風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

柳田國男展講演会 京極夏彦「柳田國男の視点」 @神奈川近代文学館(11月7日)

2015-11-08 00:08:01 | 美術展、文学展etc



最近毎月のように出没している近代文学館。先日うっかり谷川俊太郎さんの講演会チケットを捨ててしまった近代文学館。
今回の講演会は、作家の京極夏彦さんでした。
これまでも何度かここに書いていますが、私は京極氏の作品が昔からとっっっても好きでして(最近は追えてないケド)。でもご本人にお会いしたことはなかったので、今日は朝からドキドキ。
それに京極さんのイベントって個性的な方達が多いと聞いたことがあったので、そういう意味でもドキドキ。
しかし実際に行ってみると全然怖い方などおらず、いつも文学館でお見かけしてるような品のいい和やかな方達ばかりでした^^
しかし千円って柳田國男展のチケットも含んだ料金かと勘違いしてたわ(だから招待券を持ってたのに家に置いてきちゃったよ)・・・ 谷川俊太郎さんのときは確かセットだったのに。ちょっと高いよね。。。

さて、初めてお会いする京極さん。
上の写真ではめちゃ顰め面をされておりますが、実際は笑顔の多いユーモアいっぱいの大層楽しい方でございました(*^_^*) トーク、上手いなーーー(時間配分も神業レベル)。1時間15分、たっぷり堪能させてくださいました。
以下、自分用の覚書。
講演中はメモらない人間なので、記憶違いがあったらお許しを~。。。
ちなみに「京極さんは幽霊とお化けと妖怪という言葉を使い分けてるのか否か」という長年の疑問が晴れて、個人的にスッキリ 同じもの、だそうです。


・小説を書く場合、一人称、二人称、三人称の三つの視点がある。一人称はその人物が知りえない情報は書かないので、ミステリーなどでは使いやすい。二人称はあまり使われない。三人称も、書きやすさ&読みやすさの点から主人公が知らないことは書かないようにすることが多く、一人称視点とさほど変わらない。
この他に神の視点(作者視点)というものがあるが、これは非常に使うのが難しい。作者は登場人物の知らないことを当然知っていて、知らなくても作り出すことができるから、この手法でミステリーなどを書くと「お前犯人わかってんだろ!早く言えよ!」と読者に思わせてしまう。神視点の場合は時系列で書くとよいが、そうしない場合もあって、時代小説などに多い。池波正太郎先生は脚本の手法で小説を書いた人。ト書きを使う。また司馬遼太郎先生は、新聞記事に会話文を入れた人。「土方は〇〇へ向かった。筆者は以前この道を通ったことがあるが~」とズルいやり方(笑)だが、難しい方法でもある。

・死者の霊魂という概念がない文化圏では、幽霊の話をしても理解されない。それだけでも明らかなように、幽霊というものは存在しない。日本は死者の魂があるという文化だから「幽霊を見た」と言うと「そうだね、見たね」「それはコナキジジイだね」となったりする。それが一概に悪いわけではない。お墓参りとかなら問題ない。しかし祟りが怖いから壺を買うとか家を建て替えるとかなってくると宜しくない。

・現代で言うような幽霊が出てきたのは、実はつい最近、昭和40年代くらい。昔はそんなものはなかった。
「でも幽霊画とか残っているじゃない」と思うかもしれないが、あれは殆どは芝居の幽霊を描いているにすぎない。写生で書かれた幽霊画なんてない。円山応挙の幽霊なども暗くて足元が見えにくかったから足がなくなっただけで、大した発明ではない。体が透けてる絵は芝居でできなかったことをやろうとしただけ。

・室町時代の猿楽師である世阿弥は、夢幻能を大成させた。wikipediaでは能は「超自然的なものを題材とした高尚な歌舞劇」などと書かれてあるが、そもそも能に超自然的なものなど登場しない。現代の感覚でシテ視点で観ようとするから、見誤る。能のシテは神、無機物、死者、狂女などであるが、それらに共通するのは「コミュニケーションをとれない存在」ということ。神は語りかけても答えないし、岩(@殺生石)も、死者も同じ。狂女もやはり普通の会話をすることはできない。しかし客はワキを通して彼らの物語を見ることができる。ワキがいなければ客は石をずっと観ているだけになり、面白くもなんともない。能はシテ視点ではなくワキ視点で観るべきものである。

世阿弥は息子の元雅が作った『隅田川』に対して何故舞台に子供の幽霊を登場させたかと怒った。子供の幽霊は狂女にしか見えないはずで、客に見えているのはおかしいと。この論争からわかるのは、「幽霊は個人が見るものである」という認識が世阿弥の時代の常識としてあったということ。
このように個人にしか見えないはずのものが、やがて江戸時代になると、芝居などで客も見るようになってくる。四ツ谷怪談の幽霊も伊右衛門にしか見えていないものなのに、客も見ている。

明治に入り尾崎紅葉らによる言文一致運動が起こる。講談が流行り、講談本が作られ、まるでそこにいるように読者も幽霊を体験するようになる。池波正太郎の手法がそれ。
自然主義が流行する。
江戸の読み物は作者が途中で変わったり、仇討ち物として書き始められたものが人気がないから途中で恋愛物に変わったり、突然化け物が出てきて話が収束したりしていた。それはそれで個人的には好きだが、自然主義では事実をありのままに書く。これに傾倒したのが松岡國男(のちの柳田國男)。その友達が田山花袋。しかし國男は次第に日本の自然主義文学や私小説に抵抗を感じ始める。朝私が何を食ってどう感じたとかそういう田舎の親父のブログのようなものなど読みたくはない、と。そして文学を捨て、官僚になる。

ある時國男は佐々木喜善から遠野の民間伝承を聞き、大きな衝撃を受ける。まじか!?と。なぜならそこでは、個人にしか見えないはずの幽霊を複数の者が同じように見ていたから。
國男は実際にそういう事実があったのか否かではなく、そういうことを皆が信じるような文化に興味を持った。そして自ら遠野に行き聞き取った膨大な資料をカードで分け、今でいうデータベース化した。

・『遠野物語』では、「私」の視点は徹底的に排除されている。近代人である「私」は幽霊を認めるわけにはいかないから。その代り序文ではその反動か「私」がいっぱい主張している。
彼はこの時とっくに文学を捨てていた。しかし幸か不幸か彼には文才があった。これは彼が書いていない『拾遺』と比べると一目瞭然。そこでは、まるで幽霊がいるかのようであった。彼は意図していなかったろうが、後の時代の実話怪談は遠野物語の完全なパクリ。

・『遠野物語』の「平地人を戦慄せしめる」という言葉は「幽霊こえ~!」と思わせるという意味ではない。私達の国にはこんな面白い文化があるんですよと知って、かつての自分と同じようにまじか!と吃驚して、自分の国についてもっと知って学んでほしいということ。この柳田が感じたまじか!という驚きはとても大事だと思う。
幽霊は文化装置。柳田は冷徹な人。誤解している人がいるが遠野物語に幽霊など書かれていない。
たとえば祖霊という概念は柳田が作ったが、それは現代のTVから出てくる幽霊とは全く違うもの。きちんと奉れば守ってくれるという存在。
柳田に興味があるなら少なくともそこをわかって読んでほしいと思う。
また遠野物語が民俗学の発端と言うのも間違い。これを書いた当時柳田に民俗学という意識はなかった。

・最近は皆さん幽霊がお好きなようで、よく「うちの地方は幽霊が多いんです」「心霊スポットが多いんです」というような話を嬉しげになさる方がいるが、そんなものは嘘です。たまたまその地方のインフォーマントが幽霊を嫌いで、書き残されなかっただけ。実際、幽霊の話は大体どの地方も同じくらいある。

・雪女も磯女も産女も同じもの。妖怪は因数分解していくと一つか二つしかなくなる。それが土地や文化によって変わってくるだけ。雛祭りも川に流したり様々。だからオシラサマを研究すると一概に言っても、その大本が何であったかを探っていくか、その上澄みの部分を研究するかの二種類ある。楽しいのは、圧倒的に後者の方。
柳田がどちらを目指したかはわからないが、後世の私達がすべきことは彼と同じことをするのではなく、せっかく科学的な手段に恵まれているのだから、資料をデータベース化し、そこから何が導き出されるかなど、その先に目を向けてもらいたい。

・全ての伝承には由来があるが、あとから由来が作られることもあるから注意が必要。オシラサマに纏わる馬娘婚姻など。由来を探っていくのもいいが、答えに辿り付けるかどうかは分からないし、その答えが正しいかどうかもわからない。

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