『猿蓑』の編集について その2「しぐれ」
金澤ひろあき
話を「冬」「夏」に戻してみる。芭蕉や去来、凡兆が新しく見出した美とは何だったのだろうか。
『猿蓑』の名のもとになった巻頭の芭蕉の発句
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
連句編の巻頭の去来の発句
鳶の羽も刷ぬはつしぐれ
冬の到来を思わせる初しぐれ。その中にいる小動物の侘しさを、詠む対象(猿、鳶)の内面に入りこむようにして詠んでいる。
「しぐれ」の美を、和歌の世界でとらえていないわけではない。例えば芭蕉が憧れた西行は、『山家集』上 冬 で多く詠む。
夜もすがら惜しげもなく吹く嵐かなわざと時雨の染むる梢を
寝覚する人の心を侘びしめて時雨るる音は悲しかりけり
宿かこふははその柴の時雨さへ慕ひて染むる初時雨かな
ここで感じられる美は、しぐれの音の侘しさであったり、時雨によって染められる紅葉、散らされる紅葉への心情である。
『猿蓑』巻一 巻頭から十三句、蕉門の俳人の「しぐれ」の句の競詠が並んでいるが、西行が詠んだ美とは違う「しぐれ」が並んでいる。
あれ聞けと時雨来る夜の鐘の声 其角
時雨きや並びかねたるいさきぶね 千那
※「いさき」は湖の魚。時雨の中の漁風景である。
幾人かしぐれかけぬく勢田の橋 丈艸
鑓持の猶振たつるしぐれ哉 正秀
※名所瀬田の橋を時雨に追われ、走る人の姿。しぐれの中の鑓持ちの姿。いずれも当時の暮らしの中に見る光景をもとにしている。
時雨るるや黒木つむ屋の窓あかり 凡兆
※冬支度をした家の心にとまった情景を切り取っている。時雨、黒木、窓あかりの小さな家の情景が、陰の部分と陽の部分をなし、絵画のように浮かび上がる。
『去来抄』先師評に、「猿ミのハ新風の始、時雨ハ此集の美目」とあるように、「時雨の美」の発見により、新風の始まりとしたのである。
なお去来のしぐれの句「いそがしや沖の時雨の真帆片帆」は、「仕そこなひ侍る」、失敗作だと『去来抄』で述べている。