真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「生好きお姉さん おクチなら何度でも」(1997/製作:関根プロダクション?/配給:大蔵映画/監督:関根和美/脚本:関根和美・樹かず・片山圭太/撮影:小山田勝治/照明:秋山和夫/助監督:片山圭太/監督助手:城定秀夫/撮影助手:新井毅/照明助手:臼井幸男/スチール:佐藤初太郎/音楽:リハビリテーションス/効果:東京スクリーンサービス/録音:シネキャビン/編集:《有》フィルムクラフト/現像:東映化学/出演:中原美樹・中沢江梨子・佐々岡ルル・樹かず・山本清彦・山内よしのり)。
 切迫した表情で走る樹かずがアパートの前で立ち止まりタイトル・イン、樹かずは想起する。二浪生の浜田健次(樹)と、幼馴染でこの人はストレートで女子大生の京子(中沢)とののんべんだらりとした一戦。は、勉強中に寝落ちた健次の夢オチ。のつけから夢オチかよといふ以前に、如何にも思はせぶりな開巻の想起から全く繋がつてゐない、関根和美フリーダム過ぎるだろ。夢の中での京子と同じ「美味しいはあ」といふ嬌声に、健次は勉強もそつちのけに誘はれる。嬌声の主は、健次が居候する兄・雄一(山本)の嫁・真奈美(佐々岡)。ここで火を噴くキナ臭い飛び道具が、佐々岡ルルの肉の海。まあ旦那の鼻先に突き出した尻の、恐ろしく馬鹿デカいこと馬鹿デカいこと、遠近法が木端微塵に粉砕される。更に衝撃的なのが、背面座位の体勢になると巨体に隠れて山本清彦が全く見えない、そんな画初めて見た。一欠片たりとて嬉しくはない文字通り重量級の一夜明け、健次が歯を磨いてゐると、真奈美がカチューシャかましてシャワーを浴びてゐたりなんかする、女の裸を見てストレートに凶暴な気持ちになるのは何故なのか。再び覗く健次が思はず握り締めたチューブから、ニュルッと飛び出す歯磨き粉が射精のメタファーといふのも一体全体どうなのよ。朝から消耗する健次に真奈美が出した朝食が、目玉焼きの乳房にプチトマトが乳首と臍、ソーセージでボディ・ラインを描いた上でブロッコリーを陰毛に見立てた、その名も真奈美スペシャル。今回の関根和美は、観客の神経を逆撫ですることに全精力を傾注するつもりらしい、俺の心は早くも折れさうだ。挙句に真奈美の下半身の、エプロンの下は裸。また健次の無用で無闇な幻影でオトすものかと思つてゐたら、後に雄一曰く「マナミはな、ファミレスと風俗勤めが長くてああなつた、あれがあいつの愛なんだ」とのこと。全篇狂気ないしは凶器、004みたいな映画だ。話を戻してそこに雄一が現れ、二年前に海外赴任し先週帰国した、大学時代の後輩の引越しの手伝ひに健次を拉致する。どうせ勉強なんてしない癖に不承不承の健次ではあつたが、現れた美加(中原)を一目見るなりボレッと掌を返す。話の流れとしては判らなくもないが、飽くなき一昨日な攻撃性が牙を剥き倒すここでの問題が、佐々岡ルルに劣るとも勝らない主演女優。最短距離の内側を抉ると馬面のババア、エクセスライクを超えなくてもいいのに超えやがる破壊力には、ファースト・カットで本当に頭を抱へた。中原美樹に関して戯れにjmdbを触つてみると、おいおいおい、少なくとも十五年選手だぜ。実は中沢江梨子も中沢江梨子で、首から下は普通に綺麗でとりあへず若いといふだけで、タラコ唇のアイコン的な容姿は何処まで妥協しても十人並に過ぎない故、元々知らない名前であることもあり、三者連続三振のビリングを読めるか否か本気で心配した。エンド・クレジットに役名を併記して呉れてゐなかつたら、多分どれが誰やら本当に判らなかつたと思ふ。兎も角、三本柱の焼け野原ぶりは一旦忘れて話を進めると、京子とつかず離れずしつつ、雄一が勝手につけることにした家庭教師が、美加であることを知つた健次は何故か夢と股間を膨らませ気味に俄然発奮する、だから健次マニア過ぎるだろ。
 関根和美の1997年最終作は、女の裸が主眼の筈なのに肝心の女優陣がロートル×鱈子×肉塊といふ、最も危険が危ない一作。といふとそれで片付きもするのだが、健次が受ける代々本ゼミナール模試の順位を軸に、美加から貰ふ御褒美の傍目にはちつとも嬉しくはないグレードが順々に上がつて行く展開は、強ひて冷静な検討を試みるならば意外と手堅い。それなりに盛り上がつた終盤、姿を消した美加ならぬナオミの姿を求めて、強面・富岡(山内)が飛び込んで来るアクセントも、ぞんざいな真相明かしと、富岡がある程度は身から出た錆ともいへ気の毒な被害者に過ぎない不均衡さへさて措けば、全体の構成としては満更でもない。最後の最後までベクトルを美加に固定する健次が、健気な京子を袖にし続ける不自然には不可思議な印象も強いが、それもこれも、全ては中原美樹の高齢に帰結する。どうスッ転んでも挽回不能なキャスティング段階での劣勢にポップに屈した負け戦ながら、映画自体の作りは実は順当であることと、ツッコミ処が過積載とでも思へば、それはそれとしてその限りに於いては生温かく接せられないこともない。

 リハビリ的な見所ならぬ聞き所、健次と美加がデートする件、ロイ・オービソンの「オー・プリティ・ウーマン」のイントロ―だけ―のパクりを延々繰り返す劇伴に加へ、オーラスからエンド・クレジットにかけてバンドバンドした、ヴォーカル入りのトラックが一曲丸々流れるのが耳新しい。


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