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韓国の死刑制度と、連続大量殺人事件 (4) 韓国と日本の現況

2012-06-23 23:57:00 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
昨年末(2011年11~12月)に、「韓国の死刑制度と、連続大量殺人事件」というテーマで次の3つの記事をupしました。
(1)制度と歴代政権の姿勢
(2)韓国の世論は?
(3)過去の大量殺人事件

 ところが、(2)の最後に「個人的見解については最後にまとめて書くことになってたんだ!」と書き、(3)の最後には「この続きはあと1回です。間に別の記事をいくつか挟みます」と書いたにもかかわらず、それっきりになっていました。

 その後決して忘れていたわけではなく、気にはなっていたのですが(ウソっぽい?)、つい半年近く経ってしまいました。
 
 たまたま「毎日新聞」夕刊で、21日(木)~23日(土)に「死刑 韓国からの報告」という3回連続の企画記事が掲載されていたので、その内容紹介がてら、韓国の現況をみるとともに、日本の状況についても考えてみたいと思います。
 担当は長野宏美記者。「日本弁護士連合会の調査に同行し、実情を探った」とのことです。
 とりあえず、記事の要点は次の通り。☆印は直接取材相手。

○21日(上)「97年最後に執行されず」  「廃止への壁高く」
 ・韓国には死刑制度はあるが、97年12月の23人を最後に執行されていない。
 ・98年に就任した金大中大統領は死刑判決を受けたこともあり、死刑に批判的だった。
 ・その後も再開されず、アムネスティは07年12月韓国を「事実上の死刑廃止国」に分類した。
 ・だが、法改正は伴っていなくて死刑判決は続き、政権の意向でいつでも執行できる状態にある。
 ・05年国の機関の国家人権委員会は「死刑を廃止すべきだ」と表明したが、10年憲法裁判所は「合憲」と判断し、その存廃は立法で決めるよう求めた。
 ・国会では死刑廃止法案が6度は次されたが、成立していない。
 ☆李相赫(イ・サンヒョク)弁護士・・・かつて刑務所の教化委員として(冤罪も含む)死刑囚と接してきた彼は、89年に「韓国死刑廃止運動協議会」を発足させ、会長となったが、世論は厳しく、連日のように抗議や嫌がらせの電話を受けた。
 ☆柳寅泰(ユ・ジテ)議員・・・04年国会議員の過半数の署名を集め、法案を提出した人物で、自身民主化運動で死刑判決を受けた経験がある。


※取材した上記2人の顔ぶれをみても、記事中にさりげなく入っている「世界で死刑廃止の流れが進む中」という一節をみても、これまでの「毎日」の論調に沿った、死刑に対して批判的立場からの記事であることが わかります。

○22日(中)「「執行を」の世論に動かず」  「国際関係に配慮」
 ・韓国の死刑囚は現在58人。手紙や接見、月3回の電話で外部との交流が可能。08年以降本人が申請すれば刑務作業に就けたり教育を受けることも可能になった。
 ・一方、韓国世論は死刑存続賛成が6割前後。
 ・李明博政権は09年死刑執行の検討を指示したが、実行しなかったのは「国際関係が廃位にあるため」(許一泰(ホ・イルテ)東亜大教授)。死刑執行停止を決議した国連のトップが潘基文事務総長ということも影響しているという。
  ☆高貞元(コ・ジョンウォン)さん・・・03~04年計20人を殺害して社会に衝撃を与えた柳永哲(ユ・ヨンチョル)死刑囚に、母と妻、長男の3人を殺された被害者遺族。「最初は許せなかった」が、米国の遺族や被害者家族との交流等を続ける中で「彼らを殺して何の意味があるのか」と感じるようになった。


○23日(下)「法相経験者の葛藤」  「犯罪者の受容を」
 ・6月4日日本弁護士連合会「死刑廃止検討委員会」の調査団が、韓国で最も多い18人の死刑囚が収容されているソウル拘置所を訪れた。(ソウル中心部ら約30キロ南の京畿道義王にある。)
 ・その拘置所内にある死刑執行施設は14年半もの間使われていないが、数年前「整備せよ」との指示があり、現場が緊迫したことがあった。
 ・日弁連は、2011年12月「死刑廃止」を掲げた委員会を設置し、去る6月18日「死刑廃止について議論を始め、その間の執行を停止すべきだ」とする要望書を法相に提出した。韓国での調査を踏まえ、8月にも「終身刑」等の代替措置について方針を示すとのこと。
 ☆杉浦正健(自民党)・平岡秀夫(民主党)・・・ともに元法相で、調査団に同行。いずれも在任中に死刑執行命令を出さなかった人物である。「日本は国際社会から一周も2週も遅れている」「執行回避のために再審請求している人もいるのに、反省して死を受け入れた人の死刑を、先に執行しかねない」(杉浦氏)、「日本は犯罪者を排除する方向に進んでいる。反省や立ち直りの場を与え、受け入れる寛容な社会が求められる」(平岡氏)。


 ・・・本ブログの過去記事と重なる部分が多く、ヌルボとしてはとくに意外な内容ではありませんが、死刑をめぐる状況が十分に知られていない中で、このような記事が掲載されるのはいいことだと思います。死刑賛成派の立場の人にすれば、凶悪事件をもっと具体的にあげるべきだ、という意見は当然あるでしょうが・・・。

 さて、ようやく私ヌルボの意見を書くわけですが、なにせ「究極の」といっていいほどの難問だし、そのわりには死刑賛成派・反対派のどちらにも「絶対賛成」「断固反対」等々、信念といったものを持っている人が多いのが厄介なところで、ここで(反対論であれば)「誤審の可能性」「残酷な刑罰」(賛成論であれば)「遺族の感情」「命を奪った罪は命で贖うしかない」等々の主張を述べ立てても、そんな「想定内」の意見はとっくに聞き飽きてることでしょう。

 で、ヌルボとしては、賛否以前に、「賛成」「反対」の両派の人に訴えたいことを1つ提示します。それは「当事者意識を持とう」ということ。
 「裁判員制度が始まって市民が死刑の判断が迫られるようになった」と「毎日」の記事にありますが、裁判員制度の有無にかかわらず、死刑存置国の国民として以前から恒常的に死刑に関与してきているのです。裁判員を辞退しようがしまいが、そのことに変わりはありません。厳しくいえば、「裁判員制度がスタートして初めて死刑の問題に直面するようになった、と思うなら、今までそんな鈍感さで多くの人を死刑にしてきたの?」と問いたいところです。

 当事者意識とは、具体的には、死刑に賛成するなら(あのA.クリスティの推理小説のように)1人1人が刑の執行人となること。あるいはアメリカ等であるように刑の執行をみとどけること等。それだけの「覚悟」といったものを持とうということです。
 従来は反対派から賛成派に対して「冤罪の場合取り返しがつかない」という意見が投げかけられてきました。ヌルボがいう「覚悟」とは、賛成論を唱える人は「自分がまかり間違って冤罪で死刑に処せられることがあったとしても、死刑は存続すべきである」と言ってこそ説得力を持つわけです。
 反対派の人についても同様で、「深く罪を悔いている人を死刑にする意味があるのか?」と賛成派に問いかける前に、「自分はどんなに大切な家族や愛する人を残虐に殺されても、また殺人者が全然反省の色さえ見せずせせら笑っているような奴でも、死刑にはしない」という「覚悟」があるかどうかをまず自問すべきだと考えます。

 他の人たちに対する主張はここまで。

 そしてヌルボ自身の判断を最後に述べると、死刑に反対です。理由は、上述の(死刑に加担しているという)「当事者意識」といったものが耐え難いから。
 よく「被害者感情の尊重を!」と言われます。が、私ヌルボの場合は、それが約1億(有権者数)分の1程度であるにせよ、「人を殺すことに加担している」という意識を持っています。それがイヤでしょうがない・・・ここらへんは理屈ではないので、外に向かって堂々と主張したい、というものではありません。しかしだからといって、「妻や子を殺された被害者遺族の気持ちがわからないのか!?」と問われると「わかるはずはない」ものの、自分の「殺人に加担している」という「イヤでしょうがない」意識も容易に消してしまえるものでもないし、それを凌駕するだけの死刑肯定理論(←感情論でなく)は見たことがなく、感情論ならどれも等価だろう・・・等々と呟き続けると、いつしか「外に向かって」語り始めちゃってますか?

[6月24日の付記]
 同じ「毎日新聞」の6月10日(日)付「時代の風」で、元世界銀行副総裁・西水美恵子さんが「人道外れる死刑制度」というタイトルで死刑について書いていました。
 →コチラ。ただし、このリンク先の記事は1ヵ月(?)で削除されてしまうので、同記事を含んだブログ記事を併せて紹介しておきます。
 →コチラ

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