元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「そして人生はつづく」

2009-03-13 06:32:32 | 映画の感想(さ行)
 (英題And Life Goes on... )92年作品。傑作「友だちのうちはどこ?」(87年)から3年。イラン北部を大地震が襲った。監督アッバス・キアロスタミは「友だち・・・」に主演した二人の少年たちの消息を訪ねて、息子と一緒に少年たちの故郷である被災地コケール村へ向かう。この作品はその時の旅を“再現”したものである。

 監督を演じるファルハッド・ケラドマンドは被災地とは関係のない俳優(とはいっても素人に近い)。息子も監督の子供ではない(ま、他の登場人物は地元の素人を起用しているが)。“これは完全に劇映画であり、ドキュメンタリー・タッチの中に強烈なフィクション性を現出させた「友だち・・・」の前衛性から一歩後退している”という評も出て当然だ。確かに、前作に比べ登場人物の動かし方に芝居臭さが漂うこともある。特に監督の子供役についてはいささか顕著だ。彼が被災した女性に自分の生死観(?)を長々と述べるシーンはかなりヤバかった(器用な小芝居の一歩手前)。しかし、大地震という圧倒的な事実(映画的背景)の前には、少々のキズも吹き飛んでしまうのも確か。

 95年の阪神・淡路大震災の惨状を見た目には、映画の中の被災地は人ごとではない。これはセットでも何でもなく事実なのだ。途中の道筋には破壊された家々の瓦礫の山が続き、人々は復旧作業に余念がない。だが、犠牲者の埋葬跡が数限りなく見える場面のショックはあるものの、ここに描かれるものはおびただしい“死”ではなく、たくましい“生”の姿である。死者に対する悲しみを強調して、ドラマ的に盛り上げようなどという下心は微塵もない。



 阪神・淡路の地震の映像に対して、映画ファンの私が真っ先に思ったのは、フィクションの無力性である。「大地震」「世界崩壊の序曲」etc.“災害に対する現代社会の盲点”といった一見社会的なテーマを装い、その実ワイドショー的なお涙頂戴劇で観客のカタルシスを呼ぼうとするハリウッド的なアプローチは、この現実を前にして完全に潰れてしまう。この映画はその点、そういう手法とは最も遠い、“現実”を如実に示している。映画の中に“現実”を現出させるキアロスタミの力量は健在で、我々はこのイラン大地震の現場にいるような生々しさを体験できるのだ。

 もちろん、技巧の限りを尽くす演出にも注目だ。「友だち・・・」でも出てきた村と村を結ぶジグザグ道の圧倒的な存在感。クローズアップとロングショットの目を見張る対比。長回しの場面ではローアングルを多用して臨場感を強調。対象を画面のごく一部にとらえ、茫洋とした空間の広がりを描き出したりと、いつもながら脱帽だ。

 驚くべきことに、主人公は目的の少年に再会せずに映画は終わる。いや、実際は遠くを歩く少年の姿が小さく映し出され、無事であることはわかっているが、再会を大仰に描いて感動させることなど必要ないと言わんばかりだ。重要なのは、被災地の中でも確実に明日に向かって生きる人々の生活がそこにあること。ジグザグ道を通って画面の彼方に消えていく彼らに“それでも人生は続くのだ!”と心からのエールを送る作者の心情が痛いほど伝わってくる。

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