不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

「中央日報」の「広島・長崎の原爆は天罰」という記事の韓国での読まれ方

2013-06-01 23:31:48 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 安倍首相が乗った練習機に731という数字があったとのことで、その写真(→コチラ)を見たら、たしかに操縦席のすぐ下にでっかく記されています。

 で、それを見て偶然と思わない多くの韓国の人たちの判断も大きな問題ですが、その数字を見て首相自身をはじめ関係者が誰も気づかなかったというのもいかがなものでしょうか?

 さて、一昨日発売の「週刊文春」6月6日号のトップ記事は、あの「中央日報」のキム・ジン論説委員へ直接取材です。「安倍、丸太の復讐を忘れたか(아베, 마루타의 복수를 잊었나)」というコラムでドレスデンの空襲と広島・長崎の原爆投下は「神の懲罰」と書いた人です。
 政府がに抗議したこと等が各メディアでも報じられたので、周知のことでしょうが、そのコラムでは(ドレスデンと広島・長崎は)「神の懲罰であり、人間の復讐であった(신의 징벌이자 인간의 복수였다)」という記述に続けて、「ドレスデン空襲はナチに虐殺されたユダヤ人の復讐であり、広島・長崎は日本軍国主義の犠牲となったアジア人の復讐であったが、ドイツは精神を入れかえて新しい国となったのに対し、日本は変わっていない」と書かれています。

 「週刊文春」は、スピーディーな対応で現地取材、という点はいいのですが、内容的にはイマイチ以下。キム・ジン氏自身がまともに答えることを終始拒みつづけたということもありますが、彼への個人批判部分が多く、それに「韓国の被爆者たちも激怒」という中見出しで韓国の被爆者団体の事務局長の批判意見を紹介してはいますが、「国民日報」の記事(→コチラ.韓国語)が伝えるように、24団体で構成された「被爆者と子供のための特別法推進連携会議」はキム・ジン氏に強く抗議するとともに、「原子爆弾が爆発したのは日本の領土だったが、日本は世界で唯一の被爆国ではない。日本も抗議するだけではなく、自らを振り返って反省してみる必要がある」とし、日本の政界にも責任を求めているのです。

 「週刊文春」の記事で私ヌルボが残念に思うのは、せっかく現地に足を運びながらも、韓国の一般市民の声が全然載っていないこと。
 つまり、キム・ジン氏個人の問題におおよそ集約されてしまっているからです。

 問題のキム・ジン氏のコラムは、一度は「中央日報」(日本版)に翻訳が掲載されましたが、その後削除されました。
 しかし「中央日報」(韓国版)のサイトにはそのまま載っています。(→コチラ。) また、「中央日報」(英語版)もそのままです。(→コチラ。)
 ※韓国語、英語がダメという方はgoogle翻訳等をご利用ください。

 この記事で私ヌルボが着目したのは、記事自体もさることながら、むしろ韓国人読者の反応の方です。記事の最下段をみると、現在まで総数139件の意見が寄せられています。
 賛成数が57と最も多いのが次の意見。(反対は14)

 現職首相が過去の悪名高く、天人共に怒る行為を犯した731生体実験部隊を連想させる731の飛行機に乗って、親指を立てた写真を公開するのは、韓国と中国人たちを侮辱して蔑視することだ。それでどのように外交をすることができると思いますか? キム•ジン委員の記事に同感します。日本は天罰を受けている。祝福を受けるでは絶対にない。安倍が日本を地獄に導いている。

 一方、反対数が46と最も多いのが次の意見です。賛成も23と、その半分ありますが・・・。

 申し訳ない話ですが、偏狭な自国内の人気迎合、歪んだ極右的な言行はキム記者も安倍も五十歩百歩だ。おそらく安倍の言行に拍手して痛快に思っている日本の強烈な根っからの極右派は親指を立てるだろう。キム•ジン記者の味のあるシーソー記事(←振幅が大きいこと?)を痛快がる人も多いだろうが、それが巧妙な包装術であることを悟れば、おそらく多くの人は苦々しく思うだろう。率直に言ってキム記者は、言論よりも極右保守政治をすべき人だ。

 あと1つだけ、たぶん日本人には自然に受けとめられるのでは、という意見を1つ紹介。

 懲罰であれば、なぜ罪のない市民とわが国の人々だけ死ななければならなかと・・・。なぜこのような貧弱な発想しかできないのか・・・。百歩譲って、原爆被害を受けたわが国の人々は、当時日本にいただけの理由で'韓国人'ではないのか?
 ・・・この意見に対しては賛成14反対29です。

 この件に対する一般の韓国人の意見で、ある意味すごいなー、と思ったものも紹介します。たぶん多くの日本人はさらに頭に血が上ると思います。私ヌルボが賛成してるわけではないので、責めないでください。出処は→コチラのブログ記事に寄せられたコメントです。

 獣にも劣る侵略者日本が大東亜共栄という名の下に犯した侵略と略奪に比べると、原爆被害は非常に小さな塵に過ぎない。日本がアジアをはじめとする地域の国々に被害を与えた分だけ返してもらうといっても、おそらく原爆が日本全域をすべて一掃しまっても足りないだろう。今この時間にも、日本の侵略によって苦しんでいる性奴隷ハルモニたちをはじめとする多くの人々と、日帝の蛮行に対して怨讐を晴らすことができず世を去った私たちの先祖たちの無念の子孫が今もその痛みを抱いたまま、正しくなされた一言の謝罪も受けることができず、血の涙を流しながら生きていないか? そのような日本が今何だとさわぎたてているか・・・じつに嘆かわしい。果たして日本は人間であることを拒否するのか?われわれは、さらに準備に準備をして、目を閉じることもできず死んでいった私たちの先祖たちを守るために、われわれの恥辱の歴史を日本に返してやる時を待たなければならない。

 このような現地の反応をみると、もし「一般市民の声」も取材して載せたら、「週刊文春」の読者は、いや、ほとんどの日本人はさらに激怒したかも・・・。ということも考慮してあえて編集部は載せなかったのかもしれませんが・・・。(?)
 一応付言しておきますが、ネット社会の多数意見がその社会の一般的な多数意見と解釈するのは早計ではあります。日本と同様に、です。

 韓国の他紙の反応もちょっと見てみました。

 最多部数を誇る保守紙の代表「朝鮮日報」は、社説やコラムではこの件を直接取り上げていませんが、<コミュニティ>欄に寄せられている読者の投稿は4件すべてがキム・ジン氏に賛成のものばかりです。

 「東亜日報」では、日本の反応を報じた記事自体は事実を伝えた内容ですが、寄せられたネチズンの反応は過激なものばかりです。
 しかし、なんといっても「東亜日報」の記事の中で注目は、今年1月まで「朝日新聞」の主筆だった若宮啓文氏の連載[東京小考]の中の<原爆コラムと「ムクゲノ花ガ咲キマシタ」>と題した一文。これは「東亜日報」(日本版)にもあります。(→コチラ)。
 ところが、元の韓国語版(→コチラ)でその反応を見ると、「(731が)偶然と表現するあなたも(原爆コラムに)怒る資格はありません」などと書かれています。親韓派ジャーナリストの代表格と見られていた若宮氏、これでは立つ瀬がありません。(←蛇足ですが、同情・心配・皮肉・嘲笑等の感情は入っていません。)

 進歩系の代表紙「ハンギョレ」では、特派員コラムとしてチョン・ナムグ記者が「原爆は神の懲罰ではない」という記事を書いています。日本版で読むことができます。(→コチラ。)
 原爆開発と投下に関与したアメリカ人2人の悲劇を提示して、「これもまた神の懲罰であったのか? いったい神は何を考えておられたのであろうか?」と問いかけています。
 また、原爆投下時の米ソの状況、2009年に日本を訪問したオバマ大統領の広島を訪問する計画だったが、反核世論が大きくなるのをおそれた日本政府が反対して実現しなかったこと等有用な情報も提供しながら、次のように結んでいます。

 これ(安倍晋三総理が率いる日本自民党政権)に対する批判が、復讐感情に根差したものではいけないと思う。私たちは、悪行を犯した者に神が理不尽な火雷を下すのを願う代わりに、そのような悲劇的な戦争が繰り返されないよう、核兵器のような非人道的な武器が再び使われないようにするために、日本の道を警戒することだ。

 「ハンギョレ」の記事にときおり見受けられる過度に民族主義的な情緒のない、リベラルな記事だと思います。

 それとともに、私ヌルボが共感を持って読んだのが「京郷新聞」の記事です。(→コチラ。)
 キム・ジン氏の記事に対する日本政府や広島・長崎両市長による批判や、NHKが大きく報道したこと等の客観報道部分に続いて、次のように記しています。

 国内のネチズンたちは日本の反応に概して冷笑的だった。あるツイッターでは「慰安婦が必要だったと言う政治家がいる国で「原爆は神の罰」という記事を非難している」とあり、また別のツイッターには「日本はその発言が行きすぎと非難する前に、首相という人間が731と書かれた戦闘機に試乗する猟奇的行為から振り返る必要がある」と書かれている。  
 一方メディア評論家のハン・ユニョン(한윤형)氏は、キム論説委員のコラムと国内ネチズンたちのこのような反応に憂慮を示した。彼は24日、メディアアス(mediaus)の記事で「日本社会は戦後に侵略戦争を反省するよりも、戦争自体を嫌悪し、自分たちを被害者と規定して経済的繁栄のみ力を注いだ」のに対し、「彼らに適切な謝罪を受けていない韓国社会は、民族それ自体を被害者として位置づけた」と韓国内の反応の文脈を説明した。
 続いて「(韓国では、戦争と暴力に対する)人権ではなく、民族の問題としてアプローチするので、日帝下の犠牲は批判しつつも、韓国戦争当時の民間人虐殺や、光州の虐殺の問題を認識できない感受性ができた」とし、「それらを適切に批判するためにも、戦争犯罪の問題を"被害者民族"の観点から脱して、人権の問題として考えるのが正しいということを認識する時がきた」と述べた。彼はコラムの末尾で「慰安婦問題を戦争犯罪として眺める世界の人々の視線がキム•ジンの考えも容認しないことを知るべきである」と評した。


 若手(1983年生まれ)の論客ハン・ユニョン氏の見方をそのまま自紙の見解にしているような書き方ですが、民族主義べったりの問題点を指摘している点は同意します。

 このハン・ユニョン氏がメディアアスに書いたオリジナルの記事は→コチラで読むことができます。
 そこで彼は、キム・ジン氏が昨年「朴正煕が天上ですでに人革党の犠牲者に謝罪して、彼らがマッコリを飲んで和解しただろう」と話していたことを紹介して、「彼は神と悪魔の意志を人間に伝えることができる偉大なムーダン(シャーマン)である」と皮肉っています。「朴正煕は人革党事件の明白な加害者だが、広島と長崎の市民が731部隊員ではないのに、逆にこのように言う方がふつうではないということもわからないのだ」とも。その他、興味深い論を展開していますが、長くなるので略します。
 ※ハン・ユニョン及び彼の図書を紹介したinnolifeの記事は→コチラ

 「神の意志」とか「天罰」等の言葉を恣意的に用いる誤りについては、ハン・ユニョンの記事でも「金載圭の銃弾は神の意志であり、人革党の犠牲者ということになる」というパロディをあげています。 また上記の「中央日報」(英語版)には次のような読者コメントがありました。

 What makes you think you understand God? Using your reasoning, Japan's occupation of Korea was God punishing Koreans, and the Holocaust was God punishing Jews. Stop citing a retributive Deity and look at the evil that human beings do as God WEEPS.

 (なんであなたが自分は神を理解していると思うのですか? あなたの論法を用いると、、日本の韓国占領は韓国人に対する神罰であり、ホロコーストはユダヤ人に対する神罰でした。応報神を引き合いにすることをやめて、人間が行う邪悪を神が泣いているものとして見てください。)

 ・・・感情的な言葉をなげつけるだけのネチズンはたくさんいますが、このようにまともなコメントには救われます。

 ところで、このような「天罰」という発想については、はるか昔からあります。
 地震や火山の噴火等々の天災や、日食等の凶兆があると、時の権力者はそれを「天」(神)の怒りとうけとめて神事を行ったりしました。権力者がそれをまちがった政治への警告と受けとめたり、それ以上に人々は悪政のたたりとみなしたというのは洋の東西を問わずあったのではないでしょうか?
 つまりは、そのような前近代的心性が韓国にはまだ残っているということでしょうか?
 2011年3月11日の東日本大震災の時も、韓国ではそれを日本人への天罰とみる「アクプル」(悪意のコメント)が広がって話題になりましたが・・・。
 そういえば、上記のハン・ユニョン氏のコラムに寄せられたコメント中にも「がんばれ富士山、神の意志だ!」というのがありましたが・・・。これって、富士山が噴火して日本が壊滅することを期待してるのかな? 「힘내라 후지산(がんばれ富士山)」で検索すると、たしかにそういうことを期待しているネチズンがそれなりにいるようです。 

 以上、極力感情を排して韓国社会を観察するという観点から書き始めましたが、自分でもどーだかなー、といった感じになってしまいました。
 韓国の人からは若宮啓文氏同様安倍首相の同類ではないか?と見られるかな?

 メディア(日本も韓国も)も一部のカゲキな人たちだけではなくて、(ヌルボみたいな?)フツーの人はフツーに戦争も植民地支配もよくなかったと思っているし、そのような教育が(十分ではないにせよ)追求されてきていることをもっと伝えるべきですね。

[参考]木村幹神戸大教授のツイッターより
 Kan Kimura @kankimura 5月23日 @yoshinotai 原爆投下についてはその「正当性」を素朴に擁護する意見は、アメリカよりも韓国の方が強い印象を持っています。
 吉野 太一郎 / YOSHINO T ‏@yoshinotai 5月23日 .@kankimura 「アメリカが日本をやっつけて韓国その他抑圧された国を解放してくれた」という史観はかなり定着してて、原爆の位置づけもアメリカの史観にただ乗りしてるんだな、というのは20年程前の留学時代に感じましたが、確かに根深い。あの頃と全然変わってないんだもの。
 Kan Kimura ‏@kankimura 5月23日 @yoshinotai でしょうね。これ根深いですよ。
 吉野 太一郎 / YOSHINO T ‏@yoshinotai 5月23日 そもそも朝鮮人被爆者の存在すら知らない人も多い。存在は知ってても、今回の論説と直接結びつかないのではRT @kankimura:今回の中央日報コラムの件は、かなり根が深くて、多分(朝鮮人被爆者の部分を除けば)多くの韓国人は何故この文章が悪いのか、感覚的にわからないと思っている。

[付記]もしかしたら関連があるかもしれないのが、実に多くの韓国ドラマで過去の出来事に対する復讐が物語の基本的な設定となっていること。しかし、大きなリスクも伴う「怨みを晴らす」ことを「生きがい」とするような人物が実際にそんなにいるのでしょうか?

※この記事を読んでアタマがカ~ッと熱くなった人はぜひ次の記事を読んで冷ましてくださいね

コメント (13)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« [韓国語] 「あ、生きてる... | トップ | 「朝鮮日報」のコラム「それ... »
最新の画像もっと見る

13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神罰 (ソウル一市民)
2013-06-02 10:00:51
 今回のコラムについての反応をまとめていただき、ありがとうございました。大変参考になりました。
 個人的に一番驚いたのは、キリスト教徒の多い韓国でこうした「神意」を勝手に解釈するようなコラムが容認されている(?)ことです。私は信仰者ではありませんが、もしそうであればこうした一個人の決め付けによる「神意」云々に冒涜・涜聖の思い上がりを見出したことでしょう。
 また「中央日報」がこのコラムを論説委員個人の見解で、社の見解ではないという責任逃れとしか取れない弁解を載せたことも驚きました。この論理では日本が過去にした行為も国家の責任ではなく、個人の行為だったという主張すら正当化されてしまいかねません。もともと「中央日報」は公器メディアとして信用していませんが、今回の責任逃れや社としての見解や謝罪などは載せずに日本人による反論コラムを載せることで「対応」したことで、ますます信用できなくなりました。

 私見では、過去の歴史は善と悪、加害者と被害者といった単純な二元論的な視点から見ているかぎり、それを克服することも生かすこともできません(それはまだ現在とひとつながりの、限られた民族や国家だけの「個別の歴史」に過ぎません)。
 ハン・ユニョン氏の言葉にもあるように、より高い視点から眺める時、それはようやく普遍的な(真の)「歴史」となり、「同じ状況にいたら自分もまた同じことをしたかも知れない」と自らにひきつけることで初めて未来に向けて「生かされる」のだと思います。
 もっとも日本人の私がこんなことを言っても、韓国では一笑にふされるだけかも知れませんけれども。

 今回の神罰コラムを読んだ際、うろ覚えではありますが、かつて(20年以上前?)大江健三郎が広島について語ったとき、金芝河が冷笑し批判したことを思い出しました。今も韓国はあの時代と地続きなのかなと、少し悲しくなりました。
神罰(追記) (ソウル一市民)
2013-06-02 10:13:02
 先ほど書き忘れました。

 韓国にいると、宗教(仏教・キリスト教など)ですら国家・民族的な視点から語られることが多いことを実感します。今回の「神罰」云々も、韓国における宗教が個別の民族や国家の視点から脱しえていないことを物語っているかも知れません。言わば新約聖書ではなく、旧約聖書の段階に留まっているという印象です。

 個人的には、一部の日本の政治家たちの「妄言」が日本国民の多数意見ではないと信じたいのと同様、今回のような「神罰」云々が韓国の多くの人々の意見ではないと信じたいと思っています。

 
さまざまな問題が・・・ (ヌルボ)
2013-06-02 19:57:15
たしかに、ご指摘のようにこのような「思考方式」の問題だけでなく、新聞等のメディアの問題、宗教の問題等々さまざまな問題が込められていますね。

この件だけではありませんが、日韓両国間の対立するイシューについても、なぜ韓国人(or日本人)がそのように考えるのかという背景を探ると、「共通認識」というものが成立してもそれは部分的にしかありえないと思えてきます。(異なる、あるいは相反する「歴史認識」も持ちながらも「平和的」な関係を保っている国々はごくふつうにあることだし・・・。)

(追記)の最後の部分、もちろん同感です。
キムジン氏は災難 (k)
2013-06-03 02:30:51
この程度レベルの記事は、これまでも普通にいろんな韓国メディアに載ってたと思います。
なので、なんで今回のこの記事だけこんなに反響を呼んでるのか、いまいちよくわかりません。
あの程度の記事なら、韓国では平常運転レベルだと思うんですが、どうですか。はっきり言ってありふれてて、既視感バリバリの記事なんで、あの記者だけが非難されるのは災難だろうなあと思います。韓国言論では一般的な論調を書いただけなのに。
そこに大きな問題が・・・ (ヌルボ)
2013-06-03 14:01:21
たしかに「韓国では平常運転レベル」でしょうね。
ただ、そのレトリックとして「広島・長崎」を用いることが日本ではどんな反響をよぶか、あるいは世界レベルではどういう詠まれ方をするかについての認識が欠如していた点で、一般の韓国人ならいざ知らず、言論人としてはほとんど致命的でしょう。
韓国のネチズンのコメントを見ると、「単なるメタファーなのになんでそんなに怒るのかわからない」というものがいくつもありましたが、この感じ方・考え方のミゾはどんなに言葉のやり取りをしても容易には埋められないほど深いように思います。
メタファー (ソウル一市民)
2013-06-04 08:11:08
 そのネチズンたちは「メタファー」という言葉の使い方や意味合いを間違えていますね。そしてそれは単なる言葉の使い方の問題ではなく、やはり考え方に依拠した間違い(というより無神経さ)なのでしょうね。こうした意図せざる(?)無神経さは我々も注意しないといけないことですが。

 今回日本では広島や長崎のことばかり語られますが(これまた日本人の視野狭窄を物語っていると思いますが)、上に書いた「神意」を勝手に解釈しているという宗教的な問題だけでなく、ドレスデンについての一方的な決め付けについても、欧米などで広く報道されたら問題になりそうです。
 カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」でも有名ですが、ドレスデン爆撃については当時から連合国側においても問題視されており(ヴォネガットなど、連合軍側の兵士なども犠牲になったり九死に一生を得たりしたこともあるかと思いますが)、一方的に「神罰」と切って棄てたことは無思慮のそしりを免れないと思われます。

 この前も書いたことですが、韓国(人。特にメディア)が、自分たちは「無謬」であり「正義」である(あった)というこうした独善的な固定観念から脱し得ないかぎり、彼らが日本(人)に求めてやまない「正しい歴史認識」など、彼ら自身にとってもありえないはずです。
 芥川の言う「栄光ある歴史」を可能なかぎり乗り越えることによって、多少なりとも「正しい(というより客観的な)歴史」への道筋が、ようやく「少しだけ」開けてくるに違いありません。
「スローターハウス5」その他 (ヌルボ)
2013-06-04 13:30:29
この前も書いたことですが、韓国(人。特にメディア)が、自分たちは「無謬」であり「正義」である(あった)というこうした独善的な固定観念から脱し得ないかぎり、彼らが日本(人)に求めてやまない「正しい歴史認識」など、彼ら自身にとってもありえないはずです。
 芥川の言う「栄光ある歴史」を可能なかぎり乗り越えることによって、多少なりとも「正しい(というより客観的な)歴史」への道筋が、ようやく「少しだけ」開けてくるに違いありません。「スローターハウス5」その他 (ヌルボ)
2013-06-04 13:26:21
私もずっと以前のことですが「スローターハウス5」を読んで感銘を受けるとともに、ドレスデン爆撃についてはじめていろんな史実を知りました。
韓国では「第5場」というタイトルで訳書が出ていますね。 →
http://www.yes24.com/24/goods/1453676?scode=032&OzSrank=6
帯には「村上春樹が好きなカート・ヴォネガットの代表作」と書かれています。

映画「ドレスデン、運命の日」は数年前に観ましたが、この映画が作られるまでに戦後約60年を要したのは、やはり「敗戦国」であり「ユダヤ人を虐殺した」ドイツを「被害者」といて描くのか、という非難がずっとつきまとっていたからです。

広島・長崎への原爆投下について、その後いくつか見た韓国サイトの中では、代表的オタクサイト(?)のエンハウィキ・ミラーにある「広島・長崎原爆投下」という記事が目を引きました。 →
http://mirror.enha.kr/wiki/%ED%9E%88%EB%A1%9C%EC%8B%9C%EB%A7%88%C2%B7%EB%82%98%EA%B0%80%EC%82%AC%ED%82%A4%20%EC%9B%90%ED%8F%AD%20%ED%88%AC%ED%95%98

非常に多角的な視点から、随所に皮肉を散りばめて書いています。
その中で、韓国人の被爆者に対して、日本人(ここでは大江健三郎)は「私たちの過ちであなたたちまで被害を受けたことについて謝罪する、と思うべきだ」という論理はなかなか説得力があると思います。
(反論するとなると、その論拠は、林志弦(イム・ジヒョン)漢陽大比較歴史文化研究所所長のいう、被害者意識や加害者責任といったものは世代を超えて受け継がれるべきものなのか?という問題になってくるのでは?)
※参考過去記事 →
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/49c496e08533d774fdbd950d8a314791

「正しい」歴史認識とは何か、日韓間で論議しても間違いなく平行線を辿るばかりでしょうね。(韓国の場合は、ほとんど「かくあるべきだった」歴史と同義のようです。)それよりも、自国の「認めたくない歴史事実」と正面から向き合うことが大切だと思います。(両国とも・・・)
広島・長崎 (ソウル一市民)
2013-06-04 15:23:35
 興味深いサイトをご紹介いただきありがとうございます。韓国語と格闘(苦笑)して読んでみます。

 話は脱線しますが、ヴォネガットの韓国語の訳書は余り多くはないようですね。
 一方でウンベルト・エーコなどはほとんど(日本では未訳のものも含めて)全作品が翻訳されていますし、北欧や中国などの、日本では翻訳のない作品も結構訳されていたりして、韓国の翻訳事情はどうなっているのか気になります。
 世界的ベストセラーだけでなくノーベル賞がらみ(取るかも知れない作家や北欧の作家紹介)の理由もあるのかも知れませんし、確か以前ヌルボさんも書かれていたフランスのベルナール・ウェルベルやギヨーム・ミュッソなどが意外(?)な大人気だったり、その一方で意外なところ(具体例はすぐに挙げられないのですが)がスッポリ抜けていたりします。
 この辺り、どなたかが調べていらっしゃらないでしょうか。
韓国での「ジャンル文学」 (ヌルボ)
2013-06-04 18:24:36
韓国では、ミステリーやSFのような娯楽的な作品がそれなりに読まれるようになってきたのは90年代以降ではないでしょうか?

日本では江戸時代、都市の庶民も識字率は高かったので娯楽的な読み物がいろいろ読まれましたが、韓国は終戦時でもハングルの読めない人(とくに女性)は多く、またエリートたちは娯楽としての読書を低く見ていたように思います。
したがって、今「ジャンル文学」と総称されるエンタメ系読書の歴史は浅い、というのが私の仮説です。

韓国のSF翻訳事情については私も記事にしようと思いつつ実現していません。

参考になる日本語の記事はこれだけではないかと思います。 →
http://psychodoc.eek.jp/abare/koreasf.html

日本で親しまれている往年の海外名作SFやミステリーが、韓国では何年頃に訳されてるか、未訳なのか等々イチイチ確認する作業がめんどうで、やりかけたもののほったらかしになってることを思い出しました。
(上の記事の追記) (ヌルボ)
2013-06-04 18:32:07
韓国では、ヴォネガットの本も(純文学より低レベルの)SFという先入観があったのでは? 「YES24の読者レビューにもそんなことを書いていたものがありました。「第5場」という書名も純文学ぽくないし・・・。
先に書いたように、「村上春樹が好きな作家」という惹句が効果的と発行元が考えたのも、そんな状況があるからでしょう。

コメントを投稿

韓国の時事関係(政治・経済・社会等)」カテゴリの最新記事