風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

生誕150年 正岡子規展 ――病牀六尺の宇宙 @神奈川近代文学館

2017年05月18日 23時09分59秒 | 美術展、文学展etc




病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして・・・

(正岡子規「病牀六尺」冒頭)
 
  二〇世紀がはじまった一九〇一年(明治三四)は、子規の最晩年のはじまりだった。新年早々、新聞「日本」で「墨汁一滴」の連載がはじまる。この「墨汁一滴」と翌年、亡くなる間際まで連載した「病牀六尺」、それに美しい絵入りの自筆日記「仰臥漫録」を加えて「子規の三大随筆」と呼ぶ。・・・
  わずか六尺の病床が最晩年の子規に許された空間だった。しかし湖の上を鳥や雲や月が通り過ぎるように、子規の病床と脳裏をさまざまなものが去来する。その印象の一つ一つを子規は言葉で描いてゆく。

  「病牀六尺、これが我世界である」と「病牀六尺」の冒頭に書いたのは、決して悲観ではなく子規らしい挑戦である。この狭い病床だからこそ、世界のすべてが映し出せると不敵に宣言しているのだ。それは「子規の宇宙」と呼ぶにふさわしいものだった。
(長谷川櫂 ~本展図録より~)

今年は正岡子規の生誕150年
神奈川近代文学館で開催中の正岡子規展に行ってきました。
いつもながらここの展覧会の充実度は素晴らしいの一言。ブログには書きませんでしたが、漱石の没後100年を記念した昨年の漱石展も素晴らしかったです。
以下、今回特に印象に残ったものをいくつか。

・1896年(明治29)3月17日の子規から虚子に宛てた書簡。この日の夕方、子規は医師から歩行困難なほどになっていた腰痛の原因がリウマチではなく脊椎カリエスによるものであることを告げられました(その元である肺結核は1888年(明治21)に既に発病していました)。
「僂麻質斯(リウマチス)にあらぬことは僕もほぼ仮定し居たり。今更驚くべきわけもなし。たとひ地裂け山摧(くだ)くとも驚かぬ覚悟を極(き)めたり。今更風声鶴唳に驚くべきわけもなし。然れども余は驚きたり。驚きたりとて心臓の鼓動を感ずるまでに驚きたるにはあらず。医師に対していうべき言葉の五秒間遅れたるなり。五秒間の後は平気に復(かえ)りぬ。医師の帰りたる後十分ばかり何もせずただ枕に就きぬ。その間何を考えしか一向に記憶せず。

・1897年(明治30)2月17日の子規から漱石に宛てた書簡。以前鎌倉文学館でも見たもの。
「僕の身はとうから捨てたからだだ。今日迄生きたのでも不思議に思ふてゐる位だ。併し生きてゝ見れバ少しも死にたくハない、死にくたハないけれど到底だめだと思ヘバ鬼の目に涙の出ることもある、・・・」

・夏目漱石「吾輩は猫である(十一)」原稿

・座机
1899年(明治32)、根岸の指物師に作らせたもの。子規の左脚は曲がったまま伸びなくなっていたため、立て膝を入れる部分が切り抜かれています。以前子規庵で見たものは複製だったので、実物はやはり感慨深かったです。そういえば昨年の漱石展でも漱石山房で漱石が使用していた机の実物が展示されていたのですが、あちらは40年ぶりの展示とのことでした。いくら保存の為とはいえ出し惜しみしすぎだわ。。。

・千枚通し、硯箱、水差し、病室にかけられていた曼荼羅、ステレオスコープ、黒眼鏡、一本足の蛙の置物etc
「墨汁一滴」や「病牀六尺」に登場する、子規の病床を囲んでいた物たち。

・子規の病室のふすまを屏風に仕立てたもの

・1900年(明治33)4月に自ら陶土で作った自作像
おお、似てる!さすが写生の子規。

・渡辺南岳画「四季草花図巻」(南岳草花画巻)
「病牀六尺(百三、百四)」に登場する、子規が「渡辺さんのお嬢さん」と呼んで惚れ込んだ絵。一旦は断られたものの、子規没後に返却することを条件に門人たちが借り受け、子規には快く譲渡されたと告げられました。
死の直前にあっても子規のユーモアを垣間見られるこの話が私はとても好きなので、今回その実物の絵を見ることができて嬉しかったです。

・漱石「渡英日記」1901年1月22日の記述
「ほとゝぎす届く 子規尚生きてあり」
漱石は虚子から送られてくる手紙やホトトギスをロンドンで受け取って開く度に、そこに子規の死の報せが書かれてはいまいかと緊張していたのではないかな・・・。

・漱石「子規の画」原稿
「子規は人間として、また文学者として、最も「拙」の欠乏した男であった。永年彼と交際をしたどの月にも、どの日にも、余はいまだかつて彼の拙を笑い得るの機会を捉え得た試がない。また彼の拙に惚れ込んだ瞬間の場合さえもたなかった。彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中に、確にこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余にとっては多大の興味がある。ただ画がいかにも淋しい。でき得るならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、淋しさの償としたかった。」
漱石って自分ではそう思っていないかもしれないけれど、とても温かい心を持った人ですよね。

・漱石が掛け軸に仕立てた、子規の東菊の絵と最後の手紙。
これまで漱石展で何度も見ていますが、何度見ても、これを書いたときの子規の気持ちと、死後に掛け軸に仕立てたときの漱石の気持ちを思って、胸が苦しくなります。

・「仰臥漫録」2冊
原本は2冊に分かれているんですね。一冊目からは、1901年(明治34)9月13日の朝顔の絵のページが、二冊目からは同年10月27日の「明日ハ余ノ誕生日にアタル」のページが、それぞれ見開きで展示されていました。子規の誕生日は旧暦の9月17日。家族はいつも旧暦で祝っていて、この明治34年も旧暦で祝いましたが、翌35年は旧暦のその日(新暦の10月18日)まで子規の身体はもたないであろうと、新暦の9月17日にお祝いをしました。そして2日後の9月19日に子規は亡くなりました。34歳でした。

・「病牀六尺(九十九)」原稿

・1902年(明治35年)9月18日、死の前日に書かれた絶筆3句
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」
「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」
「をととひのへちまの水も取らざりき」
原本は国立国会図書館の所蔵で、今回は4/28~5/11の間のみ原本が展示され、他の期間は複製の展示でした。私はこの原本が見たかったので、GWに行きました。この日の子規の様子をその場にいた弟子の碧梧桐が詳しく記録していて、その内容はこちら様のブログに詳しいです(管理人さん、勝手なご紹介すみません・・・)。
死の直前とは思えないほどしっかりした第一句の筆、佛の一字の存在感、そして斜めに書かれた第三句の最後の力を振り絞ったような筆が印象的でした・・・。

先月松山の子規記念館で見た下村為山/高浜虚子の「子規逝くや十七日の月明に」の掛け軸が虚子記念文学館から出品されていました(原本)。ということは、子規記念館で見たあれは複製だったのかしら

図録(千円也)は今回もセンスいい
真っ赤な裏表紙には子規自ら書いたあの有名な墓誌銘が一面に印刷されています。真っ赤な色はどうしても子規の肺病を連想してしまうので生々しすぎる気がしないでもないですが、それも彼を構成する大切な要素であり、病と闘い死を思いながらも最後まで世界の美しさを見つめ続け、人生に明るさを見出し、俳句に対する情熱を失わなかった子規の血の色、情熱の色にも見えるのでした。
私が初めて子規に興味を持ったのは、20代前半に読んだ司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』ででした。あれから20年。いつのまにか子規が亡くなった年齢をとっくに超えてしまったなぁ。。
子規の生誕150年を祝って、ブログの背景を糸瓜にしてみました。初夏らしく爽やかでお気に入りです

ただいま横浜では「ガーデンネックレス横浜2017」を開催中。近代文学館のある港の見える丘公園も、関内の日本大通りもそれは見事に花々が咲き誇っています。今週末はお天気もよさそうですし、お散歩がてら行かれてみてはいかがでしょうか?

地にあるもののすべてを美しいと感じたい気分は、いつでも、伸びあがって待ちうけるようにして用意されていた。かれが、子規の詩歌についての鋭敏な鑑賞者であったのは、子規の俳句も短歌も、地上の美しさというものの本質を、路傍に小石でも置いたようなさりげなさでひきだしてくれるためであったといえる。
(司馬遼太郎  『ひとびとの跫音(下)』より)



根岸の子規庵

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『傾城反魂香』 『桂川連理柵』 @歌舞伎座(4月23日)

2017年04月29日 00時14分49秒 | 歌舞伎




先週は四国こんぴら歌舞伎に遠征し、前日は赤坂で『赤目の転生』を観て、さすがにだいぶ観劇疲れがありましたが・・・、吉右衛門さんの『吃又』と藤十郎さんの『帯屋』の二つはどうしても観たくて、体を引きずり引きずり行ってまいりました。今回は幕見発売10分前に行ってちゃんと座れた

【傾城反魂香(けいせいはんごんこう)】

吉右衛門
さんの又平が絶品。。。。。。。。。。。

ほんの一週間前に金毘羅でニザさまの至芸を観たばかりなのに、今度は歌舞伎座で吉右衛門さんの至芸。幸せだぁ。。。。。
昨年末の国立劇場の仮名手本の時に急に歳をとられたように見えたので、もうこのままお元気な吉右衛門さんは観られないのだろうか…とか実は密かに思ってしまっていたのだけれど、1月の沼津も今回の吃又も本当に素晴らしかった。
沼津でもそうだったけど、こういう役の吉右衛門さんって見ている側が「可哀想」と感じてしまう雰囲気があるんですよね。胸がきゅーと締め付けられてしまうような。なんでだろう。
自害しようとするときも、今回も本当にこのまま死のうとしているように見えた。リアルな演技も大袈裟な演技もしていないのに。
そしてそして、最後のあの晴れやかさ
ああ、吉右衛門さん・・・!!!(もう言葉がない)

今回涙を誘われた理由のもう一つは、菊之助のおとく。
わぁ・・・・・、菊ちゃんてばいつのまにこんな情のある演技をするようになったのでしょう!吉右衛門さんとの共演が増えた結果なのだろうか。
花道の物見の場面。舞台中央では、雅楽之助(又五郎さん)の注進を聞く将監(歌六さん)と将監北の方(東蔵さん)。花道では、き真面目に物見をし続ける又平(相変わらず瞬きしない吉右衛門さん)。そしてその背中を後ろからずっと見守るおとく。この菊ちゃんの風情がね、又平のことをよーくわかっているのだなぁと伝わってくるの。
又平が修理之助に「自分に行かせてほしい」と頼むときも、最後の舞のときも(吉右衛門さん、何もかもがお見事すぎ)、彼を黙って見守る表情から本当に又平の気持ちを理解していることが伝わってくる。
菊ちゃんの演技にこんなにぐっときて泣きそうになったのって、私はこれが初めてではなかろうか。あ、野崎村で一度あったか。
吉右衛門さんと菊ちゃんの夫婦がこんなにいいとは吃驚でした。やっぱり菊ちゃんには女方でいってほしいなぁ。。。

歌六さん、東蔵さん、又五郎さん。安定、完璧、文句なしです。あ、ただ歌六さんは「その吃りでは…」と言うべきときも「その身なりでは…」と間違えておられた。すぐに言い直されていたけど。
錦之助さんの修理之助も、とてもよかったです。この人も(というかこの場にいる皆がそうなんだけど)又平の気持ちを理解しているのだなぁとわかるから、全く嫌な感じがしない。でも優しいだけじゃなく、凛としていて。
脇がいいと安心して話に集中できるし、思う存分主役に感情移入できるのが本当に嬉しい。葵太夫さんも相変わらず素晴らしかったです。

はあ、観に来てよかった。。。。。
好きな吉右衛門さんのお役がまた一つ増えました。
ちなみにワタクシの好きな吉右衛門さんのお役は、知盛@義経千本桜、由良助@仮名手本忠臣蔵、松浦侯@松浦の太鼓、十兵衛@沼津、などなど。
主役じゃないけど、和田兵衛@盛綱陣屋もとてもよかったなぁ。もちろんニザさま盛綱とセットで。仁左衛門さんと吉右衛門さんの共演をもっともっと観たいのに、杮落しが終わってから殆どやってくださらなくて悲しい・・・。


【桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ) ~帯屋~】

昨年の1月松竹座以来の再演となった「帯屋」ですが、上方の役者による上方歌舞伎の上演が歌舞伎座では少なくなっているので、お絹はとても切ない役ですが、85歳の父と共演で和事の舞台をお見せできることは喜びです。
(扇雀さんのブログより)

長右衛門は藤十郎さん。
ワタクシの好きな藤十郎さんのお役は、吉野山の静御前、封印切の忠さん、曽根崎心中のお初ちゃん、などなど。特に封印切の藤十郎さんはすんごく好き。ものすごく好き。嫌味のないダメ男
ならこの帯屋を観ないわけにはいかないではないですか。
というわけで、疲れた体を引きずり引きずり東銀座までやってきたわけです。

やっぱり来てよかったぁ。。。。。。。。。

こういうお役の藤十郎さんにいつも感じることなのだけれど、藤十郎さんが纏っている空気って文楽の空気を思い出させてくれるんですよね。竹三郎さんや秀太郎さんにも同じようなものを感じるから、これが上方役者の空気というものなのだろうか。同じものを寿治郎さんの繁斎にも感じられて、舞台上でこのお二人は他の役者さん達と違う空気を纏っているように見えたのでした。
その対極の空気を纏っていたのが染五郎(儀兵衛)のように私には感じられたのだけど、昼の部の伊勢音頭の貢の評判が非常に良いようなので(私は観られませんでした。すごく残念)、私の気のせいかな
長吉(壱太郎)と儀兵衛の“長さん尽くし”が個人的にものすごい中弛みポイントだったので、そのせいもあるかもです。あれ、文楽でもやっていましたっけ?帯屋のこの辺りの場面、文楽(嶋大夫さん)で観たときは全くダレずにすごく楽しめたのだけれどなぁ。。

そういえば、お半ちゃんは歌舞伎では遺書を戸外に置くんですね。文楽では屋内でしたよね、たしか。これは戸外の方がいいな。屋内だと、すぐに見つかる場所に置くなんて長右衛門と心中するためにわざとだろうか?とちょっと思ってしまったから笑(今でもちょっと疑ってるケド)。

壱太郎ってどちらかというと現代的な都会っ子な空気の役者さんだと思うのだけど、お半ちゃん(二役)が想像していたよりいいなと感じました。お半ちゃんってずっと(といってもまだ14歳だけど)長右衛門のことが好きだったのよね?お伊勢参りの夜の出来事だって、意図したことではないとはいえ、お半ちゃんの意に沿わなかった事では決してなかったはずで。そしてとても若いから、死に対する恐怖心や現実感が希薄だと思うの。だから帯屋を訪れたお半には演歌のような悲愴感は不要のように私は思うので、そのあどけなさ、淡々とさえ見えるところが、壱太郎になかなか合っていて。今回の藤十郎さんの長右衛門&壱太郎のお半のカップル、私は好きでした。

そしてお絹さん(扇雀さん)があまりにも気の毒すぎる・・・・・という後味は文楽のときと同じ。あんなに素敵な女性なのに。ほんっっっと長右衛門ってダメ男!でも憎めない、と感じさせる藤十郎さんの至芸よ。。。。。。。。。。

ふぅ、満足満足。
やっぱり私はこういう歌舞伎らしい歌舞伎がほっとするなぁ。
普段仕事とかで疲れてるからかな(^_^;)

ようこそ歌舞伎へ 中村壱太郎 『桂川連理柵~帯屋』




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赤坂大歌舞伎 『夢幻恋双紙 赤目の転生』 @赤坂ACTシアター(4月22日)

2017年04月25日 21時00分57秒 | 歌舞伎




タイトルを書いていて気付きましたが赤坂「大」歌舞伎なんですね。「大」を付ける基準って何かあるのかなと思っていたのだけれど(幹部俳優が出ているとか)、特にないのかしら
さて、ふと思い立ち、当日引換券で行ってまいりました。ネットの感想等を読む時間はなく、予備知識は家を出る直前に公式サイトで確認した粗筋と配役だけ。
それにしても私、ACTシアターでは転生ものばかり観ているなぁ(前回はみゆきさんの夜会)。
以下、ネタバレありです。

コクーンの三人吉三のときと同じく、やっぱりなによりも勘九郎だなあ、と。どうしても勘九郎に目が引き付けられてしまう。私は今回のようなイっちゃってる感じの勘九郎が好きなので(刃物が似合う~)、とても楽しめました。そもそも私が「勘九郎、好きかも」と初めて感じたのは、世間的に全く評判の宜しくなかった伊勢音頭の貢でしたし(^_^;)
とはいっても古典のような正統(ってなんじゃらほいと言われるかもしれないが)な歌舞伎よりこういうコクーンや赤坂のような作品での方がその魅力が際立っているように感じられるのは歌舞伎役者としてはどんなもんなんじゃろか、という気もしなくもないですけど(それは七之助にも感じることですけど)、その辺りは私ごときが口を挟むことではないと思うので、長年の歌舞伎ファン、中村屋ファンの皆さまにお任せいたします。

というわけで、個人的に今回も一番の収穫は勘九郎だったのですが、二番目の収穫は演出と美術。
切り絵風のセットも、ピアノ音楽もほんっと~~~~~に素敵だった
そして炎の幕!を掴んで落としての場面転換 ゾクゾクしました。素晴らしかったです。

どうしても勘九郎ばかりに目がいっちゃったけれど、他の役者もみんなよかった。
七之助はこういう役、似合いますよねぇ。
勘三郎さんは本当にいい息子さん達を遺してくれたものだなあ、といつも思うことを今回もしみじみと。

ドラ〇モン三人組:猿弥さん(剛太)、いてうさん(末吉)、鶴松さん(静)。皆さん役にとても合っていました。特に猿弥さん、うまい

亀鶴さん(源乃助)、お久しぶりです~。えっと、、、太られた(^_^;)?。大好きな役者さんだけどこういう凄みのある悪役(そこに理由はあるとはいえ)を私は見慣れていないせいか、あまり似合っておられないような気がしなくもなかったけれど、久しぶりにたっぷり姿を見られて嬉しかったです。2番目の太郎のときの明るい源乃助、楽しかった~。亀蔵さんのゴルフとともに笑。

ところで中村屋の公演について私は全然詳しくないのですが、コクーンと赤坂では違いを設けているのでしたっけ?(この2つと平成中村座の違いはなんとなくわかります)
「これは歌舞伎なのか否か」という疑問がもし提起されるなら、その歌舞伎味のレベルは、私にはコクーンの三人吉三と今回の赤坂は同じくらいの感覚に感じられました。そして古典等の歌舞伎がこちらに引きずられて崩壊してしまうような事態になるわけではないのなら(そして役者の身に沁みついている歌舞伎味が薄れてしまう事態になるわけではないのなら)、これはこれであっていい、選択肢は多い方がいい、と感じたのもコクーンのときと同じ。観終わった後に歌舞伎座の歌舞伎が懐かしく感じられたのも同じ。ただ個人的には今回の作品は歌舞伎と思って観るよりも、演劇と思って観た方が素直に楽しめる作品のように感じました。でも大向こうさんの掛け声になんの違和感も覚えなかったということは、やっぱり歌舞伎といってもいいのでしょうかね。

ストーリーについては咀嚼しきれていない部分も沢山あるのだけれど、観る前はポスターの絵から「太郎と歌の物語」なのだろうなと思ったのだけど、実際に観たらちょっと違った。
ポスターのコピーに「愛する女のために転生する男」とあったからてっきり一途でピュアな男の純愛物語かと思っていたら、一途は一途だけど、どの生まれ変わりの世界でも太郎はダメな部分のある不完全な男で、彼は「歌のため」と言いながら結局は「自分のため」に生きてしまっているのよね。でもそこがいい。ヒーロー的な主人公よりもそういう主人公に共感してしまう私もどうかとは思うけれど
そんな自分勝手だった自分にようやく気づいたときには、歌の兄になっていて。やっぱり彼には歌を幸せにすることはできないのだよね。


ちょっとわかりにくかったのは、太郎は生まれ変わったときに前世の記憶を残しているのか否か。勘九郎はインタビューで「転生する度に太郎の性格は変わります。転生によりなりたかった自分に変わりますが、転生前の記憶はありません。」と言っているけれど、前世で自分が埋めた場所からお金を掘り返したり、源乃助に生まれ変わった後でも「歌の好きな男って…そういうことだったのか!」って前世で歌が言っていた言葉を覚えていたりするので、「太郎に転生前の記憶はない」と言い切るのはムリがあるような。。父ちゃんに「太郎って奴が現れたら伝えてくれ」って言うのもあったなぁ。そんな大切なことは瀕死の父ちゃんに頼むんじゃなく自分で言いなはれ。酒に逃げていないで。そして歌のために、しばらく歌の前から姿を消しなはれ。源乃助も相当に不完全な人間だよねぇ。太郎の生まれ変わりなんだから当然か(イヤな夢幻、じゃない無間ループだなァ)。まあその不完全さがいいのだけれど。

歌と源乃助が愛し合っていることは最初からなんとなくわかったけど(歌舞伎の定番という点からも)、太郎が源乃助になる展開は読めなかったなあ。というか、ここは今でもよく咀嚼しきれていない部分。太郎は転生する(源乃助に転生させられる)たびに「なりたかった自分になる」を繰り返していて、結局それは「歌を本当に幸せにできる人(歌が愛している人、歌に愛される人)になる」ことを意味しているわけで、それに近づいていく過程が「赤目」なのだろうか。で、結局その対象になれた結果、源乃助になってしまったのだろうか。で、結局源乃助が背負っていた苦しみを自分も背負うことになって、歌の幸せのためには彼女を拒絶するしかなくて。「愛する人と幸せになる」ことは、本当に難しいことなのだね。歌には剛太と幸せになる人生もあったけど(太郎の3回目の生)、あれも「愛する人と幸せになっている」わけではないものね。一方で「愛する人の幸せが自分の幸せ」という考え方もあるわけだけど、歌にとっての幸せは源乃助と結ばれることで、でもそれは叶わぬことで、つまりはそんな歌を愛している源乃助も太郎も決して幸せにはなれないわけで。
歌は源乃助(亀鶴)の人格を好きになる運命というよりは、「兄」を好きになる宿命という感じなのかな。心や魂といった観点の話ではなくて(魂の話ならどういう形で出会おうとその人に恋してしまうということになると思うけど、この話では違うよね。兄になったカンクのことを愛してる)、どちらかというと人間の業のようなもの(人間の意思ではどうにもならないもの)を描いているという感じなのかな。恋にもそういう面はありますね。

カンクが源乃助になった最後の場面とこの話の最初の場面は全く同じなのでしょうかね。私の好みとしては、同じじゃないといいなあ。同じだと閉塞的すぎてつまらない。生まれ変わりの世界がパラレルワールドのように存在しているとして、そこには良い世界も悪い世界もあって、どの世界でも逃れられない宿命みたいなものがあって、それでも私達の一生は全く同じものは二つは存在しない、良くても悪くても違っている。そういう世界観の方が私は好みです。
なんてことをとりとめもなく考えるのが私は結構好きなので笑、そういう意味でもなかなか楽しめた作品ではありました。

ただ勘九郎がインタビューで「太郎は“大江戸タラレバ男”。そこに太郎の赤い右目の謎が絡み、最後にそのからくりが明らかになります。」とはっきり言っているけれど、「最後にそのからくりが明らかに」なった感じは私はしなかったなー・・・。観終っても、謎は謎のまま。私の理解力が足りないだけかもしれませんが。
ところで舞台ではカンクの右目が赤かったけどポスターでは左目(あるいは鏡に映った右目?)が赤いことには、何か意味があるのだろうか。ないのだろうか。どっちなのだろうか。教えて、蓬莱さーん!


中村勘九郎にインタビュー!「蓬莱竜太は天才だ!」「赤坂大歌舞伎」新作歌舞伎『夢幻恋双紙 赤目の転生』
中村勘九郎・中村七之助らの「歌舞伎」と蓬莱竜太の「演劇」が融合!『赤坂大歌舞伎』6日より開幕
歌舞伎美人「中村勘九郎 赤目の転生」




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第三十三回 四国こんぴら歌舞伎大芝居 @金丸座(4月14日)

2017年04月24日 20時56分43秒 | 歌舞伎




常々一度は行きたいと思っていた四国こんぴら歌舞伎
今年の座頭は15年ぶり3回目のご出演のニザさま 行くなら今!
というわけで、松山→琴平→高松の旅程で春の四国に行ってまいりました
旅行記はに書いたので、ここでは観劇(第二部)の感想を。

楽しいだろうな~とは思っていたけれど、想像していた以上に、行ってよかったです!
江戸時代の芝居小屋で歌舞伎を観たのは初めてでしたが、色んなところで歌舞伎の原点のようなものを肌で感じることができました。
・・・って今知りましたが、金丸座って日本に現存する最古の、そして唯一の江戸時代の芝居小屋だったんですね(1835年築)。そうなのかぁ。100年後も200年後も残っていってほしいなぁ。

江戸時代の息吹をつなぐ芝居小屋の魅力とは

【芦屋道満大内鑑(葛の葉)】
これはずっと観てみたいと思っていた演目なので、今回観られて嬉しかったです。お話の雰囲気も、この小屋のサイズに合っていたように感じられました。
今回の旅行、色々と忙しくてニザさま以外の配役をチェックしていなかったので、始まる直前まで葛の葉は孝太郎さんがされるものとなぜか思い込んでおりました(^_^;)
雀右衛門さんのキチュネ、古風な雰囲気と、可愛らしさと、ほろりとする切なさと品があって、とってもよかった。
最後は、スッポン(人力で動かしてるんですって)から登場した葛の葉が信太の森に向かう花道の道行で幕。本火の蝋燭がこの小屋の薄ぼんやりとした暗さによく似合っていました。
柵(しがらみ)は竹三郎さん。相変わらずビックリするほどお若い(若返っていらっしゃる!?)。背筋が伸びていて、口跡もハキハキされていて、驚きました。
幕間に私が友人と「雀右衛門さんのキツネ可愛かったねぇ~」と話していたら、左隣のおば様が「あれはキツネですか?」と。「ネコかキツネかどっちかなあと思ってて。(ご主人に向かって)あなた!やっぱりキツネですって!」と(^_^)

~25分間の幕間~

お手洗いは男女共用ですが清潔なトイレがお土産売り場の裏手にありました。

【口上】
右隣のお席は地元のご家族で(でも歌舞伎はお好きで歌舞伎座にも行ったことがあるそうで、息子さんは大向こうをかけておられました)、そのお母さんが面白かった。口上で役者さん達が言う「お願い申し上げ奉りまするぅ~」(だっけ?)を毎回一緒に言うの^^。次の身替座禅でも山の神が登場する場面で「きたきたきた・・・笑」と無邪気に笑っておられたり。歌舞伎ってこういう楽しみ方がやっぱりいいねえ。大劇場じゃなく芝居小屋が似合う。歌舞伎座だと気になる私語が、ここでは全然気にならない。それが当たり前に感じられて。都会のマンションの中では気になる虫の存在が、田舎の森の中では気にならない感覚と同じ。なのに歌舞伎座と違って、大事な場面で私語をする客はいなくて。やっぱり歌舞伎座は歌舞伎を観るには大きすぎるのだなぁ、と改めて。。もっともワタクシは後舟席で足も伸ばせて超快適だったので、こんなことを思える余裕もあったのかもですが^^;。
仁左衛門さんの口上は先代雀右衛門さんのハーレーダビッドソン。私は行かなかったけどたぶん歌舞伎座のときと同じですかね笑。
そして配役をチェックしていなかったので、こんぴらに松緑がいてビックリしました 口上では客席からすごく沢山の拍手をもらっていました

~まさかの再びの25分間の幕間~

東西の窓が開くと風が入ってきて気持ちいい~。やっぱりこういう風通しのいい小屋はいいよねえ。平成中村座、本格的に木造で作って常設にしてくれないかなあ。
そういえばこの金丸座、公演をやっていない時期は舞台見学ができるそうですね。見てみたいなぁ。でもやっぱりお芝居も見たいし、うーむ。

【身替座禅】
仁左衛門さんの右京は昨年歌舞伎座で観ていて大好きなのだけれど、金丸座で観た今回の方が更に感動しました。
ていうか何!あの後半のほろ酔い朝帰り花道ニザさまのあり得ないレベルの美しさは・・・!はんなり(←ほんのりにあらず)薫る色気と、品のよさ。「あ、この人花子ちゃんとヤってきたんだな」とはっきりわかる濃密レベルな色気なのに(こんなにはっきり“そう”とわかった花道は初めてであった。そしてここまで色気見せるニザさん久しぶりに見た)、ちゃんと品があるところがニザさまならではだよねぇ。
ていうかこれほど強烈な印象に残るお姿が私の記憶になかったのは何故かしら?と思ったら、歌舞伎座の幕見席からは花道は七三以降しか見えていなかったのでありました。まさかその手前でこんな至芸が披露されていたとは・・・。
そんなニザ様の右京が、木のぬくもりと長い歴史が沁み込んだ芝居小屋に恐ろしいほど合っていて・・・・・。美しい芝居小屋に、美しいニザさま。満開の桜のこんぴらに、ふんわり春風背負ってる華やかなニザさま。ああもう、なにもかもがパーフェクト
花子ちゃんなニザさまと右京なニザさまの両方を楽しめるのも、この演目の嬉しいところですよネ。

彌十郎さんの玉の井は恐妻なだけじゃない可愛い系で、吉右衛門さんタイプでありました。私はこのタイプの玉の井が好きなので嬉しかったです。ダンナさんをとっても愛しちゃってる 山の神。だから焼きもちも焼いちゃう。そりゃあねぇ、こんな素敵なダンナさんならそうなるよねぇ。わかるわぁ
こういう玉の井だと、なんだかんだ言ってちゃんと山の神のところに戻ってくる右京が微笑ましく感じられて、結局仲良し夫婦なのよネ、と気持ちよく観られます。
仁左衛門さんも彌十郎さんも品のあるお芝居で、とても好みな身替座禅でした。

太郎冠者は私は又五郎さんがすんごく好きなのだけれど、松緑も力みのない自然な感じが意外と悪くなく。もうちょっと可笑しみ?愛嬌?があるとよかったかもですが、でも松緑をここで観られると思っていなかったので、お得な気分でした笑。
ただ彌十郎さんも松緑も、衾かぶってぶんぶんってするYesとNoがちょっとわかりにくかったような(あと衾から顔が見えてしまいそうな感じだった)。

江戸時代からある芝居小屋、金丸座で観る四国こんぴら歌舞伎。思っていた以上の素晴らしさ、楽しさで、またいつかぜひ来たいです

中村雀右衛門(芝雀改め)、片岡仁左衛門、笑顔咲く春の風物詩『こんぴら歌舞伎大芝居』製作発表
「江戸時代の芝居小屋の姿を残す金丸座にいると、楽屋で裏山の鶯の声を聞いたり、舞台に立っている時でも、私たちの先祖はこういうところでお芝居をさせていただいたんだなあと、歌舞伎の原点を改めて考えさせられます。頭ではわかっていても、体で感じられる場所は貴重」と仁左衛門さん。私も鶯の声を聞きましたよ^^

仁左衛門、雀右衛門が語る「四国こんぴら歌舞伎大芝居」
「四国こんぴら歌舞伎大芝居」初日の賑わい

※追悼 今宵はKANKURO 片岡孝夫(仁左衛門)

勘三郎さんと仁左衛門さんの、金丸座についてのトーク。仁左衛門さんが初めて金丸座に出演されたとき(1991年)のもの。このときは勘三郎さんが身替座禅をされたんですね。
勘三郎さん、「私の大好きな兄さん」って
この動画は帰宅してから(というかたった今)初めて観ましたが、金丸座については心から「そうそう!」と思うことばかり。それにしても勘三郎さんって本当に神経が鋭い人ですよねぇ。
























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四国旅行その3 ~高松~

2017年04月21日 00時17分07秒 | 旅・散歩
【3日目:琴平→高松】

最終日は、高松に向かう前に琴平の町をもう少し散策。
「金陵」という日本酒を造っている酒造さんの『金陵の郷』という小さな博物館を見学いたしました。


入館料無料ですが、日本酒ができるまでの過程を人形や音声でわかりやすく説明くださっていて、とても楽しめました
これで琴平とはお別れ。


ことでん琴平駅。


さよ~なら~。歌舞伎の季節にきっとまた来ますね~!


こんぴーくん(琴平町マスコットキャラクター)に見送られ、いざ高松へ 


JR高松駅。
おお、都会だ・・・!

この時点で午後1時。
観光案内所のお姉さんに「今から屋島と栗林公園の両方周ることは可能ですか?」と聞いてみたところ、できなくはないけれど微妙な感じ。
慌ただしく周りたくはないので、今回は栗林公園一つに絞ることにいたしました。
ショッピングなんちゃらバスに乗って、栗林公園へ





国の特別名勝に指定されている文化財庭園の中で、最大の広さを持つ栗林公園は、高松藩主松平家の別邸として、歴代藩主が修築を重ね300年近く前に完成しました。…
栗林公園の平庭部の広さは、東京ドーム3.5個分にあたる約16.2ヘクタール。これだけでも大名庭園の中では最大級ですが、背景となっている紫雲山を含めた面積は、なんと東京ドーム16個分の約75ヘクタールにも及び、文化財に指定された庭園の中では日本一の大きさを誇ります。…
「お庭の国宝」ともいえる「特別名勝」に指定されている庭園は全国で24箇所ありますが、うち13箇所は京都にあり、そのほとんどが一定の視点からの眺めを追求した「座観式」です。一方、栗林公園の作庭様式は、江戸時代に花開いた「池泉回遊式」と呼ばれるもので、広大な敷地に池泉や築山などを配し、園内を散策しながら移りゆく景観を楽しみます。その多彩さは、一歩歩くごとに風景が変わる「一歩一景」の魅力があるといわれています。

(栗林公園HPより)

この栗林公園、実に実に素晴らしい庭園で、今まで行ったことのある中で一番好みかもというほどで、あっという間に数時間過ごしてしまいました。
屋島に行けなかったのは残念だったけれど、今回はここ一本に絞って本当によかった。

ところでこの公園は、三島由紀夫の『春の雪』の映画版(2005年)のロケ地でもあるんです
松枝侯爵家のお庭の設定で撮影されました。公開時はあまりいい評判を聞かなかった本作ですが、私は結構好きな映画でした。今回の旅行前にもう一度観直そうと思っていたのに、結局時間がとれなくて残念。行定監督は、「全国の公園を見て回ったが、ここしかないと思った」とロケ地選びについて話されたそうです。
ちなみに三島が小説を執筆する際に侯爵家のモデルにしたのは、鎌倉由比ヶ浜にある鎌倉文学館です(今月22日から漱石展をやりますよ~♪)。

それでは、春の栗林公園の風景をお楽しみくださいませ





















































栗林公園は、入口横にあるお土産売り場もとってもお洒落
空港にはないものも沢山売っていました

まだまだ名残おしいけれど、小雨も降り出してきたので、そろそろ空港へ


高松空港での最後の夕食は、もちろん讃岐うどん  with 鶏天&ビール 


二泊三日で松山、琴平、高松の3都市を訪れた今回の旅。
お天気にも恵まれ、本当に充実した3日間でした!!!
付き合ってくれたお友達、そして四国の皆さん、ありがと~~~~
四国はこれで高知、香川、愛媛を制覇し、行っていない県は徳島だけになりました。
いつか行けるかな?

あ、そうそう。旅行中はお天気に恵まれましたが、帰りの飛行機は上空の気流の乱れでものすっっっごく揺れました
そもそも羽田からの便が高松空港に到着できるかどうかも微妙な状態のなか到着し、同じ飛行機に乗ってすぐに飛び立ったので、揺れる揺れる。死ぬかと思ったよぉぉぉ
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