真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「美人銀行員を狙へ! 異常レイプ」(1999『マル秘性犯罪 女銀行員集団レイプ』の2008年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:有馬仟世/企画:稲山悌二/プロデューサー:伍代俊介/撮影:創優和/照明:小野弘文/編集:金子尚樹 《フィルム・クラフト》/ネガ編集:酒井編集室/助監督:周富良/音楽:藤本淳/製作担当:真弓学/ヘアメイク:大塚春江/タイトル:道川昭/出演:平沙織・吉田祐健・永森シーナ・桜居加奈・佐倉萌・若山慎・平川ナオヒ・橋本嘉之・銀治・星野アカリ・林倫子・八神徳子、他・竹本泰史・久須美欽一)。出演者中、星野アカリから他までは本篇クレジットのみ。旧題の“マル秘”は、正確には○の中に秘。
 午後三時、窓口業務終了間際の三英銀行西畑支店。表のシャッターも閉り始める中、窓口係の太田瑛子(平)は「講和システム」との架空の取引を装ひ、遠藤ミチヲ(竹本)をカウンターに招き寄せる。思はせぶりな目配せを交しつつも二人が手を拱いてゐるところに、行内に真の衝撃が走る。二階の応接室で支店長の久我皓一(久須美)が応対してゐた町工場の社長・西尾駿志(吉田)が、久我に拳銃を突きつけ下りて来たのだ。瓢箪から駒、あるいは嘘から出た誠。
 孤児施設に育つた瑛子は、久我に引き取られる。そのまま現在は三英銀行に就職したものであつたが、施設で保護司の性的虐待を受けてゐた過去を持つ瑛子にとつて、新しい生活は、単なる新しい地獄に過ぎなかつた。瑛子は久我からも、性的関係を強要されてゐたのだ。主演の平沙織、首から下は均整の取れた美しい肢体を誇るものの、首から上は微妙に頬の肉も緩みかけ、一言で片付けると華が無いにも程がある。とはいへその辺りが逆に、低劣で邪な嗜虐願望を絶妙に刺激する、といへばいへなくもない。閉ざされた日々を送る瑛子に、転機が訪れる。ある日瑛子の窓口を、周囲には悟られぬやう要求は紙に書き、ナイフをちらつかせた強盗がぎこちなく襲ふ。賊の顔を見た瑛子は驚く、瑛子を犯した保護司を刺し少年院に入れられて以来、離れ離れになつてゐた施設での幼馴染・ミチヲであつたからだ。逃げたミチヲを瑛子は追ひ、その夜二人は体を重ねる。ここでの瑛子とミチヲの濡れ場は、よくよく考へてみると少々淡白か。性的虐待を受け続ける瑛子にとつて、セックスのハードルが非常に低いものであつたとしても、ミチヲにしてみれば恐らく初めて、少なくとも恐ろしく久方振りに瑛子を抱くことになる筈だ。だとすれば情交に、少々情熱を欠きもする。二人で地獄から抜け出す為に、次こそは瑛子がミチヲを手引きしての銀行強盗、現金強奪を思ひ立つ。
 一方、久我からむべもなく融資を断られた西尾は、仕方なく街金の平沢克美(若山)を頼る。ものの当然の如く蟻地獄にはまり、平沢は利子分だと称して舎弟の東航(平川)と共に西尾の妻・久子(佐倉)を犯し、その模様を裏ビデオに撮影。そのことが原因で、久子は首を吊る。プランとブラ下がつた久子の傍らで、西尾は一線を越える。売人(不明)から銃を手に入れると、その場で金も払はずに売人を撃ち殺す。続けて平沢と東もブチ殺すと、今度は久我に復讐の、あるいは愛を叫ぶ引鉄を引くべく三英銀行西畑支店へと向かふ。即ち、瑛子とミチヲの自作自演の最中に、本物のバンクジャックが起こつてしまつたのだ。
 永森シーナ(a.k.a.中村杏里)は、お局感をスパークさせる意地の悪い窓口主任・栗原慶子。主任の癖に、髪形も色も銀行員としてはハチャメチャなのだが。桜居加奈(a.k.a.夢乃)は、新人窓口係の香山薫。間飛ばして星野アカリ以下三人は、画面の奥手で固まつて見切れるのみのその他女子行員。橋本嘉之と銀治は、行員の野沢と奥寺。残り五、六名名前の見られる出演者は、その他銀行客要員と、西尾の凶行の最初の餌食となる拳銃の売人。
 本来ならば主人公の瑛子とミチヲが、幼い頃から二人の心の支へであつた、神様が全てを赦して呉れ、助けて呉れるとかいふアメリカの何処だかの“神様の山”を目指す為に銀行強盗を仕組むメイン・プロットは、一向に形にならない。刺すは襲ふはと表面的には大胆なやうにも思へて、ミチヲは瑛子の動因として機能するのがせいぜい関の山で、現場では何の役にもてんで立たない憎みきれなくも使へないロクデナシ。瑛子も瑛子で、モタモタと陰鬱なばかりでミチヲよりはまだマシともいへ、それでも映画一本を背負はせる屋台骨には、まるで心許ない。そこに飛び込んで来るのが、絶望的で、凶暴過ぎる純愛を絶唱する吉田祐健。
 久我を初め行員と、客はミチヲのみ―厳密には客ではないのだが―が残された、西尾が支配する行内。反人間的な、あるいは真の人間主義がスパークする狂宴の幕が開ける。西尾は尿意を催した者と喉の渇いた者とを募ると、組を作らせて小便を飲ませ、小便を飲ませた方にはお詫びとして今度は口唇性行、乃至は愛撫を強要する。支店長の面目がけて放尿したところまではある意味良かつた反面、久我を咥へさせられる羽目になつた野沢には、スクリーンのこちら側からも同情を禁じ得ない。といふか、このやうな条件下の状況であれば、俺は夢乃の小水ならば飲めさうな気もする。西尾が奥寺には慶子を、ミチヲと野沢に対してはそれぞれ薫と瑛子を犯すやう命令すると、土壇場でミチヲは奥寺を押し退け瑛子は渡さない。その様を、事の真相を知らずに誤解した西尾がほくそ笑むショットには、実に味がある。箍の外れた西尾の歪みが歪んだままに、即ち歪みながらも逆説的にはストレートに発露する一連のシークエンスは、同じ歪みを共有する者にとつては清々しく見応へがある。とはいへそれだけに止まらず、今作が輝くのを通り越して燃え盛る最高潮を迎へるのはここから。相変らず、瑛子とミチヲの手柄ではないが。
 ミチヲから暴虐の目的を尋ねられると、それまでの逆上し通しの様子からは一転、不意に穏やかな笑みすら浮かべ西尾はかう答へる。
 「地獄に堕ちる為さ」。
 「女房が待つてるんだよ。地獄で、俺を・・・!」。兎にも角にも、ここの吉田祐健が素晴らしい。
 借金の形にと、ヤクザに輪姦された女房は自殺した。地獄に堕ちた女房を追ふ為に、男は銃の売人とヤクザを撃ち殺し、銀行をジャックする。その場に居合はせた人間全ても、勿論皆殺しにするつもりだ。何となれば、自らも地獄に堕ちる為に。その憎しみと表裏一体の、暴力と混然とした愛はエモーションは。詰まらない欲を張つたばかりに巻き添へで情婦を殺されてしまつた場末の酒場のしがないピアノ弾きが、死んだ情婦の為に、八つ当たり気味にスポンサーの暴力組織を捨て身で壊滅させた上、半ば自ら進んで蜂の巣になる。サム・ペキンパーがその最高傑作ともしばしば称される「ガルシアの首」(1974/米/監督・共同脚本:サム・ペキンパー/主演:ウォーレン・オーツ)で描き出した絶望的で、凶暴過ぎる愛とエモーションと、今作のそれとは正しく同一ではないか。坂本太がペキンパーになつたといふには少々蛮勇も足りないが、約十年越しの切望し続けた再見を果たした上で、改めて断言出来る。今作に於いて、吉田祐健は「ガルシアの首」のウォーレン・オーツになつたのだ

 祐健が役者人生一世一代の大仕事を渾身の力を込めやり遂げたところで、確か主人公らしい男女は性懲りもなく蚊帳の外。尤もオーラス中のオーラスで漸くヒロインに舵を取らせると、曇り続けた平沙織の冴えない表情を、偶さかにしても最も輝かせた坂本太の手腕は、よくよく見てみれば地味に出色か。終り良ければ全て良し、このことは映画観戦後の感触に際して、個人的には殊に当てはまるやうにも思へる。見事モノにしてみせた最大級のエモーション。それまでは機能不全気味の主人公に、最後の最後で主導権を握らせる意外に堅実な構成。ところで瑛子を悦ばせる他は、終始一貫殆ど全く何ひとつ満足に為し得ないミチヲのことはもう忘れてしまふと、これでもう少し全体的にメリハリがあつたならば、坂本太一撃必殺のマスターピース!とでも筆を滑らせてしまへたところであつたのに。全般的な完成度に関してはひとまづ兎も角、吉田祐健の、己含めて誰一人幸せにはしないままに轟くエモーションと、即物的には西尾司るエクストリームな乱姦に対しては、間違ひなく必見と太鼓判を押せる一作。詰まるところは今感想を通して、自らの品性下劣を吐露したに過ぎないやうな気がする。


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