真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「強制飼育 OL肉奴隷」(2014/製作:幻想配給社/提供:オーピー映画/監督:友松直之/脚本:百地優子/音楽:KARAふる/撮影・照明:小山田勝治/助監督:高野平/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/監督助手:島崎真人・佃直樹/撮影・照明助手:岡崎孝行/制作応援:山口通平/ヘア・メイク:WATARU/スチール:本田あきら/ライン・プロデューサー:石川二郎/キャスティング協力:久保和明/現像:東映ラボ・テック/協力:スタジオペルーサ/制作プロダクション:アウトサイド/出演:栗林里莉・藤田浩・金子弘幸・若林美保・ももは・KOH・黒木歩・福天・緑一色・タコラ・ぐんぐん《差し入れのみ》・マヘンドラ)。出演者中、緑一色以降は本篇クレジットのみ。ポスターでは、脚本は百地優子と友松直之の共同脚本で、チーフスッ飛ばして島崎真人が助監督に。
 幻想配給社ロゴに続き顔写真入(撮影:有末剛)のクレジットで百地優子が、“この作品は私の実体験を元に構成しました”旨を謳つてタイトル・イン。といつて、一昔―どころでなく―前流行つたモキュモキュメンタリー、公式用語としてはセミドキュメントといつた寸法ではなく、中身は純然たる劇映画である。
 付箋を噛まされたブライダル雑誌と、キャスター(黒木歩/ex.宮村恋)がストーカー問題を採り上げるニュース画面を置いて、交際五年結婚秒読みのOL・渡瀬由美子(栗林)と、どうやら食はせて貰つてゐると思しき同棲中の彼氏・山田陽太(KOH/黒木歩率ゐるクリエイティブ音楽集団・KARAふるの相方)の婚前交渉。由美子に乳首を舐められた陽太が女のやうな喘ぎ声を上げるのは、男を男に寝取られる薔薇オチのフラグかと勘繰つたのは、脳が桃色に腐つた早とちり。事後陽太には満足した風を装つた由美子は、浴室にて改めて自慰に燃える。由美子の勤務先、対面の佐藤健一郎(金子)の仕事の出来なさ具合に匙を投げた由美子が公然と佐藤の顔に泥を塗つたのが、最後に残るのが希望ではなかつたパンドラの函の蓋。直属の上司・高木亮介(藤田)との一転ドMな逢瀬を、ホテルから出て来る写真と鞄に盗聴器を仕掛けられた音声ファイルとで押さへられた由美子は、佐藤の手に落ちる。謎のハイ・スペックを発揮する佐藤は高木と結婚十五年の妻・マドカ(若林)のセックスを何と動画で盗撮、由美子は高木の夫婦生活をオカズにしてのオナニー自画撮り動画を佐藤に実況させられるに止(とど)まらず、社内での羞恥ローターと、OL肉奴隷の強制飼育はエスカレートする。若林美保に話を戻すと、出番が終に盗撮動画内のみ―しかも大概短尺―といふのは、なかなか鋭角な実質三番手濡れ場要員の放り込みやうである。
 配役残りももはは由美子隣の、推定総合職の由美子に対し多分一般職の田中ナオミ。緑一色・タコラ・マヘンドラはその他社員要員、ナオミの向かひの、量産型友松直之といつた風情は誰なのか。三人の年齢層から窺ふに、高木が部長といふ出世ぶりは猛烈に早い。福天は、ストーカー男の糾弾を次第に拗らせる黒木キャスターに、冷静に対峙する評論家。
 こちらがそちらを見てゐないのは甚だ恐縮ながら、レイプゾンビ完結で観たいものも撮りたいものも全部撮つただなどと、枯れたことをいふて貰つては困る友松直之の2014年第一作。同業者も世間も全部倒して、天下を取つてからにして欲しい。結婚間近の遣り手OLが、グータラ社員の魔手に堕ちる。ありがちな通俗ポルノはメリハリの利いた表情作りが光る主演女優を擁し、ひとまづ順調に走る。二つのファイルを叩きつけ、最初に由美子を呼び出した佐藤は鮮やかな口跡で開口一番、「判つてると思ふけど、やつたの俺だから」。切れのある開き直りやうで展開の最初のジャンプを綺麗に軌道に乗せるのは、金子弘幸の地味なファイン・アクト。夫婦の営みをも押さへられ、怖気づいた高木に掌を返された由美子が次第に壊れて行く過程も、友松直之らしい妙手なのか百地優子の闇なのか、何れにせよ見応へがある。尤も、振り切れた由美子が何時の間にか先頭に飛び出して来る終盤が、如何せん行間が果てしなく広過ぎる。縁者の資質か演出の成果か、一見栗林里莉はシークエンスを手中に収めてゐるかに見えて、一度躓くとそこかしこが綻んで来る。締めは一応決まるものの、名探偵か犯人役多くして山に上つた探偵小説が如き一作。誰にでも出来る時代であるからといつて、下手に魔法の杖を誰しもに振らせてゐては始終に収拾がつくまい。

 由美子が一皮剥ける件の、半ばBGM代りのキャスターと評論家の討論。キャスターは、攻勢に転じた評論家に愛とは契約なのかと言葉尻を捉へられる。以降はいはばオチの見えた寸劇、毎度平素何時も通りの友松節である。よくいへばお約束の安定感、どんな無理な体勢からでも引つこ抜ける必殺のスープレックスともいへ、正味な話こゝいらで一度、一切手癖を廃したゴリッゴリの本格を拝見したいところではある。川村真一に渡すつもりで脚本を書いた、対城定秀夫を念頭に置く一大正面戦を観たいといふのは、当方も当方で懲りもせず同じ与太を吹いてゐるやうな気がするのは気の所為でもない。それはさて措き、それでは問ふた当の評論家にとつて愛とは何ぞやといふと、曰く“命の叫び”なり“迸る生命エネルギー”であるとして、凡そあらゆる性癖を愛の名の下に一括りしかねない箆棒な勢ひである。大した御仁とでもいふか、流石にあまりにも用語法の底が抜け過ぎてゐて俄に友松直之と同一視するのも憚られるゆゑ、こゝは一旦等閑視、自分ちの田圃に水を引く。実践的なシュミレーションとして、愛とは契約なのかと詰め寄られた黒木歩は如何に対処すべきであつたのか。慌てる必要も気色ばることもない、かう答へればよかつたのに。然様、愛とは契約であると。
 永遠に不滅である筈なのに、愛が終つただ変つただ移つただ、一旦終つたものがまた始まつただと性懲りもない泣き言繰言が、半世紀を経たこの期に及んでも未だに後を絶たない。戯けた寝言を垂れて貰つては困る不信心者め、愛とは永遠に不滅、不変である。終りも変りも移りもしない、終つたものが再び始まるだなどと、愛は季節か、巡りもしない。人間の世界に永遠だの不変だのあるものか、さういふ色即是空をいつてゐるのではない不信心者め、愛とは永遠で、なほかつ永遠の愛は現存する、当然当サイトの裡にはないけれど。永遠不滅の愛とは、同時に汝の隣人を汝と同じやうに愛する愛である。他人を自身と同様にとは、エターナルに加へて下駄が高過ぎてとても歩けないやうにしか思へないが、それは私に信心が足らないからであつて、本気で希求する人あるならば、何も憲法を持ち出さずとも異論を唱へるつもりなんぞ無論毛頭御座らん。愛とは確かに永遠に不滅で、汝の隣人も汝と同じやうに愛し得る。但しそれは神、といつて我々の生活環境のそこかしこにいらつしやる、八百万の神々を指すものではない。文字通りの唯一無二にしてなればこそ固有名詞を必要としないほどの絶対者、に誓ふ時に初めて、生身の人間にも辛うじて手の届く話となる。絶対者に途方もない無理を通す不断の心的努力を、時に請ひ時に乞ふ行為、それが信仰である。お判り頂けたであらうか、愛とは確かに永遠に不滅で、汝の隣人も汝と同じやうに愛し得る。そのことは即ち、神に宣誓した以上、いはば契約上の債務の履行を要求されるが如く、永遠に愛し続けなければならない、隣人も己と同様に愛さねればならないのである。といふのが、愛が契約である所以。仮に愛が甘美なものであるとすれば、それは度を越した激越がグルッと一周した先の話。といふとハードSMのやうにも聞こえかねないのは、小生の不信心にも加速された下賤な心性。地獄に堕ちればよい、あるならな。
 以上は、お断りしておくが何も非モテの恨み節ではない。跪き十字を切るコアを導入しもせずに、上つ面の絵空事ばかり換骨奪胎してはお門違ひの泣き言繰言を垂れる風潮を伊藤整が嘆いた、『近代日本における「愛」の虚偽』(初出昭和三十三年)に於いて書かれてある論考である。だから半世紀以上前の文献であるといふのに、いゝ加減目を覚ませ現代人。因みに『近代日本における「愛」の虚偽』は岩波文庫で『近代日本人の発想の諸形式 他四篇』の中に収録されてあり、安価容易に読むことが可能である。


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