以前、政治家間の低レベルの論議に「床屋政談」との批判があり、それに対して床屋さんたちが抗議をしたことがありました。
数十年床屋に行っていない私ヌルボは、昨今の<床屋政談>のレベルは知りませんが、飲み屋での談論風発は日常茶飯のことです。
今回のテーマは政治ではなく歴史なので、<飲み屋史談>とでもしておきましょう。談論の相手はお酒の好きなTヒョン(兄貴)。イザベラ・バード「朝鮮紀行」をヌルボより先に読みきった彼から出た言葉が、日本と韓国の間の20数年という時代の差。
実はヌルボも、「朝鮮紀行」を読んで以来、その<20数年>という年差が脳裏を行き来していたので、思わず声を上げてしまいました。
「えっっ、Tヒョンも同じこと考えてたの!?」
話の流れに沿って説明すると次の通りです。
イザベラ・バードが朝鮮を訪れたのが日清戦争(1894~95)前後。
おりしも、当時の朝鮮は日本と結ぶ開化派政府によって近代的諸改革(甲午改革・乙未改革が進められていた頃。
その内容というのが、近代的な内閣制度の導入、租税の金納化、拷問や連座の廃止等の司法制度の近代化、近代的な警察・軍事制度の確立、度量衡の統一、太陽暦の採用、小学校の設立、そして金弘集政権の文字通り命取りとなった断髪令。
・・・つまりは、日本史では明治維新期に打ち出された諸政策と軌を一にしている、ということです。
その年差を比べると、たとえば日本の断髪令は1871年で、韓国の断髪令は1895年。→24年差です。
1988年、ソウル五輪の時、ヌルボはまだ1度も韓国に行ったことはありませんでしたが、1964年の東京五輪当時の日本と共通する雰囲気を感じました。→24年差です。
1992年初めて韓国の地を踏み、とくに地方を旅した際、なんとなく懐かしさを覚えたものです。日本では20年ほど前までに失われた風景がここにあるという感じで・・・。
日本の近代の幕開けが1853年のペリー来航だとすれば、朝鮮の場合は1875年の江華島事件でしょうか? →これは22年差です。
文学関係では、日本の新体詩の最初は1882年の「新体詩抄」。韓国は崔南善による「少年」の創刊号で1908年。→26年差。近代小説の方はというと、日本が1885年坪内逍遥の「当世書生気質」、韓国は李光洙「無情」の連載開始が1917年。→これは32年差。
・・・とこうしてみると、パトリオティズム、ナショナリズムの高揚についても日韓の年差を思わざるをえません。
今の時点でみると、韓国の人たちの愛国心の強さたるや、日本の比ではなく、ずっと昔からそうだったと思ってしまいがちですが、必ずしもそうでもないのでは?
日本では、開国による経済の混乱等もあって排外的な攘夷運動が起こります。明治に入って、民権運動の後期の1885年頃、時代は民権から国権へと推移していき、日清戦争の時は官民うって一丸となって愛国心のカタマリとなって打倒清国に全身全霊を傾けます・・・。
このような日本のナショナリズムの形成を朝鮮史に平行移動すると、壬午・甲申事変→日韓併合の前後→三一独立運動とほぼ重なります。
日本の場合、このようなナショナル・アイデンティティの創出が近代国家建設の原動力ともなり、ひいては(かろうじて)世界の先進国の一員に滑り込みセーフとなったわけですが、韓国にとっては20数年の遅れが致命的になって植民地化されてしまった・・・・。
・・・と、これが飲み屋史談の骨子ですが、学問的裏付けは何もありません。
ことのついでに戦後についていえば、先の五輪開催以後、90年代の民主化の進行とともに、韓国では日本の70年代以降の、軽く明るい、都会の一人暮らしの若者文化に代表されるような世相・社会の変化が進んでいるようです。
さらに、この際付記しておきますと、サムスンの特集が載っている「ZAITEN」という財界誌の6月号を見ていたら、「韓国のGDPを見ても、25年前の日本の水準だ」とありました。
飲み屋史談にしては、ちょっと熱が入りすぎちゃいましたね、ははは。
※蛇足ですが、20余年進んでいるといっても誇るべきことではありません。また遅れているからといって他を低く見るような人は、むしろ時代からずいぶん遅れている人とみるべきでしょう。
※7月3日の付記
・日本の最初の鉄道は1872年新橋~横浜間で開業
・朝鮮最初の鉄道は京仁鉄道(京城~仁川間)で1900年開業。→28年差。
ただ、開業の前段階で敷設権等をめぐっていろいろ手間取った。
→関連記事<日韓を分ける24年差の歴史>の淵源
数十年床屋に行っていない私ヌルボは、昨今の<床屋政談>のレベルは知りませんが、飲み屋での談論風発は日常茶飯のことです。
今回のテーマは政治ではなく歴史なので、<飲み屋史談>とでもしておきましょう。談論の相手はお酒の好きなTヒョン(兄貴)。イザベラ・バード「朝鮮紀行」をヌルボより先に読みきった彼から出た言葉が、日本と韓国の間の20数年という時代の差。
実はヌルボも、「朝鮮紀行」を読んで以来、その<20数年>という年差が脳裏を行き来していたので、思わず声を上げてしまいました。
「えっっ、Tヒョンも同じこと考えてたの!?」
話の流れに沿って説明すると次の通りです。
イザベラ・バードが朝鮮を訪れたのが日清戦争(1894~95)前後。
おりしも、当時の朝鮮は日本と結ぶ開化派政府によって近代的諸改革(甲午改革・乙未改革が進められていた頃。
その内容というのが、近代的な内閣制度の導入、租税の金納化、拷問や連座の廃止等の司法制度の近代化、近代的な警察・軍事制度の確立、度量衡の統一、太陽暦の採用、小学校の設立、そして金弘集政権の文字通り命取りとなった断髪令。
・・・つまりは、日本史では明治維新期に打ち出された諸政策と軌を一にしている、ということです。
その年差を比べると、たとえば日本の断髪令は1871年で、韓国の断髪令は1895年。→24年差です。
1988年、ソウル五輪の時、ヌルボはまだ1度も韓国に行ったことはありませんでしたが、1964年の東京五輪当時の日本と共通する雰囲気を感じました。→24年差です。
1992年初めて韓国の地を踏み、とくに地方を旅した際、なんとなく懐かしさを覚えたものです。日本では20年ほど前までに失われた風景がここにあるという感じで・・・。
日本の近代の幕開けが1853年のペリー来航だとすれば、朝鮮の場合は1875年の江華島事件でしょうか? →これは22年差です。
文学関係では、日本の新体詩の最初は1882年の「新体詩抄」。韓国は崔南善による「少年」の創刊号で1908年。→26年差。近代小説の方はというと、日本が1885年坪内逍遥の「当世書生気質」、韓国は李光洙「無情」の連載開始が1917年。→これは32年差。
・・・とこうしてみると、パトリオティズム、ナショナリズムの高揚についても日韓の年差を思わざるをえません。
今の時点でみると、韓国の人たちの愛国心の強さたるや、日本の比ではなく、ずっと昔からそうだったと思ってしまいがちですが、必ずしもそうでもないのでは?
日本では、開国による経済の混乱等もあって排外的な攘夷運動が起こります。明治に入って、民権運動の後期の1885年頃、時代は民権から国権へと推移していき、日清戦争の時は官民うって一丸となって愛国心のカタマリとなって打倒清国に全身全霊を傾けます・・・。
このような日本のナショナリズムの形成を朝鮮史に平行移動すると、壬午・甲申事変→日韓併合の前後→三一独立運動とほぼ重なります。
日本の場合、このようなナショナル・アイデンティティの創出が近代国家建設の原動力ともなり、ひいては(かろうじて)世界の先進国の一員に滑り込みセーフとなったわけですが、韓国にとっては20数年の遅れが致命的になって植民地化されてしまった・・・・。
・・・と、これが飲み屋史談の骨子ですが、学問的裏付けは何もありません。
ことのついでに戦後についていえば、先の五輪開催以後、90年代の民主化の進行とともに、韓国では日本の70年代以降の、軽く明るい、都会の一人暮らしの若者文化に代表されるような世相・社会の変化が進んでいるようです。
さらに、この際付記しておきますと、サムスンの特集が載っている「ZAITEN」という財界誌の6月号を見ていたら、「韓国のGDPを見ても、25年前の日本の水準だ」とありました。
飲み屋史談にしては、ちょっと熱が入りすぎちゃいましたね、ははは。
※蛇足ですが、20余年進んでいるといっても誇るべきことではありません。また遅れているからといって他を低く見るような人は、むしろ時代からずいぶん遅れている人とみるべきでしょう。
※7月3日の付記
・日本の最初の鉄道は1872年新橋~横浜間で開業
・朝鮮最初の鉄道は京仁鉄道(京城~仁川間)で1900年開業。→28年差。
ただ、開業の前段階で敷設権等をめぐっていろいろ手間取った。
→関連記事<日韓を分ける24年差の歴史>の淵源
こりあん先生のHPでの紹介に惹かれて、初めて拝見いたしました。
そうそう!
と読んでいて声をあげそうになったので、思わずコメントさせてもらっています。
ここまで数値で出されるとちょっと嬉しくなってしまうのですが、
実は私も以前より日韓の20年差、1世代差を漠然と肌で感じていました。
というのも、私の韓国人の友人たち(30代)が育ってきた環境、傾向が
どうも私の両親の世代(今の50代)と似ているのです。
急激に経済発展し、路地がアスファルトに、
練炭が電気・ガスに、木造アパートがコンクリートのマンションに、
オリンピック、高速鉄道、学生デモ、政治への高い関心
とりまく社会環境と育った生活環境の変化が似ているのでしょう。
道徳観念であったり、政治への関心の高さなど同じ匂いを感じてしまいます。
わたしの友人の何人かも異口同音にしており、不思議だなと思っていたところに
この記事で数字が出され、嬉しくなった次第です。
視点が渋いですね。ほかの記事も楽しみに読ませていただきます。
がんばってください。
練炭が電気・ガスに、木造アパートがコンクリートのマンションに、オリンピック、高速鉄道、学生デモ、政治への高い関心」といえば、まさに小生の歩んできたそのまんまです。あ、電気・ガスは昔からありましたが・・・。
日本では1960年代は学生デモが活発化した時代でしたが、それと80年代韓国の学生たちの民主化運動も通底するところがある、ということもかねがね感じていました。まあ、一般的認識といってもいいのかもしれませんね。
小生よりはるかに若い新村梨花さんにも共感していただいて喜ばしいかぎりです。