古川(荒木)らによる脊髄で折り返した後押しもあり、鈴子はその場の勢ひの即決で採用される運びに。早速レローンと鼻の下を伸ばす小林らに対し、健太郎は釘を刺す。
 取り立てて纏めるほどの梗概すら非感動的にまるで存在しないゆゑ、以降残り配役を登場順にトレースしておくと吉岡睦雄が、鈴子の当初転がり込み先でもあるセフレ・直也。別の女(絡み合ふ足しか抜かれず、撮影上は平沢里菜子の二役である可能性が高い)の存在に直也宅をコッソリ飛び出した鈴子は、以降夜は繁華街を彷徨ふ生活を送る。正面を向いた首から上が何故か巧妙に回避される内藤忠司は、目撃した小林と古川が後を尾けてゐるのも知らず、鈴子が最終的にはホテルにまで入る行きずりの中年男。華沢レモンは、鈴子の火遊び問題を巡り、古川と大喧嘩した健太郎が諫められつつ小林と向かつた、「ニューソープランド づか」―現存する―の泡姫・ミドリ。この辺りから粗雑な綻びが徐々に顕著となり始める岡田智宏は、実際に母親―あるいは健太郎亡妻―の葬式以来顔を合はせるのは三年ぶりで、それまでも金の無心くらゐにしか帰つて来ず、当然南映を継ぐ気はない健太郎の息子・昭雄。気軽にホテルで情を交した鈴子に、昭雄は出し抜け極まりなく求婚。若夫婦(予)が切り盛りする、とりあへず順調な南映に招かれざる淡島小鞠が、昭雄を追ひ駆けて来た妊娠中の元カノ・香苗。幾ら三番手とはいへ、来名直後の昭雄と香苗の一戦は、鈴子とのもの以上にもしくは以下に、あまりにもぞんざいだ。あるいは、この拙速な昭雄の処遇に、展開上は押し殺すに如くはない、荒木太郎の瑣末なリアリズム、乃至は現実諦観が窺へるのか。といふのは、下衆が勘繰るにも度が過ぎるであらうか。
 オーピーのカンパニー・ロゴ直後に多呂プロ50本記念作品が謳はれる、荒木太郎2007年第一作。当サイトの、ザックリした整理の上では全国小屋ロケ行脚御当地映画シリーズ第七弾。但し公式には、“映画館シリーズ”の第四作とされる。何と何と何が省かれたのか、今はもう、改めて確認しようとする当然の労力すら疎ましい。といふのも、確かに叙情はそれなり以上に豊かであるともいへ、一本の劇映画を貫くに足るだけの物語の体を成すには、叙事が決定的に不足してしまつてゐる。そのため、御丁寧にも一度は捨てられるところまで含めウエディング・ドレスを持ち出した、挙句にロケーションは古い名画を上映中の映画館であるなどといふ、トッピングの闇雲な全部乗せにも似た健太郎と鈴子が終に結ばれるクライマックスが、清々しいほどに定着しない。そもそも、ともに出演時間は束の間に短い、華沢レモンと淡島小鞠が仲良く濡れ場要員のポジションに止(とど)まる中、女の裸を稼ぐ重責が平沢里菜子一人に背負はされた結果、鈴子にとつてオーラスの対健太郎戦が、最初の直也は兎も角としても、内藤忠司も入れると別に誇れはしない男優部四冠達成となつてしまふ点には、激しく躓くほかない。これでは、幾ら当該シークエンス自体は綺麗に取り繕つてみせたところで、単に鈴子の尻が激軽なだけに過ぎないのではないか。尺が尽きるに屈したが如く、唐突かつ無造作に迎へる終幕には、直截な心の声として「どうにかせえよ!」と唖然とさせられた。純然たる素人考へでしかないが、近作の傾向から吉行由実には娯楽映画の十全な組み立てを既に手中にしてゐる風も窺へるとなると、古いものを引張り出したのでなければ、ここは脚本がといふよりは、下手に気負つた荒木太郎が派手に仕出かしたのではないかと邪推させられる一作。半端な映画愛なり誠実さがこれ見よがしなだけに、なほ一層始末に終へない地雷映画。うつかり踏んだ者は、おとなしく己が不運を呪へ。
 一度もその敷居を跨いだことのない者が、平然とさういふ口ぶりをしてのけるのは本来ならば許さないのが個人的な偏狭ではあるが、兎も角甚だ残念ながら、南映画劇場は今年の五月二十二日を以て閉館した。映画単体の出来はこの際さて措き、古きよき時代の趣ある芳醇さを伝へる―現時点では“伝へた”―小屋の風情をフィルムに焼きつける点に関しては、しつかりと果たされてある。その限りに於いては、2006年五月末に矢張り閉館した、故福岡オークラ劇場にとつての「年上の女 博多美人の恥ぢらひ」(2002/主演:富士川真林《ふくおか映画塾》)同様、喪はれた小屋の思ひ出を留める一つの記録としての価値は、それでも厳然と認められ得るに違ひない。

 心なしか筆を滑らせるが如何にもシネフィル然とした小奇麗な面々が、クレジットにも名前の載る観客要員として、ロビーを中心にそこそこ大量に見切れる。顔触れの、何ともいへない馴染まなさに関しては劇中南映の敵が一般映画―ついでにイーストウッド率が矢鱈と高い―と来た日には、それも又やむなし。


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