ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録⑥ 5日目(中編)=偶然目にした韓国独自の球技の名は?

2016-04-22 23:58:48 | 韓国旅行の記録
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録① 1~2日目=国立外交院、徳寿宮周辺等
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録② 3日目=「あの」島と、仁寺洞の有名なマッコリ酒場
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録③ 4日目(前半)=ソウル大学校を散策(?)
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録④ 4日目(後半)=広大なソウル顕忠院を散策(??)
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録⑤ 5日目(前編)=釜山の40階段がこんなに短い階段だったとは!

 このシリーズ。①では2日分を書き、②では1日分を書きました。③からは1日を2回に分けて書き、今回もそのつもりでしたが、写真をたくさん入れることにしたため、1日を3回に分けることにしました。どんどん進行が遅くなっています。しまいには1時間刻み? いや、そんなことはナイジェリア(笑)。

○3月29日(火) 午前11時~午後1時30分

 この日の移動は地下鉄以外タクシーにもバスにも乗らず。坂道の多い釜山の街を歩き回りました。
    
 総選挙の投票日(4月13日)間近とあって、ビル側面にも大きなポスターが。(左) 青色は野党=共に民主党のシンボルカラーです。右の赤色の横断幕は与党=セヌリ党。 [問1] 左の大きなポスターでという数字は何を意味していますか? [答]→比例代表での、各政党に割り当てられた数字。 韓国の投票方式について書いた→コチラの過去記事を参照のこと。

    
 たくさんの本を抱えた青年像は若き日の私ヌルボの姿そのもの。(←ウソです。) 宝水洞(ポストン)の古本屋街(右)はそこからすぐです。ここに来たのは2度目ですが、今回は素通りしただけです。

     
 富民(プミン)サゴリ(十字路)の角地にある東亜大学校富民キャンパス。電車が置かれていますが、1968年まで釜山市内を運行していた路面電車の車両。→韓国ウィキペディアによると営業開始は1916年とのことてす。なお、この展示車両については→コチラのブログ記事に詳しく記されています。
 この東亜大学校富民キャンパスについては、(あの「嫌韓流」の)山野車輪「韓国のなかの日本」に少し書かれていました。

 あ、晋州のの字がになっちゃってるゾ。[問2] 現在の慶尚南道庁舎がある都市は? [答]→昌原(チャンウォン)
 帰って来てから知りましたが、→コチラの記事によるとさんは6年半前にこの大学の博物館に行ってるのですね。ヌルボたち2人は残念ながら素通りしてしまいました。それにしてもさんはソウル大学校・顕忠院等々、今回ヌルボが初めて行った所(&今後行きたいと思っている所)はほとんどすべて行かれているようですね。

     
 東亜大学校の南側の道路(臨時首都記念路)にも、昔の釜山を偲ばせる壁画や造形物が点在しています。[問3] 上右の画像の少年は何をしているのですか? ヒント:前に置かれた円筒形の物は煉炭コンロです。 [答]→カルメ焼きを作っている。

 最初べっこう飴かと思いましたが、重曹を入れているので・・・。日本でも(昔の?)子供たちにとっては懐かしさを感じる縁日の必須アイテム(・・・かな?)ですが、韓国の年輩の人たちも同様のようで、→コチラのブログに右のような画像がありました。
 韓国語では「달고나(タルゴナ)」と言いますが、どの韓日辞典にも載っていません。※釜山では쪽자(チョクチャ)というそうです。また「똥과자(トンクァジャ)」=糞菓子(!)という呼称もあるとか。→コチラの記事(韓国語)の筆者はタルゴナという言葉は最近まで知らず、昔から用いていたのはトンクァジャだったとのことです。
 湯島天神のプロが(ガスコンロで)作っているのを撮った動画は→コチラ。なお、韓国では画像検索してみると(→コチラ)抜き型で☆や♡等の形にすることが多いようです。

 上のネタに深入りしすぎました。東亜大学校からほどなくして本来の目的地に到達。
     
 臨時首都記念館です。この日も暖かい陽気で、サクラは一気に満開近くまで花開いていました。この建物は1926年竣工後ずっと慶尚南道知事宿舎でした。朝鮮戦争中臨時首都だった時期の1950年8月18日~53年8月15日の1023日間、慶尚南道庁舎(現・東亜大学校)が臨時政府庁舎になり、ここが李承晩大統領の官邸になりました。右の人形は彼のエラソーな雰囲気までよく表現していると思います。
     
 展示品もいろいろありましたが書類関係はとばします。上左は、朝鮮戦争当時の避難民児童の教育の場となった屋外の教場の模型。外に出ると、内庭に実物大の「避乱学校」がありました(右)。※韓国では、戦いを避ける場合、「避難(피난)」より「避乱(피란)」という語をふつうに用いるようです。
 そう言えば、上述の東亜大学校の正門近くに次のような少年の像がありました。机に向かって勉強をしている姿です。
     

 この像の背後にレリーフがあり、判りづらいですが大勢の子供たちが勉強をしている図のようです。前の机の下には「천막학교(天幕学校)」という字が見えます。つまり、これも同じく当時の学校の記憶を留めるため設けられたものなのですね。[問4] レリーフの左右は、ある書物の一部です。その書名は? ヒント:(読み取れないでしょうが)一番右の上の4文字が「世宗御製」で、続けて書名が書かれています。 [答]→「訓民正音」

 記念館の建物の外には、朝鮮戦争とその前後の釜山のさまざまな風景写真が展示されていました。興味深い写真がたくさんある中で1枚だけ紹介します。
     
 左上、現在のコモドホテルの北西方面の山腹に広がるヨンジュ洞の「판자촌(パンジャチョン.板子村)」です。低所得者層の居住地。「달동네(タルトンネ.月の街)」という言葉もありますね。右上はその판자집(パンジャチプ.板子家)すなわちバラックを再現したもの。
 釜山のタルトンネと言えば思い出すのが昨年暮れに観た韓国映画「青春双曲線」(1956)。当時の釜山の景観が如実に映されていました。その全編は→コチラで視聴できますが日本語字幕ナシ。別に<영화 청춘쌍곡선으로 본 옛 부산(映画「青春双曲線」で見た昔の釜山>と題したニュース動画があったので貼っておきます。
 
 片開きの跳ね橋・影島大橋が上がっている場面もありますね。あ、最近(2013年)47年ぶりにまた開くようになったそうですよ。(知らなかった。)→コチラ参照。
 ※「青春双曲線」と現在の釜山については→コチラに綿密な記事があります。
 ※ヌルボが記念館で見た写真のうの相当数が→コチラコチラのブログ記事にあります。
 映像資料もありましたが、なるほどと思ったのが釜山名物のミルミョンの説明。
     
 早い話が冷麺の仲間なのですが、朝鮮戦争当時冷麺の材料のジャガイモやソバ粉が手に入りにくかったので、アメリカからの援助物資だった小麦(밀.ミル)の粉を代用としたのが始まり。詳しくは→プサンナビの記事参照。

 気がつけばもう午後1時頃。記念館を出て、どこで何を食べるか思案しつつ、また坂道を下ります。すると目に留まったのが何やら球技を楽しんでいる若者たち。
     
 見るとボールを蹴っているのでちょっと見にはサッカーと思うかもしれませんが、バレーボールのようなネットがありますよ。[問5] この球技は何ですか? [答]→足球(족구.ジョック)
 韓国で始まった球技の上、歴史も浅いので、日本ではまだまだ知る人は少ないでしょう。ヌルボはたまたま昨年足球王」(→コチラ参照)という韓国映画を観て知りました。原則1チーム4名。サッカー同様手を使ってはダメ。1バウンドで返すのはOKで、3回以内に相手側に返す。歴史等、詳しくは→コチラで。

 東亜大学校近辺で、いろんなメニューがあって安い!チェーン店キムパプ天国が目の前にあったので入りました。Y氏、記念館で映像を見てきたばかりということで「ミルミョン!」と勢い込んで注文したのですが、店の主人は何やら言って、要するにダメ。ヌルボと同じ石焼きビビンバにしたんだっけな? [問6] なんでミルミョンは注文してもダメだったのでしょう? [答]→冷麺、冷やし中華のように基本的に夏の食べ物だから、まだやっていないのです。

 この日は、さらに博物館を2ヵ所回ることになりました。(涙)

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2 コメント

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Unknown (까치)
2016-04-26 16:11:28
판자집の写真で、すぐアタマ、というか胸に浮かんがのが、「別れの釜山停車場」。(好きな歌です)
「・・・한 많은 피난살이 설음도 많아, 그래도 잊지 못 할 판잣 집이야・・・」  実物は見たことないし、勿論住んだ経験もないけど、イメージがわっと広がりました。
달동네は、ソウルの아현(新村の2つ手前)で数年前行ってみましたが、再開発の最中。だんだん変わっていくのでしょう。なくなってしまっては、映画やドラマで困る? 
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パンジャチプ  (ヌルボ)
2016-05-03 00:45:02
 レスが遅くなってすみませんでした。

 パンジャチプについては、一昨年の記事< 「ハコバン(箱部屋)」は日本語由来なので「パンジャッチプ(板子家)」に・・・>で書きました。 →
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/94f67fb787464087c1fbb5105639942c
 その記事中の清渓川板子家体験館は、以後行ってみようと思いつつ、まだ行ってません。
 仁川のタルトンネ博物館と同様、このような施設ができること自体すでに過去の遺物になったということでしょうね。

 「別れの釜山停車場」はタイトル以外はよく知らなかった歌です。今YouTubeで聴いてみると、歌詞もメロディーも時代が刻印されているような歌ですね。つまり、そんな男女の別れが実際に多かったんだろうな、ということ。と考えると、なかなか味わい深い歌です。
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