京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

フリー句(自由連句)「春を待つ」の巻

2024-03-29 07:51:10 | 俳句
フリー句(自由連句)「春を待つ」の巻
春を待つ子供ら走る朝の道   青島巡紅
ふわりモクレン曙の空     金澤ひろあき
太郎さんリハビリがんば頑張って 巡紅
元同僚が面会に来る      ひろあき
昭和24年の10円玉弾く自動レジ 巡紅
お札の顔ぶれ様変わりして   ひろあき
氷河の色も人それぞれの重さ  巡紅
温暖化永久凍土の土ゆるむ   ひろあき
怪獣がいないのが残念なSFファン 巡紅
なんや知らんが京大阪は安全圏 ひろあき
※だいたい怪獣は関東を襲いますね。
三日月の雫零れて春の酒    巡紅
埋火に炎える兆しはあるやもな ひろあき
目をこすりアルコールの火で湯を沸かす 巡紅
理科室で恋の実験中でした   ひろあき
初恋のキスは夢路で同窓会   巡紅
ショーヘイのお相手誰と予測中 ひろあき
セーラー服河津桜の木の下で  巡紅
通った町も今は卒業      ひろあき
地上のものは地上に残す    巡紅
もう一杯茶を頂いて退散す   ひろあき
鳥辺野に運ばれもせぬ平安時代 巡紅
*鳥葬地に運ばれもせぬ死体がゴロゴロ
疫・戦・地震こんなまさかが続くとは ひろあき
※有楽椿です。

『猿蓑』の編集について その2「しぐれ」

2024-03-28 07:56:50 | 俳句
『猿蓑』の編集について  その2「しぐれ」
               金澤ひろあき
 話を「冬」「夏」に戻してみる。芭蕉や去来、凡兆が新しく見出した美とは何だったのだろうか。
『猿蓑』の名のもとになった巻頭の芭蕉の発句
  初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
連句編の巻頭の去来の発句
  鳶の羽も刷ぬはつしぐれ
 冬の到来を思わせる初しぐれ。その中にいる小動物の侘しさを、詠む対象(猿、鳶)の内面に入りこむようにして詠んでいる。
「しぐれ」の美を、和歌の世界でとらえていないわけではない。例えば芭蕉が憧れた西行は、『山家集』上 冬 で多く詠む。
  夜もすがら惜しげもなく吹く嵐かなわざと時雨の染むる梢を
  寝覚する人の心を侘びしめて時雨るる音は悲しかりけり
  宿かこふははその柴の時雨さへ慕ひて染むる初時雨かな
 ここで感じられる美は、しぐれの音の侘しさであったり、時雨によって染められる紅葉、散らされる紅葉への心情である。
 『猿蓑』巻一 巻頭から十三句、蕉門の俳人の「しぐれ」の句の競詠が並んでいるが、西行が詠んだ美とは違う「しぐれ」が並んでいる。
  あれ聞けと時雨来る夜の鐘の声    其角
  時雨きや並びかねたるいさきぶね   千那
※「いさき」は湖の魚。時雨の中の漁風景である。
  幾人かしぐれかけぬく勢田の橋    丈艸
  鑓持の猶振たつるしぐれ哉      正秀
※名所瀬田の橋を時雨に追われ、走る人の姿。しぐれの中の鑓持ちの姿。いずれも当時の暮らしの中に見る光景をもとにしている。
  時雨るるや黒木つむ屋の窓あかり   凡兆
※冬支度をした家の心にとまった情景を切り取っている。時雨、黒木、窓あかりの小さな家の情景が、陰の部分と陽の部分をなし、絵画のように浮かび上がる。
 『去来抄』先師評に、「猿ミのハ新風の始、時雨ハ此集の美目」とあるように、「時雨の美」の発見により、新風の始まりとしたのである。
 なお去来のしぐれの句「いそがしや沖の時雨の真帆片帆」は、「仕そこなひ侍る」、失敗作だと『去来抄』で述べている。

『猿蓑』の編集について

2024-03-27 13:18:01 | 俳句
『猿蓑』の編集について
           金澤ひろあき
 私自身、いくつかの雑誌や研究会誌の編集を行い、また連句をやり出したので、芭蕉七部集の編集・構成に興味があった。
 七部集の中でも『猿蓑』は特に重んじられている。編集は去来と凡兆だが、たぶんその時上方にいた芭蕉もかなり携わったのではないかと思われる。そして構成が練られているように感じる。
 構成は全部で六巻。巻一から巻四までが発句集。巻五が連句四編。巻六が「幻住庵記」(文章)とそれに付随する「几右日記」。
 発句の四巻を見ると、
巻一 冬   巻二 夏   巻三 秋   巻四 春。
 これを巻五の連句の配列と比べてみる。連句四編の発句を見ると、
(冬)鳶の羽も刷(かいつくろ)ぬはつしぐれ  去来
(夏)市中は物のにほひや夏の月        凡兆
(秋)灰汁桶の雫やみけりきりぎりす      凡兆
(春)梅若菜まりこの宿のとろろ汁       芭蕉
「発句編」と「連句編」がいずれも、「冬」「夏」「秋」「春」の順で並んでいる。
 さらに「発句編」を見ると、巻一 冬の冒頭句は、
  初しぐれ猿も小蓑をほしげなり       芭蕉
 巻四 春 巻末句は、
  行春を近江の人とをしみける        芭蕉
 芭蕉句で始まり、芭蕉句で終わる配置をしている。しかも、発句編と連句編の巻頭句が「初しぐれ」の句なのだ。
 ところで普通私達が「四季」というと、「春夏秋冬」の順を考えるのだが、なぜ「冬夏秋春」なのであろうか。
 日本の伝統の美意識でいうと、「春」「秋」が尊重され、「夏」「冬」は低く見られている。連句でも「春」「秋」は三句続けるが、「夏」「冬」は二句まで、時として一句でもよいとされている。
 それまで低く見られていた「夏の美」「冬の美」を新しい美として打ち出そうとする意図があるかのようだ。もちろん春の「花」、秋の「月」をなおざりにするわけではないが、月でいえば、冬月、夏月にも心を凝らしているかのようだ。
冬月 この木戸や鎖のさされて冬の月      去来
夏月 蛸壺やはかなき夢を夏の月        芭蕉
 なお、秋の月、芭蕉自身の句では、
  月清し遊行のもてる砂の上         芭蕉
一句のみを入集させている。
 

フリー句(自由連句)「雛の家」

2024-03-26 07:52:21 | 俳句
フリー句(自由連句)「雛の家」の巻
名残り雪嫁入り前の雛の家  金澤ひろあき
手料理を親にふるまう娘の手 青島巡紅
卒業をした後独立決めていて ひろあき
突風を受けて流すは白アザミ 巡紅
次の日曜そろそろ土を起こそうか ひろあき
空目指し次々伸びる枝の先  巡紅
冴え反る一歩後退二歩前進  ひろあき
缶ビール三日月の呼ぶ余寒かな 巡紅
卒業祝い木屋町沿いに高瀬川 ひろあき
同窓会飛び込めないね高瀬川 巡紅
花の熱うかれ歩きを夜半まで ひろあき
ホテルから出て花冷えの清水寺 巡紅
寄り道し幽霊飴をお土産に  ひろあき
子を想う親の気持ちは菩薩様 巡紅
千の手に千の春乗せ分かちあう ひろあき
見送ったありがとう皆んな元気でねと 巡紅
ドラマが終わり冷めたコーヒー ひろあき
起こすのが忍びなくベッドに運ぶ 巡紅
温泉のある山小屋で御来迎  ひろあき
本当に仏の世界あればよい  巡紅
石庭に白砂水なき水を観る  ひろあき
滝凍るカメラに残るその刹那 巡紅