次官会議、123年の歴史に幕=政権交代受け民主廃止
9月14日17時49分配信 時事通信
「123年の歴史に幕-。首相官邸で14日、最後の事務次官会議が開かれた。「脱官僚」を掲げる民主党が新政権発足後の廃止を打ち出しているためだ。内閣制度が確立した翌年の1886年から始まったとされるが、政権交代により、法案や人事の決定の仕組みも大きく変わる。
同会議は、事務の官房副長官以下、各省次官と警察庁、金融庁、消費者庁の各長官、内閣法制次長で構成。定例閣議の前日にあたる月曜と木曜に開かれてきた。法的根拠を持たないが、閣議案件を事実上決定、ここで調整が付かない案件は閣議に掛けないことを慣例としてきた。
民主党は、こうした政策決定システムを「官僚主導」と批判。次官会議を廃止する替わりに、新設する閣僚委員会や既存の副大臣会議を活用しながら、省庁間にまたがる政策などは「政治主導」で調整する方針だ。」
事務次官会議(事務次官等会議)については、このブログでも高橋洋一著「さらば財務省!」(4)で話題にしました。
永田町・霞が関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけ、ここではねられた案件は閣議にはかけられなかったのです。この慣例を、安倍総理が破りました。公務員制度改革案に関連する質問趣意書の政府答弁を閣議了承する過程で、政府答弁案が事務次官等会議で否決されたのですが、安倍総理が「閣議に諮りたい」との意向を示したのです。
かくして戦後初めて、事務次官等会議が諒承しなかった案件が閣議に諮られるという前代未聞の事態となりました。閣議当日、霞が関も官邸も蜂の巣をつついたような騒ぎになり、「こんな暴挙を許していいのか」「総理はめちゃくちゃだ」「安倍さんは狂ったのか」と怒号が飛び交いました。
民主党のマニフェストの中に「事務次官会議を廃止する」というのが入っていましたが、これほどの権威を持った事務次官等会議が、そんなに簡単に廃止できるのだろうか、と半信半疑でした。
ところが上記の報道にあるように、いとも簡単に事務次官等会議が廃止と決まったようです。というか、権威を持っているかに見えた事務次官等会議が、実は法的根拠を全く持っていなかったのですね。これには驚きました。
「官僚内閣制」の象徴のように見られてきた事務次官等会議、自民党政権下では絶対権威のようでありましたが、政権交代とともにあっけなく消滅しました。
“政権交代というのはやってみるもんだな”とつくづく感じました。
ところで、「官僚内閣制」を内部で支えるしくみにはいろいろあります。こちらでは高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(4)でも話題にしました。
例えば官僚による国会議員(主に族議員)に対する「ご説明」です。その省の大臣が方針を提示しても、陰で役人が国会議員に説明に回り「うちの大臣はああ言っていますが、実はこうです」と、大臣方針とは異なる政策を説いてまわります。これでは大臣主導の「議院内閣制」は消し飛んでしまいます。
出典は忘れましたが、「事務次官による記者会見も禁止すべきだ」という議論を読んだような気がします。事務次官が記者会見すると、大臣の方針を微妙に変質させて自分の省益を擁護するように政策をねじ曲げてしまう可能性があるからだと思います。
9月15日の日経新聞には「次官会見の廃止は短慮だ」という社説が載っています。
民主党の岡田克也幹事長が各省の事務次官による記者会見の廃止を検討する考えを表明したようです。
それに対し日経の社説は、「記者会見だけではないが、それを含む多様な取材を重ねて真実に迫り、伝えるメディアの機能に対する認識を欠く提案である。撤回を求める。」としています。権力を持つ側の情報隠蔽であると断じています。
この議論は結局、「次官会見」によって、正しい情報が明らかになる度合いが大きいのか、それとも省益を守る方向で情報がねじ曲げられる度合いが大きいのか、どちらなのか、という問題ですね。ジャーナリズムは、まずその点を論じなければならないのに、日経社説はその点を論じていません。
そもそも、今の大新聞は「記者クラブ」によって役人にいいように情報コントロールされているというのに(上杉隆「ジャーナリズム崩壊」)、その点については全く触れず、次官会見の中止のみを非難するのは無意味です。
9月14日17時49分配信 時事通信
「123年の歴史に幕-。首相官邸で14日、最後の事務次官会議が開かれた。「脱官僚」を掲げる民主党が新政権発足後の廃止を打ち出しているためだ。内閣制度が確立した翌年の1886年から始まったとされるが、政権交代により、法案や人事の決定の仕組みも大きく変わる。
同会議は、事務の官房副長官以下、各省次官と警察庁、金融庁、消費者庁の各長官、内閣法制次長で構成。定例閣議の前日にあたる月曜と木曜に開かれてきた。法的根拠を持たないが、閣議案件を事実上決定、ここで調整が付かない案件は閣議に掛けないことを慣例としてきた。
民主党は、こうした政策決定システムを「官僚主導」と批判。次官会議を廃止する替わりに、新設する閣僚委員会や既存の副大臣会議を活用しながら、省庁間にまたがる政策などは「政治主導」で調整する方針だ。」
事務次官会議(事務次官等会議)については、このブログでも高橋洋一著「さらば財務省!」(4)で話題にしました。
永田町・霞が関の慣行では、閣議に諮る前に、各省庁のトップが集まる事務次官等会議にかけ、ここではねられた案件は閣議にはかけられなかったのです。この慣例を、安倍総理が破りました。公務員制度改革案に関連する質問趣意書の政府答弁を閣議了承する過程で、政府答弁案が事務次官等会議で否決されたのですが、安倍総理が「閣議に諮りたい」との意向を示したのです。
かくして戦後初めて、事務次官等会議が諒承しなかった案件が閣議に諮られるという前代未聞の事態となりました。閣議当日、霞が関も官邸も蜂の巣をつついたような騒ぎになり、「こんな暴挙を許していいのか」「総理はめちゃくちゃだ」「安倍さんは狂ったのか」と怒号が飛び交いました。
民主党のマニフェストの中に「事務次官会議を廃止する」というのが入っていましたが、これほどの権威を持った事務次官等会議が、そんなに簡単に廃止できるのだろうか、と半信半疑でした。
ところが上記の報道にあるように、いとも簡単に事務次官等会議が廃止と決まったようです。というか、権威を持っているかに見えた事務次官等会議が、実は法的根拠を全く持っていなかったのですね。これには驚きました。
「官僚内閣制」の象徴のように見られてきた事務次官等会議、自民党政権下では絶対権威のようでありましたが、政権交代とともにあっけなく消滅しました。
“政権交代というのはやってみるもんだな”とつくづく感じました。
ところで、「官僚内閣制」を内部で支えるしくみにはいろいろあります。こちらでは高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(4)でも話題にしました。
例えば官僚による国会議員(主に族議員)に対する「ご説明」です。その省の大臣が方針を提示しても、陰で役人が国会議員に説明に回り「うちの大臣はああ言っていますが、実はこうです」と、大臣方針とは異なる政策を説いてまわります。これでは大臣主導の「議院内閣制」は消し飛んでしまいます。
出典は忘れましたが、「事務次官による記者会見も禁止すべきだ」という議論を読んだような気がします。事務次官が記者会見すると、大臣の方針を微妙に変質させて自分の省益を擁護するように政策をねじ曲げてしまう可能性があるからだと思います。
9月15日の日経新聞には「次官会見の廃止は短慮だ」という社説が載っています。
民主党の岡田克也幹事長が各省の事務次官による記者会見の廃止を検討する考えを表明したようです。
それに対し日経の社説は、「記者会見だけではないが、それを含む多様な取材を重ねて真実に迫り、伝えるメディアの機能に対する認識を欠く提案である。撤回を求める。」としています。権力を持つ側の情報隠蔽であると断じています。
この議論は結局、「次官会見」によって、正しい情報が明らかになる度合いが大きいのか、それとも省益を守る方向で情報がねじ曲げられる度合いが大きいのか、どちらなのか、という問題ですね。ジャーナリズムは、まずその点を論じなければならないのに、日経社説はその点を論じていません。
そもそも、今の大新聞は「記者クラブ」によって役人にいいように情報コントロールされているというのに(上杉隆「ジャーナリズム崩壊」)、その点については全く触れず、次官会見の中止のみを非難するのは無意味です。
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