きちんと調べたわけではありませんが地図を見た感じでは九州よりも朝鮮半島に近い対馬ですので、歴史的にも朝鮮との繋がりが深くあります。
釜山との直接航路もあるようですし、この場合の入国手続きはどうやっているのだろうと不思議に思った厳原港だったりもするのですが、実際に韓国からの観光客が多かったです。
地元の方と話をしたところでは以前は7万人ほどいた住民も今は半分ぐらいに減っているそうで、その代わりに韓国人が増えたと言っていました。
だいたい女性の服装を見ればそれと分かるのはお国柄なのでしょうが、個人的には公共の場では静かに願いたいです。
そんな対馬へはフェリーで4時間半ほどの航路で、日が変わったぐらいに博多港を後にしました。
船室は1等指定、2等指定、2等がそれぞれ800円差だったので迷ったのですが、空いている場合は2等がベターだと聞いていたので写真の2等をチョイスです。
ドラマなどでは見たことがあるのですが初めての雑魚寝状態、出航して30分ほどは中央管理の照明とテレビが消えずに、またモーター音と振動でこりゃ徹夜だと思ったのも一瞬のことで、暗くなったなと思ったところであっさりと記憶が途切れました。
学生のころからの寝台特急でも苦もなく寝られる体質に変わりはないようで、自分が思っているよりは図太くできているようです。
ちなみに左が1等指定、右が2等指定です。
2等では1枚50円で貸し出している毛布が2等指定では無料、1等指定ではさらにグレードアップをしていることと、また同じく2等では剥き出しの枕が2等指定では枕カバーがついて、1等指定では枕の質がどうやら高そうなのがぱっと見の違いです。
この差に800円、あるいは1600円の価値を見いだすかどうかは個々人の価値観によるのでしょうが、結果的に2等を選んで正解でした。
知り合いのグループで同じ個室に入るのであればまだしも、一人でこの狭い空間に他人と押し込められるのは自分にはきっと耐えられません。
もし一人旅をされる際にフェリーを利用することがあれば、強く2等をお奨めします。
そんなこんなで着いた対馬は、やはり朝鮮の影響が色濃くありました。
最近は中国や韓国からの観光客が多いので都心でも中国語や韓国語の案内はありますが、さすがに韓国語だけのものは初めて見ました。
日本にとっては重要な場所ですので陸上自衛隊の駐屯地もあり、きちんと許可をもらってから撮影をしたのがトップの写真です。
対馬は朝鮮通信使の仲介を担ったことで、そういった史跡も残されています。
それ以外でも当時の姿を描いたものが街中に飾られるなど、耕作地が少なく朝鮮との貿易が生命線だった対馬らしい感じがあります。
この朝鮮通信使の行列を再現した、お祭りみたいなものもあるようです。
そして対馬と言えば宗氏であり、その家紋である隅立て四つ目結がしっかりとアピールをしていました。
上から撮ったので分かりづらいでしょうが、これは歩道にあった高さ50センチほどの足元灯のようなものです。
種子島でもそうでしたが、こういった歴史の流れや重みを感じさせるものが自然ととけ込んでいることが羨ましくてなりません。
自分にとっての対馬は宗氏ですが、一般的にはツシマヤマネコかもしれません。
この写真を見ただけでは野性的な野良猫ぐらいにしか見えませんし、自宅の側で見かけても何とも思わないでしょうが、しっかりとした天然記念物です。
生息数は100頭を切っていると見られており、絶滅危惧種にも指定をされています。
対馬からの帰りも当然のようにフェリーでしたが、厳原港を出たのが15時過ぎでしたので行きとは違って海を楽しませてもらいました。
種子島のときの高速フェリーは外には出られませんでしたが、普通のフェリーでは甲板に出られます。
四方八方が海という体験は生まれて初めてで、救命ボートや浮き輪が備え付けてありましたが気休め程度にしか思えず、とにかく海が穏やかだったことで船酔いもせず、大袈裟かもしれませんが生命の危機を感じることもなく、無事に生還ができたことを喜んでいます。
博多港から厳原港、またその逆も直行ではなく、壱岐の郷ノ浦港を経由します。
降りることはできませんが、せっかくですので写真を撮っておきました。
左の写真は船首から見たところですが、接岸をしているときには持ち上がって車などの出し入れをしています。
ああいったものはどうやって乗り込んでいるのかと春日三球・照代な疑問があったのですが、これで解消です。
ここからは自然シリーズです。
城の堀などにアヒルや白鳥などがいるのは珍しくもありませんが、普通の川に鴨、たぶん鴨だと思うのですが、これはちょっと驚きです。
言うほどに都会にばかり住んでいたわけでもないのですが、自分の住環境にはない世界です。
おそらくはつがいなのでしょうが、ちょっと不思議な位置に首と言いますかクチバシがあるのが気にはなるものの、仲睦まじく朝ご飯を食べていました。
こんな挑戦的なかたつむりや、巨大なナメクジも見たことがありません。
まるでウルトラマンに出てくる怪獣のような人相のかたつむりは、子どものころであっても捕まえて遊ぶ気にはならなかったでしょう。
そして横にタバコの箱を置きたくもなったなめくじは、自分の手のひらよりも長さがありました。
これはさすがに気持ち悪くて近寄る気にもなれず、望遠で撮ったので画像が粗くなってしまったことをご容赦ください。
昆虫もなかなかバラエティに富んでいました。
じっとしていないので写真が撮れたのはこれぐらいなのですが、初めて見るようなものも少なくはありません。
カメムシあたりであれば何とも思いませんが、これまた人相の悪い蝿みたいなやつなどは出会わないで済むのであれば出会わないままに一生を終えたいです。
気を取り直して、こちらは四王寺県民の森です。
日本100名城の一つである大野城は太宰府の北に築かれた古代の山城で、標高400メートルを越す四王寺山がそれにあたります。
ここをえっちらおっちら自転車で登ったわけで、途中で3キロほどは押して歩く羽目になったことで何度か心が折れかけました。
しかし耐えて登り切ったご褒美がありましたので、やはり努力は報われるといったところでしょう。
このあたりは史跡巡り篇でご紹介をしたいと思います。
福岡城の近くには、平和台球場の記念碑がありました。
ご存じの通り西鉄、太平洋クラブ、クラウンライターの本拠地となった球場で、ダイエーも一時はホームとしていました。
しかし球場の改修工事の際に遺跡が発掘されたことで解体撤去となり、今はその名残もありません。
ここはオリオンズとライオンズの遺恨の場としても有名ですが、さすがにその時代はよく覚えていませんので軽くスルーです。
柳川ではやはり川下りで、西鉄柳川駅前では客引きのような声が飛び交っていました。
数日前までの豪雨で心配をしていたのですが、自分の行動範囲内では土石流のような大きな被害の跡は見られませんでした。
ただ肝心の川が濁っているのが普段からなのか、あるいは豪雨の影響なのかはよく分かりません。
平日ということもありましたが、ちょっと寂しい客入りです。
鳩山兄弟のお小遣いで話題となったブリヂストンの、その発祥の地は久留米です。
久留米工場の前の道はブリヂストン通りと名付けられており、ちょっとした豊田市みたいな感じなのでしょう。
駅前には世界最大級のタイヤが飾ってありましたし、ブリヂストンが落とす税収で持っているところもあるのだと思います。
そんなブリヂストンも創業家一族は大株主なのでしょうが経営の一線からは退いたようで、それでも生まれたときからのお金持ちは羨ましいです。
そして帰りはポケモンジェットに乗りました。
乗降口で混雑をしているので何かと思ったのですが、この写真を撮るために立ち止まっていたのですからポケモンは大人気です。
せっかくですので右に倣えで撮ったものの、乗ってしまえばもう何も分かりません。
背もたれカバーにイラストがありましたが、最初のころの新鮮さはどこへやらで離陸前に爆睡状態になるのがここのところですから、羽田に着いたころにはすっかりと忘れていました。
【2012年7月 福岡の旅】
ボーダーレスな対馬
ボーダーレスな対馬 旅程篇
ボーダーレスな対馬 史跡巡り篇 対馬の巻
ボーダーレスな対馬 史跡巡り篇 福岡の巻
ボーダーレスな対馬 史跡巡り篇 柳川、久留米の巻
ボーダーレスな対馬 グルメ篇
ボーダーレスな対馬 スイーツ篇
ボーダーレスな対馬 おみやげ篇
フェリーも中はなかなか清潔そうで、それなりに快適そうですね。こういうところは、さすが日本です。
毎度ですが、特にグルメ編を楽しみにしております。
対馬などは、拙はおそらく訪れない土地でありましょう。最近のアジア情勢とともに注意深く拝見させていただきます。。。
(あくまで)自称、球場マニアの手前として痛恨です。
大阪球場、広島球場と、いつか行けるが、、、です。
ただ、とても格好いい記念碑を、お陰様で拝見する事が出来、感謝感激です。肴になります。(笑)
どうもありがとうございました。
写真にある大型のカタツムリやナメクジも子供のころによく遊んでいた裏山ではよく見かけました。そういえば千葉のやつらはみんな小型ですね。そういえば蚊もでかかったなぁ。ところで写真のはハエですか、アブじゃなくて?こいつは噛むと流血の惨事になります。
私の中では九州の球団といえば今でもライオンズなんです。ただ同じライオンズでも伝説の西鉄ではなく、太平洋とかクラウンライターなど、ほぼ末期の弱小球団のイメージのまま。そしてホークスは今でも大阪のイメージ。今の若い人たちこそホークスを九州の球団として受け入れているかもしれませんが、その気持ちはいかに九州管内とはいえいまだに年代に応じて大きく違うようです。
平和台球場外野スタンドでの鴻臚館遺跡発見のニュースもうっすらと覚えています。懐かしいですね。
過疎に苦しむ離島では韓国人などの観光客は歓迎すべき収入源でもあり、簡単に割り切れる話でもないんですよね。私が里帰りした30年くらい前からすでに、ハングルの看板は街中で多数見かけました。
行きはちょっと古めでしたが、帰りはかなり新しいフェリーでした。
当たり前のようにウォシュレットで、またクーリッシュの自動販売機もありました。
130円、球場よりかなり安かったです(笑)
>けんぴんさん
野生ですからね、逞しいです。
私もほんの半年前までは、きっと死ぬまで種子島や対馬などに行くとは思いもよりませんでした。
この勢いで隠岐や佐渡にも行っちゃうかも。
>スカイマウンテンさん
日本は、おそらくは海外でもそうですが、遺跡とかが出てきてしまうと工事ができなくなりますからね。
私は当面の目標は札幌ドームとグリーンスタジアム神戸ですが、なかなか難しいっぽいです・・・
>まるさん
角度ですか、奥深いですね。
何も考えずに横になりましたので、行きも帰りも進行方向に向かって直角に寝ていました。
どのみち穏やかで、酔いとは無縁だったのはラッキーでした。
右のは人相の悪いハエだと思っていましたが、アブかもしれませんね。
最初の印象は仮面ライダーでしたが(笑)
それにしても対馬までが韓国領と言われてしまうと・・・
そういう人からすれば、対馬旅行をする自国人は売国奴なのかしら。
実のところ記事に書いた話は某住職さんのものだったのですが、苦虫を噛み潰したような表情でした。
そんなときに日本人のオリオンさんが行ったわけですから、
売国奴どころか、むしろ愛国心に燃える活動家と思われているような気が…(冗)
平和台球場の跡地は興味があります。
大阪球場と川崎球場の跡地しか行ったことがないですが、趣味の一つに加えようと考えていたところです。私の場合は日生か西京極が先になるかもしれません。大阪出張が多いもので(笑)