京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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舞姫現代語訳14

2017-02-08 08:15:44 | 日記
舞姫』現代語訳 第十四段落 金澤 ひろあき
【要旨】
 太田の新しい見識
【現代語訳】
 私の学問はだめになってしまった。エリスの屋根裏部屋の明かりのランプがかすかに燃えて、エリスが劇場より帰り、椅子にすわって縫い物などをするそばの机で、私は新聞の原稿を書いた。昔、大学の法学部で、法令の枯れ葉のような現実を反映していないものをノートに書きとめて集めていたのとは違い、今は現実で生き生きと動いている政界の動き、文学、美術にかかわる新現象の批評などを、あれやこれやと結びつけて、力の及ぶ限り、文芸評論家のビヨルネよりもむしろ自由主義者で詩人のハイネの説を学んで思想を作り、さまざまの文章を書いた中で、引き続いてドイツ皇帝ウイルヘルム一世の死とその後を継いだフレデリック三世の連続の死があり、新しい皇帝ウイルヘルム二世の即位、ウイルヘルム二世と対立した首相ビスマルクの進退問題などのことについては、ことさらに詳しい報告を行った。そうであるので、このころよりは思っていた以上に忙しく、多くもない持っている本を開き、大学の学問をたずねることも難しく、大学に籍はあったけれども、授業料を納めることも難しかったので、たった一つだけにしていた受講科目でさえ行って聴く機会は少なくなった。
 私の学問はだめになってしまった。しかし私は大学の学問とは別に一種の見識(判断力)を伸ばした。それは何かというと、およそジャーナリズム(新聞などの報道)が発達していることは、ヨーロッパ諸国の中でもドイツが一番であった。数百種類の新聞、雑誌に散見する議論には、とてもレベルが高いものが多いのを、私は新聞社の通信員となった日より、かつて大学に多く通った時に、養った読解力で、新聞雑誌を読んではまた読み、写してはまた写していくうちに、今までは大学の勉強の部門のたった一筋しか無かった知識は、自然に総合的になって、同じ日本人留学生などの大半の者が、夢にも知らぬ実力を持つようになった。日本人留学生の仲間達の中には、ドイツ語新聞の社説でさえ読むことができない者もいたのに。

【ポイント】
a「私の学問はだめになってしまった。」(我が学問は荒(すさ)みぬ)の繰り返し。
大学の学問が続けられない無念。
  しかし
b 新しい実力
ドイツの現実を深く理解・・ジャーナリズム(民間学)の重要性に気付く。自分の実力に誇り。
日本人留学生の力の無さを馬鹿にする。

・ドイツの転換点 ドイツ統一を果たしたドイツ皇帝ウイルヘルム一世が崩御。その息子フレデリック三世が即位したが、すぐに死去。引き続き孫のウイルヘルム二世が即位した。ウイルヘルム一世を助けドイツ統一を果たした首相ビスマルクは、ウイルヘルム二世と政策上対立し辞職した。そのあたりの事情をここに記している。現実の政治・社会の動向をしっかり理解していたことを示す。
・太田が思想上のよりどころとしたハイネは自由主義者の詩人。ヨーロッパの自由主義を評価していたことがうかがえる。おそらく鷗外も日本の近代化は、自由主義路線で進めたかったのであろう。

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