弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

釜石訪問(3)

2011-08-04 22:47:28 | 歴史・社会
一昨日に引き続き、釜石訪問記を綴ります。

駅前広場の西側(地図の⑨部分)には、マンボウの絵とともに、「駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石」と書かれた建物があります(左下写真)。右下写真が市場の内部です。
  
実は、2003年1月まで、橋の上に市場があったのだそうです。私が渡ってきた大渡橋がそうです。詳しくは、橋上市場釜石橋上市場などを参考にしてください。
2003年に“橋上市場”は撤去され、その代わりに“駅前橋上市場”ができた、というわけです。

入り口から入ってすぐの右側のお店(下写真)で、津波時の様子をうかがってみました。写真の女将さんから、いろいろお話をうかがうことができました。
  
ここ駅前橋上市場では、津波による浸水は20cmだったそうです。そのため、津波直後は営業を停止しましたが、今では問題なく営業が始まっています。
このお店(有)菊鶴商店は、自分の工場を持っており、自分で作った海産物をお店で売っていたのです。ところが、津波によって工場もご自宅も破壊されてしまいました。女将さんから私の地図上で「この辺に工場があった」と教えてもらいました。その工場所在地は、下の地図の中央に「菊鶴商店」とあり、この位置ですね。

工場は、鉄骨を残して全滅だそうです。
地図の④地点から⑩⑪方向を撮したのが下の写真です。この写真の左1/3あたり、バイパスの後方に菊鶴商店の工場があったはずですが、確認できませんでした。

釜石港湾事務所(地図の⑫)屋上から撮った津波襲来時の動画がこちらにあります。海岸に接していた街が全滅した様子が分かります。
また、ご自宅は浜町1丁目ですが、こちらも破壊されました。
お話をうかがった女将さんは、地震時には駅前のお店におられました。その直後、高台に避難するようにうながされ、ご無事だったとのことです。お店で一緒だったお嫁さんは浜町の住まいにいる子供さんを心配して浜町に走り、危なかったのですがご無事だったとのことです。ひょっとして、こちらのニュース映像がそのお嫁さんでしょうか。拝見すると、お嫁さんもお孫さんもまさに九死に一生で生還されたのですね。
自製していた評判の製品を製造できなくなり、今は仕入れた製品のみをお店に出しているということです。一刻も早く、工場が立ち直ることをお祈りします。

「私は引き揚げも経験しているから」と女将さん。「えっ、おいくつですか?」とうかがったら、80歳とのことです。写真でもわかるように、とてもそのようなお年とは見えませんでした。

ちょうどお昼時です。駅前橋上市場の中にある食堂に入りました。「お薦めはありますか」と聞いたところ、「今は市場も開いていないので、お薦めはないんですが、刺身でしょうか」ということだったので、刺身定食をいただきました。

このあと、今回の目的であった打合せに出かけました。
夜は花巻のホテルにもう一泊です。そして翌朝、岩手を後にして東京に戻ったのでした。

続く
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 稻わら放射能と農水省 | トップ | 経産省首脳人事のドタバタ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・社会」カテゴリの最新記事