
(原題:DEUX DE LA VAGUE)題材自体が興味深かった。1950年代の終わりにフランス映画界に巻き起こったムーヴメント、ヌーヴェル・ヴァーグの誕生の経緯からその中心を担った2人の伝説的人物、フランソワ・トリュフォーとジャン=リュック・ゴダールの関係性を追ったドキュメンタリー。
正直言って、私はこの頃のフランス映画をあまり観ていない。もちろん上記2人の作品はチェックはしているが、その本数は微々たるもので、ましてやヌーヴェル・ヴァーグという潮流の中で捉えたことはほとんどない。それだけに、本作が確保している情報量の大きさは貴重だし、観て良かったと思う作品である。
カンヌ国際映画祭に出品されたトリュフォーの「大人は判ってくれない」がセンセーションを巻き起こし、一方でゴダールの「勝手にしやがれ」も世界中の映画ファンに衝撃を与え、2人はヌーヴェル・ヴァーグの寵児としてもてはやされる。しかし、68年の五月革命やカンヌ映画祭のボイコット要求などが2人の関係に大きく影響を与えていく。
ゴダールもトリュフォーも筋金入りのシネフィルで、既存のシステムに果敢に挑戦して地位を築いた作家だ。そういう共通点があって意気投合したものの、映画製作を“政治”を抜きにしては語れなかったゴダールに対し、恋愛映画を突き詰めることが身上であったトリュフォーが、やがて袂を分かつのは当然のことかもしれない。
個人的な意見だが、映画がエンタテインメントである限り、政治的プロパガンダを前面に出して映画を作り続けるのは難しいと思う。はっきり言って、ゴダールのヌーヴェル・ヴァーグ後の作品(80年代以降)をいくつか観たが、どれも映画になっていない。一部の好事家のためのシャシンであり、とても評価出来ない。映画作りの王道を歩んだのは、トリュフォーの方であったと思う。
エマニュエル・ローランの演出は才気走った部分はないが、ケレン味を抑えて事実の詳細をしっかりと並べていく姿勢には好感が持てる。ヌーヴェル・ヴァーグの作品群を、機会があればひとつひとつチェックしていきたいものだ。
なお、印象的だったのがエンド・クレジットに流れるジャン=ピエール・レオー(「大人は判ってくれない」の主役)のオーディション風景だ。彼は当時中学生ながら、その利発ぶりに驚かされた。ヘタな大人顔負けの、堂々とした受け答えだ。この部分を観るだけでも、入場料のモトは取れる。